25日(日曜日)午前6時半頃、サブちゃんは安らかに天国へ旅立ちました。
ブログでお目にかかった皆さま、その御縁を頂いて本当にありがとうございました。
お外が大好きだったサブちゃん、亡くなる前日もお庭を楽しんだね。フラフラしながらも前の犬が亡くなった場所へ行き、同じように横たわったサブちゃん。あぁティー兄ちゃんがお迎えに来てるんだね。
部屋へ戻って寝込むサブのところへモックンが来て、なぜかサブちゃんから離れなくなった。こんなことはかつてなかった。猫同士だからお別れを察知したんだね。もう本当に今晩なのかもしれない。
その日の明け方、一緒の布団で寝るサブの顔が私の真正面にあり、大きな目でジーっと見つめてくるのです。時々何か言いたそうに「アーン、アーン」と呼びかけてくる真剣なサブ。「そうか。よーくわかったよ、サブちゃん」と返すと静かになった。その瞬間、テレパシーと言うか、言葉が通じなくても心がひとつになったと実感できた。
呼吸に力がなく、鼻に手を近づけるとかすかに息の気配を感じるという際どい状況が続きます。目が乾いた様子だったので目薬を入れた時、抱いた全身が弛緩していました。ちょうどずぶ濡れのセーターを持ち上げた時にダラーンと垂れ下がるような、そんな感じです。「おかしい」とよく見ても、さっきまでの浅い息のサブと変わりはない。喉がグルっと鳴った。でも呼吸していない気がする。私には生きてるのか死んでるのかわからない。心臓だ、心臓は・・・動いていない。あぁサブちゃん。ついに逝ってしまったんだね。おねちゃんはもうどうしてあげることもできないんだね。時計は6時34分。
亡くなる2~3日前、サブは会えなかった人達に奇跡的に再会できたのよ。例えば、苦しい野良時代にご飯の余りをくれた中年男性。お向かいで勤務されてて、ウチで保護した後も時々サブちゃんにどうぞってお魚を持って来て下さったね。でもすぐに転勤されて4年ぐらい会っていなかった。でも偶然、車ですれ違ったのよ!驚きでしょう?運転席から「元気そうだね」と声掛けしてもらった。実はもう大丈夫じゃなかったけど、最期に会えて感激したの。
ノラ猫だったサブちゃんは、幾多の病気や災難にもめげない明るい性格で、社交性があり、心の強い子でした。猫なのに本当によく私の役に立ってくれました。私の方が見習うことの多かったサブちゃん。素直で純真な猫であり、「ダメ」と注意されたことは2度としない聞き分けの良い子でした。
サブちゃんに関する古い投稿を見返すと、サブのコミュニケーション能力は終始一貫してハイレベルだったと再認識したの。とりわけ初期の記事には先入観がない分、サブの性格がよく伝わる気がします。このブログは単なる備忘録として開設し、自分さえわかればよいとカテゴリー分類もしていませんでしたが、健気で味のあるサブちゃんの振る舞いを覚えていたくて、急きょ「サブちゃん」というカテゴリーにまとめました。
特におすすめの記事
「とにかく明るい猫」
サブが亡くなって、いろんな人がお別れに来て下さったの。Mさんはいち早く野良時代のサブを発見されたけど、すでに家に2匹いるからそれ以上無理で、いつも遠くから見守っていて下さった。「あの時、飼えずにごめんな」とサブに話されました。お隣の方は2回も来て下さった。Pさまや犬のYちゃんのお母さんも来て下さった。皆さんにお花やお菓子を頂きました。サブちゃんはね、誰にとっても特別すばらしい存在の猫でした。
サブは亡くなったけど、前の犬が死んだ時のような悲壮感はそれほどありません。その理由は、できることはしたつもり、野良だったけど飼い猫と同じ平均寿命まで生きた、生きた時間が充実していて後悔がない、私に覚悟ができていた等々。そして何よりサブが苦しまずに愛情の中で眠るように逝けたことです。
サブの一生は辛いことが多かったけど、一日一日に意味があった。いつも全力を出す姿を見て、一緒にいた私も充実した毎日を送らせてもらった。だから、もし死んでもブログで触れない方があっさりしていて、さわやかなサブらしいと思ってたんだ。でも実際に死なれると感謝の気持ちが沸き上がって来て、やはり記録を残したい気持ちに変化しました。
サブは4日間お家にいて、29日木曜日の午前10時にお空へ上ります。
サブちゃん、
ウチに来てくれてありがとう。
一緒にいてくれてありがとう。
きっとまた会えるよね。
本当にありがとう。安らかに。