YUKI - OMOLOLA

MY DAILY LIFE

九州旅行・終

2014年09月28日 23時12分31秒 | Weblog

突然ですが、デジカメをパソコンのUSBポートにつなぐと充電できます。なのでパソコン持参のこの旅行ではACアダプター充電器を持参しませんでした。でも夜にホテルで充電開始するとすぐピッと警告音がして、なぜか充電不可能になります。何度接続しなおしても無理。なので残念ながらこれ以降は写真がありません。これで旅行の記録写真も終わりです。

しかし、なおも旅行は続きます。中津から大分市と別府へ行き、その後下関へ。そこから城下町長府へも足を延ばしました。長府毛利邸、一見の価値あり過ぎ!格調高いそのお屋敷は、常陸宮妃華子さまのお母様が子供時代にお住まいだったそう。明治天皇が滞在されたお部屋も開放されてて、良く手入れされたすごいお庭が見渡せました。

また小倉に戻って、夜に新幹線で帰京。まるまる4日間の充実した旅でした。あぁ、毎日が旅行だったらいいのになぁ!


九州旅行8

2014年09月28日 09時30分04秒 | Weblog

貸自転車をこいで、中津川のほとりにある中津城へきました。

おっと、いきなり黒田官兵衛に遭遇。

ほら貝の音を聞かせてもらいました。


いざお城の中へ。

 

階段は短くて、楽。

これが紋。

内部にはいろいろな展示物が並んでます。

慶応ボーイのお殿様。


中津城のゆるキャラ、「おっくん」。本名は奥平忠昌。やんちゃなおっくんは、ひいおじいちゃんの徳川家康からもらった槍で何でも突き刺しちゃいます。めちゃカワイイわぁ。

 

そして「祈 逆玉」。中津の人のセンスはパンチがきいてて良いですなぁ~。


双葉山もこのあたりの人だったんですね。

おっくんの槍が城内に展示されてるらしいけど、これかなぁ?

この鎧の前を夜歩いたら、絶対怖いハズ。

こんな衣装もW先生の古典で調べたなぁと思いながら見てたら、こんな張り紙発見。私の苦手な俳句と短歌作成の宿題を思い出し、ドキリと焦る。いつもやさしいW先生のご尊顔が浮かびました。W先生、いつもありがとうございます。

 

天守閣からの眺め。

そうそう、このプールのある所は姫路町っていうんですって。官兵衛が姫路から連れてきた人たちが住んでた町。ほら!

中津城にはお宝があり過ぎるのでしょうか、宝箱がさりげなく片隅にポンと置かれてました。

お祭りの写真。

中津は歴史があり、見どころも多くてステキな所だった。コンパクトにまとまってるから貸自転車でなら半日でOK。皆さまにもぜひご訪問をお勧めします。

次へ続く。

 

 

 

 

 

 


九州旅行7

2014年09月27日 20時19分51秒 | Weblog

福澤記念館の建物内部は撮影禁止なので、じっくり展示物を見ました。まずは15分程度の諭吉先生の人生概略ビデオを視聴。日銀から寄贈された第0000001番の一万円札もあった。社会では多くの偉人を養成し、家庭でも9人の子を育てた諭吉先生。Vの発音のカタカナ表記にヴという文字を初めて使った諭吉先生、ETC。


さて、お庭に出てみる。ここは撮影OK。諭吉先生の像。


昭和天皇も常陸宮さまも来られたんやね。

 

1歳から15歳まで住んでたお家の跡地。小さいです。

 

16歳からは隣にあるこの家に移り住んだ。


諭吉先生が勉学にハゲまれた土蔵。


2階にある諭吉少年の人形がうっすら怖かった。

 

刺客も近所の親戚だったとかなんとか聞きましたが、ほんとかな?


お庭にはかわいいお花が!


ブログがなかなか進みませんが、次は中津城へ行きます。

次へ続く

 


 

 


 

 

 




九州旅行6

2014年09月27日 19時27分08秒 | Weblog

火曜日は、まず日豊本線で中津市へ。ええっと1時間ぐらいだったかな。


到着後、中津駅の観光案内所でもらった地図。


さすが中津駅商店街!郷土の偉人福沢諭吉先生が看板の中央にキッチリはめ込まれてます。


駅構内にも有名なこの言葉が!絶対はずせませんよね。


実は、ここも軍師黒田官兵衛ゆかりの地。駅南側の風景。


こちらは駅北側。ここで観光者用4時間無料貸自転車を借りました@9:00AM

ふんふん、これがモデルコースね、よっしゃ。

お寺が立ち並ぶ通り。


こうやって名言があちこちに掲げてありました。


案内がとても親切な町、中津。


きました、福澤記念館。

ここに貸自転車を止めてっと。

ちなみに赤くて丸いポストは大分の人がデザインしたそうで、入口の物は現役です。

いよいよ記念館に入ります。

次へ続く


九州旅行5

2014年09月27日 17時01分43秒 | Weblog

小倉から、終点の企救丘(キクガオカ)駅までモノレールに乗ります。19分、300円の距離。

ホームもスッキリときれい。運行本数も多いです。

ボディはコカ・コーラの宣伝。

車両連結部には仕切りがなくてひろびろ。全4両です。

ワンマンカー。

城野は清張作品「黒地の絵」の舞台にもなった所。清張の自宅のあった場所はJR城野駅下車。

競馬場前駅。小倉競馬場がとても立派で驚いたよ~ん。

更に進んでいくと、団地で覆われた山々が次々と続きました。人口が多い街なのでしょうか。

終点の企救丘駅にはモノレール会社のオフィス。敷地内で車両洗車中。

下の写真は洗車後、写真右下のオフィスをぐるりと一周する車両。事務してる時に自社モノレールが目の前をゆっくり通り過ぎるって、なごむ。なかなか楽しい職場ですね。いいなぁ。

小倉へ戻るにはJR日田彦山線志井公園駅(JRひたひこさんせん・しいこうえんえき)からローカル線に乗車。たっぷり車窓を楽しみました。この辺からカメラの電池がなくなりかける。

次へ続く

 


 

 

 

 


九州旅行4

2014年09月27日 15時30分20秒 | Weblog

かの森鴎外もまた小倉で勤務していたことがあったんですね。

※ 森鷗外(1862~1922 本名は森林太郎)は津和野で医者の家に生まれ、東京大学医学部を卒業。ドイツ留学から帰国後、「舞姫」「うたかたの記」「文づかひ」を発表。1899(明治32年)第12師団軍医部長として、37歳から40歳の2年9月間小倉に赴任。

当時住んでた借家が保存されているので見に行きました。


ここをまっすぐ行って右折すると鴎外の旧居。飲み屋さん街の中に突然それはある。

はい、到着しました。

 

今日は月曜、おぉっとそうきたか・・・・。

といっても手ぶらでは帰りませんよー。生け垣に頭をツッコんでお庭の撮影。

家の中に入りたかったので水曜に再訪、無事に中へ入れました。平日で訪問者は私一人、完全貸切おまけに入場無料。ありがとうございます。カメラが電池切れで写真は撮れなかったけど、頭の中にしっかり記憶してきました。

鴎外は死の3日前に親友を呼び、遺言を筆記してもらったそうです。その複製がガラスケースの中に展示してありました。達筆過ぎて読めなかったけど、抜粋すると「死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ。余ハ森 林太郎トシテ死セント欲ス。墓ハ 森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス」って感じだった。

さてさて小倉駅に戻る。台風接近中なのにいい天気です。

 

駅前デパートのコレット。三ノ宮で言えばそごうっぽい。

駅前はオシャレです。

ここからモノレールに乗ります。

次へ続く

 


九州旅行3

2014年09月26日 17時05分06秒 | Weblog

松本清張のお父さんが塩鮭を売っていたという旦過(たんが)橋へやってきました。旦過橋は神獄川(かんたけがわ)にかかる橋で、川沿いには旦過市場があります。魚・肉・鯨肉・惣菜・野菜・果物・お菓子・モチその他いろいろなお店がずらりと並び、とても活気がある場所です。

※清張の自伝的作品「半生の記」によると、大正6年に下関から小倉へ戻った松本一家は、古船場(ふるせんば)町の銭湯「亀井風呂」が裏手に所有する六畳二間の家のうち、一間を親子三人で間借りして暮らし始める。風呂炊きの老人との同居であった。清張の父は近くの旦過橋の上で塩鮭の立ち売りを始める。

旦過橋から見る神獄川とその上に並ぶ旦過市場。近代的なモノレールとの対比が印象的。

 

市場の入り口の看板。


市場で将棋をするお父さんたち。顔出しOKの許可をもらっていますのでモザイクなし。

反対側の看板。


反対側から旦過橋を臨む。

次へ続く

 

 

 


九州旅行2

2014年09月26日 16時20分01秒 | Weblog

清張記念館の南側にある図書館から出てきて、パチリ。お城が見えます。

 

ここで、人だかりができている、シロヤというパン屋さんを発見。ちょっと小振りだけど、フワッフワのカステラ地にクリームをはさんだフランス菓子がこの時代になんと一個40円!皆さん箱単位で大人買いされてましたよ。他のパンも一般の半額近いお値段。パンは品質は高くて美味しかったです。超オススメ。


小倉駅に戻ってみると、あの山本太郎議員が演説中。声と身振りにとってもパワーがありました。

 

 

次へ続く



 


九州旅行

2014年09月26日 15時32分03秒 | Weblog

急ぐ用事を済ませ、待ちに待った九州旅行新幹線で一路小倉へ。

小倉駅から一つ西の西小倉駅に行く時の在来線で、吊皮の円形配置を初めて見たよ、ベリーグッ!

イスはおしゃれな茶色の市松模様。


西小倉駅到着。この駅から徒歩数分の松本清張記念館へ。


途中の、八坂神社の白壁とお堀がステキです。


清張通りをはさんで記念館の西向には、大変に立派な小倉西警察署がそびえ立ってます。

防弾チョッキで武装して長い棒を持った警察官が4名と、赤色灯を回したままのパトカーが入口で厳重警戒中。写真撮ったら逮捕されそうなピリピリムードで、正門は撮れませんでした。そういえば、「マルボウのトップの逮捕に続く混乱を防ぐため、福岡県警は日本警察の正念場として全国からの応援組を含め約4千人を投入して封じ込め作戦を展開している」とありました。はい、実感しました。


小倉城も修理中。


きたきた、松本清張記念館!

特別企画展は、クーデンホーフ・光子・カレルギーの数奇な運命について書いた清張の作品「暗い血の旋舞」でした。

次へ続く。


 



 

 

 




モックン弱ってます。

2014年09月15日 14時31分35秒 | Weblog

昨日の午前中、おねちゃんの様子がいつもと違った。やたらボクの事を目で追ってて、お玄関でボクのお出かけ用バッグを出してたんだ。ボクは「ハッ!」となって、すぐにピーンときた。これは動物病院に行くんだってね。

いやだ~。

行きたくないのに、無理に車に乗せられた。車内でもこわくて、またアゴが外れた。待合室ではワンちゃんの声がしてびびったけど、他の猫ちゃん達は平気そうだったので、ぼくも精一杯見栄を張って、怖くない振りをしてみた。

♫511番さん、3番診察室にお入りください♫

入ってみたら、尿検査の結果が出てた。先生によると、顕微鏡でみたらやっぱりまだ結晶が浮いてるって。残念だなぁ。どんな猫ちゃんでも結晶の成分は持ってるけど、オシッコが酸性に傾いているなら体内で自然に溶ける。でもボクはオシッコがアルカリ性に傾く体質なので結晶が溶けずに残るらしい。そこがボクの弱点なんだ。CTで見てもらったら、まだ砂にはなってないから、このまま気をつけてねって言われました。はい、わかりました。

あー、終わった。「さ、おねちゃん帰ろ!」と声をかけると、おねちゃんは「あともう一つ用事があるんだよ」って言った。その時、看護師さんがなんか持って入室。キラッとひかる、あ、あれはお注射!

年に1回の7種混合ワクチン。怖くってまたアゴがはずれちゃったよ。でも今回はおねちゃんは僕を押さえてないといけなかったので写真は撮られずに済んだ。セーフ。僕の尊厳は保たれた。先生からは、しばらく体調の変化に気をつけてやって下さいとのこと。

お家に帰ってホッとしてたら、ボク、だんだん気分が悪くなってきた。ぐったりとなって寝込んでしまった。ご飯が入らない。シッポを立てる体力すらない。声が出ない。夜に2回、たくさん吐いた。ちょっと泣いた。

おねちゃんは「お注射したからやで。がんばりよ。ティー兄ちゃんもこのお注射の後は動けなくなってたけど、2~3日で回復してたからね。そしたらまた1年間悪い病気にもならずに元気いっぱいでいられるからね」。

ボクは室内飼いの猫なのであんまり病気はもらわないと思うんですけど、それでもワクチンは必要なんですか、おねちゃん・・・?来年は考えてみてね。

お:「はい、考えます。3種か5種に減らした方がいいかなぁ?」

高貴な猫さん2匹を育てているYちゃん家はワクチンどうしてるのかなぁ?


何の子ども?

2014年09月15日 14時02分02秒 | Weblog

お庭で見つけた巨大イモ虫。デカい、デカすぎる!キモい、キモすぎる!

すごい食欲を見せ、大きなカラーの葉を食べつくした後、親芋の巨大葉に移動してきて、喰らいついてます。もう何枚か食べました。この子、いったい何の子ども?

ちょっと、そこの虫嫌いのあなた、下の写真は閲覧注意です。閲覧に対し、私は一切責任取れませんよー。めっちゃきもいです。下にウンPが落ちてます。


 
ところで一昨日から行方不明のこのイモムシ。昨日、お庭ですばらしく美しいクロアゲハが華麗に舞っていたけど、まさかこの子じゃないよね。わずか一日でさなぎから蝶にはならないよね。そこでクロアゲハの幼虫写真をこわごわググってみた。超グロイのではじめに画像を豆粒くらいに縮小して、これだと思った画像のみ原寸大に戻してみた。そしたらクロアゲハの幼虫、なんとボディは緑色だった。
反対にイモムシから親を検索すれば良いのかもしれないけど、その勇気がなかったのよ、こわくてさ。

君はいったい、だれの子供???

魚眼モックン

2014年09月12日 10時37分54秒 | Weblog

こんなに愛らしい我が家の王子様。

それがどうしたん?こんなになっちゃって・・・・。

モ:「実はさっき、おねちゃんがデジカメの機能を新発見したらしいで!なんでも「魚眼レンズ機能」って言うらしい。おねちゃんはとてもうれしかったらしく、ボクの写真を加工してばっかり。ほんとのボクは凛々しくてカッコいいのに、これじゃまるで風船みたいやん、プンプン」


アメリカのノート

2014年09月11日 09時37分38秒 | Weblog

長~い夏休み後の、2カ月ぶりの勉強会。帰国していたH先生からお土産にアメリカのノートもらっちゃった!澄んだ水色で銀色のお花がプリントされてます。私のウォークマンと同じ色。うれしい、ありがとう、先生。これを使って勤勉な生徒になれるよう頑張ります。

先生のご出身はイリノイ州のエフィンガムという町で、セントルイス(ミズーリ州)に近いそうです。セントルイスでは8月に2件の黒人青年射殺とその後の暴動と大きな事件が起こり、世界的なニュースになりました。多様性、多民族、移民の国を掲げるアメリカの負の部分です。

先生は帰国中、お母様の手作り料理で5キロ太って戻ってこられました。美味しかったのはわかりますが、日本デノ食生活ハ、ドウシテタんデスカ?(そういえば、以前のP先生は帰国中の2週間で9キロ増えたと言われてビックリしたことがあった。「君たちとは身長が違うからさ!」。確かにその先生は192cmだったけど)。

そしてH先生、帰国前はキロメートル単位で会話していたのに、帰国した後はなぜかマイルとかフィートで話されてました。感覚がまだ戻ってないみたい(笑)。私たちと話してた時はまず脳内で変換してからだったのね。ほんと、お手数かけてすみません。


話は変わって、ずっと以前、ある本に、「夫ドイツ人、妻日本人。結婚後50年以上ドイツ暮らし。妻も流暢なドイツ語を話す。老人になり妻が認知症を発症。その結果、妻にとっては第2言語であるドイツ語を完全に忘れてしまい、意思の疎通ができない。病院でもドイツ人医師の質問に通訳が必要」とあった。

人はいかに母国語の刷り込みが強いかを言いたい文章なんだろうけど、言語を勉強しようともがいてる私にとって、この話はやたらめったら怖かったね。ダラダラ続けてるだけで全然進歩しない英語、歳を取ってから始めたフランス語の勉強で時間を消費している私は、「短い人生、言葉の勉強に時間をとられてていいの?他にすべきこと忘れてない?例えば奉仕活動とか社会参画とか。またコンサート・映画や旅行してる人は人生謳歌してて充実してるよなあ。もしも奇跡が起こって外国語を習得できても、将来すべて忘れちゃったらムナシイなぁ」と感じます。この文章は私にとって、絶望への扉を開いたと言っても良い。(なら、もうやめちゃえよ!by もっくん。) 

まぁ、続けてるのは自分だから、もう少しだけ頑張ってみた後でどうするか考えるわ。