阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

久しぶりの富士山  10日と12日 冠雪の季節 

2019年11月13日 | 国内旅行

10日午後   西へ向かう新幹線の車窓から

12日 東へ向かう車窓から  暮れなずむ時間帯に


 

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今日の富士山

2019年11月10日 | 国内旅行

西に向かう新幹線の車窓からです。いま大井川の鉄橋を渡りました。

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一家で「吉備路れんげまつり」を見てきたそうだ。

2019年04月30日 | 国内旅行
岡山県総社市に帰郷しているNファミリーから「れんげまつり」に行ってきましたとメールが来ました。



 れんげは九州若松の二島で当時の島郷小学校(現花房小学校)に入学した阿智胡地亭にとっては懐かしい花です。
家から2kmほどある小学校までの途中の田圃には4月5月にはれんげが一面に咲いていたからです。
れんげを見ながら海辺の村と山の村と町からほぼ等距離にある人家から離れた小学校に毎日通学していました。
 昭和20年代前半の当時、台風が来ると小学生たちは傘をたたんで腋の下に抱えて、ずぶぬれになりながら学校に行きました。
傘が壊れるとモノが無くまたいつ買ってもらえるかわからないからでした。
 ネットから引用⇒「吉備路れんげまつりについて
総社市の花であるレンゲが咲く“吉備路れんげウィーク”の幕明けとして、「吉備路れんげまつり」が備中国分寺周辺で開催されます。
郷土芸能の披露やお茶席、物産品の販売などが行われるほか、備中国分寺五重塔の初層の特別公開があり、春のひとときを楽しめます。
 ※JR総社駅、総社市役所、山手小学校、総社東中学校から臨時バス運行」



倉敷の美観地区を歩いた時の写真が一枚おまけでついていました(笑)。

Shot by YN
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1月26日の関ケ原あたり。新幹線の車窓から

2019年02月01日 | 国内旅行
難所の米原あたりは降雪がなく列車は定時運行で品川駅に滑べり込みました。








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1月23日の富士山と瀬戸内海

2019年01月27日 | 国内旅行
2015年7月以来久しぶりに四国・新居浜へ行きました。
 富士山の全容は見えずに雲のベールをまとったご尊顔をわずかに拝しました。

















児島駅を出ると列車は瀬戸大橋を走って四国へ向かいます。










デジタルカメラの予備バッテリーも持参し道中の記録を沢山残すつもりでしたがこの日は珍しく体調がよくなく、無事新居浜に
たどり着き、目的の夜の集まりに欠席せず参加できるように、じっと座席で大人しくしていました。というかカメラを取り出すのも
おっくうでした。


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2007年11月29日、奈良の山野辺の道を歩いた。 その3/全3   メモワールシリーズから

2018年09月12日 | 国内旅行





























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2007年11月29日、奈良の山野辺の道を歩いた。 その2/全3   メモワールシリーズから

2018年09月10日 | 国内旅行
この日は好天に恵まれぶるぶら歩きにはとてもありがたい日だった。

























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2007年11月29日、奈良の山野辺の道を歩いた。 その1/全3   メモワールシリーズから

2018年09月08日 | 国内旅行
関東と関西に住む旧職場のOBが10数人奈良に集合して山野辺の道を歩いた。



































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ほぼ一年ぶりの大三島の“大漁”で魚を楽しみました。

2013年04月03日 | 国内旅行

「偲ぶ会」の前日、新神会をやりました。今や年に一度だけになった雀卓を囲んだ後、夕方4時ごろ新居浜を出て今治へ向かいました。
酒を飲まないIさんにはいつも運転をしてもらって有難い限りです。



今回は大山祇神社は門前で頭を下げました。

例のごとくIさんが予約してくれているので、6時前に既に満員の店の中を通り、我々4人は小上がりへ上がりました。もう料理がいくつか並んで我々を待っていました。


 
神戸のはネギ入り玉子焼きが好きだからといつもIさんが頼んでくれます。このデカサのが二つ来ました。一つは私が持ち帰りホテルの冷蔵庫に収納。翌日の朝飯になりました。


 



 
近ければ間違いなく週に一回は来たくなり、來るだろう“大漁”。今回もおいしく頂きました。お店のお二人に感謝です。

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新居浜の口屋(くちや)跡を訪ねました。 美起姐を偲ぶ会が始まる前に。

2013年04月02日 | 国内旅行
昭和30年代から平成になるまで新居浜市で居酒屋「美起」をやって、多くの寮生の母親役?をされていた方が一月に92歳で亡くなりました。
在新の世話役さんたちが「偲ぶ会」を企画され、声をかけて頂いたので出席しました。開始時間の前に時間があったので、大阪や東京で同じオフィスに勤め、定年後は新居浜在住のA・Fさんと市内を歩き、『口屋』と言う歴史遺産の跡を教えてもらいました。このスポットのことは全く知りませんでした。今は一年に一度だけの対戦なるも、30年来の麻雀好敵手であるFさん、ありがとうございました。
 ホテルの9階から見た新居浜市街地の一画。



新居浜市のHPから引用。 
 口屋の由来
 豊かな漁業の浦であった新居浜は、元禄4年(1691)別子銅山の開坑を契機に漁村から工業の町へと発展した。そして、生産量日本一を誇る別子銅山の粗銅(あらがね)を大阪へ送ったり、一万有余の銅山で働く人やその家族の食料や資材を搬入するために、元禄15年(1702)、銅山越を経て立川路が開かれ、「仲持っつあん」と呼ばれた人達や牛車によって、旧別子⇔立川中宿⇔角野⇔泉川⇔金子⇔登道⇔口屋(浜宿)へと運ばれるようになった。爾来、口屋(浜宿)は、大阪へ往復する船と仲持や牛車の発着事務を扱い、明治22年(1869)に惣開に移転されるまでの188年間、別子銅山の重要拠点ととして大きな役割を果たした。  その後、小学校、町役場、市役所、市立図書館へと変遷し、昭和45年(1970)、口屋跡を記念して市立の公民館が建てられ、三百有余年の樹齢を保つ老松(くちやあかがねの松)と共に、新居浜市の政治・経済・文化の礎が今も生き続けている。

※口屋(浜宿)とは・・・別子銅山で使用する物資や食料などをチェックする事務所としてつくられた。

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錦市場は外せない     シリーズ 「2010年11月京都」 完/全11回

2010年11月20日 | 国内旅行
京都に行くとまず例外なく錦市場に足を向けますが、その前に三条大橋の袂にあるスターバックスの店の横にある「船はしや」に寄って(実際はスターバックスのほうがはるかに新参者ですが)

(固焼きあられ)の“鬼”と“大鬼”を買います。

東京に出て銀座方面を歩くときは「銀座あけぼの」で(固焼きおかき)の“げんこつ”を必ず買います。
 名前は違えど両者の製法は同じではないかと思いますが、「船はしや」(主製品は五色豆)の“鬼”の固旨さは好き嫌いはあるとは思いますが、私は“げんこつ”を越えているような気がします。横綱と大関の差くらいなので両方大好きですが・・
「あけぼの」は大丸梅田店や大丸芦屋店でも買えますが、「船はしや」は京都のこの一軒しか店舗がなく、百貨店にも出していないので、店に行かない限り取り寄せになります。この日もつい思った以上に買ってしまいました。京都に来て永観堂の入場料を惜しんで、(堅焼きあられ)に費消するとは我ながらなんだかなあと思いつつ。
○げんこつ と ○鬼  (いずれも店のHPから借用)
 
錦市場では必ず鱧の照り焼きを買って帰りますが、全店の商品を見てまわっているうちに、荷物係りのバッグはいつのまにかほかの買い物でいつも重くなっていきます。











外国語のガイドブックに錦市場が掲載されたのか、欧米の観光客がどの店の前でもシャッターを切っていてしかも練り物の買い物などしていました。確かに日本食フアンには興味深いスポットだと思います。











市場から少し外れた路地に漬物の店「大藤」があります。この店の製品は添加物が入れられていないので賞味期限が短く、買って帰ると一、二日で食べてしまいます。ここでの買い物も毎回外したことはありません。


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鴨川の朝と木屋町の高瀬川

2010年11月19日 | 国内旅行
 陽が上ると鴨川には大小のたくさんの鳥が餌を捕っていました。





40年間営業していたこのホテルも来年には閉館するそうです。

鴨川の河原を二条大橋から御池大橋の下をくぐって三条大橋まで歩きました。

木屋町の高瀬川には高瀬舟のレプリカが浮かんでいました。





島津製作所の創業記念資料館がホテルのすぐ近くにありました。



部屋で聴く鴨川のせせらぎの音はなんとも心地のいいものでした。



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若王子ー永観堂ー無鄰菴ー蹴上

2010年11月18日 | 国内旅行
哲学の道を若王子神社まで歩き、そこからまたしばらく歩いて永観堂へ行きました。
永観堂は入場料千円にいささか怖れをなして、外から紅葉を楽しみました。

白壁に沿った道路際のどうだんツツジも見事でした。

山縣有朋の京都の別荘「無鄰菴」までは少し距離がありました。
辿り着いた無鄰菴は有名な庭師が造営しただけに、見事な庭園でした。田舎侍が天子様のおひざ元の一等地に
このような別荘を所有する・・やはり明治維新は下剋上の一つのカタチだと思いました。
無鄰菴に辿り着くまでに若い韓国人女性の二人連れに京都会館への道を聞かれました。
彼女たちが手にしていたのはハングルで書かれた立派な京都のガイドブックでした。わずかな数分のChatでしたが,
こうして若い韓国人が普通に京都観光を楽しんでいるんだなあと時代を感じました。







無鄰菴を出て蹴上まで歩き、錦市場へ行くため地下鉄で三条大橋に向かいました。
蹴上ではインクラインなど産業遺跡を見ることができますが、第2期発電所の建物もあります。
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哲学の道ー法然院ー安楽寺   薄曇りの空の下

2010年11月17日 | 国内旅行
白沙村荘を出て銀閣寺の参道方面に歩き、関雪桜の並木がある「哲学の道」に入りました。
かなり前になりますが、桜の季節に歩いた時は大変な人出でしたが、今回は本来の生活道路の姿でした。





法然院は檀家の方の法事が開かれていて、ケータリングのバンが駐車していました。
若い外国人が何組か熱心に境内を見て回っていました。







安楽寺はまもなく公開されるようで日程が掲示されていました。画像は門の柵の外から撮影。

途中で時分時になったので「越後」で鴨なんばを食べました。鴨肉が十片ほども入っていて旨い。
もう20年以上、地元相手に営業している店だけに間違いない味でした。



「越後」に行く途中のしもた屋の夏みかんの木に鈴なりに実がついていました。

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白沙村荘  橋本関雪の旧宅

2010年11月16日 | 国内旅行
京都銀閣寺の近くに「白沙村荘」があります。橋本関雪の旧宅で今は記念館になっています。関雪は神戸市生まれの日本画家で東の大観、西の関雪と並び称された画家です。銀閣寺は修学旅行生でにぎわっていたようですが、それを横目に中に入りました。庭が荒れるのを嫌って意図的に入園料を800円にしたとかで確かに中は人影もまばらでした。それにしても61歳の死は惜しい画家だと思います。記念館には作品もあり細部も全容も素晴らしいものでした。












 
 







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