
ガタンゴトンと、地下鉄の揺れが二人を心地良く揺らしている。
何をするでもない時間だけれど、多忙な二人にとっては一緒に過ごせる貴重な時だった。

雪は添えられた淳の手に、一度自身の手を被せて大きさを比べてみた。
その大きさの違いに声を上げる雪と、穏やかに微笑む淳。
今度は足を比べてみよう、と下を向く雪。
「足はどうです?」「俺が踏んだら折れちゃうよ、雪ちゃんの足」

雪はニッと笑ったかと思うと、鞄からペンを一本取り出した。
包帯で巻かれた彼の右手を取り、ペンのキャップを外す。

雪はクスクスと笑いながら、そこに一言「バカ」と書いた。
「何で俺がー」

膨れる彼と、声を上げて笑う彼女。
他愛もないそんな恋人達の会話が、地下鉄のゴトンゴトンという音に混じって消えて行く。

穏やかで、それでいてかけがえのないこの時の中で、不意に淳が口を開いた。
「なんか不思議」

「いつも車だったから、雪ちゃんとこんな風に地下鉄乗るの初めてだよね。
どうしてこんなに惜しく感じられるんだろう」

淳はそう言って、視線をぼんやりと漂わす。
揺れる地下鉄の中で、このゆっくりと流れて行く時間に身を任せて。

「俺はもうインターンで、雪ちゃんは試験勉強で、
お互いいつも忙しいだろう」

「いつの間にか冬が近付いて寒くなって、
二人で一緒に良い季節のキャンパスを歩けた時間って、本当に短かったよな」

秋学期が始まった頃の二人が、懐かしく思い出された。
淳はぼんやりとその頃のことを思い浮かべながら、時の流れの早さを憂う。
「どうしてもっと前からこう出来なかったんだろう」

「どうして」


地下鉄のクラクションが、トンネルに反響してパァンと響いた。
時も、地下鉄も、ただ一方通行に走り続けている。

決して戻ることの出来ない道の上で、この世の全ての人が歩みを続けている。
誰もがそれぞれの人生の主人公だが、そこに何一つ平等性は無い。

ただ一つの平等があるとしたら、それはやはり時だった。
時間は誰の身の上にも等しく、同じリズムで時を刻み続ける。

いかに時間が刹那的で大切なものなのか、人はその最中に居ると気付かない。
地下鉄の揺れに身を任せている大多数の人の様に、ただなんとなく日々を過ごし、
そして過ぎて行った後で、悔やんだり切なくなったりするものだ。

時の中で大事なものを見失って来た、淳もまたそんな大多数の人間の一人に過ぎない。
彼は雪の方へゆっくりと顔を向け、自身の思いを語った。
「最近はずっとそんなことばかり考えてるよ。
俺も雪ちゃんと同じなんじゃないかな」

「便利だからって車ばっかり乗らないで、
一緒に電車に乗って一緒に沢山歩けたはずなのに」

淳はそこまで言った後、雪から視線を外して前を向いた。
まるで過去の自分を憂うかのように、遠くを見つめて一人呟く。
「いや、」

「最初からもっと優しく出来てたら‥」

淳の後悔が、地下鉄の走行音に飲み込まれ、消えて行く。
時はもう戻らない。
一方通行に進むこの道の上では、決して後戻りは出来ないのだ‥。

淳は自身の右手を上に上げた。
先ほど雪がふざけて落書きした、「バカ」という言葉が目に入る。

「バカだよな」

そう言って微かに笑う淳。
溢れ出す寂しさと後悔と、もう時は戻らないという無情の念‥。

ふわりと、雪の手が伸びた。
音も無くたおやかに、彼女の手が彼の髪に触れる。


雪は淳のことをじっと見つめながら、優しくその頭を撫でた。
淳は目を丸くしながら、ゆっくりと彼女の方を向く。

そこには、穏やかな顔で微笑んでいる雪が居た。
彼女は彼の抱える全ての感情を受け入れ、癒やし、優しく撫でる。

雪は少し照れ臭そうに肩を竦めると、彼に向かってこう言った。
「電車に乗ってても、大したことはしてませんよ。
常に勉強してたりウトウトしてたりで」

「だから今日はすごく嬉しかったです」

彼にとっての非日常は、彼女にとっては日常の一片。
その逆も又然りだろう。
雪は彼が抱える思いを出来るだけ軽くする、この上なく前向きな言葉を口にする。
「手はすぐに良くなるし、春はまたすぐ来るじゃないですか」


「だからそんなに心配しないで、いつもみたいに、」

そして雪は、彼に向かってこう言った。
それはかつて彼からもらった、とっておきの魔法の言葉ー‥。
「笑顔でいて下さい。私と一緒に」

「笑顔でいてね」


淳は笑った。
かつて彼女へ伝えたそのエールと、”私と一緒に”という彼女のその言葉が、
淳の心をまるごと包み込む。

温かで華奢な彼女の手が、淳の肩にそっと置かれた。
地下鉄は、二人を乗せて進み続ける。

ガタン ゴトン ガタン ゴトン‥
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<魔法の言葉>でした。
今回はこの曲から題名取りました。好きすぎる‥

「ウッコダニョ(笑顔でいてね)」がここで出てくるとは!(日本語版は「笑顔忘れずにね」でしたか‥)
二人だけには分かる、魔法の言葉‥。(いや厳密に言えば秀紀兄発だけど‥)
「笑顔でいた」過去と「私と一緒に」という未来が、淳に肯定と希望を与えてくれているんですよね。
なんだか感慨深いです‥じーん
4部37話はここで終わりです。
では!
☆ご注意☆
コメント欄は、><←これを使った顔文字は文章が途中で切れ、
半角記号、ハングルなどは化けてしまうので、極力使われないようお願いします!
人気ブログランキングに参加しました


