阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

足立区立「しょうぶ沼公園」のしょうぶの品種数には驚いた。

2022年05月31日 | 東京あちこち

こんなメールをご近所から頂きました。「東京メトロの北綾瀬駅からすぐの公園に初めて来ましたが、品種数が多いのにびっくりしました」。

YNさん写真ありがとうございます。本当に凄い品種数ですね。

ネットサイトから:

園内には、5つのしょうぶ田があり、約140種約8,100株のハナショウブが植えられています。6月上旬になると、白や紫の花が咲き誇ります。

新選組の近藤勇が最後の日々を過ごしたのはこの辺りだそうです。こちら

 

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5月30日京都歩き  ②寺町通り。            11年前の今日2011年5月31日に「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年05月31日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

錦市場から三条大橋に向かうので、寺町通りを初めて京都市役所前の御池通りまで
通しで歩きました。おそらく半分以上は店は変わっている感じですが、昔からの店もあってあきません。






「阿智胡地亭のShot日乗」















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商社はお役人を「取り込むだけの価値あればこそ抱え込む」。 元防衛事務次官守屋さんの汚職事件

2022年05月31日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2007年11月16日「阿智胡地亭の非日乗」掲載

昨日の2回目の国会の証人喚問で守屋さんは利益供与は一切なかったと言っていますが・・。

それにしても霞ヶ関のトップクラスの現役の役人が、部下の課長に4千万を越えるカネを預け運用を依頼する。

おそらくこのことは特異なキャラクターである守屋という人間の、特殊な例ということで霞ヶ関村は幕を引こうとするでしょうが、そんな人が事務次官になり、

長年日本国の防衛を仕切ってきたそのことが恐ろしい。

行政つまり公務員の手抜きや情報隠匿、汚職などをチエックする役割の国会や県会などの議員さんが、霞ヶ関の皆さんと同じ穴のムジナになってほぼ50年。

いくら勤勉だといわれる我が日本人も、ここまで寄生虫にたかられると、さすがに体力も気力も倫理感もおかしくなりそうです。

10月31日に掲載した記事[守屋さん曰く、「国の防衛は国益の問題です」]に対して頂いたコメントの返事に次のように書きました。

「かって辛好がはじっこの方に属していた世界では、山田妖光の某やり手役員みたいな人が、多くの大手商社の役員をしてました。

某国の士官学校の新入学生は全員、某日本商社が主催する歓迎会で将来偉くなるかどうか値踏みされ、以降の生活すべて人生丸抱えの生活を踏み出していました。

飲み食いはすべてツケ。結婚式や家の購入の費用も全部。将軍の子供さんのアメリカ留学4年間の費用も全て・・

それもこれも回収どころか大いなる見返りがあってこそ。

近隣アジア諸国のお役人の華僑や日本商社の丸抱え生活を、ウチラの上級国家公務員の幾人は哂うヒマはないような気がします。

今回のことで中国と韓国の上級国家公務員の皆さんは、やっぱり我々は同じ儒教ベースの国やと、改めて日本に親しい同胞意識を持ったことでせう。」

極眠荘主人さまから、記事「取り込むだけの価値あればこそ」にコメントを頂きました。

コメント欄にお返事を書き出したら長くなりそうなんで、こちらの本篇の方に書かせて頂きました。 

極眠荘主人さま

本当に懲りない面々ですね。

異例にも4年間も事務次官をやった方は、こんなに脇が甘いのですから、防衛庁を防衛省に昇格させたこの恩人が長年、

商社の接待漬けになっていることを周囲の皆さん誰もが知っていたでしょう。しかしそのドロドロの付き合いを組織の誰もが咎められない・・・。

そんな従来の防衛庁関連のすべての先輩たちの、長年の悲願だった防衛省昇格の最大の功労者を、もし咎めるようなことをしたら、

一生陽が当たらんポストで下積みのまま定年でしょうね。それよりみんなで渡れば恐くない。仲間に入って楽しくなごやかに公務員生活を過ごしたほうが賢い。

庁内、省内の内部の不祥事は外には隠し通す。

長年、日陰モン意識が強い組織や集団によく見られます。

「国の防衛は国益の問題です」といいながら、税金を上乗せした水増し代金で武器を購入し、その見返りを受けて、防衛省の職員の2割の方々は

「国の防衛はやっぱ私益の問題です」と、ずっといい目にあってきたように見えてしまう状況ですね。

べテランかつ影響力を持つその国の政治家や陸海空のトップを、現地の専門商社を使って丸抱えに取り込み、モデル落ちの戦闘機や古くなった高度戦略機器を高値で売り込む、

某国の軍需産業の長年のビジネスノウハウを、徹底的に調べるメデイアは日本には存在しないのでしょうか?

今回日本で騒がれている、彼らから見ればアジアの一国の元次官や政治家連などは、ほんのおこぼれ頂戴の三下奴に過ぎず、不法行為と咎められずに、

ゆうゆうと稼ぐ仕組みを作ってきた、真の黒幕連中は、太西洋を疾駆するクルーザーの甲板で、美酒を傾けながらカジキの大物を釣っているようにも思えるのですが。

 
2007年11月17日 
 
 
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5月30日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年05月31日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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小岩の「蓮家」で呑んだ生マッコリと食べた海鮮チジミとキムチがとてもおいしかった。

2022年05月30日 | 食べる飲む

小岩駅のプラットホームから

散髪の帰りに店の前の写真を見たら焼肉以外のランチメニューも豊富だったのはいってみた。

韓国人のシエフがやっている店だった。店はもう結構長いようだった。

キムチの旨い韓国料理店は他のアイテムも旨い。このパリッと仕上がったコクのある海鮮チジミの半分はtakeoutで持ち帰ったが 家でも大好評だった。

これからは亀戸の「豚ウオーリー」以外にも、小岩に来ればこの店で生マッコリとキムチの旨いのがいつでも食べられてありがたい。

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愛媛県西条市は自噴水が24時間湧いている町   伊予の国シリーズ その3    10年前の今日2012年5月30日「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年05月30日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

JR西条駅前に「うちぬき」と言われる自泉井が設置されています。


「西条市(さいじょうし)は、愛媛県東予地方、西日本最高峰石鎚山の麓に位置する市。

国の名水百選にも選出されている「うちぬき」と呼ばれる自噴水(地下水)やカブトガニなどで広く知られる

 西條市が力を入れて取り組んで来た、製造業を中心とする産業振興方針を今も継承し、同市の工業出荷額は四国の市町村の中でも上位に位置する金額である。

2000年代前半においては製造品出荷額等において四国最大を誇っていた時期もあったが、その後今治造船や日本食研などを擁する今治市や、

番の州臨海工業団地を擁する坂出市に抜かれ、2009年時点では四国3位に転落している。臨海部には国内最大級の今治造船のドックを有する。


 今治市⇔西条市⇔新居浜市⇔四国中央市と、四国で唯一、人口10万人クラスの都市が横に連なり、それぞれ特色ある産業が栄え、

文化さらには人的交流が活発になされている地域でもある。2004年(平成16年)11月1日西条市、東予市、周桑郡小松町、同丹原町が対等合併して

新たな「西条市」が誕生した。(wikipedia)から一部引用」


 西条藩の陣屋跡が現在愛媛県立西条高校になっています。校門は当時の門がそのまま使われています。


卒業生には新居浜から通学した「巨人軍の藤田元監督」や、現在テレビによく出る「眞鍋かおり」などがいます。

 愛媛県は水軍(海賊とも言う)を作っていた越智、眞鍋、一色」一族や隣国の土佐から移ってきた「長宗我部由来の曽我部」などのユニークな苗字がとても豊富な土地です。


永田さんのお宅は山と川に囲まれた広い土地で、樹木の好きな永田さんは沢山の種類の木を植えています。

一本一本名前と由来を教えてもらいました。先年の四国の大台風被害で自宅は相当なダメージを受けられましたが、

今は修理も完了されていました。山肌にも土砂流のあとがくっきり残されていました。それぞれの木の撮影が出来なかったので、

成長をみたいこともあり、いずれ再訪させてもらいたいと思います。



卯の花です。

















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「藤田まこと」主演の映画「明日への遺言」を観ました。 英語で軍事法廷で戦い、部下をかばって一人絞首刑になった仏教徒・岡田中将の物語          

2022年05月30日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2008年3月18日 「阿智胡地亭の非日乗」掲載

太平洋戦争末期、日本の大都市から中小都市まで、まんべんなく絨毯爆撃で焼夷弾を落とし、一般市民を大量に焼殺したアメリカ空軍のカーテイス・ル・メイ将軍。

 この映画はB級戦犯容疑の法廷で、目の前にはいないそのカーテイス・ル・メイ将軍と「言葉」つまり「論理」で戦った丸腰の岡田中将の物語である。

岡田中将は第2次世界大戦終了後、中京地区の防衛を任されていた東海軍司令官として、米軍捕虜の斬殺命令を出した戦犯容疑で裁かれた。

この映画では、トルーマン、マッカーサーの所業と合わせ、日本という国家運営機構から、暴走を止めるブレーキ装置をはずすことになった「統帥権」にも触れている。

「統帥権システム」が結果的に日本にもたらした自国民の大量虐殺について思い起こさせてくれる。 

日本人は敗戦後63年が経過して初めて、このような映画を持つ事が出来た、と言いたくなる様な映画でもあった。

こんな軍人が日本にもいたのだと。考えてみればあれだけの質と量を持った集団なのだからいても当然だとも思った。

彼は論理とコミュニュケーション能力と仏教の信心で、部下たちの命を救った。

 彼の論理はこうだった。

B29の搭乗員は軍事施設以外の場所を無差別に攻撃した。これは国際法に反した犯罪である

従い降下して捕捉された彼ら38人は国際法上の捕虜の扱いを受ける権利はない。従い軍律により、犯罪人の裁きを行ったまでである

①もしこの司令官が自ら英語を聞き取り、話すことができなかったら、違う判決が出たのではないだろうかと思う。

彼は占領軍の軍事法廷関係者と英語でコミニュケーションを取る能力があった。

岡田司令官は、彼の担当の米人弁護人とは勿論、次第に軍事法廷の検事や軍事裁判委員の心をも掴んでいく。
 
 どんなに優れた人間でも他国人と接触した時に、自らを相手に伝える能力がなければ、ただの木偶と扱われることも多い。

この映画を見て、戦犯法廷では、殆ど英会話能力のない軍人たちが促成の米軍日本語通訳のために、

うまく意を通じさせないまま死刑判決を受けたことが多々あったのではないだろうかとも思ってしまった。

(敵性語である英語を、なぜ日本の軍人岡田中将が見事に使えるのかと不思議だったが、その理由は途中で明かされる。

しかも、セリフそのものは脚本通りとして、藤田まことの英語の発音には驚いた。昨日今日覚えた英語ではない英語だ。

もし彼が、今回初めて覚えたとすれば、俳優というものは凄いもんだと感歎してしまう。)

②彼は真摯な仏教徒であり、彼の言行は全て仏教の教えの体現であるかのように画かれている。

恐らくこの彼の態度は、裁く側のキリスト教徒である軍事委員にも、宗教者としての生き方に対する共感が醸し出されたのではないだろうか。

日本映画で、日本人が仏教徒として日常を生きているさまを、まともに画いたのを初めてみたような気がする。

幅広い観客動員を狙ったのだろうが、あらずもがなの感傷的な合唱の場面を入れるなど、折角の流れを乱すシーンのいくつかは気に入らないが、

こういう事実が戦犯裁判の中にあったということを知るだけでも、この映画は見る価値がある。

映画はこのサイトで見ることが出来ます。→こちら

 

○映画の始めに、B29の焼夷弾絨毯爆撃で日本各地の住民が受けた被害状況が、当時警視庁写真斑にいた石川光陽さんの写真(東京)や、罹災体験者が後に画いた絵で示される。

東海軍に処刑された米空軍の軍人たちは、彼らが乗務したB29が撃墜され、落下傘で飛び下りて捕まった兵士たちである。

司令官の国際法を熟知し、信念に基づいた芯の通った法廷闘争の結果、実際に38名の米兵を斬殺した部下19人は死刑にならず、

岡田中将は全ての責任を1人で負って、絞首刑に処せられた。

○正直に言って「藤田まこと」が司令官を演じると知った段階で、映画を見る気にならなかった。


元々コメディアンでいまテレビで忙しすぎる「藤田まこと」が軍人を演じる映画なんて、と思ったからだ。

しかし半澤健市さんという人の映画評を読んで考えが変わった。

彼も「てなもんや三度笠」で「あんかけの時次郎」を演じていた時の「藤田まこと」から彼を知っていて、この映画の彼を認めていたからだ。

そしてこの映画で「藤田まこと」さんは、素晴らしい演技をした。彼が画面に現われて、最初のコンマ一秒で私は映画に没入した。

○金曜日の午後の映画館は三分の二の席が埋まっていた。男女共に60代以上の人たちが8割を占めていて、後ろの席の私と同年配の人が、

連れに「前に映画館に来たんはもういつのことか覚えてないわ」と言っている人もいた。

そういう人たちも口コミか、新聞の映画評かを見たか、あるいは「藤田まこと」と「藤純子」の名前かでこの映画を見に来ているんだと思った。

○例の如く前もって予備知識を持たずに映画を見た。シナリオも映画の流れも良かったので、映画を見たあと家で公式サイトを開いてじっくり読んだ。

それによると、

映画は「順撮り」で撮影されたある。つまり映画の筋に沿って撮影されたと知った。

それで納得できることが一つあった。かなりの時間が法廷の証人尋問や反対尋問に費やされるが、裁判を傍聴している無言の俳優さんたちの表情にゆるぎがなく、

あたかもその場で実際に浮かんだ感情のようなものが終始バックにあったのだ。

筋のとおりに撮影されるうちに俳優さんたちも自然に感情移入していったのだろう。

そのことは、外国人の俳優たち全てにも言えることだ。小泉尭史監督と製作の原正人プロデユーサーが、外人俳優を使って撮影するために考えだした苦肉の策だったかもしれない。

俳優の全員が気持ちを一つになって、撮影されたように思う。

○脚本の共作者であるロジャー・パルバースは今や日本を熟知しているアメリカ人の1人だが、この映画の成功の陰に、彼による英語のセリフの作成が大いにあったと思う。

○そしてHPにある弁護士役のロバート・レッサー、検事役のフレッド・マックィーン(スティーブ・マックィーンの息子)などが受けたインタビューが興味深い。

それを読むと、彼らも「岡田資」と言う人間の論理と発言はそれとして、彼の人間性に敬意を抱いたことを感じる。是非かれらのインタビューも読んで欲しいと思う。

 
 
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5月28/29日に目に留まったSNS・メディアの記事

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パレスサイドビルから白山通りを神田美土代町近くまで歩いて珈琲を一杯飲んで一休みした。

2022年05月28日 | 東京あちこち

目指したランチに満足してパレスサイドビルを出てから 前回はお堀端を東京駅まで歩いたが、この日は白山通りを歩いて御茶ノ水駅まで歩いていくことにした。

パレスサイドビルを出たら目の前はパレスつまり皇居です。

 それにしても徳川さまの忠実なお侍さまたちは将軍様に260年仕えたはずなのに、薩長の田舎もん軍団にたった一日の上野の戊辰戦争で負けて

 みすみす地方人に江戸城を明け渡したのは 何故??。

精強を誇ったあの「旗本八万旗」はその時一体何をしていたんでしょう?・・・・・・。

身体をはって大手門の前に立ちふさがり、芋侍ごときに江戸城を盗られてなるものかと戦った徳川武士は一人もいなかったのか?? どなたか教えてください(笑)。

世界大百科事典内の旗本八万騎の言及 【旗本】より

 旗本の人数は1722年(享保7)には5205人(御家人1万7399人),寛政期(1789‐1801)もほぼ同数値である。
直参総人数約2万2600人に幕府軍役規定による陪臣数を加算すればいわゆる〈旗本八万騎〉に近い数値となる。
旗本の出自は三河以来の旧臣・近国衆に属する者を中心に,大名の絶家・分知で一族家臣の登用された者,名家の子孫,学問技芸によって登用された者などとなっている。…

 

一橋大学の名前が偲ばれるエリアを通過

学士会館の所から神田警察通りへ 

問題になっている銀杏並木は確かに切ってしまうのは大きな文化財産の喪失になると思った。

博報堂が入っているビル

神田美土代町に通勤していた昭和50年代に時々食べていたラーメンの「龍岡」の店が当時と全く同じ場所にあって今も営業しているのが嬉しい。

40年ほど前自分が13年間通勤した仕事場だったあたりでゆっくり相方と珈琲を飲む日が来るとは思いもよらなかった。この神田錦町にある「米本珈琲店」は当時はなかったが・・。

 

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3年ぶり華やかに「お祭り」  諏訪 高島城祭       長野日報

2022年05月28日 | 諏訪便り
2022年5月23日 6時00分

高島城祭で糸魚川市の奴奈川祭り実行委員会が披露した舞

第53回高島城祭(諏訪市などでつくる実行委員会主催)が22日、同市の高島公園で開かれた。

諏訪高島城保存協力会代表理事で諏訪家第15代当主の諏訪忠則さん(58)=川崎市=の高島城名誉館長就任式があったほか、松本城鉄砲隊の砲術や、

神話を縁に結び付きを強める島根県出雲市、新潟県糸魚川市、諏訪市の団体の和太鼓や舞などがステージで披露された。

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、規模を縮小しながら「お祭り」としての各種の催しを行うのは3年ぶり。感染防止対策を講じて開いた。

式典では実行委会長の金子ゆかり市長が「伝統を受け継いでいることは誇り。コロナ下だが、前に進んでいく機会になれば」とあいさつ。

続いて金子市長が高島城名誉館長の委嘱状を諏訪さんに手渡し、諏訪さんは「大役を授かった。微力ながら諏訪市の発展を応援したい」と述べた。

                            実行委会長の金子ゆかり諏訪市長(左)から高島城名誉館長の委嘱状を受ける諏訪忠則さん

ステージ発表は松本城鉄砲隊の砲術で幕開け。西堀恒司隊長(73)率いる隊員約10人が火縄銃で空砲を撃ち、ごう音を響かせた。

出雲、糸魚川、諏訪の3市は「かみがたりネットワーク特別ステージ」を繰り広げた。出雲市は「雲州ひらた太鼓」のメンバー7人が迫力ある和太鼓の音色で会場を楽しませた。

糸魚川市は、奴奈川祭り実行委員会が舞を披露し、メンバーの一人が奴奈川姫に扮して幻想的で華やかに舞った。

男女2人のフルートとキーボードのユニット「ア・ラ・フネーズ」も出演し、3市にゆかりの曲などを演奏した。

諏訪市は、本町2丁目の有志が勇壮な「諏訪龍神の舞」で祭りを彩った。市木遣保存会の木やりもあった。

園内には出雲市、糸魚川市などの特産品や地元産品を販売するテントが立ち並んだ。市民ら来場者たちは五月晴れの下で祭りを楽しんでいた。

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神話の縁結び かみがたりネットワークPR動画【本編】

神話の縁で交流促進 出雲市、糸魚川市と諏訪市が協定 → こちら

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志布志・県議選事件   鹿児島県警が警察庁長官表彰を返納 (2008年03月15日(土) 「阿智胡地亭の非日乗」掲載)

2022年05月28日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2008年03月15日(土) 「阿智胡地亭の非日乗」掲載

鹿児島県警が警察庁長官表彰を返納しました。

県民の思いを代表して行動に示すという、本来議員職とジャーナリズムが持っているチエック機能をまっとうに果たせば、こういう結果も出るというサンプルでしょうか?

それにしても、県警というムラ社会の論理優先で「返納しない」と強弁していた県警本部長さんが、一転して答弁を改めた本音の理由を知りたいもんです。

世論に押された?そんな理由ではなさそうな・・

国家公安委員会が富山と鹿児島の冤罪事件のせいで、警察という国の治安維持装置に対する、国民の信託のゆるぎに危機感を持ったのは事実でしょうが・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
志布志・県議選事件 県警、長官表彰を返納
捜査員本部長表彰も
南日本新聞(2008-03-05)から引用。


 2003年の志布志・県議選事件で、鹿児島県警が「警察庁長官表彰」を受け、無罪確定後も返納も取り消しもしていなかった問題で、

県警は4日、警察庁に表彰を返納することを伝え了承された。

県警が当時の捜査員4人らに授与した本部長・刑事部長表彰についても、同日付ですべて返納された。

 警察庁によると、全国の警察で警察庁長官表彰を返納した事例は過去にない。

警察表彰規則には組織・部署からの長官表彰返納や取り消しを想定した規定はなく、県警の決定は極めて異例。

 県警によると、長官表彰の返納は「県警の業務に対し県民の理解と協力を得るため、諸般の事情を総合的に勘案して決定した」という

判断材料として(1)無罪判決が確定(2)県議会一般質問で2度の返納要求(3)県警独自の再発防止策や警察庁の取り調べ適正化指針公表-などの情勢の中、

同日の県公安委員会で「適切に対応すべき」との指摘を受けたことなどを挙げた。

 県警内の表彰については、授与された捜査員4人と志布志署が長官表彰返納の連絡を受け、自主的に返納を申し出てきたという。

表彰は賞状のほか、副賞として長官表彰には現金3万円、県警の警部補1人への「本部長賞誉」にはメダル(1300円相当)、

警部補と巡査長計3人への「刑事部長内賞」に図書券各1000円分、志布志署には現金5000円が贈られた。

本部長賞誉には、2003年冬のボーナスのうち勤勉手当分の2%加算(数千円程度)があった。

 県警は「無罪確定は組織として捜査した結果。困難な捜査に従事した捜査員の評価が変わるものではない」として、

副賞の返還については、捜査員個人への負担は求めず、相当額を本部長と複数の幹部で返還するという。

 県警の藤山雄治本部長は2月29日の県議会一般質問の答弁で「無罪になったことをもって功労がなかったという判断にならない」と

本部長・刑事部長表彰を取り消す考えがないことを表明。

しかし、3月3日の答弁では一転して取り消しの検討を明らかにし、長官表彰についても「あわせて検討する」としていた。

 
2008年3月15日 
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5月27日に目に留まったSNS・メディアの記事

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❝小嶋千鶴子さん❞が 106歳で亡くなった。 伊勢の国 四日市で江戸時代から続く家業の呉服屋を 日本の小売業を代表する大会社「イオン」にした女性 

2022年05月27日 | ゲストルーム
 2022年5月26日付東京新聞朝刊
 
阿智胡地亭が二度にわたって住んだ街で 生まれた市でもある三重県の四日市に その頃大きな呉服店があった。それが「岡田屋呉服店」だった。
 
 その岡田屋が今の「イオン」になるとは夢にも思わなかった。
 
阿智胡地亭が通算45年住んだ神戸市の出身者で、日本の小売流通業の革命を起こしたスーパーダイエーの創業者 中内功さんは、今や歴史に名を残す人になってしまったが
岡田一族という【伊勢商人】の末裔は令和の御代の今も隆々と「あきない」を続けている。
 
たまたま自分が長く住んだ二つの街から出た人たちが大きな以前にはなかった業態の会社を大きくした。一方はこの世から消え 一方は残った。
 
 ダイエーはつぶれ、イオンが残った理由は 「会社の中で働く人間を道具として扱った会社と、会社の中で働く人間を財産として扱った会社」の違いだと
わずかだが二社の事を知る阿智胡地亭は思う。  道具として使われた社員は 今度は取引業者を道具としてあつかい、当然の利益まで公私で吸い取られた取引業者は
質を落とした商品を納入するしかなく、それを買わされたお客は当然のことだが次第に店から離れて行った。
 
 
引用→「弟を日本一にする」。イオングループ創業者・岡田卓也の実姉・小嶋千鶴子は、その言葉通り、家業の岡田屋呉服店を日本最大の流通企業に育てた。
人事や組織経営の専門家だった小嶋は、数多くの名言を残している。『イオンを創った女』(プレジデント社)の著者・東海友和氏が6つの名言とその背景を解説する――。

「見えざる資産の蓄積をせよ」

小嶋千鶴子はジャスコ発足後の十数年間で最も腐心したのは、「見えざる資産の蓄積」だとのべている。目に見える資産の典型的なものとしては「お金」があげられる。お金や建物などは目に見えて計算可能であり、こうした資産は常にコスト削減や売り上げ増を追求し増やしていかねばならない。

その一方で、資産には見えざる資産がある。「知識」「技術」「人脈」といったものだ。こうした資産はBS(貸借対照表)には表れてこない。

経営者が会社を成長させていこうとするとき、何よりも早く手をつけなければならないのが、この3つの見えざる資産の蓄積である。なぜならこうした見えざる資産の蓄積にはより多くの時間と労力を要するからだ。これらの蓄積がないかぎり、立派な建物ができたとしても、企業の成長は止まる。

「店舗は人材育成のための錬成の場」

特に小売業の場合、「店舗」は人材育成・錬成の場として大きな意味を持つ、と小嶋千鶴子はいう。

「店の仕事は単調で日々同じことの繰り返しである」という声を耳にすることがある。確かにそうした一面もあるが、仕事は単純化するだけではだめだ。店で働く人は、お客さまの変化を察知し、それに対して素早い対応をするといった人間らしい、人間なればこその仕事をしなくてはならない。

そのため店長はパートタイマ―をはじめとして、従業員に、お客さまの変化、市場の変化について常に質問する習慣を身につけ、疑問に対しては的確な「答え」を用意しなければならないという。

オカダヤ時代、小嶋はある店長に対してこう言い放った。

「店長としての君の役割は業績を挙げることはもちろんであるが、若いうちに能力のある者を発見して適切な指導や教育をすることも大きな店長としての役割や」
「自分のことばかり考えて部下のことを考えないのは店長失格、そんなことでは大事な従業員を預けられへんな」

続きはこちら

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新神戸ロープウェイに乗りました。 動画 BGMあり。     13年前の今日 2009年5月27日に「阿智胡地亭のShot日乗」掲載

2022年05月27日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

5月13日、見るだけで乗ったことがなかった新神戸ロープウェイに乗りました。
神戸の街を違う角度から見る事が出来ました。新幹線の新神戸駅から歩いて10分ほどの所にあります。

キャラバンシューズを履いていけば、帰りは布引の滝を見ながら、新神戸駅まで歩いて下りることが出来ます。


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5月26日に目に留まったSNS・メディアの記事

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