大雑把な日常

日常のあれこれ。

そんなつもりで泣いたのではない

2013-04-26 | 日記

テレビの話です。

わたしはテレビをたくさん見ます。

テレビをたくさん見るために

時間を調整しているともいえる。

テレビ番組は録画しか見ない。

30分番組もCMを早送りすれば、20分弱で終わる。

再現VTRとか説明VTRとかは

早送りできるし。

 

そんなことはともかく

徹子の部屋

を見た。

板尾創路さんでした。。

冒頭から

「4年前にお子様を失くされて…」

と徹子さまはおっしゃる。

何回、言うのだ。

と、笑ったけど、

子どものエピソードではワンワン泣いた。

で、泣きながら

なんでこんなにも泣くのか

と考えていた。

わたしは人の死を利用して泣くことが嫌いだ。

その渦中のいるひとたちを

泣くことによって助けられるのなら良い。

でも現実にある辛いことなど、

当事者にしか処理できないし、

心底理解することなど不可能なのだ。

責任のないものは

泣いたり、簡単な言葉で励ましたりしてはいけない。

 

だから

感動的だったり、悲しいエピソードだったりして

それが現実だったら、

わたしは心を留めるようにしている。

泣いたことはただそれだけのことと、秘密にする。

 

たぶん

始まったばかりの子育てと

離婚と、就職と

つぎつぎに降ってくる怒涛の現実のなか

素っ裸で立っているような気分だったときに

板尾さんの著書「板尾日記」を読んでいたから

こんなに心が乱れるのだと思う。

ひとりの大人として淡々と生きる日常をつづった

板尾さんの一年の日記だ。

人の日常は淡々したもので、

それでも小さなドラマや

幸せや不幸が

時間の流れの中に組み込まれているのだ

と思った。

時間はこうやって過ぎる。

時間さえ経てば、とその時は思わなかったけど、

なにかしらの救いがあったように思う。

わたしは日記を読んで勝手に感情移入して

このひとの一年を体感したような気持ちになっていた。

今、シリーズは「8」まで出ていてるのだけど

わたしは「4」までしか読んでない。

「5」で板尾さんの長女が亡くなる。

と知っていたから。

板尾さんを体感していた私は、そこから先にはどうしたって怖くて進めなかった。

今は次女が誕生されて

それならば進めるのか?

と問われれば、やっぱり分からない。

わたしは

やっぱりどうしたって娘を失いたくないからだ。

それは人の人生でも想像することでも嫌だ。

それを体験したひとを

安易で簡易に自分に置き換えて

理解したふりもしたくない。

そんな強い感情が

自分の中にあふれて

涙がでるのかもしれない。

 

そこまで考えてから泣く。

めんどうくさい。

 

コメント
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