連休中、『パール判事の日本無罪論』と一緒に注文した数冊の本がamazonから到着。そのうち漫画三冊(『チェーザレ』5・6、『ピアノの森 15』)はあっという間に読んでしまって、あとの三冊が、『パール判事~』 『台湾人と日本精神』 『自由と民主主義をもうやめる』。そのうちの一冊ですが、とても面白く読んでいます。
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自由と民主主義をもうやめる (幻冬舎新書) 価格:¥ 798(税込) 発売日:2008-11
佐伯啓思 商品の説明 内容(「BOOK」データベースより) アメリカの金融破錠は、自由と民主主義の名の下に個人の飽くなき欲望を肯定し、グローバル化を強引に主導してきたアメリカ的価値の破錠でもあった。それに追随し、経済だけでなく政治、人心のあらゆる局面で崩壊の危機に瀕する日本。もはやアメリカとの決別なくして再生はありえない。今こそ、「私」ではなく「義」を、「覇権」ではなく「和」を是とする日本的価値を、精神の核に据え直すときなのだ。今日の危機に早くから警告を発してきた思想家があらためて問う「保守」という生き方。 (amazonより) |
目次
第一章 保守に託された最後の希望
第二章 自由は普遍の価値ではない
第三章 成熟の果てのニヒリズム
第四章 漂流する日本的価値
第五章 日本を愛して生きるということ
あとがき (より、一部抜粋) 「・・しかし、日本では、どうも、「自由」や「民主主義」と言ってしまえばそれですべて片づくといった風潮が強く、なかなかまっとうな批判も耳をかたむけてもらえません。
だけど、考えてみてください。「自由」や「民主主義」がそれ自体で無条件によいものだ、などと言うほうが暴論ではないでしょうか。「自由」はすぐに「放縦」へと流れますし、「民主主義」のほうも、たとえば「民意」が正しいという保証はどこにもありません。
だから、「自由」が大事だということは、「自由」で何をするかという、その「内容」と分けることはできません。また、「放縦」を抑えるための規範とも分けるべきではありません。「民主主義」にしても、「国民」のなかに良識があればこを成り立つわけです。」
こういうブログをやっているので、「日本は、これからどうしたらいいのだろう」などと漠然と思ったり、また「保守とは何だろう?」という問いも漠然と頭の中にあるものの、明確に答えられるはずもなく。
この本は、現在の経済危機の経済学的考察から、ヨーロッパ発祥の近代社会思想、近代的価値である、「自由」や「民主主義」がどのような意味をもつものなのか。 進歩主義至上で突っ走るアメリカと違い、ヨーロッパで「自由や平等という新しい近代の価値」と「伝統に立脚した価値観」が、なぜ、あのように共存していているのか? 佐伯氏の「ヨーロッパが近代に対していかに警戒感を持っているか」という言葉は、大変印象的でした。
明治以後、日本が独立国であるために、欧米の「近代的価値観」を一途に追い求めたこと、敗戦の結果として受け入れざるを得なかったアメリカ追従のその結果として、何を失ったのか。戦後の唯一の成功分野だった経済さえも大きな打撃を受けた日本が、これから、何をよりどころにして、生き延びるのか?などの問いが投げかけられています。世界と日本の、経済、政治と社会思想などが包括的に語られており、日本がこれから「どういう日本」を目指すべきなのかを、考えさせられます。
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