阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

両国のベトナムレストラン「ホイアン」で(揚げ春巻きビーフン と ブンボーフェー)を楽しむ

2022年01月31日 | 食べる飲む

 

私は「揚げ春巻きビーフン」をオーダー

 

「シャンツアイ」が載ってなかったので「パクチー(シャンツアイ)」が欲しいと頼んだら小皿で持って来てくれた。

それをつけ汁に追加した。日本人の客にはパクチーは言われれば出すようだ。

相方はブンボーフェ―(牛肉ふぇー)をオーダー

 

どちらの料理もスープの味付けの旨さに感激しながら二人とも無言でぐんぐん楽しんだ。

 この日は時分時を少し外れていたせいかベトナム人の客は二人で 日本人のOL風二人ずれの客が一組だった。

彼女たちが最後にオーダーした「焼き飯」もとてもおいしそうで次に来た時はあれも頼もうという事になった。

帰りは総武線に乗らず、店の前の京葉道路のバス停から都営バスで図書館の最寄りのバス停まで乗って、到着のメールが来ていた

予約本を図書館のカウンターで貰って帰った。

 

 

歩行数 4848歩 歩行距離 3.0km

 

 

 

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神田駅から小川町、神保町、美土代町あたり    その2/全3回         10年前の今日 2012年1月31日掲載

2022年01月31日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

ニコライ堂から小川町交叉点方面を。

御茶ノ水駅の向こうにもこちらにも大学病院が集積している。



御茶ノ水駅から下って靖国通りへ出て、神保町の古本屋街を歩く。



吉田茂元首相の長男で小説家の吉田健一が愛用した洋食店“ランチョン”は健在だ。


岩波書店が発行する出版物のラインナップが揃っている岩波ブックセンター。





東京に来ると必ず食べる「立喰い蕎麦」。今回は御茶ノ水橋口に近い「明神」で掻き揚げ蕎麦を食べた。「阪急そば」と比較しては
「阪急そば」に気の毒だが、「立喰い蕎麦」は競争の激しい東京の方が、質量ともにはるかに上だ。

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1月30日に目に留まったSNS・メディアの記事

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オミクロンもインフルエンザもまずは「自然治癒力」をつけなければ・・・

2022年01月30日 | ゲストルーム

引用元。

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墨田区・曳舟駅の目の前、居酒屋「七七」でクジラ料理を楽しむ。      6年前の今日 2016年1月30日掲載

2022年01月30日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

 両国の江戸東京博物館のダヴィンチ展を見た後、ずっとご一緒した森哲雄さんと両国から錦糸町へ、地下鉄半蔵門線に乗り変えて二駅、曳船駅で下車して駅の目の前の「七七」に入りました。

店内はそう広くありませんがゆったりした雰囲気の店でした。クジラを売りにしている店でおいしく楽しみました。


  サシミ


竜田揚げ

ベーコン


煮込み


イカ焼きなども。

この店は吉田類のテレビ番組「居酒屋放浪記」で知りました。

店名 七々
ジャンル 居酒屋
TEL・予約 03-3610-0882
住所 東京都墨田区東向島2-16-16 1F
交通手段 曳舟駅から72m
営業時間 17:00 ~ 00:00
夜10時以降入店可、日曜営業
定休日 第3水曜

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昭和20年代当時は家でカツを食べるなんていうことはありませんでした。

当然外食などという事は全くありませんから、おそらくカツと言うのは小学校の給食で鯨のカツを食べたのが初めてだったでしょう。

小学校3年生までの九州の若松市二島の島郷小学校ではまだ給食は脱脂粉乳のミルクとコッペパンくらいでしたから、

鯨のカツが出たのは尼崎市の塚口小学校か四日市の納屋小学校かのどちらかだと思います。

硬い硬い肉のカツに早くにかけれらたソースがへばりついている。それでもこんな旨い物があるのかと思って食べました。

最近は調査捕鯨の鯨の肉があまって、結構鯨肉がスーパーなどにも出回っているので、時々家でも作ってもらいますが、喜んで食べるのは私だけなのが寂しい。

また、居酒屋のメニューに鯨関係があればついオーダーしてしまいます。

後に東京勤務のおり、鯨肉の旨さの話をしたら関東の人は誰も乗ってきませんでした。あんな不味いものというのです。

あるとき漁業関係にいた人に聞いたら、古代から鯨をよく食べてきたのは西日本で、しかも鯨も和歌山の太地のように西日本各地でよく取れていた。

戦後、全国に鯨肉が流通するときも「鯨の美味しいところ」は西日本で販売し、東日本は肉にしてから日数が経つ上に、あまりいい肉はいかなかったと聞きました

それであんな不味いものと言う理由がわかりました。当時の貨車やトラック輸送ではそのハンデイもあったと思います。

いずれにせよ私にとってはこれからも憧れの一品であり続けます。

               2006年9月6日 「阿智胡地亭の非日乗」掲載

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小岩の韓国商品の店「ソウルマート」で購入した韓国内向け辛ラーメンが旨い 。    後刻調べたら         ラーメンではなく焼きそばだった。

2022年01月29日 | 食べる飲む

ハングルが分かる方に教えて欲しいが いろいろある辛ラーメンの中でもこの銘柄は日本国内では売られていないと思う。

 それにしても意外にマイルドなスープが非常においしい。

ゆで卵とハムを入れたがバランスのいい食べ方になった。

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1月29日 20:15 追記  その後 メーカーの韓国農心のHPで調べたら 本品はフライパンで炒めてつくる「焼きそば」の袋麺だった。

しかし調味料が違うが 麺そのものは辛ラーメンと同じのようで ラーメンとして作ってもまことに旨かった(笑)。 

 確かによく見るとパッケージの写真にはフライパンで炒めた完成品の写真が掲載されていた(笑)。

 

● 名 称  : 即席中華めん
● 商品名 : 炒め辛ラーメン、辛ラーメン炒め麺
● 原産国 : 韓国
● 内容量 : 131g 
● 原材料 : 
油揚げ麺(小麦粉、パーム油、卵殻カルシウム、精製塩、でん粉、酸度調節剤、アルギン酸プロピレングリコール、緑茶抽出物)
スープ(砂糖、植物 緑茶油脂、醤油、チリ風味粉、精製塩、牛肉粉末、スパイシー粉末、胡板、グルコース、にんにく粉末、椎茸粉末、推茸風味油、野菜類油、辛い風味油、5-リボヌクレオチドニナトリウム)、/加工でん粉、 グリシン、パプリカ色素、粉末カラメル、コハク酸ナトリウム、クエン酸、辛いかまぼこ、乾チンゲン菜、椎茸
原材料の一部に小麦・大豆・卵・乳・豚肉・牛肉・鶏肉・トマト・イカを含む 
● 賞味期限 : 別途表記 
● 保存方法 : 直射日光及び高温多湿を避け、涼しいところに保存してください。 
● 商品説明
35年ぶりに汁なし辛ラーメン登場!
ブルダック炒め麺よりは辛くないけど、辛ラーメンの特徴を活かしたピリ辛ラーメン!
激辛ではないのでみんなで楽しめます。( ´∀` ) 
● 作り方
1. お湯600ml程度を沸かし、麺とフレークを入れ2分間沸かせます。
2. 火をとめお湯4スープンほど残し粉末スープと調味油を入れて、よく混ぜて召上って下さい。

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諏訪湖、大部分解氷 御神渡り「厳しい」 八剱神社宮司も落胆 毎日新聞

2022年01月29日 | 諏訪便り

配信      解氷した湖面をみる宮坂清宮司=長野県諏訪市豊田の舟渡川河口付近で2022年1月28日午前7時7分、宮坂一則撮影

 

 

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土佐堀川にかかる人道橋ー[錦橋]から見た風景           14年前の今日 2008年1月29日掲載

2022年01月29日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

阪神電鉄の梅田駅から地下街を通って堂島アバンザにあるジュンク堂まで歩きました。店員に聞いて買いたかった本はすぐ見つかり、

そのまま四ツ橋筋を歩いて「錦橋」clickの上で一休みしながら黄昏時の周辺を撮影しました。

この辺りは会社勤めのころの自分史の中の古戦場の一つでもあり、今も月に一度はこの橋を渡ってぶらぶらします。

このフェスティバルホールの壁面レリーフも、今はもう立ち止まって眺める人も見当たりません。

土佐堀川の上流をデジカメの望遠で。左の建物は大阪市庁。

カメラを引くとこうなります。

今度は川の反対側です。右のビルは朝日新聞ビル。

レンズを上に向けるとトップの画像のように逆光のせいもあって、夕闇が迫るように見えました。
そのあといきつけの床屋でさっぱりしてもらってから、大阪駅に戻り、ガード下の串揚げ「松葉」で一杯やり、帰りは阪急電車に乗りました。

この日は行きは阪神電鉄、帰りは京阪神急行電鉄(阪急電車)と、別の電車路線に乗り神戸・大阪間を往復しましたが、

今や両社は経営統合したので将来的にはH2O電鉄の神戸山手線、神戸コースト線とかに名称変更があるかもしれません?

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1月28日に目に留まったSNS・メディアの記事

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都営バス操車所近くの旧中川の定点観測ポイントの水鳥たち

2022年01月28日 | 身辺あれこれ

サンワローランのパン工場に付随している小売りの店にパンを買いに行きがてら 定点ポイントに向い アオサギなどを撮影した。

歩行数 4805歩 歩行距離 2.9㎞

 

 

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ばら積運搬船(Bulk Carrier)“NORD LEADER”の進水式       15年前の今日 2007年1月28日掲載

2022年01月28日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

上は割れた瞬間のシャンパン。下は船首に取り付けられた支綱がカットされる寸前のシャンパンボトル。

割れた後の状態。


1月26日。神戸の川崎造船で、総トン数:約31,000トン、載貨重量:約55,000トン、全長:約189.9m、船級:日本海事協会の「ばら積み運搬船」が進水しました。

船主は日本の船会社ですが、デンマークの会社が傭船社らしく、駐日デンマーク大使夫人が支綱をカットしました。

進水式の見学はこれで4回目になりますがいつも心が躍ります。この日は晴天で穏やかな日和のなか、人間が作った大きな鉄鋼構造物が静かに滑り出し、

海に浮かぶのを見てあらためて感激しました。


特に今回は往時、ドックサイトの造船用クレーンを納入した会社の営業担当だった高橋弘泰さんも同行され、二人で長く苦しかった造船不況の時代を話したりして、お互い感無量でした。

今回は4度目の正直で、ナイフで支綱がカットされシャンパンが割れる瞬間を、撮影することが出来たのも嬉しいことでした。

見学にあたってまたまたお世話になった安田健二さん、有り難うございました。

注)ばら積運搬船とは穀物や石炭、鉄鉱石など、荷姿がばらばらで一定していない貨物を積む船のことを言います。

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1月27日に目に留まったSNS・メディアの記事

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子供たちが 節分の「👹オニ」作りを始めた

2022年01月27日 | 身辺あれこれ

8歳児と5歳児がものも言わずに工作を始めた。メインの胴はトイレットペーパーの芯らしい。顔の造りがそれぞれ違う。

毛糸のポンポンを髪に使ったのは母親のアイデアだそうだ。

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明石の“きむらや”の「玉子焼き(たこ焼き)」        10年前の今日 2012年1月27日に掲載

2022年01月27日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

10年ぶりに“きむらや”に寄って、たまご焼きを食べました。明石の玉子焼きは
大阪神戸というか世間で言うタコ焼きですが、汁につけて食べるのが違います。オーダーするときに
一枚ですかと言われたので、一人前のことと思ってハイと言いました。
 出てきたのは板一枚の上に乗った二人分と思われるものでした。びっくりしましたがおいしくて
ペロリと食べてしまいました。


綾部山の梅林と室津   2002年3月 作成。

 このところ、綾部山(兵庫県揖保郡御津町)の梅林のことを神戸新聞が盛んに紹介するので、かなり前に行った事がある同じ御津町の室津や
その先の赤穂御崎にももう一回行くことにして梅を見に出かけました。

43号線のセルフのスタンドで給油をした後、阪神高速でなくそのまま国道2号線を走りました。須磨を過ぎると、山と海の間の狭いゾーンに
JR山陽本線、私鉄の山陽電車、国道2号線の3本だけが隣り合って走っている個所があります。外には何も通る余地はなく狭いエリアにこれしかありません。
戦時、交戦相手国がここに爆弾を落とせば、一発で日本の東西の物流の大動脈をぶちきる効率のいい場所だとここを走るたびに思います。

暫く走ると明石ですが、明石ではいつもなら「魚ん棚(ウオンタナ)」に行き、昼網のトレトレの魚か鯨専門店で鯨肉を買って帰るのですが
今回は寄り道なので断念し、これも外したことはない駅前から浜側へおりた「きむらや」の<玉子焼>をテイクアウトで買い、車の中で食しました。
やはりウマイ。カカーナビも私も大満足で折りの中身を変わりばんこに食べました。

この他所でいう「タコ焼き」を漬け汁にひたして食べる<明石の玉子焼>は「明石浦の地タコの生きのよさ、つけ汁の珍味、卵白と黄身のミックスには
元祖としてきむらやの貫禄十分で名物としての舌覚味あり。」と包み紙に地元紙の昭和初期の記事が印刷されている惹句どうりで、これまで一回も裏切られたことがありません。
この店の大ダコの足のおでんも軟らかさと味の良さで他所では食べられませんが、今回は遅い朝飯で家を出てきたため、無念ながらパスしました。

明石からは県道718号とそれに続くR250を行きました。沿線にはダイセル、日本触媒、多木肥料、アースなどの工場があり、
仕事で昔行ったことがある会社も出てきました。この沿線は百年ほど前までは白砂青松の海岸だったのでしょうが、
今は工場と住宅、マンションと畑、たんぼが無秩序に連なり川端康成の「美しい日本である私」はどこやねんという感じです。

友人のN夫妻の在所の高砂/曽根を通る時にメーターを見たら丁度家から60kmで、新日鉄広畑の正門前が80kmでした。
結婚式でよく謡われる謡曲の「高砂や、尾上の松の・・・」は高砂あたりが舞台で、高砂市を通過する時に大きく「ブライダル都市高砂」と
看板が出ていたので、市も頑張ってるやんと思いましたが、今日びどれだけの人がわかるんやろうとも・・・。

昔の街道跡の道を、山陽電車のレールと平行して走ったり、古い商店街を注意して走ったりして国道250号を姫路、網干をすぎ
新舞子の綾部山の梅林に着きました。

一目2万本という宣伝文句をあまり信じてなかったのですが、行ってみて一山全て梅林というスケールの大きさとむせ返る梅の芳香に驚きました。
ここまで凄い梅林は始めてでした。

梅林は 幹の太い沢山の古木が良く手入れされていて、てっきり江戸時代からの梅林かと思ったら昭和43年に農林省の何かの補助金をうまく利用して、
土地の人たちが、梅の実を採集する組合をつくり梅の植林からスタートしたとのことでした。ゴルフ場で使われているカートのレールが斜面に張り巡らされ、
手入れの道具、肥料などの運搬に使われ、良く見ると給水パイプも全山に敷かれていました。

「桜切るバカ、梅切らぬバカ」といわれるとおり、よく手入れがされていて枝がバランスよく裁断され、また高さも低くトリミングされていて
斜面に立つと丁度目の高さに、白や紅やピンクが織り込まれた絨毯が見渡す限りひろがっていました。
知らなかったが、相方によると実がなるのは白い梅とのことで、なるほど 8:2くらいの割合で白梅が多かった。山の下から上まで梅の芳香に包まれて上っていくと、
黒崎の市街地や塩田あと、そして新舞子海岸のある瀬戸内海が視野に入ってきて春霞の中に雄大な眺めが広がりました。

充分堪能して、 ここで取れた梅で作られたウメ缶ジュースをサービスでもらい、おいしく飲み干し、室津に向かいました。

室津

室津へは10数年ほど前、神戸に戻って暫くして日帰りで行ったことがありますが、今回はガイドブックで見つけた「きむら」という旅館に一泊の予約をしました。
この旅館は竹久夢二や谷崎潤一郎が滞在し創作や執筆をしたと紹介されていましたが、いまは町中から出て高台へ移転しています。
宿の一角に夢二の絵が沢山掛けられていました。 竹久夢二はここからそう遠くない岡山県の邑久郡の出身です。
(このことは大阪時代、仕事で邑久のヤンマー造船所へ行った時に知りました)

室津は江戸時代、参勤交代の西国大名が参勤交代のため瀬戸内海を船で移動するときの船本陣があった自然の良港です。宿に車をおいて、部屋で一休みしました。
部屋からは、港と小さな湾を囲んだ平地にぎっしり立ち並んだ家々と漁船の群れが真下に見えました。

その後、宿のある高台から港までおりて町に入りました。町には昔の本陣と脇本陣だった建物が二つだけ保存され、博物館になっておりよく維持されていました。

江戸時代、北海道、秋田、酒田などと交易をした北回船の胴元達もこの地にいたり、本陣もいくつもあったりで、室津は近隣では飛びぬけて富裕な土地柄だったため、
姫路藩が飛び地として所有、支配していました。姫路の殿様や上級武士はここの金持ち連中から毎年盆正月に借金しては踏み倒し、その代償として苗字帯刀、
駕籠使用の許可などで、商人のご機嫌を取っていたような説明があり、笑いました。ロシア宮廷も清朝も江戸幕藩体制も末期になると人間のやることは皆同じで、
経済が商業資本に実質的に、押さえられています。脇本陣の家は革細工の煙草入れの製造元でもあり、当時から大阪船場に販売の店を持っていたそうです。

今に続く姫路の革産業は歴史があるんやなあと思ったことと、この豊野家の「豊」という字は姫路藩の筆頭家老である「豊田」氏から使用を許され、
名乗ったという説明で、そう言えば、知っているあの豊田さんも姫路西高の出身だったなあとフト頭に浮かびました。

江戸時代、参勤交代の西国大名の往来で栄えた頃、「室津千軒」と言われたという町中を歩くと今は全くの漁師町ですが、立派なお寺やソテツの群生がある
岬の丘に結構大きな「賀茂神社」があり、長年旦那衆がいたところだと実感します。

余談ながら加茂、鴨、賀茂と漢字は色々ですが、古代、海洋民族の「KAMO族」が南洋から日本に、次々と数多く漂着し各地の海辺に定住したり、
魚を追い、川を溯って山国へ移動して住みついたりしたため「賀茂川」や「賀茂」という地名は全国各地に数知れません。

また賀茂神社は京都の下賀茂、上賀茂神社のように日本の神社の中でも相当古い神社のようです。京都の下賀茂神社にお参りした時、
その建築物が、高床式で柱と屋根だけのマレーシア、サラワクやフィリピンの家と殆ど同じ形式なのに驚きました。とても寒い京都の気候から生まれた
構造物ではありません。また下賀茂神社に祭られている神様は当然「水」の神様です。やはり海から来た先祖を祀っているのでしょう。

 魚中心の夕食を旅館なので部屋に運んで来てくれ、ゆっくりおいしく食べました。食事の後、ロビーの夢二のコレクションを見て早めに休みました。
何となく外が騒がしいので目が覚め、時計を見ると明け方の5時半でした。窓を開けるとドッドドッドとエンジンを轟かせ漁船が次々と港を出て行くところでした。
真っ暗闇の中をマストに赤と緑のランプをつけ、前だけを照らして同じ間隔を取って出港していきます。小さな漁船が100艘ほども一列縦隊で出て行くのを始めて見ました。
思わず最後の一艘が出て行くまで見てしまいました。朝食の時にいいものを見たと宿の女性に言ったところ、彼女には毎朝の出来事らしく、なんでそんなものが
珍しいのかという顔をされてしまいました。

港で干物を買って、赤穂御崎を目指しました。カーブの多い海岸線に沿って走っていくと、建造中の大きな自動車専用船が何ばいか見えてきました。
いつか相生市に入っていました。船が建造されていたのはIHIの相生造船所でした。本館と思える建物やドックを過ぎると、中国から江戸時代?に移入された
「ペーロン船」の競争会場が現れ、赤と金を多用した中国風の記念館があって、テレビでしか見たことがない場所に突然紛れ込みました。車で移動すると
時々こういう思いがけない楽しみがあります。

赤穂御崎でゆっくり海を眺めたあと、山陽自動車道の赤穂ICで高速に乗り、帰りは2時間ほどで家に帰り着きました。走行距離計は242kmになっていました。

行ったとさ。

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