阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

晴天の六甲台に上がりました。

2011年10月31日 | 神戸あちこち
 翌日、11人のうち希望者の5人が阪急六甲駅から、記念の催しがある六甲台に上がりました。
いい天気でした。45年前と同じように神戸の街並みが眼下に広がっていました。
 ただ前にはなかった人口島のポートアイランドと六甲アイランドが景観を変えています。
そして、阪神淡路大震災で亡くなった留学生を含む学生の慰霊碑がキャンパスに建立されていました。
記念式典の司会は卒業生の一人、NHK大阪の住田アナウンサーでした。
 また構内には俳人の山口誓子さんの記念館が出来ていました。
画像の真ん中をクリックしてスタートし、拡大アイコンをクリックして大画面でご覧ください。
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海辺を歩くネコの親子 Family cat walking on the seaside (HD)

2011年10月31日 | びっくり画像・映像
海辺を歩くネコの親子 Family cat walking on the seaside (HD)
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昼は今日もメン喰い シリーズ   「キムチ焼きそば」

2011年10月31日 | ある日のランチ
キムチたっぷりに青ネギとニラ入り。
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ほぼ日ストア 糸井重里さんインタビュー 大丸梅田店でイベント

2011年10月31日 | SNS・既存メディアからの引用記事
ほぼ日ストア 糸井重里さんインタビュー

11月1日(1101の日)からはじまるこのイベント、
開催場所は、大阪・大丸梅田店です。
「梅田店」と書いて「うめだみせ」と読みます。

場所
大阪・大丸梅田店
1階イベントスペース「アンテナプラス」で開催。

日時
2011年11月1日(火)~11月8日(火)

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神戸元町・トアロードホテルに宿泊した

2011年10月30日 | 神戸あちこち
11人の仲間が東京、下関、総社、加古川、宝塚から神戸に集まった。全員が元町の中華料理店でゆっくり料理を
楽しんだあと、

一人を除いて同じホテルに宿泊した。私は神戸でホテルに宿泊するのは初めてのことだった。





ホテルの部屋から朝の市街地を。

神戸在住の私ともう一人も泊まって、おそくまで一人の部屋で明け方まで積もる話を続けた。
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神戸市のマンホールのふた

2011年10月30日 | 神戸あちこち
トアロードのロードサイドにありました。
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ヤブランに実がついた

2011年10月30日 | 花・草・木・生き物
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昼は今日もメン喰い シリーズ   「そばめし」

2011年10月29日 | ある日のランチ
神戸市の長田区が発生の地と言う「ソバメシ」。ひさしぶりで美味い!

Wikipediaから引用:

「そばめし」は、焼きそばとご飯を鉄板で炒めたソース味の焼飯。神戸市長田区のB級グルメとして親しまれている。北海道深川市の深川そばめしとは別物である。

そばめし発祥の経緯としては、お好み焼き店で昼食を取っていた工員が、そば焼き(神戸の方言で焼きそばの意)を焼いていたのに目を付け、「弁当の(冷や)ご飯を、そばと一緒に炒めて」と頼んだ事で出来たメニューと言われている。

現在でも神戸のお好み焼き屋では、自宅の残りご飯を持っていき、そばと一緒にそばめしとして炒めてくれる店もある。

作り方の一例としては、まず、熱した鉄板上でソース味の焼そばを作り、そこにご飯を加えてさらに炒める(この際、同時にぼっかけ(煮込んだスジ肉)などを加えることもある)。全体をこてで細かく均等に刻むようにしながら炒め合わせて完成となる。

コメント (2)
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ランタナと瑠璃茉莉はますます元気

2011年10月28日 | 花・草・木・生き物



太陽の下の小さな花の接写、しかも薄色の花の撮影は苦労する。マニュアルにして絞りを思い切り
絞って、何とか色が白く飛ばずに撮れました。
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都電荒川線は開設100周年

2011年10月27日 | ゲストルーム
営業運転開始してから100年がたった都電荒川線は、専用レーンの軌道があり、殆ど道路を走らないのが生き残れた理由だそうです。
(都電荒川線は最初は王子電気軌道という私鉄として、奇しくも東京都電気局誕生と同じ年の明治44年-1911年8月20日に
飛鳥山上(今の飛鳥山)~大塚間の区間で運転を開始した。荒川線が東京市電に編入されたのは、1942年と遅かったが、
他の路線が廃止されたあとも存続し、唯一の都電としてめでたく開業100周年を迎えたのである。引用先はこちら))
 今もよく「荒川線」を利用されている田無在住のTMさんから、100周年のイベントパンフレットを送っていただきました。
親友ASさん*のシューベルト「冬の旅」全24曲の独唱会があった、日暮里駅近くの会場に置いてあったそうです。





このパンフを見ると、私が三ノ輪で乗った車両はなんと偶然にも、レトロ復刻版の9000型だったようです。ついていました。
 また以前は東京外大がこの路線にあったそうで、毎日 通学電車として大塚・西ヶ原間を“愛車”として利用していたという方からも、
「往時を思い出して懐かしく見ました」との便りをいただきました。
この写真は9000型の模型で、全部が段ボールで出来ているそうです。あまりに精巧な出来でTMさんも驚いたそうです。


*ASさんは45年前に、私が入社早々配属された工場で、担当の仕事を引き継いだ元勤務先の先輩ですが、
当時、愛媛県で入った混声合唱団のあとも、転勤先でも、また今は東京で生涯の楽しみとして合唱を続けて来られたそうです。
 当日は堂々とまた万感迫る歌唱で、会場のコンサートホールの150人ほどの方々は引き込まれた。
全てが素晴らしい成果だったそうですが、中でも「あふるる涙」がTMさんはぐっと来たそうです。
長くサラリーマンを続けた人が45年も一つの楽しみを続け、精進し、レベルを上げ、今また多くの人を楽しませる。
 変化出来る人は本当に尊敬します。
参考:ヒュッシュ(Br) あふるる涙(シューベルト「冬の旅」から)
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船橋の秋の夕暮

2011年10月26日 | 船橋社中

夕日と雲のハーモニー。まさに秋です。写真家栗田格さんの作品です。

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ニンジャ犬とモアイ猫     びっくり画像シリーズから

2011年10月25日 | びっくり画像・映像
踏まれないように場所を選んでいるのがさすが。
毎日窓の外の鳥を見ているうちに・・


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『戦争の子供(War child)』  ドイツと日本の戦争を生きたこどもたち  甲南大学シンポジウム

2011年10月24日 | 関西あちこち
甲南大学は創立60周年だそうです。前身は旧制甲南高校で、旧制高校の卒業生の中には精神科医であり文学者でもある中井久夫先生や、
現在の経団連の米倉会長などもおられます。
 中井先生は臨床医が長いのですが、一方でギリシャの詩人カヴァフィスの全詩集翻訳により読売文学賞受賞など多くの著作を世に出しておられます。
☆大学には阪急岡本駅から歩いて10数分ほどです。先輩、友人、知人に甲南大学の卒業生が多くいますが、キャンパスに入るのは私は初めてでした。





☆ドイツ総領事館のHPから引用:
「シンポジウム「戦争を生きた子どもたち -ドイツと日本の経験から-」
2011年10月23日 - 2010年10月23日 | 関西-兵庫県
「戦争の子ども時代 War Childhood」は、戦争が残す傷跡を理解するうえで、欠かすことのできない主題である。ドイツでは、とくに終戦60周年にあたる2005年以降、「戦争の子ども時代」がさかんに論じられ、多くの市民が、戦争を思い出し、語りはじめた。
このシンポジウムでは、その潮流の一翼を担ってこられたミヒャエル・エルマン氏をお招きし、日本の経験とつなぎ合わせる試みを行う。
基調講演に続き、甲南大学で行った戦争体験研究を紹介したうえで、NHKで数多くのドキュメンタリー作品を制作されたきた大森淳郎氏、東京大空襲の体験発掘を行っておられる田中禎昭氏が語ります。
現在の子どもの戦争被害を視野に入れるため、あわせて、写真展『イラク戦争と子どもたち』を開催する。子どもの戦争体験を考えることを通じ、世界の平和と安全の価値をあらためて確かめる機会となるでしょう。
シンポジスト
ミヒャエル・エルマン氏 (元ミュンヘン大学医学部教授、ドイツ精神分析協会)
大森淳郎氏 (NHK製作局 文化・福祉番組チーフ・ディレクター)
田中禎昭氏 (すみだ郷土文化資料館学芸員)
森 茂起氏 (甲南大学文学部長 教授)
日 時:10月23日(日) 13:00~17:00
場 所:甲南大学 511教室」
☆250名定員のシンポジュウムはフリー参加で定員250名でした。参加者の半数以上が私のような『戦争の子ども』たちで
占められていました。

休憩の時間に外を見ると、六甲山がすぐ近くに見えました。



〇ドイツでは戦後長く自国は加害者国だとの思いが国家に強く、戦争の被害者でもある当時の子どもたちが
受けた戦災、迫害などは表に出ることはなく、発言が抑圧されていた。しかし成人し、退職した人たちの
精神疾患の奥底に当時のPTSDの影響があることに気が付いた教授が2000年ごろに、『War child』と言う言葉を使うようになった。
そしてそのことがドイツ国内でもようやく知られるようになった。
 本当に辛い嫌な体験はそれが強ければ強いほど、人は黙って心の奥底に押し込めてしまう。誰にも伝えない。

東京大空襲、大阪大空襲、神戸大空襲、仙台大空襲、全国各地の大空襲の被害者も、日本兵の現地での現地人殺害の
体験者も同じように黙ってきた。それはドイツの一般国民も同じことだった。

〇しょっぱなの学長の挨拶には目を開かれた。

「私は野坂昭如の「火垂の墓」と同じ体験を神戸でしました。栄養失調で防空壕で死んだ節子と同じ世代です。
私は小説もアニメも何度も触れています。あのころ焼夷弾爆撃で無惨に亡くなった個としての各地の普通の日本人は、
その後、みんな「泣き寝入り」です。それは長崎、広島の被曝者も同じです。もう黙っていてはだめです。

3.11以降の日本でもそういう恐れがまた、見えてきました。泣き寝入りをしない、させない、そういう社会をつくりたい
です」

社会の中で、生活者と同じ目線で物を観て、同じ空気で息をしている教員が、この大学にはいるなあと思った。
そういえば中井先生も神戸大学医学部を退官後、甲南大学文学部に移られて学生を教えられた。

☆自分の日常と全く縁がない催しに時々足を運ぶと、脳にガツンと一撃をくらう。
世の中はそう簡単にはよくならないこともわかるし、世の中には優れものが仰山いてはることもわかる。

また自分より年上の爺さん婆さんが熱心に話を聞き、メモをとり4時間の長丁場を過ごす。
いやあ、日本は捨てたもんやないですわ。

帰りはちょっと遠いが歩けない距離ではないので、家まで歩いて帰りましたが、やはり喉が渇き、途中で
大曲りして、御影中町の韓流食堂「オッパ」の方向へルートを取りました。ジンロを飲んで一息ついて家に帰りました。
 



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ムムリクさん、グループ展に初登場  銀座「ぐんまちゃん家(ち)」

2011年10月23日 | ゲストルーム
関東圏にお住まいの方、どうぞお訪ねください。10月29日から11月4日まで。
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昼は今日もメン喰い シリーズ    五分煮込みの「辛ラーメン」と九州「マルタイラーメン」 

2011年10月22日 | ある日のランチ
〇具は冷蔵庫にあった蒸し鶏、竹輪、卵、青ネギを使った。五分間麺を煮込む間に
具が煮えすぎないようにタイミングを見て、別々に入れていく。最後は青ネギだが少し
入れるのが早すぎたようだ。「GABAN」のブラックペッパー荒挽をかけて出来上がり。
 

〇先日は、20年以上、もう一つの私の常備ラーメンである「即席マルタイラーメン」を作った。
2年前に仲間で呼子のイカを食べたり、九十九湾を船で周遊したりしたが、福岡県、佐賀県を車で
移動中、「マルタイラーメン」の工場がいくつかあるのに気が付いて嬉しかった。
贔屓にしている商品の会社を無意識に応援しているんだなあと我ながら可笑しかった。
[2009年5月肥前の旅]全10エントリー(動画もあり)はこちら

インスタントラーメン戦線は参加兵種が多いほど戦果が上がる。いつも「マルタイラーメン」を最後に〆てくれるのは
辣油兵とラーメン胡椒兵だ。
 
あらかじめ参戦全兵を一か所に集めて、一挙に作戦にとりかかるので勝利はいや調理は簡単だ。
 九州、特に北九州では家に「マルタイラーメン」を置いてない家はない・・と言われるほどのこのラーメン。
さらっとして癖のない味だが、時々無性に食べたくなる魅力がある。
コメント (2)
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