恋をする努力
という言葉に
ずっと違和感を感じていて
それがなにか
ということに今日気が付きました。
わたしはホントは恋に興味がないのです。
ひとの恋愛話は話半分に聴いちゃうし
笑いのない恋愛映画は苦手だし
恋愛の歌詞を得意とした歌手のフルアルバムは
途中でうんざりしてしまう。
恋するウキウキや楽しさ
自分を磨く精神的カンフル剤
とかいう女性誌のうたい文句も
共感できないわけではないのです。
思い当たるふしはたくさんある。
ただ恋がセンターにはないだけです。
「恋」は
私の中では「音楽」と同じくらいの位置にいます。
音楽を本当に聴かない私です。
なんだったらなくても生きていける
と思っている。
音楽を買う
ということはめったにしないし、
わざわざ音楽をかける
というのは私の中で面倒くさいことのひとつです。
映画、本、絵画、テレビと一緒に並べられて
どれかを一生手放さなきゃならない
と言われたら
迷わず音楽を手放すと思います。
ただラジオから流れてくる音楽に心を揺さぶられることもあるし
うきうきした曲がかかれば
全力で踊ったりもします。
ないとやっぱりさびしいかも
とも思う。
恋もそんな感じの認識です。
だから「努力」という私の大嫌いな言葉と結びついたとき
はたしてそんなもんに努力する必要あるの
という気持ちと
やはりそこまでしないといけないか
という気持ちが同時に浮かび
一瞬複雑な気持ちになった。
それがわかった春の日。