ある日雪は、糸井直美から事務室に書類を持っていくよう頼まれた。
(糸井直美は同期だが年上という位置づけである)

ずっしりと重い書類の山を抱える。
席に座った同期や先輩達は、青田淳についての話で盛り上がっている最中だった。
「それで青田君がさぁ、友達連れて歩いてたんだけど、もう別世界の人って感じだったの」
「私らと同世代の、しかも同じ大学に通ってるってのに違和感あるよね。なんか遠く感じる」

はぁ~と溜息を漏らしながら、やっぱりなんだかんだ遠い人だよね、距離感感じるよと言って彼女たちは笑った。
「雪ちゃんもそう思わない?」「え?私ですか?」

「あ‥その‥私はあの先輩はあまり‥」

「え?なんで」
「ええと‥直美さん達が言ってたのと似たような感じですけど‥なんか接しづらいというか‥
距離感があるような気もするし、わざと人を選別して付き合っているように見えて‥」
「ちょ、ちょっと待って!」

そこまで喋ったところで、直美からストップがかかった。
「あたしはそういう意味で言ったんじゃ‥。仲良くなるにはあまりにもかっこよすぎて、
別世界の人みたいって意味で‥。雪ちゃんの言い方じゃ青田君が変な子みたいになっちゃうじゃん!」

まずい流れである。雪は取り繕う言葉を重ねる。
「あ‥、実は前に色々あって、気のせいかもしれないんですけど‥」

そう続けようとすると、ひときわ大きな声が話を切った。
「おい赤山、やめろよな~!」

少し遠い席に座っていた健太がこちらを向いて話し掛ける。
「まだお前ら親しくもないし、何か誤解があったみたいだけど、
人を見境無く判断するもんじゃねーぞ。な?」
青田淳は金持ちで顔も良い、でもそれを別としても情が厚くて良い奴だ、
健太はそう切々と語り、皆に同意を求めると、皆も一様に声を揃えて同意した。
特に健太は二日酔いで体調の悪い今日、淳がノートを貸してくれたらしく、その優しさに涙まで流していた‥。
「先入観は捨てて、心の目でアイツ自身をよく見てやれよ!青田は青田だから青田なんだ!」
‥少しイッちゃっているが、
「雪ちゃん、こればっかりは健太先輩が合ってるよ」

と、皆の意見も同様だった。
しまった‥黙っていればよかったものの‥と後悔しても、もう後の祭りである。
「近寄りがたいけど、無理して近づいてもね‥」
「あたし試験勉強の時お世話になった!」「何回かご飯もおごってくれたよね~」

やっぱり青田先輩の評判は、皆の彼に対する評価はこうなのだ。

雪は自分も気付かないうちに本心が出てしまったことについて、自らの気を引き締めていた。
陰口みたいになってしまったこと、先輩たちの言っていることにも一理あること。
自分の浅はかさが身に染みる。

青田先輩に対するこの胸のもやもやは、やはり自分の被害妄想に過ぎないのだろうか?
このわだかまりは、溶けることがないのだろうか?
悶々と考えながら歩いていると、前から見覚えのある姿が近づいてくる。


「あ、」

青田淳。
彼は雪に気がつき口を開こうとするが、雪は平井和美に見られたら大変だと、その視線を咄嗟に避けた。

すると背後から、大きな声がその進路を遮る。
「うわぁ?!赤山!お前青田に挨拶しろよな!」

健太は、お前ら何かあったのかと淳に詰め寄った。
「なんかよ~、赤山がお前のこと何か誤解してるみたいだぜ。
お前が超いいヤツだってことをどうやったらわかってくれるんだか!」

ペラペラと喋る健太の口は止まらなかった。
雪は必死で止めて止めてと言いかけるが、声にならない。
「赤山がお前のこと苦手らしくてよぉ、距離感がどうのこうの、人を選別するとかなんとか‥。
先輩後輩同士、気まずいのもなんだしお前がリードしてやれよ!分かったな?」

「俺は約束あっから、お先~!」

ちーん‥


史上最悪の気まずさである。
雪はとてもじゃないけど耐えられず、失礼しますとその場から逃げた。
胃がムカムカして吐きそう‥!どこでもドアが欲しい‥

そう思った時だった。

ツンと足がもつれ、その場で盛大に転んでしまったのだ。
「うわっ!」

山のような書類は四方八方に散らばり、手には擦り傷まで出来てしまう。

この人の前で転ぶのは二度目‥。
もうやだ、と涙目になりながら書類を拾った。

書類は自分の周りだけにとどまらず、雪の後ろにも沢山散らばっている。
雪が後方に視線を投げると、青田先輩の足元にも書類が落ちているのが見えた。
青田淳は微動だにしない。
すると静かで冷淡な声が、この場の空気を凍らせた。

「前にも、こんなことがあったよな?」


「君は度々間違いを犯すね」

「気をつけろって」

「前にも言っただろ?」

高そうな靴で、
そのつま先で、
トン、と書類を蹴った。
ツカ、ツカ、ツカ、
廊下に足音が響く。
雪が顔を上げた先には、もう彼の姿はなかった。

その表情を見てみたかったけど、そんな必要もないくらいに、本心が伝わってきた。

書類を掴む手が震える。

胸の詰まるような恥ずかしさ、
とりとめのない怒り、
人生で初めて目の当たりにした”疎ましい”という感情に、
顔が熱くなって、

全身が震えていた。

淳もまた、心中穏やかではいられなかった。

教室へ向かう途中で、横山が話しかけてきた。
「せんぱ~い!探してたんすよ~!よかったら千円貸してもらえないっすか?」

財布を家に忘れてきて、昼飯代すらないと言う横山に、
淳は手元に現金がないから、と事も無げに言った。
その表情を見た横山は、ハッと動きを止める。

「わ、わかりました‥すんません」

機嫌でも悪いのか?とそそくさと逃げ出す横山。
その後教室に入った淳を迎えた柳も、
その尋常じゃない彼の表情に、言葉を失った。

「おい、何かあったのか?」と柳は問うた。
顔が怒ってるみたいだからよぉ‥と言葉に詰まる柳の横で、淳は微笑んだ。
「‥ちょっとな。嫌なことがあって」

いくらか安心した柳は、
「お前にもそういう時があるんだな、」と言って、クハハと笑った。
「人間なんだからないはずないだろ?」
そう淳は言いながら、
耳元では、いつまでも廊下に響く自分の足音が聞こえているような気がした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<雪と淳>迂闊と警告、でした。
警告によって、二人の間にハッキリと境界線が引かれましたね。
それにしても健太先輩って‥。プロフィールでは29歳ですよ。一体‥。
さて次回は、雪と淳とは少し離れた、聡美と横山と太一の関係性についての記事を書こうと思います。
後々主人公二人にも関係してくるので、
それを踏まえつつ、のエピソードです。
(糸井直美は同期だが年上という位置づけである)

ずっしりと重い書類の山を抱える。
席に座った同期や先輩達は、青田淳についての話で盛り上がっている最中だった。
「それで青田君がさぁ、友達連れて歩いてたんだけど、もう別世界の人って感じだったの」
「私らと同世代の、しかも同じ大学に通ってるってのに違和感あるよね。なんか遠く感じる」

はぁ~と溜息を漏らしながら、やっぱりなんだかんだ遠い人だよね、距離感感じるよと言って彼女たちは笑った。
「雪ちゃんもそう思わない?」「え?私ですか?」

「あ‥その‥私はあの先輩はあまり‥」

「え?なんで」
「ええと‥直美さん達が言ってたのと似たような感じですけど‥なんか接しづらいというか‥
距離感があるような気もするし、わざと人を選別して付き合っているように見えて‥」
「ちょ、ちょっと待って!」

そこまで喋ったところで、直美からストップがかかった。
「あたしはそういう意味で言ったんじゃ‥。仲良くなるにはあまりにもかっこよすぎて、
別世界の人みたいって意味で‥。雪ちゃんの言い方じゃ青田君が変な子みたいになっちゃうじゃん!」

まずい流れである。雪は取り繕う言葉を重ねる。
「あ‥、実は前に色々あって、気のせいかもしれないんですけど‥」

そう続けようとすると、ひときわ大きな声が話を切った。
「おい赤山、やめろよな~!」

少し遠い席に座っていた健太がこちらを向いて話し掛ける。
「まだお前ら親しくもないし、何か誤解があったみたいだけど、
人を見境無く判断するもんじゃねーぞ。な?」
青田淳は金持ちで顔も良い、でもそれを別としても情が厚くて良い奴だ、
健太はそう切々と語り、皆に同意を求めると、皆も一様に声を揃えて同意した。
特に健太は二日酔いで体調の悪い今日、淳がノートを貸してくれたらしく、その優しさに涙まで流していた‥。
「先入観は捨てて、心の目でアイツ自身をよく見てやれよ!青田は青田だから青田なんだ!」
‥少しイッちゃっているが、
「雪ちゃん、こればっかりは健太先輩が合ってるよ」

と、皆の意見も同様だった。
しまった‥黙っていればよかったものの‥と後悔しても、もう後の祭りである。
「近寄りがたいけど、無理して近づいてもね‥」
「あたし試験勉強の時お世話になった!」「何回かご飯もおごってくれたよね~」

やっぱり青田先輩の評判は、皆の彼に対する評価はこうなのだ。

雪は自分も気付かないうちに本心が出てしまったことについて、自らの気を引き締めていた。
陰口みたいになってしまったこと、先輩たちの言っていることにも一理あること。
自分の浅はかさが身に染みる。

青田先輩に対するこの胸のもやもやは、やはり自分の被害妄想に過ぎないのだろうか?
このわだかまりは、溶けることがないのだろうか?
悶々と考えながら歩いていると、前から見覚えのある姿が近づいてくる。


「あ、」

青田淳。
彼は雪に気がつき口を開こうとするが、雪は平井和美に見られたら大変だと、その視線を咄嗟に避けた。

すると背後から、大きな声がその進路を遮る。
「うわぁ?!赤山!お前青田に挨拶しろよな!」

健太は、お前ら何かあったのかと淳に詰め寄った。
「なんかよ~、赤山がお前のこと何か誤解してるみたいだぜ。
お前が超いいヤツだってことをどうやったらわかってくれるんだか!」

ペラペラと喋る健太の口は止まらなかった。
雪は必死で止めて止めてと言いかけるが、声にならない。
「赤山がお前のこと苦手らしくてよぉ、距離感がどうのこうの、人を選別するとかなんとか‥。
先輩後輩同士、気まずいのもなんだしお前がリードしてやれよ!分かったな?」

「俺は約束あっから、お先~!」

ちーん‥


史上最悪の気まずさである。
雪はとてもじゃないけど耐えられず、失礼しますとその場から逃げた。
胃がムカムカして吐きそう‥!どこでもドアが欲しい‥

そう思った時だった。

ツンと足がもつれ、その場で盛大に転んでしまったのだ。
「うわっ!」

山のような書類は四方八方に散らばり、手には擦り傷まで出来てしまう。

この人の前で転ぶのは二度目‥。
もうやだ、と涙目になりながら書類を拾った。

書類は自分の周りだけにとどまらず、雪の後ろにも沢山散らばっている。
雪が後方に視線を投げると、青田先輩の足元にも書類が落ちているのが見えた。
青田淳は微動だにしない。
すると静かで冷淡な声が、この場の空気を凍らせた。

「前にも、こんなことがあったよな?」


「君は度々間違いを犯すね」

「気をつけろって」

「前にも言っただろ?」

高そうな靴で、
そのつま先で、
トン、と書類を蹴った。
ツカ、ツカ、ツカ、
廊下に足音が響く。
雪が顔を上げた先には、もう彼の姿はなかった。

その表情を見てみたかったけど、そんな必要もないくらいに、本心が伝わってきた。

書類を掴む手が震える。

胸の詰まるような恥ずかしさ、
とりとめのない怒り、
人生で初めて目の当たりにした”疎ましい”という感情に、
顔が熱くなって、

全身が震えていた。

淳もまた、心中穏やかではいられなかった。

教室へ向かう途中で、横山が話しかけてきた。
「せんぱ~い!探してたんすよ~!よかったら千円貸してもらえないっすか?」

財布を家に忘れてきて、昼飯代すらないと言う横山に、
淳は手元に現金がないから、と事も無げに言った。
その表情を見た横山は、ハッと動きを止める。

「わ、わかりました‥すんません」

機嫌でも悪いのか?とそそくさと逃げ出す横山。
その後教室に入った淳を迎えた柳も、
その尋常じゃない彼の表情に、言葉を失った。

「おい、何かあったのか?」と柳は問うた。
顔が怒ってるみたいだからよぉ‥と言葉に詰まる柳の横で、淳は微笑んだ。
「‥ちょっとな。嫌なことがあって」

いくらか安心した柳は、
「お前にもそういう時があるんだな、」と言って、クハハと笑った。
「人間なんだからないはずないだろ?」
そう淳は言いながら、
耳元では、いつまでも廊下に響く自分の足音が聞こえているような気がした。

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<雪と淳>迂闊と警告、でした。
警告によって、二人の間にハッキリと境界線が引かれましたね。
それにしても健太先輩って‥。プロフィールでは29歳ですよ。一体‥。
さて次回は、雪と淳とは少し離れた、聡美と横山と太一の関係性についての記事を書こうと思います。
後々主人公二人にも関係してくるので、
それを踏まえつつ、のエピソードです。
コメントありがとうございます!
時系列順に読み直して行くとまた新たな発見があったりして、この漫画の奥深さによりハマりますよ!