せっかくいい出来栄えの記事を書いても、そのタイトルが目立たなければ、
検索上位に挙がって来ないわけで・・・、
「倶利伽羅峠の戦い」について興味がある方がキーワード入力して検索しても、
到底オイラの記事に辿り着かないと思うから(ブラオイラなんてタイトルでは無理・・・)、
あえてタイトルを変更してアップさせました。
歴史的現場の現代状況を知りたいという好奇心に応えるための探究記事です。
では、2015.12.13投稿の
ブラオイラ#72(倶利伽羅峠地獄谷死闘編)です。
今年だけで倶利伽羅峠には何度行ったことだろう・・・。
ブラオイラだけでも#15、#28で行っている。
それほどオイラはこの倶利伽羅峠に魅力を感じているということだ。
それにしても今回のブラオイラは今までの中で最も強烈だった。
極端にいえば命の危険もあったウォーキングだった。
午前中に21世紀美術館を見学、昼食を食べて、カミさんと別れてからは、
オイラ一人、戦いのために倶利伽羅へ向かったのだ・・・
倶利伽羅峠といえば、源平の倶利伽羅峠の戦いなのだが、
この絵を見ていただきたい。
源平倶利伽羅合戦図屏風である。
火牛の計により、松明を付けた牛に追われて平氏軍は深い谷に追い落とされ、戦いに敗れたといわれている。
その模様を表した屏風絵である。
この崖は地獄谷といわれており、案内板のマップにもちゃんと書かれている。
オイラは昔からこの絵を見て気になっていたことがある。
地獄谷にその絵に描かれているような坂道なんてあんのかよ!って
その絵によると、谷沿いに緩やかな坂道があり、崖下には流れの速い川が流れている。
作者は、この絵のような光景を目にしたのか、
いや、おそらくこの地を訪れてはいない、
戦場からの兵士より様子を聞いて描いたのだろうと思う。
人から聞いたにせよ、実際には似たような地形であったはずである。
ただし、現在も存在するかどうかはわからない。
もう800年以上も前の出来事、その坂道はすでに崩れ落ちたか?
いや今でも少しくらいその痕跡が残っているのか?
この目で見てみたい!確かめてみたい!
いつか行きたかったのだ!
とはいえ夏場はダメだ、樹木が生い茂り、まるでジャングルのようで前も見えないだろう。
そして蛇やマムシやスズメバチがたくさんいるから。
時期はまさに冬直前の今なのだ!
まずは源氏ケ峰に向かう。
猿ケ馬場から少し進むと少し気になる場所もあった。
そこにはこういう立て看板があった
ここからも地獄谷には行けるようです。
でも当初のスタート地の源氏ケ峰へ
ここは地獄谷の遠景が望める一番の場所だ。
ものすごく重要な場所なのにこの頼りない案内板・・・
あそこらへんが地獄谷ということか
たしかに谷である。
しかし、あの坂道は見えない、川も見えない。
矢印の案内通り階段を登ってみるとありがたいことに展望台があった。
展望台からの眺め
同じく、坂と川は見えません。
単純にいえばここがまさに尾根だから、右から来た源氏軍に平氏軍は左の崖に蹴落とされたというのが概況である。
ただ実際は、あの屏風絵にあるようにもう少し下の方での出来事となっている。
この展望台の後ろに道はまだ続いている。
出た。
いよいよ勇気の必要とする遊歩道の始まりだ。
地獄谷には690メートル。
そして、告!
おいおいけだもの道って・・・
霊がやどるってのも・・・
オイラが一番恐れるのは熊だ。
しかも冬眠前の熊は凶暴っていうし・・・。
でもヒグマには敵わないけど、ツキノワグマだったら・・・(根拠のない強気)
うだうだ考えずに行くのー!!
大丈夫、大丈夫♪
周りを見渡す・・・・・ほほぉ~ある程度まで見渡せる。
やはり時期的に正解だ、夏場だったらどんな状態だったか。
オイオイオイオイ・・・・
道がない・・・
だが少し行くとまた現れた。
遠くの方からの車の音もここではまったく聞こえなくなる・・・。
あれは、
クマよけのガンガンだ!
ガン!ガン!ガン!
何度か叩いて
また進む・・・。
すでに400mは進んでいるはず、あと倍か・・・。
さらに進むと、人工物が
おおぉ~少しホッとするわ~。
ベンチかな。
ただこれ以降は下り坂が急になる。
滑り落ちないように木や枝につかまって降りていく。
これはまさに谷へ下降中ということか。
行けるところまで行こう。
川の音もずい分前から聞こえている。
膿川の音だろう。
大木が倒れている。
これ以上行くなということか・・・。
リトルオイラが声をかけてきた。
(ヒゲ親父・・・、よく頑張ったよ、今回はここまでにしておこうぜ)
・・・・・・・・・。
ここまでだ。
これ以上は危険だ。
冷静に考えたら熊に勝てるわけがない(さっきの威勢は)
2頭出てくるかもしれないし~
撤退する!
おそらくもう少しで目的の地獄谷なのだろうけど・・・
ちくしょう~!!!、いつかきっとリベンジしてやる。
帰りがきつかった・・・・。
降りてきた谷を足を滑らせながら登って戻る。
汗びっしょりになった。
息が荒い、クマの奴にも聞かれているのか、
疲れたオイラを遠くから狙っているのか!
冬眠前で食糧不足だったらきっと狙ってくる。
ここで倒れるわけにはいかない。
しかし、ほとんど崖みたいな谷を下りてきたので、
登り道はシャレにならないやんけ・・・。
だいたいダイエット日記というカテゴリーがあるくらいのオイラが
こんな道歩いていていいのか(ブツブツブツ・・・・)
はぁ、はぁ、はぁ、
はぁ、はぁ、はぁ、
はぁ、はぁ、はぁ、
はぁ、はぁ、はぁ、
はぁ、はぁ、はぁ、
はぁ、はぁ、はぁ、
はぁ、はぁ、はぁ、
はぁ、はぁ、はぁ、
戻ってきた・・・・・・・・、
戻ってこられた。
マジできつかった。
車で少し休んで、オイラにとって倶利伽羅といえばの
例の場所に来た。
おや、冬支度ですか。
でもおじゃましま~す。
恒例のノートを見る。
H27.5.6くりから峠はまことに奥が深い(ヒゲ親父)
H27.7.20また来たぞい(ヒゲ親父)
ふふふ
そして記入してきた。
H27.12.13くりからスゲー(ヒゲ親父)
まったくだ、倶利伽羅はスゲー、凄すぎる。
目的地の地獄谷には到達できなかった。
地獄谷の緩やかな坂の有無を確認できなかった。
オイラの完敗だ。
両軍合わせて15万の大合戦。
あんな場所が戦場となったのか・・・
今回のこの場所、この赤印くらいは歩いたと思うが、
負けは負け。
だが、いつかきっとという気持ちはある。・・・・・・・・・
待ってろ倶利伽羅峠!地獄谷よ!
ここまでがブラオイラ#72(倶利伽羅峠地獄谷死闘編)でした。
倶利伽羅峠の戦いがあったのは事実ですが
この戦いで有名なこの屏風絵のような場所は存在せず、
したがってこの屏風絵のような戦いはおそらく無かったのではなかろうかと思うのであります。
ちなみに再トライした続編もありますので、ご覧くださいませ⇒ブラオイラ#354
【ヒゲ親父】
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「倶利伽羅峠の戦い」について興味がある方がキーワード入力して検索しても、
到底オイラの記事に辿り着かないと思うから(ブラオイラなんてタイトルでは無理・・・)、
あえてタイトルを変更してアップさせました。
歴史的現場の現代状況を知りたいという好奇心に応えるための探究記事です。
では、2015.12.13投稿の
ブラオイラ#72(倶利伽羅峠地獄谷死闘編)です。
今年だけで倶利伽羅峠には何度行ったことだろう・・・。
ブラオイラだけでも#15、#28で行っている。
それほどオイラはこの倶利伽羅峠に魅力を感じているということだ。
それにしても今回のブラオイラは今までの中で最も強烈だった。
極端にいえば命の危険もあったウォーキングだった。
午前中に21世紀美術館を見学、昼食を食べて、カミさんと別れてからは、
オイラ一人、戦いのために倶利伽羅へ向かったのだ・・・
倶利伽羅峠といえば、源平の倶利伽羅峠の戦いなのだが、
この絵を見ていただきたい。
源平倶利伽羅合戦図屏風である。
火牛の計により、松明を付けた牛に追われて平氏軍は深い谷に追い落とされ、戦いに敗れたといわれている。
その模様を表した屏風絵である。
この崖は地獄谷といわれており、案内板のマップにもちゃんと書かれている。
オイラは昔からこの絵を見て気になっていたことがある。
地獄谷にその絵に描かれているような坂道なんてあんのかよ!って
その絵によると、谷沿いに緩やかな坂道があり、崖下には流れの速い川が流れている。
作者は、この絵のような光景を目にしたのか、
いや、おそらくこの地を訪れてはいない、
戦場からの兵士より様子を聞いて描いたのだろうと思う。
人から聞いたにせよ、実際には似たような地形であったはずである。
ただし、現在も存在するかどうかはわからない。
もう800年以上も前の出来事、その坂道はすでに崩れ落ちたか?
いや今でも少しくらいその痕跡が残っているのか?
この目で見てみたい!確かめてみたい!
いつか行きたかったのだ!
とはいえ夏場はダメだ、樹木が生い茂り、まるでジャングルのようで前も見えないだろう。
そして蛇やマムシやスズメバチがたくさんいるから。
時期はまさに冬直前の今なのだ!
まずは源氏ケ峰に向かう。
猿ケ馬場から少し進むと少し気になる場所もあった。
そこにはこういう立て看板があった
ここからも地獄谷には行けるようです。
でも当初のスタート地の源氏ケ峰へ
ここは地獄谷の遠景が望める一番の場所だ。
ものすごく重要な場所なのにこの頼りない案内板・・・
あそこらへんが地獄谷ということか
たしかに谷である。
しかし、あの坂道は見えない、川も見えない。
矢印の案内通り階段を登ってみるとありがたいことに展望台があった。
展望台からの眺め
同じく、坂と川は見えません。
単純にいえばここがまさに尾根だから、右から来た源氏軍に平氏軍は左の崖に蹴落とされたというのが概況である。
ただ実際は、あの屏風絵にあるようにもう少し下の方での出来事となっている。
この展望台の後ろに道はまだ続いている。
出た。
いよいよ勇気の必要とする遊歩道の始まりだ。
地獄谷には690メートル。
そして、告!
おいおいけだもの道って・・・
霊がやどるってのも・・・
オイラが一番恐れるのは熊だ。
しかも冬眠前の熊は凶暴っていうし・・・。
でもヒグマには敵わないけど、ツキノワグマだったら・・・(根拠のない強気)
うだうだ考えずに行くのー!!
大丈夫、大丈夫♪
周りを見渡す・・・・・ほほぉ~ある程度まで見渡せる。
やはり時期的に正解だ、夏場だったらどんな状態だったか。
オイオイオイオイ・・・・
道がない・・・
だが少し行くとまた現れた。
遠くの方からの車の音もここではまったく聞こえなくなる・・・。
あれは、
クマよけのガンガンだ!
ガン!ガン!ガン!
何度か叩いて
また進む・・・。
すでに400mは進んでいるはず、あと倍か・・・。
さらに進むと、人工物が
おおぉ~少しホッとするわ~。
ベンチかな。
ただこれ以降は下り坂が急になる。
滑り落ちないように木や枝につかまって降りていく。
これはまさに谷へ下降中ということか。
行けるところまで行こう。
川の音もずい分前から聞こえている。
膿川の音だろう。
大木が倒れている。
これ以上行くなということか・・・。
リトルオイラが声をかけてきた。
(ヒゲ親父・・・、よく頑張ったよ、今回はここまでにしておこうぜ)
・・・・・・・・・。
ここまでだ。
これ以上は危険だ。
冷静に考えたら熊に勝てるわけがない(さっきの威勢は)
2頭出てくるかもしれないし~
撤退する!
おそらくもう少しで目的の地獄谷なのだろうけど・・・
ちくしょう~!!!、いつかきっとリベンジしてやる。
帰りがきつかった・・・・。
降りてきた谷を足を滑らせながら登って戻る。
汗びっしょりになった。
息が荒い、クマの奴にも聞かれているのか、
疲れたオイラを遠くから狙っているのか!
冬眠前で食糧不足だったらきっと狙ってくる。
ここで倒れるわけにはいかない。
しかし、ほとんど崖みたいな谷を下りてきたので、
登り道はシャレにならないやんけ・・・。
だいたいダイエット日記というカテゴリーがあるくらいのオイラが
こんな道歩いていていいのか(ブツブツブツ・・・・)
はぁ、はぁ、はぁ、
はぁ、はぁ、はぁ、
はぁ、はぁ、はぁ、
はぁ、はぁ、はぁ、
はぁ、はぁ、はぁ、
はぁ、はぁ、はぁ、
はぁ、はぁ、はぁ、
はぁ、はぁ、はぁ、
戻ってきた・・・・・・・・、
戻ってこられた。
マジできつかった。
車で少し休んで、オイラにとって倶利伽羅といえばの
例の場所に来た。
おや、冬支度ですか。
でもおじゃましま~す。
恒例のノートを見る。
H27.5.6くりから峠はまことに奥が深い(ヒゲ親父)
H27.7.20また来たぞい(ヒゲ親父)
ふふふ
そして記入してきた。
H27.12.13くりからスゲー(ヒゲ親父)
まったくだ、倶利伽羅はスゲー、凄すぎる。
目的地の地獄谷には到達できなかった。
地獄谷の緩やかな坂の有無を確認できなかった。
オイラの完敗だ。
両軍合わせて15万の大合戦。
あんな場所が戦場となったのか・・・
今回のこの場所、この赤印くらいは歩いたと思うが、
負けは負け。
だが、いつかきっとという気持ちはある。・・・・・・・・・
待ってろ倶利伽羅峠!地獄谷よ!
ここまでがブラオイラ#72(倶利伽羅峠地獄谷死闘編)でした。
倶利伽羅峠の戦いがあったのは事実ですが
この戦いで有名なこの屏風絵のような場所は存在せず、
したがってこの屏風絵のような戦いはおそらく無かったのではなかろうかと思うのであります。
ちなみに再トライした続編もありますので、ご覧くださいませ⇒ブラオイラ#354
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