阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

「死にたい場所を選べない」日本人の悲しい最期      最期まで望みを持って生きられる社会へ        東洋経済オンライン

2024年04月29日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食

少しでも長生きさせる医療が続いている理由

佐々木 淳(以下、佐々木):実は病院で亡くなる方で、悲しい状態で死を迎えるケースは少なくありません。入院先で、あなたはこの病気だからお風呂には入れません、

こういう状態だからご飯は食べられません、家にも帰れませんなどと言われて、本人としては、残された時間をこんなふうに過ごしたいと願っていても、

それがかなえられることは、あまりない。

最期の時まで病院で医療を受けるというのは、自分の生活が医師に支配されるということでもあるんです。

井手:医療を施すことで、少しでも長生きさせる。それが第一なんですね。

佐々木:多くの医師は、患者さんを1分でも1秒でも長く生かそうとしますから、患者さんが自力ではもう動けなくなっても、点滴と酸素投与で生かされるということが起きます。

医師自身は、そんなことしたくはないと思っていても、治療を中止したら家族から訴えられるかもしれない。あるいは、点滴をすれば食事ができない患者さんも、

もう少し長く生きられるかもしれない。そんなふうに治療が行われるということが結構長く続いてきました。

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井手:患者さんだって、「自分の死」を選びたいはず。でもそれに抗えば、結果は自己責任という話になってしまいますよね。

 

佐々木そうですね。ただ最近は、患者さんの側から、自分たちが受けたいのはそういう医療じゃないと、声が上がるようになってきています。

医師の側からも、実は自分たちもやりたくないと意思表示をするようになってきた。こうした話し合いの中で、望まれない医療は徐々に減ってきています。

患者さんの命の終わりが近づいてきて、医療によってもその状況を変えられないなら、われわれがやるべきことは、無理に命を延ばすことでも縮めることでもなく、

その人がもっている本来の時間を、できるだけいい形で過ごしていただくことだと思うんです。私の仕事は在宅医療ですが、

そこで重要なのは、最後までその人が望む生活が続けられるようにお手伝いすることなんですね。

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人生をどう「下山」するか

井手:3世代同居が激減して、人間が年を取ること、愛する人が死んでいくことを、子どものときに体験できない人が増えてますものね。

佐々木:おばあちゃんの体が弱ってきて、寝ている時間が長くなっていき、ご飯を食べず、水も飲まなくなって、だんだんと呼吸が弱くなっていく。

これは老衰という当たり前のプロセスですが、初めて目にすると、点滴したほうがいいのでは、とか、何か治療が必要なんじゃないかと思ってしまう。

人間がどう成長していくかは誰もが知っていますし、人生の高みを目指すための情報はたくさんある。

ですが、人生をどう「下山」すればいいのかという問いは、後回しにされている印象です。

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人は地域の中で生きている

佐々木:そうですね。それで言うと、社会の中に居場所とか役割があると、それが生きがいにつながっていくと思うので、コミュニティーの役割もとても大きいと思っています。

井手:そうなんです。ところが、財政的な負担が増える一方なので、東京のお年寄りを地方の介護施設へ入居させればいいといった議論が平然となされたりします。

こうした議論では、お年寄りが人間として扱われていないんですね。その人が、それまで培ってきた人間関係から暴力的にいきなり切り離されてしまうわけですから。

こうして佐々木さんのお話をうかがっていても、あるいはソーシャルワーカーの仲間たちから話を聞いても、地域の中で人は生きているという当たり前の

事実をとても大事にしていることが伝わってきます。僕はそこにすごく共感するんですよね。

 

全文 クリック☟

「死にたい場所を選べない」日本人の悲しい最期

「死にたい場所を選べない」日本人の悲しい最期

井手 英策(以下、井手):佐々木さんは、在宅医療のための診療所を立ち上げられて、今年で13年目ですね。いまでは5000人ほどの患者さんを、24時間体制で見守っていらっしゃ...

東洋経済オンライン

 

 

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03月07日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年03月08日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

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居酒屋E❝e❞ の鉢料理          10年前の今日 2013年4月19日の本ブログに掲載

2023年04月19日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食

カウンターの鉢には、その日の惣菜が盛ってあります。写真を撮るために並べてもらいました。

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ある日の居酒屋E❝e❞   刺身皿の肴をおいしく食べて飲んだ。

2020年08月31日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食

客がいつも一人の店。刺身の下にすし飯があって 〆も良かった。酒は「高清水」の純米吟醸。

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最近の居酒屋❝e❞の酒肴は・・

2018年09月10日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食
居酒屋❝e❞も東京に出てきました(笑)。








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おいしく食べています。居酒屋❝e❞の日々のメニュー

2018年01月04日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食






平川農園産の下仁田ネギとかしわがよく合った。

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久しぶりに居酒屋❝e❞の女将の手料理を食べました。

2017年12月28日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食
肉と野菜のごった煮。材料は豆腐、牛肉、シメジ、大根、人参、国東半島は平川農園産の下仁田ネギ。Myoさんから頂いた呉市の日本酒がすすみました。
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最近の居酒屋E❝e❞のおばんざいは「チャンコ」や「蒸し牡蠣や鰯の煮つけ」など

2016年12月20日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食

軽四に新鮮な朝獲れの魚類を載せて、近所に週一回回って来る行商の魚屋さんがいい品を揃えているそうだ。なるほどイワシも牡蠣も旨かった。  楽屋ネタ。

   

御影石のサッカーボール

御影石のサッカーボールの写真

弓弦羽神社とサッカーの御縁の事
当社は1200年程前にこの地で熊野大神をお祀りしたのが始まりです。

八咫烏は、昔から熊野大神様のお使いとして知られておりましたが、近年は日本サッカー協会のシンボルマークの方が有名になってしまいました。

サッカー協会の方は3本目の足でサッカーボールをつかんでいます。
当社の八咫烏は弓弦から放たれた矢に乗って一直線に目標を向かう 導きの八咫烏です。ゴールに向かって一直線です。

御影の地は、日本サッカーの発祥の地と言っても過言ではありません。
阪神御影駅の北側、今のクラッセと西側の御影中学校の所に、御影師範学校がありました。師範学校とは学校の先生を養成する学校で、ここで日本初のサッカーチームができました。
その後、大正時代から始まった日本フットボール大会で、御影師範は初会より連続7回を含み11回も優勝をなしとげております。

又、六甲アイランドに拠点を移した、INAC神戸レオネッサも平成26年1月に必勝祈願の参拝にこられました。

そして御影は御影石でも有名ですが・・・このサッカーとのご縁をもって御影石でサッカーボールを作りました。このボールにも矢に乗った八咫烏がいます。真中にステンレスの軸が入っていて横にグルグルと回り、まさにピッチの中で、全方向にチャンスを窺がうかの様です。引用元。

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ある日の居酒屋E“e”は「豚肉の薄切りステーキ」と「出し巻き」に小鉢二つ。

2016年05月21日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食
付け合わせのタマネギ、おくら、しめじのコラボも良かった。酒は三原の酒「酔心」
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ある夜の居酒屋E“e”のおばんざい。

2016年04月17日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食
フキとタケノコの炊いたん。↑薄揚げと鶏肉も。
舞茸の炒り煮

モロキューならぬ「ぎばさ・キュー」

フキノトウ味噌豆腐

女将の土産にナダシンの赤飯を持って行った。


2016.04.10 ~ 2016.04.16
閲覧記事数:20388 PV、訪問者数: 2186 IP、ランキング: 2063 位 / 2470030ブログ
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ある日の居酒屋E“e”は「鯖の味噌煮」など

2016年04月07日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食
キンピラごぼうも好物です。
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居酒屋E“e”のおばんざいは「タケノコの煮物」や「寄せ豆腐に身欠きニシン」など

2016年04月01日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食
煮物の材料は、タケノコ、鶏肉、揚げ、ワカメ、グリーンピース。それにイカナゴの釜茹で新子が抜群だった。
アジフライも旨かった。↑

寄せ豆腐に身欠きニシンと空芯菜のスプラウト。漬物はミニキュウリの塩麹漬け。

ご飯は十八穀ご飯


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ある日の夕食は居酒屋E“e”でおばんざい

2016年03月23日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食

宇和島のジャコカツやタケノコの炊いたんとセロリの漬物もおいしかった。↑
 すき焼風煮物と甘露煮鯵の南蛮漬け。

ポテトサラダと揚げと野菜の卵とじ。


 

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居酒屋E“e”でホッピーのハーフ&ハーフを楽しむ。  

2015年09月02日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食

居酒屋Eの女将から「ホッピーとキンミヤ焼酎が入ったよ~」と連絡があったので久しぶりに訪ねました。

東京を中心として関東の大衆居酒屋ではどこにもあるホッピー。近頃ようやく神戸の元町でも出す店が出てきました。

ホッピーには甲類焼酎がよく合いますが、なかでも三重県四日市市楠町の宮崎本店の「キンミヤ焼酎」が関東一円で人気です。

焼酎もグラスもホッピーも冷蔵庫で冷やしてもらって黒ホッピーと5:5のハーフ&ハーフで飲みました。う~ん、美味し!ホッピーとは こちら

 ただし四日市の友人から宮崎本店やキンミヤ焼酎の話は聞いたことがありません。彼らは四日市市と合併した楠町を我が町だと認識していないからでしょうか?

楠町については、<諏訪十郎貞信さん>   2005.06.01メールマガジンで発信。

 先週、2泊3日のあいだ三重県四日市市の四日市弁に、たっぷり漬かってきました。卒業した港中学のクラス会が湯ノ山温泉であったので四日市へ行きました。
四日市市も最近の市町村合併の動きの中で、隣町の「楠町」と合併したそうで、その記念モニュメントでもあるのか、この4月半ばに「四日市市楠歴史民俗資料館」をオープンさせていました。 知人も新聞で知ったばかりで、行ったことはなく、東洋紡の楠工場の近くにあるという記事の記憶を頼りに訪ねました。彼女の奮闘で車はまだ木の香がぷんぷん匂う純日本家屋の資料館に無事に到着しました。
 4,5人の見学者が初老の男性にパネルの説明を受けていたので、勝手に壁にかかっているパネルで、楠の中世の歴史から読み始めてすぐに、おおげさではなく飛び上がるほどびっくりしました。

 「楠城の初代城主は信濃の国諏訪の豪族、諏訪十郎貞信で・・・」と書いてあったのです。

 正平24年(1369)に貞信が城主になってそれから3代続き、応永19年(1412)に楠 正威の楠一族に替わったと書いてあります。(聞いてナイヨ)と思いました。ほぼ六百年前とは言いながら、ここ伊勢の国、楠にわが家のルーツの地である信濃の諏訪出身の城主がいたなんて知りませんでした。
前の組の説明が終わり、こちらに向き直った説明員(ボランテイアでやっていますとのことだった)に、私は親が信濃・諏訪の出なので、城主の初代が諏訪出身と知って驚いていますと言うと、彼もエエツ、それで今はどこに住んでいるのですかと、ちょっとビックリされてました。後で考えれば見学者は各地から来るだろうから、驚くことはないのですが、私が感激していたのに影響されたのかも知れません。
 庄屋をやっていたこの地区の岡田家の家屋敷が市に寄付されて、この資料館が建設されたことはさておき、私は長年の疑問が、この諏訪十郎貞信の名前のせいでまた頭の中に湧いてきました。 それは四日市言葉の語尾には、「~で」、「~でね」という言葉が多用される事なのですが、これは信州の諏訪地方も全く同じ言い方をするのです。
 「明日も忙しいでね、帰る時間がおそくなると思うで、晩御飯はいらねえわさ。」と言うような具合です。
これは今でも結構日常的に普通に使われている言い方です。(と今回の四日市で改めて思いました。)確か、名古屋地方ではこの言い方はあまり聞きません。(と思います)

 さて、600年前に諏訪からきた殿サンとその家来連中が喋っていた言葉が、その後もこの地に残ると言うことがありえるのでしょうか?それとも私が知らないだけでこの「~で」、「~でね」と言う言い方は三重県各地では普通の言い方で、諏訪とは全く関係ないのでしょうか?
 もう一つ、「それは違うに」の「に」と同じくらい、語尾に「それは違うわさ」と「さ」が多用されるのも名古屋弁と違うところだと思うのです。若い連中がテレビの東京弁に影響されて日本各地で言う「~さ」ではなく、年配の我が同級生が今も自然に語尾に、「さ」をつけて話します。これも関東方言圏の信州では普通の言い方です。

 兵庫県の出石の「出石蕎麦」のルーツは、江戸中期に信州上田藩の仙石政明が出石藩に国替えになり、そのとき上田の旧国許から蕎麦職人を連れてきたのが始まりで、平成の今も信州ソバ系の「出石ソバ」で残っていますが、食べ物でもない信州・諏訪の「物言い」が四日市に600年後の今も残るでしょうか?

 旧市内の真ん中にある四日市の諏訪神社をインターネットで調べると、「鎌倉時代の建仁2(1202)年、信濃の諏訪大社より勧請した神社で、うんぬん」とあり、この城主とは直接の時代の関わりはないようです。
世間様に何のお役にも立たない極私的疑問をいつか晴らすべく、あちこち渉猟するヒマネタがまた出来ました。    了
    追記
ある時期の父親の勤務地だった四日市は、阿智胡地亭には地縁も血縁もない土地ですが、阿智胡地亭はたまたま当地で生まれました。
しかし偶然とはいえ、四日市には信濃の諏訪大社から勧請された諏訪神社があり、この神社をセンターにして四日市は江戸時代から市が立ち、町が栄えました。
 そんな四日市の隣の町にある楠城の初代城主が、諏訪からきた武士だったと知ると、四日市が縁もゆかりもない土地とはとても思えなくなりました。

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ある日の居酒屋E“e”はワインで「鰆の焼き魚」と「タケノコ」など

2015年04月01日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食
少しづついろいろだが、ワインがすすみ過ぎます。
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