阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

荒川の河川敷のポピーは真っ盛り

2024年06月02日 | 東京あちこち

花畑の花は季節に合わせ 種類が変わっていく。ポピーはそろそろ終わるようだ。

  写真 Y.N©

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咲き始めた❝あじさい❞を見に「ふれあい橋」から「江東新橋」まで旧中川河畔を歩いた。 その2/2

2024年06月01日 | 東京あちこち

2005ふれあい橋から江東新橋まで旧中川河畔を歩く

 

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咲き始めた❝あじさい❞を見に「ふれあい橋」から「江東新橋」まで旧中川河畔を歩いた。 その1/2

2024年05月30日 | 東京あちこち

2005ふれあい橋から江東新橋まで旧中川河畔を歩く

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西新宿野村ビルの高層階にある「響」で散歩会の昼食の集まりがあった。

2024年05月29日 | 東京あちこち

5月某日 久しぶりに新宿に出かけた。今月の散歩会のランチの集まりは西新宿野村ビル49階の「響」だった。

     49階という階の高さは200mだそうでエレベーターも高速仕様のものが使われている。

野村ビルに入る前 東京都庁が見えたが、都庁の建物は何度見ても現代の江戸城にしか私には見えない。

あの城の中には現代の背広を着た二本差しが江戸時代のように高禄を食んで、町人のためではなく自分たち現代のお侍さまの一生の安定安寧のために

都内で現代の越後屋と組んで、いろいろ○○知恵を働かせているような場所だと・・・(笑)。

 飲み放題が付いた予約のランチコースのメインディッシュはステーキの選択もあったが全員魚にしたのは ほぼ全員が幸期高齢者のせいかもしれない。

六人で二時間ほどあれこれお喋りを楽しんだが 家に帰ってから 今回もまた山田太一さんの言葉が頭に浮かんだ。

「時折、夕食をとりながらのんだり、しゃべったりする友人がいる。しかし結局話の大半は忘れてしまう。

会っているときのおおざっぱな残像以上になにを知っているかと考えると、呆れるほど心もとない。

ただもう残像のよさでまた会うようなものだ。」

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旧中川の定点観測地点でボラの子の群れが起こすさざ波を見た

2024年05月26日 | 東京あちこち

240523旧中川ボラの子の群れが起こすさざ波

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亀戸から都営バスで「向島百花園」を訪ねた    向島百花園シリーズ その5/完

2024年05月24日 | 東京あちこち

帰りは百花園から東武伊勢崎線の東向島駅まで800mほど歩いて電車に乗り、隣の曳舟駅で亀戸線に乗り換えて亀戸に戻った。

 訪ねた先は今は地名を「東向島」と変えたが以前の「玉の井」である。

この日に当然ながら戦前戦後の往時の空気は微塵も感じられなかった。

 Wikipediaから⇒玉の井(たまのい)は、戦前から1958年(昭和33年)の売春防止法施行まで、

旧東京市向島区寺島町(現在の東京都墨田区東向島五丁目、東向島六丁目、墨田三丁目)に存在した私娼街である。

永井荷風の小説『濹東綺譚』、滝田ゆうの漫画『寺島町奇譚』の舞台として知られる。

帰りは都営バスではなく百花園から800mほど歩いて東武鉄道の東向島駅から電車に乗って亀戸へ向かった。

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亀戸から都営バスで「向島百花園」を訪ねた    向島百花園シリーズ その4/全5回

2024年05月22日 | 東京あちこち

向島百花園は江戸時代から200年ほど維持されてきた歴史のある花園だと聞いていた。

以前から一度行ってみようねといいながら行きそびれていた一番身近な都立庭園で「都立文化財九庭園」の一つだ。

  1. 浜離宮恩賜庭園
  2. 旧芝離宮恩賜庭園
  3. 小石川後楽園
  4. 六義園
  5. 向島百花園
  6. 清澄庭園
  7. 旧古河庭園
  8. 旧岩崎邸庭園
  9. 殿ヶ谷戸庭園

 5月某日 亀戸駅北口のバスターミナル6番口で日暮里行きに乗り「百花園」で降りた。

240503向島百花園

 百花園のサイトから一部引用

「江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢。

交遊のあった江 戸の文人墨客の協力を得て、旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島の地に、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」を造り、開園しました。
 
開園当初は、360本のウメが主体で、当時有名だった亀戸の清香庵字臥竜梅の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです。

その後、ミヤギノハギ、筑 波のススキなど詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにしました。

「百花園」の名称は、一説で は、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものです。

百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった美しさをもっています。
 
民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に最後の所有者の小倉未亡人から東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で制限公開を開始しました。

なお、昭和53年10月に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けまし

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鯉のぼりがはためく亀戸の中央通り商店街を歩き 「松月」で柏餅を買い「松竹庵」で蕎麦を堪能した。

2024年05月19日 | 東京あちこち

向島百花園の帰途は東武電鉄の東向島駅(旧玉の井駅)から電車に乗り一つ先の「曳舟駅」で亀戸線に乗り換え 亀戸駅の一駅前の「亀戸水神駅」で下車した。

目指したのは亀戸中央通り商店街の「松月」で買う赤飯と「松竹庵」の蕎麦だった。残念ながら「松月」の人気アイテムの赤飯は売り切れだった。

2405亀戸の中央通り商店街と蕎麦屋[松竹庵」

蕎麦屋の女将さんは中国系の人だが 何の違和感もなく百花園に関する会話が続いた。

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亀戸から都営バスで「向島百花園」を訪ねた    向島百花園シリーズ その3/全5回

2024年05月18日 | 東京あちこち

向島百花園は江戸時代から200年ほど維持されてきた歴史のある花園だと聞いていた。

以前から一度行ってみようねといいながら行きそびれていた一番身近な都立庭園で「都立文化財九庭園」の一つだ。

  1. 浜離宮恩賜庭園
  2. 旧芝離宮恩賜庭園
  3. 小石川後楽園
  4. 六義園
  5. 向島百花園
  6. 清澄庭園
  7. 旧古河庭園
  8. 旧岩崎邸庭園
  9. 殿ヶ谷戸庭園

 5月某日 亀戸駅北口のバスターミナル6番口で日暮里行きに乗り「百花園」で降りた。

240503向島百花園

百花園のサイトから一部引用

「江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢。

交遊のあった江 戸の文人墨客の協力を得て、旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島の地に、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」を造り、開園しました。
 
開園当初は、360本のウメが主体で、当時有名だった亀戸の清香庵字臥竜梅の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです。

その後、ミヤギノハギ、筑 波のススキなど詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにしました。

「百花園」の名称は、一説で は、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものです。

百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった美しさをもっています。
 
民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に最後の所有者の小倉未亡人から東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で制限公開を開始しました。

なお、昭和53年10月に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けました。」

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亀戸から都営バスで「向島百花園」を訪ねた    向島百花園シリーズ その2/全5回

2024年05月14日 | 東京あちこち

百花園のサイトから一部引用

「江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢。

交遊のあった江 戸の文人墨客の協力を得て、旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島の地に、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」を造り、開園しました。
 
開園当初は、360本のウメが主体で、当時有名だった亀戸の清香庵字臥竜梅の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです。

その後、ミヤギノハギ、筑 波のススキなど詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにしました。

「百花園」の名称は、一説で は、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものです。

百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった美しさをもっています。
 
民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に最後の所有者の小倉未亡人から東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で制限公開を開始しました。

なお、昭和53年10月に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けました。」

向島百花園は江戸時代から200年ほど維持されてきた歴史のある花園だと聞いていた。

以前から一度行ってみようねといいながら行きそびれていた一番身近な都立庭園で「都立文化財九庭園」の一つだ。

  1. 浜離宮恩賜庭園
  2. 旧芝離宮恩賜庭園
  3. 小石川後楽園
  4. 六義園
  5. 向島百花園
  6. 清澄庭園
  7. 旧古河庭園
  8. 旧岩崎邸庭園
  9. 殿ヶ谷戸庭園

 5月某日 亀戸駅北口のバスターミナル6番口で日暮里行きに乗り「百花園」で降りた。

240503向島百花園

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江戸時代に出来た向島百花園は野趣に富んだいい庭園だ    その1/全5回

2024年05月13日 | 東京あちこち

向島百花園は江戸時代から200年ほど維持されてきた歴史のある花園だと聞いていた。

以前から一度行ってみようねといいながら行きそびれていた一番身近な都立庭園で「都立文化財九庭園」の一つだ。

  1. 浜離宮恩賜庭園
  2. 旧芝離宮恩賜庭園
  3. 小石川後楽園
  4. 六義園
  5. 向島百花園
  6. 清澄庭園
  7. 旧古河庭園
  8. 旧岩崎邸庭園
  9. 殿ヶ谷戸庭園

 5月某日 亀戸駅北口のバスターミナル6番口で日暮里行きに乗り「百花園」で降りた。

百花園のサイトから一部引用

「江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢。

交遊のあった江 戸の文人墨客の協力を得て、旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島の地に、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」を造り、開園しました。
 
開園当初は、360本のウメが主体で、当時有名だった亀戸の清香庵字臥竜梅の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです。

その後、ミヤギノハギ、筑 波のススキなど詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにしました。

「百花園」の名称は、一説で は、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものです。

百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった美しさをもっています。
 
民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に最後の所有者の小倉未亡人から東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で制限公開を開始しました。

なお、昭和53年10月に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けました。」

初めて訪ねたが 自然をたっぷり残した園の木々や花々にほれ込んだ。年に何回も訪ねることになりそうだ。

240503向島百花園

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秋葉原のココイチでカレーうどんを食べて神田佐久間町のカフェ「Egoland Cafe」で珈琲とアイスクリームを楽しんだ

2024年05月12日 | 東京あちこち

神戸や大阪で食べていた「カレーうどん」と同じ味を東京でも食べたくてネットで探していたら、なんと「カレーハウスCoCo壱番屋 」のカレーうどんが

なかなかいけるという口コミをネットで見つけた。そのサイトが掲載していたココイチは「JR秋葉原駅昭和通り口店」だったので某日行ってみた。

 店は場所柄もあり次々人が入って来ていた。

タブレットの画面で入力して注文するのだがメニューが多すぎて「カレーうどん」の画面になかなか辿り着けなく店員さんに助けを求めた。

 出たカレーうどんの画面だけでも大小やトッピングなど多彩で、157歳カップルには対応は困難だったが呼んだ店員さんが笑顔で代わりにやってくれた。

「カレーハウスCoCo壱番屋 」の店に老夫婦の客は珍しかったのかもしれない(;^ω^)。 

一口食べたら即 美味いと思った。関西の風味というか カレーうどんの出汁も麺のコシもほんまもんやった(笑い)。

 

カレーうどんを提供するには厨房機器をそれ用に増やす必要があるせいか ココイチのどの店でも食べられることはなく、

カレーうどんがその店のメニューにあるかないかは事前に調べてから行く必要があるようだ。

 二人とも大満足して帰りは総武線の高架に沿ってJR浅草橋駅まで歩くことにした。

 途中の公園そばで外国人夫婦も客にいたカフェ「Egoland Cafe (イーゴランドカフェ)」で一休みした。

ドリップの珈琲も旨かったが、添加物は一切ありませんというソフトクリームは優しい味でおいしかった。

座った場所から見える 佐久間公園の新緑と稲荷神社の朱色が美しかった。

帰ってネットで調べたらカフェの場所は神田佐久間町だった。そうか秋葉原は神田エリアの内なんだと改めて思った。

 調べたらJR東日本の秋葉原駅の住所は外神田一丁目[2]、東京メトロが神田佐久間町一丁目21番地だった。

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旧中川河畔にアシの若葉が美しい。昼の日中に野性のカモが2羽昼寝していた。

2024年05月11日 | 東京あちこち

2505旧中川河畔

 

 

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増上寺の境内で東京タワーを撮影したらオオタカが映り込んでいた!

2024年05月05日 | 東京あちこち

昨日 身内の一人が撮影した。

Wikipediaから一部引用

オオタカ(蒼鷹[1]、大鷹、Accipiter gentilis)は、タカ目タカ科に属する鳥類で中型の種である。

名前は大きさからではなく、羽の色が青みがかった灰色をした鷹を意味する「蒼鷹(アオタカ)」に由来する[1]

日本における鷹類の代表的な種である。古今、タカといえば、オオタカを指すことが多い。

雄の全長約50cm、雌の全長約60cm、翼開長約100-130cm。大きさとしては同じタカ科であるトビよりも一回り小さく、カラスと同程度であるが[2]、尾羽は長いのが特徴。

小さめの体は森の中で木々や茂みの間を飛行する際に有利であるほか、長い尾羽は空中でのブレーキや方向転換に役立つと考えられている[3]

幼鳥の体毛は褐色をしているが、成鳥になると頭から尾羽にかけた上面が灰色になる。

灰色の体毛は光の当たり方によっては青っぽくも見えるため「蒼鷹(あおたか)」と呼ばれるようになり、これが名前の由来となった[3]

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亀戸天神のフジ祭りは大変な人出で賑わっている。    その2

2024年04月29日 | 東京あちこち

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