阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

旅行8,9日目 ザグレブ、そして帰国   クロアチア旅行 その9

2008年07月26日 | K・Hさんのクロアチア旅行
「いよいよクロアチア旅行も今日で終わりです。
ホテルのビュッフェの朝食も今日で終わり。ゆっくり食べました。

ザグレブ発の飛行機は13:00発なので、お土産を求めて、青果市場に出かけました。今回の旅行の中で青果だけの市場としては最大規模でした。

ホテルのそばには花市も立っていました。

昼間に見るショッピングアーケドはミラノのものの様な美しさでした。
(トップの画像)
「クロアタ」は開店前で、求めていた冠婚葬祭用のしゃれたネクタイは買えませんでした。

空港へは来たときと反対の手順で、トラムとリムジンバスを乗り継いであっさり着きました。ザグレブ発13:00のルフトハンザ3496便でミュンヘンへ向かいます。

ルフトハンザはお国柄か、短時間の空路でもマニュアルが守られており、安心感があります。もっとも、バスの車掌さんのような気さくなラテン系の乗務員がいる飛行機もおもしろいですが。

ミュンヘン発は15:50です。2時間弱の乗り継ぎ時間があるので、あわてる事もありません。カフェテリアでビールとウィンナーシュニチェルで腹ごしらえ。ドイツ発の機内食はあまり期待出来ません。((写真の掲載許可なし))

シベリア上空のツンドラが解けて出来る丸い池(10,000m上空なので池に見えますが湖の方が適当かな)と、時おり見える人家の明かりを見ていると11時間も長くはありません。



Sさんは機内テレビで封切り前の映画を3本きっちり見ていました。この頃機内ではテレビを見る人より、持込のゲームをしている人の多いようでが、封切り前のハリーポッターなどに当たると得した気になります。

9日目、成田で税関をでると町田行きの直行リムジンバスが発車5分前でした。
町田について、いつもの様にいつもの寿司屋に入り、旅の終わりです。」

♪クロアチア・・・歴史を垣間見ると土地に住み着いた住民の国籍までもが、何回も変わるという一国島国人には想像も出来ないお国柄なんですね。それでも多数の画像を見てくると、この国の「くにたみ達」はある秩序を保ちつつ、明るく、旨いもんを飲み食いして幸せに生きている!と思えました。

旅の終わりの〆は、いきつけの寿司屋さんと言うのはいいですね。ところで、画像にありませんが、クロアチアには、まだ、さすがに「回転すし屋」はないようですね。帰って早々、田んぼの草取りなど真っ黒になっての作業ご苦労様です。



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旅行7日目ドブロヴニクからザグレブ  クロアチア旅行 その8

2008年07月17日 | K・Hさんのクロアチア旅行
♪今回の画像の全体はこちらでご覧下さい。スライドショーでも見る事が出来ます。

ヒルトン・インペリアルの朝食ビュッフェは今回の旅の中で質量とも最高でした。何度もビュッフェへ往復し、昼の分まで食べたような気がします。よくよく料理をチェックしてみるとロンドンで宿泊したランガム・ヒルトンとほとんど 一緒でした。グループ内統一なのでしょうね。ロビーも明るく、ここでコーヒーくらい飲んでもよかったかな。

空港への復路は、路線バスだといったん新市街地のターミナルまで市内循環バスで
出なければならなく面倒とのことで、タクシーを呼んでもらいました。玄関前で
バックを持って待っています。
タクシーの運転手さんが、途中景色の良いところで停めてくれました。
ドブロヴニク発の飛行機は時間通り出発しました。

ザグレブ空港ではターミナル出口に市内行きリムジンバスが待っており、ザグレブ
郊外のバスターミナルまで20分ほどでした。バスターミナルから旧市街まではトラム(市電)で10分ほど、トミスラフ広場に面するホテル・ドブロヴニクにチェックインしました。


今回の旅行では、プーラのホテルの名前がリビエラ、ザグレブがドブロヴニクでした。 以前イタリアのヴェローナでボローニャと言うホテルに泊まったことがあります。

ホテルは旧市街地の真ん中です。早速観光ポイントに出かけ目に付いた軽食レストラン で遅い昼食です。いままで海岸沿いで魚介を食べていましたが、久しぶりにチキンカツ を食べました。

聖母被昇天大聖堂を訪れたり、世界一短いケーブルカーで聖マルコ教会を訪ねたりしました。



夕方は市電で、新市街の中心にあるザグレブ中央駅の隣りにあるホテル・リージェント・エスプラナーデを訪ねました。ザグレブ中央駅はオリレント急行の途中駅でホテルはオリレント急行の乗車客の宿泊用に造られたとのことで、今でもクロアチア一の格式の 様です。ホテル前にはVIP用の黒塗りの高級車が並んでいました。

このホテルにYさん一行が泊まっています。ロビーで再会しましたが、これからこのホテルのレストランでツアー一行のお別れディナーとのことで、皆さんおめかししていました。私達の夕食は「地球の歩き方」紹介の「レストラン・バボン」めずらしく地下のレストランでした。最後の夕食も魚介の前菜と魚介のフィットチーネでした。

この街の治安も良さそうです。通りのカフェは遅くまでにぎあっています。
クロアチアはネクタイ発祥の地だそうで、アーケードの中の高級ブランド「クロアタ」の前でパチリ。

最後の晩もふけて行きます。
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旅も6日目に。 クロアチア旅行 その7

2008年07月14日 | K・Hさんのクロアチア旅行
Hさん夫妻のクロアチア旅行の続きです。
 「今日は何にもしなくてよい日です。昼過ぎにアパートメントを引き払い、城門を出て100mのヒルトンにチェックインすれば終わりです。
朝食には目をつけておいたパン屋でパンを買い、朝市でサクランボを買いました。
朝のプラツァ通りは早朝に清掃車が入り磨かれているのでピカピカです。

部屋に閉じこもっていてもしょうがないので、観光船でミニクルーズをしました。城壁と城塞に囲まれたドブロヴニクを海上からみました。詳しく調べた訳ではありませんが、この城壁をめぐっての攻防戦は無かった様です。

今夜の宿泊のヒルトンも存在感があります。後ろに見える赤い屋根の大きな建物がヒルトンです。

港外には大型クルーズ船が停泊し、観光客をはしけで港に運んでいました。

Yさんたちの宿泊のアルゼンチーナも街から徒歩圏のホテルです。

昼食は「地球の歩き方」のレストラン紹介のトップにあった「ラグーサ2」、20年前のガイドブックにも紹介されており、各国の観光客が来ていましたが、私達の評価は残念ながら最低でした。スパゲッティーは駅そばの様で、シーフードには「かにのかまぼこ」が入っていました。
レストランは生き物ですね。この店の旬はもうとうに過ぎていました。

夜は前日のお昼を食べた「プロト」へ、前日以外の料理を食べました。がまんできず生ガキも食べました。

我ながら毎日良く食べますね。」
♪K・Hさん、画面からも外国旅行に慣れたツーリストの二人が
旅と食とワインを気持ちよく楽しんでおられるのがよくわかります。
この街は宮崎駿のアニメ映画「紅の豚」の町並みのモデルのひとつなんだそうですね。
ドゥブロヴニク
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ドグロヴニクで知人と合流。  クロアチア旅行 その6

2008年06月28日 | K・Hさんのクロアチア旅行
いよいよ今日はツアーでクロアチアに来ているYさん達との待ち合わせ日です。この日のために購入した海外用の携帯は、建物が石造りのためか部屋の中ではいつも圏外です。
結局連絡がつかないまま、街にでて探すことにしました。旧市街地は300m四方ほどです。メインストリートのプラツァ通りのプロチェ門よりの突き当たりには、各国の団体が大勢います。ここから旧市街ツアーが始まるようです。
朝10時にアパートを出てまずここに行ってみました。歩くこと100m、探すことありませんでした。ガイドさんの説明をイアホンで聞いているYさんたちがそこにいました。ツアー一行は総勢25名とのこと。ツアーの後ろについて1時間ほど市内見物をしました。

30分のミニクルーズの後、解散して自由行動との事ですので、私達は部屋に帰り洗濯物を干しました。30分のちに一行が船から降りてきました。

その後、ガイドさんが押さえていたレストランに行くことになりました。店についてビックリ、この店は私がアパートのオーナーに聞いて行く予定にしていた店でした。オーナーもガイドさんも同じ様に言っていた「リチャード・ギア御用達」のPROTOと言うレストランです。



このあと城壁ツアーを行い、





途中流れ解散となったので、6人でアパートの部屋でお茶にしました。その後、女性軍の買物に付き合い、皆さんご宿泊のホテルアルゼンチーナへ行ってビールを飲みました。皆さんの夕食はドブロヴニク一番のレストラン「ナウティカ」、私達は旅サラダ推薦の「ドゥンドー・マロイェ」でした。



夜の街は治安が良く、まったく不安がありません。

学生達は旧制高校生の様に、声を上げ街を練り歩き、明け方まで続いていました。私達のアパートは2重窓で防音はバッチリでした。
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ドグロヴニクで借りたアパート。  クロアチア旅行 その5

2008年06月27日 | K・Hさんのクロアチア旅行
5月22日木曜日の夕方に着いたドブロヴニクのアパートメントの紹介です。
ドブロヴニク旧市街にあるホテルをガイドブックやネットで探っていたのですが、小さなホテルが2軒だけ、うち1軒は超高級、値段も手が出ません。徒歩圏内(15分まで)には高級ホテルが3軒、リーズナブルなものはバスで通う必要があります。
昨年10月ごろ朝日放送の旅サラダで、城戸真亜子がクロアチアを4週で紹介していた記憶があり、見逃したドブロヴニク編の情報を番組バックナンバーで見てみました。幸い彼女が宿泊したアパートメントのURLとアドレスが記録されていました。http://www.bijelekuce.hr 
さっそく、ホームページから予約を入れてみました。翌日になっても先方から確認のメールが無いのでこちたからメールを入れたところ、返信があり
「Thank you for choosing us as your Dubrovnik accommodation!」
とありました。

ドブロヴニクは3泊ですが、もしこのアパートが外れだったらと思い、ここは2泊にし、1泊はヒルトンインペリアルを安全牌にとっておきました。

さてドブロヴニク空港への到着は1時間遅れ。Yさんとの連絡用に買っておいた海外携帯でオーナーにTELです。メールのやりとりでは男性か女性か分からなかったのですが、女性です。 「ハロー、ミスターアラ」やっぱりHが入りません。空港バスが着くバス停で待っているとのこと。
バスの荷物入れからバックを受け取り見渡すと、私達と同年輩くらいの品の良い女性が待っていました。バス停から旧市街への入口ピレ門を入り、メインストリートの真ん中辺、路地を10m入ったところが3日間の住まいです。

夫人の英語も早くなく、気兼ね無く話すことが出来ました。もっともほとんど相手が話していましたが。アパートは4階建ての建物の一角で、1階が入口とブティック、2階3階がアパート、4階がオーナーの居室。客用の各フロアーはキッチン兼居間と寝室、トイレとシャワーの3室です。キッチン、シャワーの設備は最新で、掃除も良く行き届いていて快適でした。



居間にはウエルカムの手作りケーキとお酒がありました。夕食は息子さんの友人の経営する「Renaissance」と言う店を紹介されました。店は今風のイタリアンと言った感じでした。紹介ありで20%の割引がありました。

翌23日はオーナーの洗濯機を借り、洗濯。洗濯物を窓の外のロープに干し、旅行後半に備えました。
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プーラからドグロヴニクへ  クロアチア旅行 その4

2008年06月25日 | K・Hさんのクロアチア旅行
ホテル・リヴィエラ
今日はプーラからドグロヴニクへの移動です。プーラ空港よりクロアチアの首都ザグレブへ飛び、乗り換えてドグロヴニクへ飛びます。
クロアチアの航空路線網はザグレブを中心に各都市を結んでいます。このためプーラからドグロヴニクと言うような直行の便は検索してもありませんでした。

今回の航空券の購入についてチョット書いておきます。
ここ数年イタリアの地方都市に入るときはルフトハンザを使っています。ルフトハンザの早期予約購入は格安航空券の価格と変わらないうえ、予約時に座席が指定出来るので安心して予約できるのがメリットです。いつもジャンボの後ろより窓側のシートの並びが3列から2列に変わるところをとります。窓とシートの間に空間があり、足を伸ばすことが出来ます。

ヨーロッパへの行きは右側、帰りは左側の席をとります。行きに左側の席を取ると西陽が強く下の景色が見えにくいからです。帰りに左側の席を取るのは、コースがかなり北よりに飛ぶ場合に、北斗七星、北極星、カシオペアが真横に見え、オーロラが見える事もあるからです。

フランクフルトから乗り継いでイタリアに入る場合、アルプスの上空を飛ぶので、小さな飛行機の方がおもしろいです。高度が低く、マッターホルンが真下のことがありました。夕方の場合は左側席の方が西日は気になりません。

航空券の料金設定については良く判りません。今回のルフトハンザ分の往復代金は1人163,950円(燃料追加など40,950円含む)、もし翌日発だったら155,910円でした。

クロアチアエアラインズはプーラ~ドグロヴニクが1人14,500円、ドグロヴニク~ザグレブが6,300円でした。これも予約日時、料金支払い条件、ディスカウントコードの有無等で大きな幅がある様です。

さて、プーラで宿泊したホテル・リヴィエラは社会主義政権下の名残の様なホテルでした。
最上階までの吹き抜けと幅の広い階段、ばか大きい部屋と大きなバスタブ、大きなベランダ、もし手入れが行き届いていたら、立派な四つ星です。
このホテルが二つ星で朝食込み12,500円で泊まれるには理由が有りました。広く長い廊下には明かりがついていません。自動感知で点くかと思ったらだめで、自分でスイッチを探して点けました。
部屋のカーペットはしみだらけ(掃除は行き届いていました)、お湯はなかなかでてきません。フロントに電話したら「Just wait 5 minutes」との事、待つこと10分で本当に熱いお湯になりました。

大きな朝のビュッフェには誰もいません。帰りに隣の部屋を覗くとパンとコーヒーだけのカウンターがあり、結構宿泊客がいました。料金が違うのでしょうね。

午前中はローマ時代の遺構めぐりです。本日は木曜ですが、祭日とのこと、後で調べたら「聖体節」となっていました。どんな日かは、いまだに分かりません。
円形劇場は立派なものでした。入場料が1人40kn=900円位、後から来た観光団は入場せず、外周道路の高いところから覗いていました。



ターミナルで聞いたところ、プーラ空港へのバスは祭日のためか、21時まで無いとの返事。止むを得ずタクシーに乗りました。15分位で意外と安く95kn=2,100円位でした。

出発時間の13:35になっても飛行機がいません。搭乗ゲートで待っていた20人位の客も心配そうに待っていました。雨の中やっと到着しました。降りた客は一組だけで、ガラガラかなと思ったら、中は満席状態でした。この飛行機はスプリット発プーラ経由ザグレブ行きのバスの様な飛行機でした。

ザグレブ乗換えで帰国する人が多数で、乗り継ぎ便へ間に合うかさかんにスチワーデス(フライトアテンダントよりこちらの方が好きです)に聞いていました。
ザグレブからはダブリン、エジンバラ、デュセルドルフなどに直行便が出ていました。

ザグレブ発16:20予定の飛行機もなかなか来ません。おまけにクロアチア航空が他社の飛行機をチャーターしたためオンラインで席が決められず、搭乗直前に手書きで席を決めていました。飛行機のタラップ前で「写真を撮ってあげるよ」と言われましたが、6年前購入のニコンの小型デジカメは撮れたのか撮れなかったのか分からないようなカメラで、人にシャッターを頼めるものでなく、「No,Gurazie」と断りました。来年こそ新しいものを買わねば。

ドブロブニク空港では、出口の前に空港バスが待っており、旧市街の前まで20分くらいで行けました。
♪クロアチアはヨーロッパに残された最後の宝石のような国とか。ツアーでないプライベート旅行を十二分に楽しんでいる様子がよくわかります。

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ピランとプーラという街 クロアチア旅行 その3

2008年06月23日 | K・Hさんのクロアチア旅行
Hさん夫妻のクロアチア旅行の3日目です。頂いたメールの概略は次の通りです。
「ピランという街に一泊しました。この街にこだわったのは、1977年に父と伯父の二人が旅行した時のアルバムに、この街の写真があったからです。

30年前に二人は当時ユーゴスラビアのドブロヴニクにモスクワ経由で入りました。父がある学会に参加するのが旅行のメインの目的で、伯父を誘って出かけたようです。帰りのルートはアドレア海をフェリーで北上し、リエカで船を降り、ボストイナ鍾乳洞、ピラン、コーペルを回り、国境を越え、イタリアのトリエステに着いたようです。その後、鉄道でベネチィアに向かい、フィレンツィエ、ローマも見て帰国したようです。

私達夫婦はベネチアから反対のコースをとったのですが、リエカ発ドブロヴニク行きのフェリーが週2便しかなく、ドブロヴニクでYさんと合流する予定の日程が合わなくなるため、プーラから飛行機で移動することにしました。

3日目は午前中はピランの街歩き、特に父の写真に残っていたタルティーニ広場と
聖ユーリ教会と鐘楼を見ました。鐘楼に登って、広場の写真をとりたかったのですが、時間が早すぎたのか誰もおらず、登ることが出来ませんでした。



午後は真っ直ぐプーラにいったのではつまらないので、世界遺産エウフラシウス聖堂のあるポレチュに向かいました。ポレチュ行きの水中翼船があるとのことで、昼食前に切符を買いにいきました。

観光案内所にデスクを借り、一人で切符を売っていた若く小さな女性が「I'm Sorry]と言ったのでいやな予感がしたのですが、予想通り、強風で船はキャンセルされたとのことです。でも代替のミニバスを出すとのことで、ひと安心。ネプチューンと言う店で昼食です。

ミニバスのお客は二人を含め5人でした。クロアチアはEUでないので国境の検問がありましたがいいかげんなものでした。ポレチュはきれいな港町です。エウフラシウス聖堂のモザイクはラベンナのものに比べ、修復のし過ぎの感じがしました。



ポレチュ発16:00の予定のバスがなかなか来なくてあせりましたが、無事プーラへ到着、バスターミナルからホテルまでバックを曳いて行きましたが、道を聞いたところ、その人がホテルの前まで連れて行ってくれました。

昼間が長いので夕食は明るい時間です。アウグストス神殿の前のレストランで食事、イカのグリル、ムール貝のリゾット、野菜のグリルです。ホテルに帰って9時を回っていますが、まだ夕日です。







この日は長い一日でした。」
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トレヴィーゾの市場 クロアチア旅行 その2

2008年06月15日 | K・Hさんのクロアチア旅行
Hさん夫妻のクロアチアへの旅行は成田空港から出て、フランクフルトで乗換えしてベネチア・マルコポーロ空港に降りてからスタートしました。
「宿泊地へは、空港バスと鉄道を乗り継いで行けるのですが、時間が遅くなっていたのと、疲れていたのでタクシーで向かい、20分でホテルに着きました。早速、街に出かけオステリア・ポンテ・ダンテと言う居酒屋で食事をしました。
翌日は午前中、銀行で両替をして、魚市場と青果市場をのぞきました。



その後、トレヴィーゾ中央駅よりベネチア・ミストレ駅経由でトリエステ中央駅に向かいました。トレヴィーゾ駅の切符売り場がすいていたので、自動販売機でなく窓口で切符を買ったのですが、駅員が聞き違えたのか30km以内6時間有効の近郊切符を渡され、車内検札の際指摘されて、途中下車するはめになりました。それでもそれほど遅れることなくトリエステに到着しました。」


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スロベニアのスカンピと鰯の料理 クロアチア旅行その1

2008年06月13日 | K・Hさんのクロアチア旅行
「・・トリエステのバスターミナルで路線バスを探し、15:30発17:05着でスロベニアのピランに着きました。バスはいくつかの町を経由して行きましたが、高速道路の工事も進んでおり、タクシーを使えば直線で40分くらいの距離だったと思います。ここでも、ホテルのフロントでお勧めのレストランを聞き、ドルフィンと言う店でスカンピと鰯を食べました。」
クロアチアへ旅行した身内からこんなメールが来ました。ベネチアのマルコポーロ空港に下りてから主として鉄道とバスでクロアチアに向かった途中、スロベニアのピランで一泊したときの夕食だそうです。スカンピ(手長エビ)も鰯も本当にうまそうです。

スロベニアはイタリーの隣国ですから食習慣もイタリーに近いようですね。
スパッゲテイもスカンピスパのように見えます。
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