偕楽園という見事な梅園だけでなく、幹事さんの下調べのお陰で「尊王攘夷」という思想の水戸学の教えを広めた藩校「弘道館」もスムースに
見学出来て 水戸という城下町がかなり丘陵地に出来ていたことや 藩の歴史なども学び 行った甲斐のある小旅行だった。
↓ 撮影は鎌倉七里ヶ浜写真館主 click
待望の「水戸の偕楽園」を訪ねることが出来たおかげで 日本三名園と言われる「岡山の後楽園」と「金沢の兼六園」の三名園の全てを楽しんだことになったのは嬉しい。
閏年の日に早起きして水戸の偕楽園に行った。メンバーはOh散歩会の5人が10:20に水戸駅改札口に集合した。
阿智胡地亭はかって7年間茨城県人だったが、県庁所在地の水戸には行ったことがなくこの日、土浦から先は初めてのルートだった。
総武線西船橋駅で武蔵野線に乗りかえ、新松戸駅で常磐線の緩行線に乗り、柏駅で常磐線の電車に乗った。
移動途上で 昭和50年代後半に神田の会社への6年間の通勤乗降駅だった「南柏駅」と、それに続く7年間の通勤乗降駅だった「取手駅」を通った。
電車がそれぞれの駅に停車すると、はるか昔のことながら やはりなんとなく懐かしさが湧いてきた。
240229水戸偕楽園の梅は見事だった
偕楽園はまずその規模に驚いた。
桜を愛でる情感と梅を愛でる情感それぞれ違う特徴を共に愛するこの列島の住人の多様な心映えも面白い。
見事に壮大な梅園だが 大きい古木が多い故に もし一斉に樹勢が衰え 寿命が来たらどうするんだろうと、余分な心配がちらっと頭をよぎった。
歩行数 9137歩 歩行距離 5.8㎞
八月の終わりに集まってclick以来の新百合ヶ丘での「新神会」の昼食会だった。
いつも会場の店の予約の労をとってくれるYさんの今年の格別な喜びは阪神タイガースの日本シリーズ優勝だ。
5人全員が神戸に縁があるメンバーも皆「アレ」の喜びの会話で大いに盛り上がった。
Yさんは若い時からの筋金入りかつホンマもんの阪神ファンで 2008年、逆境のうちに岡田監督が辞任した時に、
Yさんは直接 岡田監督に慰撫と激励の手紙を出したそうだ。しばらくして彼の家に監督直筆の返信の手紙が送られてきた。
その文を彼は今も大切に保管している。
心中でおもうだけなく自分の思いを具体的なカタチで相手に伝える・・・。その一つのステキなやりとりの例を聞かせてもらった。
会場の「築地とう庵」の部屋で心身ともに元気な5人は2時間ほど よく食べよく喋った後、同じ建物内にある「倉式珈琲店」に向かった。
この人気店はいつも必ずしばらく待たされるが、待つだけの価値のあるコーヒーを出す。
次は来年4月の再会を約して皆さんと別れて、小田急で新宿に戻り総武中央線で帰宅した。
足を使った、時にする乗り換えのある遠出も脳の活性化にはいいような気がする(笑)。
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Wikipediaから部分引用⇒
新百合ヶ丘(しんゆりがおか)は、神奈川県川崎市麻生区の新百合ヶ丘駅周辺を指す地名である。万福寺を中心とする。略称は新百合(しんゆり)[1][2]。
新ゆりグリーンタウンという団地も存在する。
概要
行政的・商業的に麻生区の中心的地域であり、麻生区役所が置かれている。「新百合ヶ丘」と呼ばれる範囲は、
万福寺1丁目18-1に存在する小田急小田原線・多摩線の新百合ヶ丘駅を中心とする商業地域を指すことが多いが、駅の北側の万福寺や、駅の南側の王禅寺西などの住宅地を指すこともある。
南北に長い市域をもつ川崎市では、市域を北部・中部・南部の3つに区分することが多いが、川崎市の都市計画「川崎市都市計画マスタープラン」では、
市内の3つの広域拠点のうち、北部地域は新百合ヶ丘駅周辺、中部地域は武蔵小杉駅周辺、南部地域は川崎駅周辺を、それぞれ拠点として指定している[3]。
某日 ひさしぶりに茨城県の取手に行った。
八木さんに声をかけてもらって、昨年7月に88歳で亡くなられた畑中先輩の一周忌のお墓参りに八木さん、坂本さん、武部さんとご一緒させてもらった。
(畑中さんからかって多くの写真を送っていただいてブログに都度掲載していたので畑中さんが投稿された記事が多数ある。
その中のエントリでも⇒clickスズメの餌台には金網カバーが必須!!はいまもアクセスの多さは抜群です)。
阿智胡地亭一家は昭和55年から62年まで7年間、取手市の藤代町に八木家と、少し遅れてこられた畑中家と共に住んで、
阿智胡地亭は取手駅から神田に通勤した。取手から朝は千代田線の始発があって新御茶ノ水駅で下車した。
取手駅で降りたのは2015年の南古志夫さんのご葬儀clickに神戸から参列して以来だった。
畑中家にも寄らせてもらい かって阿智胡地亭が家族と住んでいたエリアにも八木さんの車に廻ってもらった。
八木さんありがとうございました。
行きは最寄り駅-秋葉原-日暮里で常磐線で取手へ、帰りは取手-金町-バスで総武線小岩ー最寄り駅のルートで往復した。
金町駅
対面に京成金町駅が見える。金町から小岩へは京成バスで20分ほどだが途中に「柴又帝釈天」のバス停がある。
2023年5月 成田さん参詣と参道ぶらぶら その3
参道のお土産屋さんの中に川魚の佃煮屋さんがありましたが、Kさんのお陰で以前から栄町の「さかた」clickの川魚の佃煮の高いレベルを知っているので
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参道のお土産屋さんの川魚の佃煮はどうかなと思ってこの日は買うのはイナゴだけにしましたが
イナゴの佃煮の味付けはオーソドックスで、甘すぎなくおいしく頂いています。
2023年5月 成田さん参詣と参道ぶらぶら その2
「川豊」という鰻屋さんの順番札をKさんがもらってくれ、30分ほど待って入った店内の二階の「入れ込み座敷」という
江戸時代の風情をそのまま残した座敷の手前でもしばらく待ちました。
「入れ込み座敷」は都内江東区森下の桜鍋の店click「みの家深川本店」で馬肉のすき焼きを食べて以来でした。
2,3年ぶりに食べるうな重の旨さは格別でした。それにしても台湾人や外国人にSNSでよく知られた「川豊」なる店の人気の凄さにはびっくりしました。
食べ終わってから本山に向かう参道を歩きだしました。
総武線を船橋駅で京成電車に乗り換えて成田に向かいました。乗り換えはちょっと手間ですがJRだけで成田に行くより往復で780円安くなるので
千葉県印旛郡栄町在住の友人たちと会うときは毎回このルートで行きます。粘菌族として自然に身に着いた発想と行為です。
それに船橋での乗り換えは300mほどの距離ですからそれ程苦にはなりません。
JR成田駅前のロータリーで成田線(我孫子支線)の安食駅から来たKさん、Hさんと12:05に落合い成田さんの参道を歩きだしました。
お二人は昭和50年代のほぼ同じ時期に神田美土代町の事務所で働いていた友人です。
JR成田駅
参道入口
江戸時代にできた一番初めの成田山の本堂は二度にわたり移設されて「薬師堂」として現在は本山の境内の外にあります。
佐倉から成田への京成電車の車窓から
2023年5月 成田さん参詣と参道ぶらぶら その1
Oh散歩かい、のメンバーで5月期間限定の「ばら苑」を生田緑地に見に行きました。広いばら苑は我々のような年配者で賑わっていました。
2023年5月向ヶ丘遊園・バラ園
2023年5月向ヶ丘遊園の生田緑地バラ園
この30年ほどで、横浜の中華街を歩くのは4,5回になるが 来るたびに街の雰囲気は変わっていく。
10分の一ほどの規模の神戸の中華街もそうだが 中華料理店の経営者が 戦前から日本に住んでいる旧華僑から、
ここ20年ほどの間に中国から来た新華僑(今流にいえば旧華人から新華人へ)へ変わっているからのようだ。
雰囲気が何となくガサガサして 以前の落ち着いた中華街が懐かしい。
歩いていても❝チャイナタウン❞というエンターテイメント映画のロケの現場にいるような感じがして 早々に落合場所の横浜駅西口の交番に向った。
それはそれとして 中華街を沢山の人が訪れているのには驚いた。
港の向こうに天気が良ければ富士山や三浦半島がみえるそうだ。
旧矢箆原家住宅は:『飛騨白川郷の一部、現在の高山市荘川町にあった、江戸時代後期の入母屋合掌造りの民家で、御母衣ダム建設の水没地域にあったため、昭和35年・1960年に三溪園に移築されました。農民の家ながら、式台玄関や書院造の座敷など立派な接客の空間を備え、火灯窓が付けられるなど、飛騨の三長者の一人といわれた矢箆原家の格式の高さを伝える、現存する合掌造りでは最大級の建物です。』サイトから引用。
大池を回って帰途についた。
某日 大阪・富田林市の友人が横浜のお孫さん宅を訪ねて来るので 横浜駅で17時に会って一杯やることになった。
横浜に出かけることは滅多にないので 午前中に家を出て 彼に会う前に 以前から行って観たかった三渓園を訪ねることにした。
錦糸町駅で横須賀・総武快速線に乗り換えて40分後には横浜駅についた。
JR横浜駅で改札を出て、みなとみらい線の乗り場を探した。
みなとみらい線の終点 元町・中華街駅で降りて 横浜市営バスの乗り場を探し、15分間の乗車で三渓園前で下車。そこから5分歩いて目的の三渓園に到着した。
この日は快晴でびっくりするくらいの数の来園者がいた。スケッチ愛好会のメンバーが100人ほどあちこちの場所で絵筆を走らせていた。
約175,000㎡(53,000 坪)の広さの園を隈なく歩いた。(この日の万歩計 13836歩)