大雑把な日常

日常のあれこれ。

見学

2015-02-11 | 日記
今日、子どものプール教室にお迎えに行ったら
たっくさんのご両親たちが待っていた。

1時間のレッスン。
親は見学エリアで
子どもたちの様子を見ることができる。
みんな見学したんだろうか、今日は。
わたしはギッチリ1時間を買い物とお茶に費やした。
1度見学エリアに行ったことはあるけれど、
同じ格好をしている大勢の子どもたちの中で自分の子を見つける手間に加えて
…なんかずっと見てられない
と思ったのだ。

このあいだの授業参観でも思ってた。

長い。
あまりにも退屈だ。と。

そりゃあ子どもの活躍は面白いし興味深いです。
でも1時間は無理。
ダイジェストじゃないから。
なんにもない時間のほうが長い。
たとえば先生の説明を聞いている時間。
列に並んでいる時間。
列が整うのを待つ時間。
暇なので
ほかの親を観察して、
それぞれに勝手にストーリーをつけて
それにも飽きるとひたすら「なんだ?この時間は?」と思う。

みんな平気なの?
というのと
それができない自分のふがいなさに落ち込んでもいました。

親の愛情どうこうじゃなくて
良く考えたら
わたし
いろんなものを見てられない。
とくにスポーツ。
なにか凄いことが起こるのを
もしくは起こらないのを待つだけの時間、つらい。
勝つのか負けるのか
可能性を待つためだけに
時間をつぶせない。
ダイジェストでスーパープレイを見ると
当たり前に感動して
すごいなー
って思うけど
あれが常に見られるわけじゃないのに
よくみんな見てられるなって思う。

子どもの見学
は身内の活躍だけども
たぶん自分の性格に合ってないんだと思う。
そんな話
誰からも聞いたことないから
わたしだけが変なのか
みんないい人ぶって言わないのか分からないけど。
子どもの運動会でも
自分の子ども以外の時間にただただ待っている親御さんたちと
自分のあまりの違いにがくぜんとします。
わたしはだから運動会ではひたすら他の家族の観察と
別学年の競技を楽しむことに意識を集中します。
じゃないと
自分が参加しない運動会のためだけに
1日も学校にいられない。

これは子どもができて生まれた初めての感情です。
「ここには暇すぎていられない!」っていうのと
そんな自分は何か欠けているんじゃないかという罪悪感。
コメント
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