YUKI - OMOLOLA

MY DAILY LIFE

初七日の夢

2020年10月31日 15時20分13秒 | サブちゃん
サブの初七日の夜、夢を見ました。

真っ暗な中、私は一人でどこかわからない所を歩いていると、ひとりの住人に出会いました。「薄茶色のアメリカンショートヘアならこの先の公園にいたよ」。なぜ私が薄茶の猫を飼っていたって知っているの?別に猫を探しに来たんじゃないし・・。ここはどこ?あなたは誰?不思議に思いながらも、歩き出すと公園があり、ベンチの上にサブと同じ毛色のアメリカンショートヘアが座ってじっとこちらを見ていました。あぁこの猫のことね。あたりは真っ暗なのにその猫の周囲は明るく、はっきり体が観察できたの。

「サブちゃんかな?」サブならば、私を見ると「おねちゃ~ん」と声を出すか、すり寄ってくるはず。なのにその猫は私を見ても何の反応もない。やはり別の猫だ。毛の模様を見ると後足に白い部分がある。でもサブの白い部分はそんなに多くない。「サブちゃんは死んだんだし、あの子はサブじゃない」そう思って、ワタシはまた歩き始めたの。ここで目が覚めた。

起きてからしばらく、夢の中の猫のことが頭から離れなかった。
・初七日の夢に同じ種類の別の猫が出てくる必要なんてあるのか?
・弱っていて反応できなかっただけで、あれはサブだったんじゃないか?
・近くに寄って、毛並みの特徴をつぶさに観察するべきじゃなかったか?
・抱いたり声掛けしていたら、サブだと確認できたんじゃないか?

私はなぜ声を掛けなかったんだろう?それは多分、サブの死を受け入れられたからだと思う。もしもあの猫がサブで、夢が正夢だったら、病気のサブちゃんは再び死に面することになる。せっかく穏やかに逝けたのに、今度はひどく苦しむかもしれない。それは避けたい。サブちゃんは最高の一生を送り、幸せに天国へ行ったんだよ。生き返ってもそれ以上のことはないんだよ。私にはわかるの。

サブちゃんの棺に収まりきらなかったコスモス。これはサブからのプレゼントと思うの。

サブちゃんは永遠に私の心の猫。


サブ、お空へ

2020年10月29日 16時52分10秒 | サブちゃん
今日はサブちゃんを動物霊園へ連れて行く日。

昨日の午後、ご近所の方(面識のない方)からサブちゃんへコスモス提供の話があるとお知り合いから電話連絡があり、今朝頂きに行ってきました。ありがとうございます。野良時代のサブちゃんが周囲にどれほど愛されていたか、つくづく感じましたのよ。

サブちゃんを手作りの棺に入れる。皆さまの心遣いのお花に埋もれたサブちゃん。結局、私は飼い主なのに花を買っていなかったことに後で気づいたの。

出発の前にも会いに来てくれた人がいて、心から感謝。



これはおねちゃん。

出発前。お玄関でおねちゃんと。

アビーも喪服で参列。


サブちゃんのお葬式。

手にはお手紙と六文銭。


今、まさに・・・。


最近の動物のお葬式は、連れて行ったときに使った毛布や箱、お供えの缶ジュースとか持って帰るようになってるんだね。てっきり向こうで処分するものだと思ってただけにチョト意外。なので、手作りの棺もまた家に戻ってきた。

すこ~し小さくなっちゃったけど、サブちゃん無事に帰ってきましたよ。お隣の赤い骨壺はティーティーちゃんのもの。これならサブもさびしくないよね。
そしてサブちゃんの遺影も、後でおねちゃんが描いてあげるからね。


皆さま、どうもありがとうございました。
そしてサブちゃん、安らかに。

最後の夜が来た

2020年10月28日 16時51分24秒 | サブちゃん
昨日も今日もサブちゃんに会いに来て下さった方々がいらっしゃいます。
本当にありがたく、心よりお礼申し上げます。

写真のお花は近くの畑で育てたものなんですって。お散歩が大好きで、野良時代はそのあたりを歩き回っていただろうから、なじみのある地元のお花をもらってうれしいね。良かったね、サブちゃん。

今日のサブちゃん。生きてる時と全然変わらないのよ~!


午後からサブちゃんの棺を作ったの。Amazonの紙箱に緑の紙を貼り、いろんな果物の絵を貼りつけたの。中には、きれいに洗ったサブちゃんの毛布を敷きました。


サブちゃんに頂いた花など。サブちゃんは本当に皆に愛されていた幸せなネコちゃんだったんだねぇ。


お葬式まで4日間も家に置いてて良いかしらとも思ったけど、気温も低いし保冷剤でガチガチに固めたので大丈夫でした。


サブちゃん、いよいよ明日出発するんだね。
名残惜しいけど、今晩は最後の夜。
いつも通り、みんなで一緒にいようね。
必ずまた会おうね、指切りげんまん!



あっぱれサブちゃん、大往生

2020年10月27日 00時09分53秒 | サブちゃん
25日(日曜日)午前6時半頃、サブちゃんは安らかに天国へ旅立ちました。
ブログでお目にかかった皆さま、その御縁を頂いて本当にありがとうございました。


お外が大好きだったサブちゃん、亡くなる前日もお庭を楽しんだね。フラフラしながらも前の犬が亡くなった場所へ行き、同じように横たわったサブちゃん。あぁティー兄ちゃんがお迎えに来てるんだね。

部屋へ戻って寝込むサブのところへモックンが来て、なぜかサブちゃんから離れなくなった。こんなことはかつてなかった。猫同士だからお別れを察知したんだね。もう本当に今晩なのかもしれない。



その日の明け方、一緒の布団で寝るサブの顔が私の真正面にあり、大きな目でジーっと見つめてくるのです。時々何か言いたそうに「アーン、アーン」と呼びかけてくる真剣なサブ。「そうか。よーくわかったよ、サブちゃん」と返すと静かになった。その瞬間、テレパシーと言うか、言葉が通じなくても心がひとつになったと実感できた。
呼吸に力がなく、鼻に手を近づけるとかすかに息の気配を感じるという際どい状況が続きます。目が乾いた様子だったので目薬を入れた時、抱いた全身が弛緩していました。ちょうどずぶ濡れのセーターを持ち上げた時にダラーンと垂れ下がるような、そんな感じです。「おかしい」とよく見ても、さっきまでの浅い息のサブと変わりはない。喉がグルっと鳴った。でも呼吸していない気がする。私には生きてるのか死んでるのかわからない。心臓だ、心臓は・・・動いていない。あぁサブちゃん。ついに逝ってしまったんだね。おねちゃんはもうどうしてあげることもできないんだね。時計は6時34分。

亡くなる2~3日前、サブは会えなかった人達に奇跡的に再会できたのよ。例えば、苦しい野良時代にご飯の余りをくれた中年男性。お向かいで勤務されてて、ウチで保護した後も時々サブちゃんにどうぞってお魚を持って来て下さったね。でもすぐに転勤されて4年ぐらい会っていなかった。でも偶然、車ですれ違ったのよ!驚きでしょう?運転席から「元気そうだね」と声掛けしてもらった。実はもう大丈夫じゃなかったけど、最期に会えて感激したの。

ノラ猫だったサブちゃんは、幾多の病気や災難にもめげない明るい性格で、社交性があり、心の強い子でした。猫なのに本当によく私の役に立ってくれました。私の方が見習うことの多かったサブちゃん。素直で純真な猫であり、「ダメ」と注意されたことは2度としない聞き分けの良い子でした。

サブちゃんに関する古い投稿を見返すと、サブのコミュニケーション能力は終始一貫してハイレベルだったと再認識したの。とりわけ初期の記事には先入観がない分、サブの性格がよく伝わる気がします。このブログは単なる備忘録として開設し、自分さえわかればよいとカテゴリー分類もしていませんでしたが、健気で味のあるサブちゃんの振る舞いを覚えていたくて、急きょ「サブちゃん」というカテゴリーにまとめました。
特におすすめの記事
「とにかく明るい猫」

サブが亡くなって、いろんな人がお別れに来て下さったの。Mさんはいち早く野良時代のサブを発見されたけど、すでに家に2匹いるからそれ以上無理で、いつも遠くから見守っていて下さった。「あの時、飼えずにごめんな」とサブに話されました。お隣の方は2回も来て下さった。Pさまや犬のYちゃんのお母さんも来て下さった。皆さんにお花やお菓子を頂きました。サブちゃんはね、誰にとっても特別すばらしい存在の猫でした。

サブは亡くなったけど、前の犬が死んだ時のような悲壮感はそれほどありません。その理由は、できることはしたつもり、野良だったけど飼い猫と同じ平均寿命まで生きた、生きた時間が充実していて後悔がない、私に覚悟ができていた等々。そして何よりサブが苦しまずに愛情の中で眠るように逝けたことです。

サブの一生は辛いことが多かったけど、一日一日に意味があった。いつも全力を出す姿を見て、一緒にいた私も充実した毎日を送らせてもらった。だから、もし死んでもブログで触れない方があっさりしていて、さわやかなサブらしいと思ってたんだ。でも実際に死なれると感謝の気持ちが沸き上がって来て、やはり記録を残したい気持ちに変化しました。

サブは4日間お家にいて、29日木曜日の午前10時にお空へ上ります。

サブちゃん、
ウチに来てくれてありがとう。
一緒にいてくれてありがとう。
きっとまた会えるよね。
本当にありがとう。安らかに。










特別なことはなくても

2020年10月22日 17時53分26秒 | サブちゃん
皆がこうやって一緒にいるということが素晴らしいことなんだよ。
野良で頑張ってきたサブちゃん。その苦しさの中でも性格がゆがむことなく、天真爛漫で素直で社交的なサブちゃん。

猫の神様はそんな頑張るサブちゃんをとても愛していて、もうすぐとてもいいところへ招待してくれるんだって。もし道に迷ったら、先に行ってるティー兄ちゃんが案内してくれるよ。

それまではここで一緒にいようね。みんながそばにいるよ。
特別なことがなくても、毎日すばらしい幸せの中にいるんだよ、サブちゃん。

ホウジャク

2020年10月21日 20時55分39秒 | Weblog
冬になる前にお庭の掃除をしなければ・・・と思いつつ毎日先延ばしのワタシ。

さぁ庭仕事に取り掛かろうとした矢先、右手をやけどしちゃったの😢 。中指の側面が熱したフライパンの蓋にジュ~と当たったのよ。じわじわと水ぶくれができて、手を洗った時にそれが破れた。仕方がないので破れた皮膚を水で湿らせて伸ばし、指に貼りなおして絆創膏で固定。痛みがぶり返してきてこれで直るとは思えないけど、この方法しか思いつかなかったの。けっこう長い間絆創膏が必要だったけれど、意外や意外、破れた皮膚がキレイにくっついていた。神様ありがとう。

ようやく絆創膏が取れ、ほっとしたのもつかの間、その日に今度は左手にやけどしてしまいました😭 。オーブントースターの中から焼けたものを取り出そうとして、左手の甲を熱いトースター本体に押し当ててしまった・・・。やっぱり水ぶくれが破れて、絆創膏。でも今回は破れた皮膚をキレイに貼りつけられず、一部皮膚の赤いところが剥き出しに!これは治るのに時間がかかったのよ。そそっかしいと言われればそれまでだけど、脳内ではササッと動作しているつもり。でも、実際の手の動作は遅くなっててチグハグに。なんだかこれも老化現象の一つと思えちゃってさ。トホホ。

そういうわけで伸び伸びの伸び伸びになっていた庭掃除。やけどが治った今日、ようやく取り掛かりました。枯れかけのものは思い切って処分。伸びた枝は短くカット。鉢の植え替えもしました。フェンスから枯れたつる性植物を取り除く。作業はまだ残ってるものの、これで1/3ぐらい済んだ。ホッとしたそこへ何やらせわしない虫が飛んできた。

めっちゃバタバタしてる虫。


これはホウジャクじゃん!

ナイス・ホバーリング!


口吻がとっても長いホウジャク。ホントにハチドリみたいね。

この狭小庭には、以前は体が緑色でウグイスにそっくりの「オオスカシバ」がよく来てたわ。けど今年はまだ見ていない。冬になるまでに会えるかしらね?

サブちゃんお帰り~

2020年10月20日 19時11分47秒 | サブちゃん
三日ほど前、サブが口からポタポタ出血していた。最近は毎日通院してるサブちゃん、何かあると獣医にすぐ診てもらえるのはありがたい。出血は左上の犬歯からで、止血剤を注射してもらうと止まったの。

でも、今日再出血がありました。それもかなりの量で、服や座布団、絨緞、廊下、玄関、猫ケージが汚れていました。このままでは貧血になり、すでに歯がぐらついているので抜歯となりました。ケガや病気のたびになぜか歯が脱落してきたサブ。下顎にに肉芽腫もできたし、口の中にトラブルが多かったサブちゃん。残る歯は右上の犬歯のみ。つらいなぁ。

いつもは補液が終わるとすぐに連れて帰るけれど、抜歯は半日入院なのでそのまま預けて帰りました。お迎えは午後4時半。病院の駐車場に4時過ぎに到着。もちろんアビーも一緒に迎えに行き、診察室でまってたわよ。獣医師から説明を受けた後、動物看護士さんがサブを診察室へ連れてきて下さいました。サブちゃんは腎臓が悪くて麻酔ができない。なので鎮静剤による抜歯でした。痛かったでしょう、サブちゃん。頑張ったね、サブちゃん。

サブちゃんは鎮静剤の作用でぼんやりして猫ケージにもたれかかり、時折上げる前足も宙をかいていました。サブちゃん、時間が過ぎたらお薬の副作用は抜けるから心配ないよ。家に着いてもフラフラが止まらないサブちゃん。お水を飲んだら吐いちゃったサブちゃん。でももう心配ないんだよ、サブのお家に帰ってきたんだからね。

サブちゃん、大事なのはこうやってみんなで一緒にいることなんだよ。みんなサブちゃんのことが大好きなんだよ。サブちゃんはたくさんの愛情を受けているんだよ。それはね、
サブちゃんがとても素晴らしい子だからだよ。

2017年6月15日のサブちゃん。
いつも「おねちゃん、おねちゃん」と話しかけてくる。コミュニケーション能力は抜群!


機嫌がなおった

2020年10月18日 20時53分04秒 | アビー
こんにちは、私アビー。


私ね、朝のお散歩の時、知らないお爺さんが向こうから歩いて来たの。そして、ひとこと言われたの。
「このイヌ、オッサンみたいな顔して!」

ねぇねぇ、どう思う?ひどいでしょ?レディに対して言う言葉じゃないわ!

そこでおねちゃんが「大きいけど女の子なんですよ」とにっこり言うと、お爺さんは知らんぷり。同行してたお婆さんが「まぁ、この犬は女の子ですよ。女の子にそんなこと言ったら叱られますわよ」とお爺さんをたしなめたの。お二人とも80歳は超えている風だったわ。いえいえ、アビもおねちゃんも大人だからさ、そんなことぐらいで怒ってないです。大丈夫ですよ。叱りもしませんから安心して。公共の場で、皆の前であまりにもズケズケと見た目の感想を言われてチョト残念だっただけです。

そんなアビだけど、今日は後輩たちの街頭募金活動のお手伝いに行ってきました。
この子は後輩のWちゃん。面長でハンサム。かっこいいでしょ。


もう1頭はYちゃん。丸顔がとっても愛らしいの。


そして、最年長のアビー。平べったくなってます。

そしたら、道行く人々が立ち止まって「アビちゃん、お仕事してきたんだね。偉いなぁ」「賢い子やね」「長い間お疲れ様だったね」「可愛いね」と口々に褒めて下さったのよ。

朝は「オッサン顔」と言われたけど、優しい言葉をかけてもらってアビのご機嫌がなおったの。みんなありがとう。
今夜は何だかいい夢見られそうよ!

ココシュカの元カノ

2020年10月18日 19時48分14秒 | Weblog

(原題)   テ  ン  ペ  ス  ト 
別名)   風   の   花   嫁 
オスカー・ココシュカ作(制作1913~1914年)

オスカー・ココシュカ(1886 - 1980年)はオーストリア出身の画家、詩人、劇作家 。著名な音楽家グスタフ・マーラーの未亡人アルマと一時恋愛関係にありました。この絵は彼の代表作で、自分とアルマを描いたもの。

今から30年以上も前、(現物じゃなく写真で)この絵を見たワタシはすごい衝撃を受けました。やりすぎ感があるって言うんですか、色使いや構図がおどろおどろしく、情念が入り過ぎて怖いと言うか・・・。この2人は暗い沼に沈んで心中したのではないのかしら?男は死んでいて、女はまだ生きてるような印象。もう見るからに不安が伝わってくる絵なんだよね。

不気味な印象が覚めないある日、古書店で小冊子「La museバーゼル美術館 (講談社)」を発見。あの絵はバーゼル美術館の所蔵なのかぁ。迷わず買いました。とりあえず心中じゃなかったことがわかった。二人とも生きててよかったわ。


そこに書かれているココシュカは激しい恋愛に人生を翻弄されるけど、哀れなほどの純情さを持ち続けているの。わずか3年ほどで別れちゃうんだけど、その後も生涯アルマを思い続けるココシュカ。彼にそこまで思わせる元カノ、マーラー未亡人のアルマと言う人はいったいどんな人なのか知りたくなった。

ココシュカとアルマの写真。


やはり美しいアルマ。

書きたいのはココシュカのことなんだけど、その前に「アルマ、女神か悪女か」と題して元カノのアルマの年表をまとめてみた(注:出典により違う説が多々あった)。三度の結婚期間に色を付けた。赤字の男性は他の男性との交際が同時進行している。外見も内面も魅力的な女性だから、この表以外にも男性はたくさん居たらしい。



クリムト、そして3人の夫たち。


そして、オスカー・ココシュカ。


亡命後のロス時代のアルマはビバリーヒルズに居を構え、音楽サロンを主宰。欧州からの多数の亡命作曲家が出入りしてたそうよ。

時代のせいか、4人子供を産んで3人が亡くなっている。つらいわねぇ。唯一長生きした次女アンナ・ユスティーネ(マーラーの子)はロンドンに亡命して彫刻家になったんですって。あまり反りが合わなかったそうだけど、母同様に多彩な恋愛遍歴を持ち、生涯に5回の結婚。アルマに似てこの次女もすごい美人です。
   次女アンナ・ユスティーネ


アルマが男性にモテモテの理由、それはズバリ美貌と知性の両方を持っているからでしょう。妖精のように美しいアルマ。当時の音楽業界は男性主流だが男性と対等の知識を持つアルマ。男性にチヤホヤされたい性格で男を従えるアルマ。心変わりが多いけど自由に突き進むアルマ。男と別れても鋼のメンタルを持つアルマ。自立する女アルマ。一流の天才たちにとって、100人の従順な女性よりもひとりのアルマの方が新鮮な刺激があって魅力的なのでしょう。

以上、いつかココシュカについて記事にしたい(時期未定)のですが、その前段階としてアルマについて簡単に考察してみました。

コロンちゃん達

2020年10月16日 19時58分41秒 | Weblog
楊貴妃メダカの稚魚のうち、背丈が短くコロンコロンした体型のものをコロンちゃんと命名しました。
いつまでもこの愛らしい体型でいてほしいけど、いずれ成長してスラリとしてしまう。
ならばその変化の過程を楽しもうと、6匹のコロンちゃん達を別容器に隔離しました。
これでじゅうぶん観察できるわ。


この体型のせいで泳ぎがぎこちないの。

成魚になるまでの間、成長を見守りたいと思います。変化が楽しみ!

八重咲き

2020年10月16日 05時26分35秒 | Weblog
月曜日の水彩画教室のモチーフは八重咲きのコスモスだった。
コスモスにも八重咲きがあるなんて、全然知らなかった。私には一般的な一重のコスモスを描くのも難しいのに、八重咲きなんてムリムリ!出来上がった絵は、コスモスがなぜかダリアの花になっていたわ。トホホ。

そもそも八重咲きとはね、花びらが重なって咲く咲き方のこと。本来ならオシベやメシベがあるはずの場所(花びらの内側)なのに、そこには更に多くの花びらが並んでる。その内側の花びらって、実はオシベやメシベが花びらに変化したものなんですって。だから、八重咲きには実ができないのね。


さて、八重は八重でもコスモスじゃなくて山吹の話題。

「七重八重花は咲けども山吹の
    実のひとつだになきぞ悲しき   兼明親王」

この和歌は兼明親王(かねあきら しんのう 914~986年。平安時代中期の公卿・皇族で、醍醐天皇の第11皇子)の作品で、後拾遺和歌集(巻19-1154)に収載されています。
作者が小倉(京都嵯峨)の家に住んでいた頃、雨の日に来客があり、帰りがけに蓑を借りたいと言われた際に山吹の枝を折って持たせます。その人は意味が分からず、何日か後に真意を尋ねてきたので、その返事としてこの歌を届けました。
 <意味>七重八重に咲く山吹の花なのに、実のひとつもない(=蓑ひとつもない)のは残念なことです。


時は流れて、室町時代後期の武将・太田道灌がある日鷹狩りに出かけたところ、突然のにわか雨に遭う。雨具を借りるためにある農家に立ち寄ると中から若い娘が出て来て、蓑の代わりに一輪の山吹の花を差し出した。道灌は「自分が借りたいのは蓑なのだ。花なんかじゃない!」と内心腹を立てる。後で家臣にこの話をしたところ、それは後拾遺和歌集の「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」の兼明親王の歌に掛けて、山間の茅葺きの家で貧しくミノ(実の=蓑)ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教えられる。道灌は自分の無知を恥じ、それ以後歌に励んで歌人としても名高くなったという伝承がある。

なるほど。
物事を極める人は、やはり気づきと改善によって進歩して行きますなぁ。私の場合は「あ、そうなの?あの時は腹立ててごめんね♥エヘ」で終わっちゃう。毎度反省の色はなく、お気楽に過ごすのがワタクシ。
これじゃあ絵が上達しないのも当然ですわ。

親子再会できる子、できない子

2020年10月14日 20時04分16秒 | Weblog
この夏に購入した夜桜ラメの成魚3匹が、多くの卵を産んでくれました。中には★お星さま★になった子もいたけど、スクスク成長したものも多かったです。

昨日、体格の良い稚魚4匹を親の容器に投入。画像には親2匹、稚魚4匹が写っています。
  「お父さんお母さん、ただいま~」
  「おかえり~。大きくなったね」
という雰囲気を期待していましたが、当初は親が子供を追いかけ回していたわ!
けれど、すぐ慣れて平常モードに。


一家団らんの図。よく動き回り、7匹を1枚に収めるのにひと苦労。




ちなみに、楊貴妃の稚魚も毎日元気に泳いでいます。


全員同じ方を向いてるけど、何があるん?


成長と共にコロンちゃんが減ってゆく。できればコロンのまま大きくならないでほしい。


サブちゃん:「ふふん、メダカの飼育水を飲んじゃうもんね、ボク」


サブちゃんは末期の腎臓病で、猫に多い病気です。皮下補液のため、毎朝一番に動物病院へ通ってます。少し前まで「小山クン」というあだ名だったぐらいプリプリ太っていたサブちゃん。その頃は7㎏近くあったのに、1~2カ月で急激に痩せて今は4.5㎏。抱くと骨がゴリゴリ当たるの。目が開きにくい、皮膚にデキモノ、鼻の穴がただれ、唇が荒れている。体調は週単位で一気に悪化。血液検査も悪過ぎて、数値測定不能と表示されていて泣けてくる。他の内臓は大丈夫なのが唯一の救いです。寝てばかりだけれど、調子のいい日はお庭を歩いたりする。今日はその「調子のいい日」のようだわ。

メダカの稚魚は親子再会を果たしましたが、サブちゃんはもう産みのお母さんに会うことはない。でもね、サブちゃん、悲観しなくていいのよ。おねちゃんはね、こんなに良い子のサブちゃんを産んでくれた本当のお母さんにとても感謝してるんだよ。だからその恩返しに今度はおねちゃんがお母さんとなって、サブちゃんのお世話は一所懸命していくからね。何よりサブちゃんのことが大好きなんだよ。ずっと大好きなんだよ。
だからサブちゃん、
何にも心配することはないんやで!


稚魚30匹ぐらいが、

2020年10月13日 17時25分08秒 | Weblog
今朝も日課のメダカの餌やりを行いました。あら?発泡スチロール容器の中に夜店の金魚すくいほどウヨウヨいた稚魚、何だかビミョーに匹数が減った気がする。気のせい???

これは二日前の写真。ウヨウヨいた。


何気なく水中の汚れを網ですくうと、稚魚の死骸が一匹引っ掛かった。

「え?」

注意しながら他の部分も調べてみたら、出るわ出るわ30匹余りの死骸。すべて容器の底に沈んでた(かわいそうなので撮影せず)。ほとんどがまだ小さい体だったけど、中には大きな稚魚も数匹いた。なんで死んだんだろ?
原因を考えてみる。
  ①個体数が多すぎて酸欠
  ②餌の食べ過ぎ
  ③大勢居すぎて、餌取り競争に負けて餓死
  ④昼夜の寒暖差
  ⑤元々弱い個体が自然淘汰された
死骸はやせ細ってなかったので、③ではない。
他の容器にいる稚魚で死んだものはいないから、④ではない。
⑤なら、自然の摂理で仕方がない。

私にできるのは①と②への対策。餌は少し控えめにする。そしてどちらにせよ、<容器中の個体数を減らすためにもう一つ容器を増やす>ということになります。

そこで作り置きの飼育水を深めの洗面器(大)に入れ、稚魚はそこへ緊急避難。


ところが、もう一つ容器を増やすには新しい飼育水が足りない!仕方がない。飼育水ができるまでの2~3日の間、このままで我慢してもらうことにする。発泡スチロール容器よりもこの洗面器の方が容積は大きく、稚魚は30匹少ないので大丈夫と信じたい。

メダカって驚くほど強い生命力を見せる反面、大変デリケートで些細なことで死んでしまう。まぁ、生まれた稚魚が100%成魚になるのではないし、たくさん産卵するということは死ぬ子も多いということなんだろうなぁ・・・と自分をなぐさめてみる。クスン・・・。

お星さまになった稚魚ちゃんたち、管理不足でごめんね。



白い服装

2020年10月12日 21時26分29秒 | Weblog
子どもの頃、お習字をすると手はもちろんのこと、アチコチに墨を付けて汚してましたわ。だって子どもだもの。

子どもの頃、油絵を習ったことがあります(あるかないかで言えば、「ある」程度のショボいもの)。その際もアチコチに油絵具を付けて汚してました。だって子どもだもの

母はよく「お習字でも絵でも、上手な人ほどどこも汚さないのよ」と言ってましたわ。

中年になってから水彩画を習い始めました。腕前はいつまで経っても初心者レベル。これもね、指や小指の根元とか、机の端っことか、袖口とか、けっこう絵の具があちこちにつく。もう子どもじゃないのに・・・。


そして今日はその水彩画のお稽古日でした。私は汚れてもいいシャツの上にエプロン。でも先生はいつもキリッと白い服装なの。白いけれど、決して「汚れてもいい服」ではありません。その上、ワタクシのようなエプロンなんてされませんのよ。白い洋服で生徒たちの間を回ってアドバイスや加筆などをなさいますが、一度たりとて絵の具で汚れたところは見たことありません。

さすが先生はプロ、「お習字でも絵でも、上手な人ほどどこも汚さないのよ」なのよね。

昔、プロのギタリストの演奏テクニックに感動し、「いやぁ、どうしてあんなに上手く弾けるんだろう?すごいね」と言ったら、一緒にコンサートに行った友人から「プロなんだから当たり前」と軽く返されたことがある。そのギタリストは「徹底的に打ち込んで、3カ月でものにならなかったらギターを止めろ」と言っててね、ちょっと乱暴な意見じゃないかしらと思ったけれど、やっぱり上手くなる人はどこか違うんだよね。

3か月どころかもう何年も習っているのに、私は未だにアチコチ絵の具で汚してる。ものになるどころか、いつまでたっても技量は子ども並み。えぇ、私が絵のプロになる日なんて、生きてる間に絶対来ないことはわかった。