YUKI - OMOLOLA

MY DAILY LIFE

宙(そら)ちゃん、ノーラちゃん、すごい

2021年11月29日 20時07分50秒 | Weblog
いやいやいや、すごいです!
歌う猫として日本テレビに取り上げられたソラちゃん。
皆さんはご存じかしら???

ホントに歌ってる~。猫種はモックンと同じだけど、モックンは歌いません。
「にゃお~~~~~~ん」と長鳴き(長泣き)はできるけど・・・。


そしてこちらはノーラちゃん。リトアニアの指揮者Mindaugas Piecaitisさんがある日、ピアノの鍵盤を叩くノーラちゃんのyoutube動画を見て、ノーラちゃんをオーケストラのピアニストに抜擢したもの。もちろん合わせてくれているのはオーケストラの方だけど、それなりに美しいハーモニーが生まれていますのよ。ビックリ!
ちなみに、ノーラちゃんは米国フィラデルフィア在住で、飼い主さんはピアノ教室の先生なんだって! サブと同じアメリカンショートヘアなので、何だか勝手に親近感持っちゃった!

ソラちゃん、ノーラちゃん、ステキな音楽をありがとう。

モックン受難②

2021年11月28日 20時35分02秒 | モックン
モックン受難①の続きです。

モックンの性格はシャイ・甘えん坊・怖がり。来客を察知すると2階へ飛んで逃げ、ソファーと壁のすき間に隠れてしまう。ご近所の方でもモックンの存在をまだ知らない人もいるくらいなの。
家の中では、かまって欲しいくせにかまおうとするとツレナイ態度をとる。環境の変化に弱く、アビーと一泊旅行の際にお留守番させると激しく凹む。機嫌が悪いとおねちゃんのことは完全無視、時にシャーと威嚇してくることもある。そのくせPCの前のおねちゃんにニャアニャア絡んできて、邪魔ばっかりする。
一言でいえば、とってもネコらしいネコです。

そんなモックンが一人で入院?できるワケないけど、しなきゃいけない。

そこで2~3日に1回、面会に行くことに。面会室で待っていると、毛布にくるまれたモックンが若い女性看護師に抱かれてやってきた。腕には点滴の針、お尻には導尿用カテーテルがついてます。環境の変化で緊張し過ぎて4日程御飯を食べていないそう。確かにやつれている。飼い主に会っても微動だにせず、銅像のように動かない。

次の面会の時もヌイグルミみたいで反応がない。慣れた家庭を離れて鬱っぽくなり、安定剤が出されたそう。おかげでご飯は少し食べられるようになったんだって。モックン、繊細過ぎる!

何度も面会に行き、いよいよ手術の日。執刀時間には私は一人悶々としてました。苦しい時間だったわ、ワタシにも安定剤頂戴って気分(ってまるでモックンやんか!)

「手術無事終了しました」と電話があり、数日後また面会へ。エリザベス・カラーを装着してまだうつろなモックン、やはり点滴とカテーテル姿。

そうこうするうち、「モックンの体調次第で退院できるかも」と聞いたので以後の面会は毎度キャリーケース持参。段々元気が戻ってきたのが伝わってくる。そしてついに退院。入院は3週間を超えてました。

退院後もエリ・カラ姿のモックン、室内のアチコチにぶつかっていました。服薬、執刀部位の保護に努めましたが、ある日、両後脚の一部が脱毛してかぶれてるのを発見。診察を受けると「床ずれ」らしく、塗り薬をもらいました。何でも入院中に長期間同じ姿勢だったから、骨の当たる部分に床ずれが出来たのだそう。

肝心の患部は丸く毛を剃られ、傷口が痛々しくて正視できませんでした。お医者さんって大変だなぁ~と改めて感謝してます。

この手術を受けた猫の中で、1年に2~3頭は再手術の例もあるという。モックン、舐めたりしてバイ菌が入らないように気を付けて、キッチリ治していこう。おねちゃんも精一杯介護するからね!

去年のモックン。寝ぼけてます。


モックン受難①

2021年11月27日 21時08分27秒 | モックン
昨年10月にサブ、今年9月にはアビーがお空へ帰り、今ではペットはもう10歳のモックン(キジトラの雄)しかいない我が家。飼い主が老齢ならペットも老齢な「老&老ファミリー」の我が家です。

家猫になる直前のモックン、箱座り。この時はまだ野良ネコちゃんです。懐かしいわぁ、2012年推定1歳。


夜になるとこっそりやって来て、使っていないティーティーの犬小屋で寝ていたことを知らなかった私。しばらくすると逃げることなく、お昼でも堂々と犬小屋にいました。


そして当たり前のように家に入ってきて、しっかり寛いでいたモックン。

ティーティーはモックンが姿を現してからちょうど1週間後に亡くなったけど、モックンが一緒にお見送りしてくれたのよ。それからず~っと我が家にいるモックンです。


そんなモックンは、子猫の頃からストルバイト結石(膀胱や尿路にできる結晶や石)ができる体質。家猫になってすぐ、推定1歳から患っています。今日まで9年間療養食しか食べていないけど、おかげで普通の生活か出来てるの。

それでも尿の出にくい時が時々あるようで、そんな時はトイレが長い。病院で結晶を溶かすお注射をしてもらうと、すぐ元に戻ります。それを何度か繰り返しながら、現在まで過ごせてきた。

アビーが亡くなってすぐの頃、またモックンのトイレタイムが長く思えたので動物病院へ。いつもより軽症に思えたのにいきなり入院宣告されました。カテーテル導尿&膀胱炎や結晶を溶かす薬の服用が必要とのことで、入院は数日の見込みでした。

これで我が家にはペットがいなくなり、しーーーんとさみしい。数日後、病院から電話があり、「膀胱内の結晶が消えたのでカテーテルを抜きました。けれど自力排尿ができない。もう一度導尿しますのでさらに数日入院必要」とのこと。

やれやれ、やり直しかぁ。さらに数日後、「前回同様、自力排尿ができません。精密検査のため本院へ連れて行きます」との連絡があったの。これはいつもと違う、いったいモックンに何が起こっているのかとても心配になった。

モックンは、看護士さんに機器の揃っているセンター病院へ連れて行ってもらったらしい。検査の結果は尿路結石とのこと。今までは膀胱内のストルバイト結晶だけだったが、今回は尿道の周りに石がこびりついていて尿の通り道がないらしい。雄猫は尿道が長く、特に出口あたりが狭い構造だそうです。それを手術で短く切って排尿しやすくする。「つまりは女の子にする治療です」とのこと。えぇ~モックン、以前に去勢もしたし、すっかりトランスジェンダー猫になるんだね。

モックンもそれなりの年齢ですから・・・と言われ、返す言葉もない。老家族の文字が頭の中を巡ってる。手術は安全なものか、それで完治するのか、心配ばかりが募る。でも手術しか方法がない。同意書にサインする。
モックンがんばれ~!
おねちゃん、絶賛応援中!
モックンの受難②へ続く


匹数が問題

2021年11月26日 14時54分38秒 | メダカ
しばらく神社の話題だったので、気分転換してメダカの話。

GEX社製の水槽。幅60cm奥行き17㎝と省スペースタイプ。夜桜ラメが泳いでます。

21リットルの水に34匹は詰め込み過ぎ。だから下に敷いた小石のすき間に、結構な量の食べ残しやフンが溜まっちゃうんだなぁ・・・。それが水質悪化の原因のひとつ。

底砂や底石を使わない容器はお掃除らくらく。例えばこの睡蓮鉢(水草はすでに別バケツに移し済み)


柄杓で飼育水をグルグル回す。えぇ、ぐーるぐる。するとメダカも水流に乗ってすいすい泳ぎます。止水飼育なのでたまには運動も必要よね。


水流が止まるとゴミは鉢底の一点にまとまる。あとは集中的にスポイトで吸うだけ。

乱暴なお掃除ですが、見た目はとてもキレイになる。欠点はバクテリアの棲む土がないからまたすぐ汚れること。頻繁なお掃除が必要なの。

  どうしたら水を汚さないか?=餌の食べ残しを減らす

どうやって餌の食べ残しを減らす?そんなある日、お買い物でこれを発見。

これよ、これ!トリオコーポレーション社製のフードプロテクター。1個50円。水槽壁面にくっつけて枠内に餌を入れたら全面に拡散しなくて済む。これを考えた人天才!

実際にやってみたら、60cm水槽では効果なし。理由は、枠内が狭くてメダカが餌に気が付かない。運よく気付いたメダカのうち、一番乗りのメダカ2~3匹が枠内を占領し、餌を独占してしまう。うち1匹は食べ過ぎの為、翌日お腹が破れてお星さまになったの(涙)。反面、食いはぐれるメダカ多し。

仕方がないので、8匹程度しかいない小さな円形バケツで使ってみた。

餌を少量ふりふり~。

いいじゃん!餌がはみ出ない、水の汚れが少ない。

少ない匹数だと効果的なのがわかった。やはり大きな水槽でチマチマ使ったのが間違いだったのね。

これから冬本番。戸外で冬越しするメダカが多い中、ウチは今年もお部屋へ取り込みました。お部屋が狭くなるけどメダカちゃん達、仲良く過ごそうねwithモックン。


超カワイイお客さま

2021年11月25日 14時23分54秒 | Weblog
先日、リーンリーンと電話が鳴った。近所のご夫婦からで、先週新しくやって来たワンちゃんを見せに来てくれるそうです。ウキウキしながら待っていると、さすが王子様、歩ける距離なのにお車にて登場です。

じゃじゃ~ん!!


黒いラブラドール・レトリバー。生後2か月とちょっとの男の子K君。

お顔は丸顔系統で、もうすでに手足がとっても大きいの。

さすがパピー、スキあらば寝る&寝る。スゥスゥ寝息がもう天使並みの可愛いさ。

まぁ、何てかわいいオシリ!

お車で登場した理由は、まだワクチンが完了してなくて土の上に降ろせないからなんですって、納得。もうね、パピーのK君に対して「かわいい」以外の言葉が見当たらなかったの。

我が家ではサブちゃん、アビーちゃんと続けてお空へ行ってしまって凹んでたけど、このK君にはとーっても癒されたの。
ありがとう、Aご夫妻&K君。

桃太郎の地元訪問⑤ 最終回

2021年11月24日 12時52分43秒 | Weblog
前記事「桃太郎の地元訪問④(吉備津神社編その3)」の続きです。

吉備津神社を後にして、レンタル自転車で来た道をハァハァしながら戻る。次にやって来たのが、備中一宮駅近くの吉備津彦神社。両神社の名前は「彦」があるかないかなので、まぎらわしいです。

吉備津彦神社。こちらもすばらしい神社です。




立派な狛犬さんは備前焼!さすが岡山。

 
境内の案内図。規模としては先ほどの吉備津神社の方が広大のようです。

参道横の池には、多くの鷺と、


多くのカメ。実は私はカメが大の苦手なので、なるべく見ないようにして通過。


そんでもって、これ、鷺か亀かどっちの足跡?それとも別の生き物によるもの?


池の上に倒れ込んでいる松の大木。水中に差した棒で支えてあり、絵になります。


参拝客はそれほど多くなかったけれど、やはり七五三参りの家族が複数おられました。そして驚いたのがこの立て札。わかりにくいですが、誰かが勝手に神社内にお賽銭箱を置いてたらしいのよ!こんなこと、よく思いつくなぁ~。参拝者が清い気持ちで入れたお金が詐欺師のお財布を潤すなんてもってのほかだわ、プンプン。


入り口に設置された灯篭。この写真では大きさが伝わりませんが、実は超巨大。

高さ11.5m、一番上にかぶせてある笠石は8畳。燈籠としては日本一の大きさなんですって。なるほど、近くで見上げて撮影したら頂上部が切れてしまった。


入って正面に拝殿がある。

拝殿の奥に、祭文殿(さいもんでん:祭典やご祈祷するところ)があり、


さらに奥に、渡殿(わたりでん:大きな祭典時はここにお供えする)があり、


一番奥に本殿があります。

上記3写真の出典:吉備津彦神社HP https://www.kibitsuhiko.or.jp/index.html
夏至の日には正面鳥居から日が差し込み、祭文殿の鏡に当たる構造だそうよ。なんかステキ!そういえばエジプトのアブシンベル神殿は年2回至聖所に朝日が差し込みますが、こちらは年1回なのね。

休憩用のベンチを覆う屋根。たくさんの燈籠が釣り下げられてて風情があるわ。

樹齢千年以上の平安杉。幹の半分ぐらいはモルタル製。昭和5年の火災で半分燃えちゃったらしいわよ!倒木防止に腐敗部分を除き、内部に鉄筋の支柱を埋め込んで強化したんですって。モルタル部分はその名残りです。それでも生きてるってすごいわね。つっかえ棒もイイ味出してる。


まぁまぁ、ここにも「まさる」さん。私と同じコースを回られたんですね、お疲れさまです。


女性が参道で軽自動車にて鯛焼きを販売してたので、迷わずゲット。注文を聞いてから焼き始める鯛焼きは皮がパリパリしてて、適度な甘さ。甘くて柔らかいケーキ風の鯛焼きが多い中、これは素朴な味でほっこりととても美味でした。

そして備前一宮駅に戻り、レンタル自転車返却。2時間借用で500円の予定が3時間に延長となりましたが、それでも700円とお手頃価格です。

電車で岡山駅に戻ろうとすると、レンタル自転車店のおじい様が「上り電車はあと45分ぐらいは来ないよ。下りはすぐ来るから、いっそのこと総社まで行ってそこで乗り換えたら倉敷はすぐ先」と教えて下さり、ありがたくその通りにする。

ホームは一つだけののどかな備前一宮駅。岡山駅は左へ、総社駅へは右方向へ行く。


ローカル線で山の中を進み、倉敷駅で下車。美観地区の写真を撮ったところでカメラ電池切れ。

倉敷は人気の観光地だし、レポートは無しでもいいよね、悪しからず。

今回、アビーのことで岡山の元ユーザーさんのところへ行き、そこから思いがけず吉備津へやってきました。こんなに良い時間を過ごせたのは、間違いなくあの可愛いアビーちゃんがこの地へ導いてくれたのだと感じます。
アビちゃん、ありがとう。
おねちゃんはこの旅にとても満足したよ。

お空の桃太郎さん、新入りのアビちゃんをよろしくお願いいたします。

桃太郎の地元訪問④(吉備津神社編その3)

2021年11月23日 11時46分42秒 | Weblog
前記事「桃太郎の地元訪問③(吉備津神社編その2)」の続きです。


岡山市北区にある吉備津神社。長い回廊を進むと、左側に三社宮がありました。向かって左より春日宮・大神宮・八幡宮。森の中でちょうど三社に日光が射してて神々しかったの。

お守りなどをもらう授与場、そこにはなぜか横綱千代の富士の額が! こんなところで千代の富士に会えるなんて、ファンだった私はとてもうれしい。なんでも吉備津神社の氏子さんが千代の富士の後援会長だったそうなのよ。

やはり美しい力士である。ウットリ😍 


そして吉備津のこまいぬ。鎌倉時代、社殿火事の際に狛犬が燃える木をくわえて走り、火事を知らせたことから「盗難火難よけ」のお守りになったそうですわ。 なんてお利口さんな犬なの。


壁には郷土芸能の備中神楽の面が飾られています。備中神楽は国指定の重要無形民俗文化財 。

備中神楽とは・・
  備中地方では、古来より神職が神事として舞・剣舞の荒神神楽を行っていた。しかし現在の備中神楽は、西林国橋(1764~1828 国学者) が記紀・古今和歌集等を参考に演芸性の高い神代神楽を加え、神職以外の神楽太夫などが奉納するようになった。特に茶利の松尾大明神と太鼓奏者の漫才みたいな掛け合いに人気があるんですって。

さてさて授与場の外へ出ると、池にはたくさんの鯉が優雅に泳いでました。大きくて立派な鯉ばっかりだった。

さぁ、そろそろ北随神門( 国指定重要文化財) を通って帰ることにしましょう。


犬養木堂氏の銅像がある駐車場まで戻ってきた。昔ながらのお土産物屋さんの名前はやはり「桃太郎」でした。


これで吉備津神社編は終わりです。素晴らしい神社で、是非もう一度行きたいと思いましたのよ。皆さまにもおすすめです。

次の記事は名前のよく似た「吉備津彦神社」です。

桃太郎の地元訪問③(吉備津神社編その2)

2021年11月22日 11時37分16秒 | Weblog
前記事の<桃太郎の地元訪問②(吉備津神社編その1)>の続きです。


岡山市北区にある吉備津神社。その長い回廊脇には趣のある光景がいくつもあります。この苔むす石灯篭の深い味わいがステキ。


さらに進むと右へ折れる道があり、

その先にあるのが御釜殿です。


御釜殿は鳴釜神事で有名。

●鳴釜神事とは・・・
 蒸篭中にお米を入れて釜の上に置き、焚いた時に鳴る音で吉凶を占う神事。各地にあるが、発祥は吉備と考えられる。強く長く鳴るほど良いとされるが、原則的に音を聞いた人が各自で判断する。 

ふーん。吉凶は各自で判断かぁ・・・。私は小さな音でも勝手にいい方に解釈するタイプだな。

吉備津神社の鳴釜神事は温羅(ぬら)退治が起源です。温羅については「桃太郎の地元訪問①」で簡単に書きましたが、鳴釜神事はその後のお話。
  ・彦五十狭芹彦命あらため吉備津彦命は、温羅の首をはねて征伐。
  ・はねられた後も温羅の首は大声をあげ、唸りが止むことはなかった。
  ・骨だけにしても唸り声は止まず。
  ・困ったあげく吉備津神社の御釜殿の釜下に埋めたが、声は止まず。
ある晩、吉備津彦命の夢に温羅が現れ、「私の妻に釜を炊かせろ。世に何かあれば私の釜の前に来い。幸あれば豊かに、反対に禍あれば荒々しく釜を鳴らす」と告げます。その通りにすると唸り声は止んだ。


御釜殿の中も見たかったけれど、社務所受付は遠いのであきらめました。
でもね、さすが今の時代、スマホでバーチャル体験ができる。
しかし、未だガラケーの私は体験できず。帰宅後にPCでもトライしたけど現地限定みたいで残念でした。

御釜殿入り口にあった「かなえボー」

吉備津神社編はあと1回続きます。

桃太郎の地元訪問②(吉備津神社編その1)

2021年11月21日 17時05分00秒 | Weblog
前記事の<桃太郎の地元訪問①>の続きです。

備前一宮駅から自転車コギコギ25分、ようやく吉備津神社に到着。


とても大きくて荘厳な神社です。境内の全体図。


広い駐車場の一角に男性の銅像発見。


誰? もう少し近寄ってみる。台座には「犬養木堂」とのお名前があった。これはもしやあの大政治家、岡山出身の犬養毅さんじゃないの!


お顔のアップはこんな感じ。

えっと、誰かに似てる。旧千円札の伊藤博文?


いや違うな。こっちの方がもっと彫りが深い。では、本物のバター顔の代表、北海道のクラーク博士像かと思えばちょっと違う。なんというか2人を足して割った顔なんですね。


あぁ、また話がそれました。正門入り口には達筆の社号標を発見。


これもあの駐車場に立つ銅像、犬養毅によるものだそう。


手を清める吐水口は龍。


こんなところにもコロナの影響が・・・。


はい、それでは参りますよ。日頃の運動不足で軽い息切れをおこした階段。

境内の掲示板には神職募集ポスター。「誰でもなれる」って・・・・。
でも、下の方に4つの神職養成コースが書いてあってちょっと安心した。

この吉備津神社の本殿は国宝。同神社のHPには数々のすばらしい写真がありますので、ぜひご訪問を。https://www.kibitujinja.com/

長い回廊の開始点に神馬がいました。


約400mという長い回廊も圧巻です。


寄付者の中に、これまた岡山出身の元総理の橋本龍太郎さんのお名前発見。

♬廊下は続く~よ~、どーこまでも~♬


長い回廊の所々に外への道がついていて、別神社や花園へ行けます。



<まさるサン>も、さぞかしお疲れのことだったでしょう。


途中、いくつかベンチが置いてあります。私のためにご親切にありがとう。

情緒にひたっていたら、突然赤ポストが出現。なんで?

あらやだ、またまた記事が長くなってしまったので一旦切ります。また女の話は長いと言われちゃうもんね。実際長いけど、森元総理、お元気かしら。これから寒さ厳しい季節になるのでぜひ温かくしてお過ごしください。

桃太郎の地元訪問③へ続く。

桃太郎の地元訪問①

2021年11月19日 20時07分39秒 | Weblog
秋たけなわ。コロナ新規感染者数も激減したし、予防接種も済ませているので、初めて県外のアビーの元ユーザーさんのお宅へお邪魔しました。おうちはとてもきれいに手入れされており、「アビちゃんは8年間このお家に住んで、一生懸命働いたのだなぁ」としみじみ感じ、アビ生前の姿が鮮やかに心によみがえりました。その後、午後8時前においとまをし、タクシーで予約していたビジネスホテルへチェックインしたの。

翌日は、せっかくなので吉備津神社と吉備津彦神社へ行くことにしました。
まず、岡山駅から地元ローカル線の吉備線(桃太郎線)に乗車。


始発の岡山駅から3番目の駅、「備前一宮」で下車。


この駅はホームが一つだけのとても小さな無人駅。待合ベンチの壁に、吉備津彦命が温羅(ぬら)という鬼を退治した話を書いた大きなパネルがバーンと掲げてありました。吉備津彦命とは、何を隠そう、かの有名な桃太郎さんです!・・って、誰も隠してないわね。


桃太郎が鬼退治で英雄なのは皆知ってる。でも、こんな意見もあるんだって!
  ・福澤諭吉は、自分の子供に日々渡した家訓「ひゞのをしへ」で、悪行をなす鬼を懲罰する桃太郎は正しくとも、(世のために)鬼が所持する宝を強奪した桃太郎は「卑劣千万」であると非難する。
  ・現代でも「本当は鬼が島に押しかけた桃太郎らが悪者ではないか」と考える者はおり、裁判所等で行われる模擬裁判の事例やディベートの議題として取り上げられる場合がある。(出典:Wikipedia)

へぇー、そうなのかぁ~。そこで退治された鬼の温羅 (ぬら/うら/おんら)についても調べてみる。
  ・異国から飛来して吉備に至る。
  ・製鉄技術を吉備へもたらす。
  ・鬼ノ城を拠点として一帯を支配する。 
  ・空が飛べる。
  ・大男で怪力無双。
  ・大酒飲み。      
温羅に困った吉備の人々は都へ出向き、窮状を訴える。しかし、ヤマト王権が派遣した武将も温羅は倒せなかった。このため崇神天皇は彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)を派遣した。  (出典:Wikipedia)

結局、この彦五十狭芹彦命という人が温羅を討伐し、温羅は自分の「吉備冠者」という名を献上した。それから彼は吉備津彦命と呼ばれるようになったんだって。

説明が長くなりました。
備前一宮駅から吉備津彦神社は踏切渡ってすぐ目の前。



しかし、名前がよく似たもう一つ別の神社「吉備津神社」は隣の吉備津駅にあり、ここからは自転車で25分ほど。2つとも行きたいので、駅舎隣の貸自転車屋さんでママチャリをレンタル。係のお爺さまは「2時間もあれば十分」とおっしゃり、500円コースを選択する。

最初に遠い方の吉備津神社へ向かう。この川沿いの道をグングン進み、


途中で吉備線の橙色の電車に追い抜かされ、


誰も歩いてない。道が正しいか不安なところ、標識を見つけ安心する。



「おねちゃん、がんばれ!」
白鷺クン、応援ありがと!

中間地点を超えた頃、「鼻ぐり塚」という案内棒(?)発見。

福田海(ふくでんかい)という宗教法人の敷地内にある牛の供養塚らしいが、矢印の方向にそれらしいものは見えなかった。


福田海のHPによると、「鼻ぐり塚とは、農耕や搾乳で使役された後にあるいは近年ではその目的で飼育され、解体されて肉や皮が人の用に供されていく牛を供養する為に牛の鼻ぐりを集めて円墳の上に積み上げた塚をいう」とのこと。あぁ、生きるということは他の生物を搾取することなんだなぁ・・・。すみません。

吉備津神社に着くまでに記事が長くなったのでいったん切ります。
<桃太郎の地元訪問②>に続きます。

納骨しました

2021年11月18日 16時02分49秒 | アビー
夏の終わりに突然お星さまになったアビー。

残された私は、その日から大きな喪失感と深い悲しみの底へ沈みました。
アビーのいない生活に慣れない。
フードの時間にはアビーの不在を思い知らされる。
あぁ可愛くて茶色いアビーちゃん、どこ行ったの?
夕方になると虚脱感が襲ってきて、勝手に涙がこぼれます。
ブログを書く気力がない。書こうとしても心がジーンとしびれたようになり、頭が働かず数行に4時間も費やす有り様でした。どうせ忘備録としてメモ程度のブログなんだから、無理して書くことはないわと随分お休みしました。

先日、アビーが使役犬として所属していた協会の慰霊碑の中に納骨してもらえることになり、納骨式をして頂きました。コロナ禍で参列者が制限された式だったけれど、元パピーウォーカーさん、元ユーザーの方、現役の仲間犬とそのユーザーさん達、役職員さん達でアビーの思い出を語り、心温まる儀式でした。




アビーの分骨壷(ほとんどのお骨は家で保管)は、アビーの母犬さんの骨壺の右隣に安置されました。アビちゃん、お母さんの隣でゆっくり眠れて良かったね。このように無事四十九日も終わり、分骨壷の納骨も終えた今、「アビーちゃんは明るい犬だったから、アビーのためにもあまり悲しまないようにしましょう」ということで、私も通常の生活に戻れるよう強く心を持って行こうと思っています。

長く伸びるアビーと私の影。
アビー、いつまでも一緒だよ。いつかまた会えるからね。


そして、今この瞬間も今苦しんでいる人、犬、猫および全ての生き物に心から祈りを捧げます。