「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

マザーテレサと坂本龍馬

2010-02-03 20:21:43 | その他
ソフトバンクのCMだったか、「坂本龍馬が嫌いな男はいないだろう」的な言葉を聞いた。私も龍馬好きの1人だ。しかしながら、私が龍馬を好きなのは司馬遼太郎の描いた竜馬のおかげだ。

年末にそんなことを家人と話していたら、内田樹先生のブログでも司馬の「竜馬」について言及があった。ここで触れるつもりではなかったが、ちょうど良いタイミングでマザーテレサが出てきてしまった。

偉人を偉人として疑いなく受け止めることは(宗教的な絡みがあってよいかどうかは別として)必ずしも悪いことではないと思う。自分の子供には偉人の伝記を読み聴きしてインスパイアされて欲しい。素直に偉人のような生き方を目指す大人に育ってもらいたい。

ただし、それは「然るべき年齢において」という前提つきでだ。おそらくは小学校高学年までだろうか。それより上になると、「偉人」の「偉大さ」をそっくりそのまま事実として受け止めることを期待するのは無理だろうし好ましいこととも思えない。

たとえば、こんなことだ。

教員になりたての頃、英語Ⅰの教科書にアムンゼンと南極点到達を競ったロバート・スコットのエピソードが載っていた。スコットは結局南極で亡くなってしまうのだが、教材を読み終えたあと、生徒に感想文を書いてもらうと、スコットの勇敢さを賞賛する文ばかりだった。

命を危険にさらして使命を遂行することを皆が褒め称えることに違和感を覚えた。もちろん、そうだと思う人がいてもよい。ただ、全員が同じ感想を持つべきだと考えるのは危険だし、その方向に目に見え辛い力が働くのなら、さらに不気味だと言わざるを得ない。

学校教育において、学ぶ者が自分に期待されている反応を推し量り、その筋に沿って応えることで肯定的なフィードバックを得ようとするケースはよく見られる。加えて英語教育では「理解」の段階で多くの労力が使われるから「解釈」に深みが求めづらくなって余計にやっかいだ。

新学習指導要領のもと高校においても道徳教育を充実させようという動きが拡大している。しかしながら、我々がなすべきことは価値観の押しつけではなく、自分で正しく価値判断ができる力を育むことであることを忘れてはならないと思う。

さて、そんな私が龍馬好きでいられるのは、竜馬が龍馬ではないことを承知しているからだ。現実の、生身の龍馬は竜馬ほど立派ではないかもしれないが、竜馬のモデルとなった人物が実在してくれていたというだけで十分なのだ。

リアルタイムで偉人となったマザーテレサは、さぞかし辛い思いをしていたことでしょう。


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