阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

鎌倉駅の西口から鎌倉市の佐助地区や扇ガ谷地区を歩いた。

2018年03月31日 | 関東あちこち
3月某日11時JR鎌倉駅西口に散歩会のメンバーが集合しました。👆鎌倉駅西口。江ノ電の始発駅もある。
こちらは東口。総武線快速と横須賀線はつながっているので錦糸町で快速に乗り換えた後は一本で鎌倉に着いた。
家から鎌倉まで一時間半ほどだ。

駅前にはバスターミナルがあった。今回はバスには乗らない。

一行は銭洗弁財天、源氏山公園(昼食)、化粧坂、海蔵寺、若宮大路のルートをたどり、最後に小町通の居酒屋で阿智胡地亭の歓迎会をしてもらった。メンバーの一人が七里ガ浜に住んでいて鎌倉ガイド2級のライセンスを持っており、彼の案内がなければ全く通ることのないと思ったコースを楽しんだ。小津映画で見たことがあるようなトンネルを通った、

 銭洗弁財天へは洞窟を通って入る。

弁天さん内部には外国人が多いのに驚いた。

小さな滝が岩の間から流れ落ちていた。

途中に大きな海棠の木があって花が美しかった。



葛原岡神社



気が付くとかなり高いところまで上がっていて山桜が煙っていた。

頼朝公の銅像は初めて見たが教科書で記憶する肖像画のイメージではなかった。

禅宗の古刹「海蔵寺」に寄った。海蔵寺













欧州映画の輸入で日欧文化の交流に尽くされた川喜多夫妻の記念館があるのを初めて知った。

化粧坂という急坂を降りたり山麓の古い住宅街を通ったりいいウォーキングを楽しんだ後鶴岡八幡宮の横に出て
遠くから拝観したあと

一同は一路、仕上げの居酒屋探しに足を向け小町通でいい居酒屋を見つけた。そこでゆっくりと新入会員歓迎会をしてもらった。
 阿智胡地亭が現役会社員時代、昭和58年まで17年間所属していた事業部がある。其の後阿智胡地亭は違う部門に異動した。
以前所属したその事業部の在京OBの数人の方が2000年くらいに散歩会を始められたそうだ。
其の後メンバーの変遷があり現在は5名の方が月に一回ほどあちこち歩いている。
阿智胡地亭が都民になると知ってメンバーから声をかけてもらった。次回の散歩会は5月の連休明けになる。
今回はブラタモリの鎌倉篇でも映らなかった場所を案内してくれたTさんのお陰で自分が知らなかった場所と歴史に触れることが出来た






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ガマガエルのオタマジャクシに足が生えてきた。今日の(゜゜)~たち。

2018年03月31日 | 花・草・木・生き物







メダカの目が光っています。




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船橋桃源郷で花々の饗宴が繰り広げられている!!

2018年03月31日 | 船橋社中
この景色を眼下に楽しむ方のおすそ分けです。ありがとうございます。
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朝の散歩。 50年やっている炭火焼煎餅屋や天台宗のお寺があった。

2018年03月31日 | 身辺あれこれ
ここでおじさんが焼いている。やりだして50年だそうだ。3袋550円。どれもとても美味しい。
煎餅はこれからスーパーのメーカー品ではなくこの店で買うことにしょう(笑)。

「目黄不動尊」、正式名称は「天台宗 牛宝山(ごほうざん)明王院最勝寺」という。

目黄不動(めきふどう)は江戸五色不動(目白、目赤、目黒、目青、目黄)のひとつ。
徳川三代将軍家光が寛永寺創建で知られる天海大僧正の具申により、江戸府内に名ある不動尊を指定したと伝えられている。
 すぐ近くに江戸時代に行徳街道と呼ばれた道がある。そのことを示す案内板。

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小松川千本桜を歩いた。風に散る花びら。4月1日にここで桜祭があるらしい。

2018年03月30日 | 身辺あれこれ
桜の木を植えてくれた先人のお陰で今の人が楽しんでいる。

























都営地下鉄新宿線の鉄橋があった。





帰りはバスで都営地下鉄新宿線東大島駅前へ出た。それにしても大島地区の大集合団地群には息をのんだ。






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中国の瀋陽(元奉天)から来た中国人のつくる担々麺でランチ 店の名は「逸香坊」。

2018年03月30日 | 食べる飲む
 前を通りかかって表に出ているメニューの「担々麺定食」が気になった。しかしこの店はこれまであることも知らなかった。
店は商店街のラーメン餃子の店「ゴロちゃん」とは全く別の方向の商店街にあり、こちらの商店街はあまり通ることはないがやはり家からは歩いて7分ほどの距離にある。
定食メニューは驚くほど多いが迷わず担々麺定食をオーダー。

厨房にはコックが二人いて仕事ぶりは手早かった。

定食は担々麺とハーフサイズの焼き飯にザーサイ、サラダ、杏仁豆腐がついて780円。旨くて完食した。

店はひっきりなしに若きから中年までのワーキングピープルが入って来る。こんな質の中華料理をこんな値段で出されると
日本人が夫婦でやっている街に6店ほどある日式中華店はやっていけなくなると心配だが、日本式中華の味に慣れている
年配の人が多そうな所だから心配は無用かもしれない。
 支払いの時にいつ開店したのか聞いたら「この1月からです」、台湾ラーメンもあったので台湾から来たの?と聞いたら女性は「瀋陽からです」と答えた。なるほど坦々麺にはしっかりした青梗菜が2本も入っていた。本場の担々麺には青梗菜は必須の材料だ。チャーハンもさりげなく旨くて完食した。いつもの昼食の量からすると食べ過ぎかも(笑)。


店の名が気になったので調べたら逸の字には「楽しむ。安んじる。」という意味があった。
担々麺の余韻の汗をかきながら桜の花びらを浴びながら帰った。カナメの芽吹きと青葉も美しい。





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水木しげるという漫画家が一兵卒として体験した太平洋戦争の現場、現実、現物。

2018年03月30日 | ゲストルーム


青文字をクリックすると本文にリンクします。
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今年も船橋桃源郷に春が来た

2018年03月29日 | 船橋社中
このパステルカラーの風景を今年も首を長くして待ってました。去年は4月3日が桃源郷の初掲載でした!
この桃源郷で元気に暮らしていたガーコが懐かしい。そしてガーコの保護者だったパン屋のおじさんはどうされているかなぁ?
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桜の花が満開です。

2018年03月29日 | 身辺あれこれ
母方の「いとこたち」の一番上と下が女の子です。

練習を見学したあと桜の下で写真をとりました。
 

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今や全国に広がったイオンは三重県四日市の岡田屋-オカダヤがそのルーツだ。

2018年03月29日 | ゲストルーム


岡田屋は阿智胡地亭が四日市市の市立港中学生だったころは江戸時代から続く呉服屋だった。

青文字をクリックすると本文にリンクします
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3月27日のガマガエルのオタマジャクシと新たに参加したメダカ

2018年03月28日 | 花・草・木・生き物
別の場所で飼われていたメダカが一匹引っ越してきた。

オタマジャクシの水槽も置く場所を変えて、水草を分けていれた。







同じ時に卵を採ったもう一軒の孫の家のオタマジャクシはほとんど全部孵った。数が多いので身体は小さい。写真が送信されてきた。





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ある日のスカイツリーと総武線快速

2018年03月28日 | 身辺あれこれ

総武快速線(そうぶかいそくせん)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)総武本線のうち、起点である東京都千代田区の東京駅から千葉県千葉市中央区の千葉駅までの区間のこと。
駅ナンバリングで使われる路線記号はJO。運行系統名称としては「総武快速線」「総武線快速」「総武線(快速)」などと案内され、
直通運転を行っている横須賀線と合わせて「横須賀・総武快速線」と呼ばれることもある。(Wikipediaから部分引用)
たまに11両編成もあるが殆どは15両編成でしかも15両全車がいつもかなり混んでいるのが関西から来た阿智胡地亭には驚きだ。

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植物が成長していく様子を根っこまで撮影したタイムラプス 25日間の奇跡

2018年03月28日 | びっくり画像・映像
Bean Time-Lapse - 25 days | Soil cross section

こちらはある植物の25日間の成長を約3分にまとめたタイムラプス動画。
地上だけでなく、地中の様子まで撮影しためずらしいものとなっています。
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諏訪湖のほとりにある林檎農園「高島農園」のリンゴジュースを頂いた!

2018年03月27日 | 身辺あれこれ

諏訪湖のほとりに秀吉の配下の武将、日根野氏が建造したお城「高島城」がある。いまお城の隣に親戚の林檎農園「高島農園」がある。
農園の従姉と北海道の茅部郡に移住した従姉が連名でリンゴジュースを送ってくださった。いろいろな思いを込めて送って頂いた(と思う)。
 本当にありがとうございます。リンゴジュースが届いたときちょうど孫が4人で遊んでいて喜んでジュースを飲んでみんなお代りした。

真っ当な造りの天然の味は子供たちにもよくわかるようだ。高島農園  長野県諏訪市高島1-11-4 ☏ 0266-52-2831


Wikipediaから部分引用⇒

諏訪高島城

天正10年(1582年)3月の武田氏の滅亡後、甲斐国と信濃諏訪郡は織田氏の家臣・河尻秀隆が領し、諏訪郡には秀隆の家臣・弓削重蔵が配置された。同年6月の本能寺の変による「天正壬午の乱」の後、諏訪郡を領した諏訪頼忠は、平城の金子城(諏訪市中洲)を築き、新しい拠点としたが、1590年天正18年)に諏訪頼忠武蔵国奈良梨に転封となり、代わって日根野高吉が、茶臼山にあった旧高島城に入城する。

*高吉は、1592年文禄元年)から1598年慶長3年)にかけて、現在の地である諏訪湖畔の高島村に新城を築く。その際村人には漁業権や賦役免除権などの特権を与える代わりに小和田へ移転させた。高吉は織田信長豊臣秀吉の下で普請を経験していたことから、織豊系城郭として築城し、石垣を築いて天守も上げた。同時に上原城周辺にいた商工業者を移住させ、城下町の建設を開始した。

1601年(慶長6年)日根野氏は下野国壬生藩に転封となり、譜代大名諏訪頼水が2万7千石で入封。再び諏訪氏がこの地の領主となり明治維新まで続くこととなった。江戸時代諏訪藩の政庁であり藩主の居所であった。1786年天明6年)に石垣などが補修されている。

寛永3年(1626年)には徳川家康六男の松平忠輝を預かる。南の丸を増設し、監禁場所とした。以降も南の丸は、幕府から預かった吉良義周などの流人の監禁場所となる。

1871年(明治4年)廃藩置県により高島県となり、県庁舎として利用された。1875年明治8年)に天守以下建造物は破却もしくは移築され、一時は石垣と堀のみとなり、翌1876年(明治9年)高島公園として一般に開放され、1900年(明治33年)に諏訪護國神社が建てられる。

現在は二の丸、三の丸が宅地となり、1970年昭和45年)には本丸に天守・櫓・門・塀が復元され、高島公園として整備された。

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(130番)に選定された[1]

*阿智胡地亭の一族はこのときから小和田(こわた)に居住してきた。御神渡りを諏訪大社と藩主と幕府に報告する八劔神社は

小和田の氏神でやはりこの時に今の場所に移された。


 

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どんどん大きくなるヒキガエルの(゜゜)~

2018年03月27日 | 花・草・木・生き物




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