阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

神戸・旧居留地の秋

2016年11月30日 | 神戸あちこち
神戸学校の講演が始まるまでしばらく時間があったので旧居留地の秋の雰囲気を楽しみました。











 楽屋ネタ。

 

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自然は残酷でもある。 2頭のヘラジカはこうして戦いをおえた。

2016年11月30日 | びっくり画像・映像
ある日、アメリカ北端のアラスカ州ウナラクリートという小さな町に遊びに来た友達を案内していたBrad Websterさんは、なんともすごい光景を目にします。
戦いの途中、そのまま川の中で凍ってしまっている2頭のヘラジカでした。

社会と科学の教師であるWebsterさんは、「氷の上を歩く」という友達にとって初めての体験をしてほしかったそうです。まさかそれがもっとすごい体験になるとは...ですね。
 凍っているヘラジカを見つけた2人は、この地域の危険をまさに肌で感じることとなりました。Websterさんのもう1人の友達がヘラジカの写真をFacebookに投稿し、それが話題となり拡散されていきました。「僕たち2人とも畏敬の念さえ抱きました。他の動物が凍ったとは聞いたことはありましたが、こんなのは見たことないです」とThe Washington PostにWebsterさんは語っています。

The Washington Postがアラスカ大学の生物学・野生生物学部のKris Hundertmark学長にコンタクトを取ると、ヘラジカの角は複雑な形をしているため、戦いの最中に角が引っかかったまま死んでしまうことはよくあることだ、との説明を受けたとのことです。
 「かわいそうですが、おそらく戦っている最中にお互いの角が引っかかったまま川に落ちてしまって、そのまま溺れてしまったようですね。でも、森の中で戦って角が引っかかったまま餓死するより、よっぽど苦ではない死に方だったとは思いますよ」引用元
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TOKYO CULTURE STORY|今夜はブギー・バック(smooth rap) in 40 YEARS OF TOKYO FASHION & MUSIC

2016年11月30日 | びっくり画像・映像

|presented by BEAMS|この動画は公開されるやいなや、SNSを中心に話題となり、既に再生回数は700万回を超えている。制作をしたのは「TOKYO CULTURE STORY」だ。TOKYO CULTURE STORYは、1976年から2016年までの東京カルチャーをアーカイブするプロジェクトである。プロジェクトを発起したのは創業40周年を迎えたBEAMSで、編集協力はマガジンハウスだ。この動画は名曲「今夜はブギー・バック」を背景に、1976年から2016年まで、東京の40年間のファッションと音楽の軌跡を圧縮して納めたものだ。

引用元

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片山みやび新作展@大阪は12月5日までです。

2016年11月29日 | 音楽・絵画・映画・文芸
会場は大阪駅前第4ビルです。
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神戸元町のChina Modern「良友」で焼きビーフンランチを楽しんだ。

2016年11月29日 | 食べる飲む
神戸朝日文化ホールの「神戸学校」の講演は13時半からだったので、その前に「良友」に行きました。
バスの終点の三宮神社からセンター街の方へ上がりました。1868年2月4日に、この三宮神社の前で「神戸事件☆」が起きました。

 親しくして頂いているO先輩から、先日このようなメールを頂いていました。
⇒「ランチセットで(焼きビーフンとお粥)が930円美味しかったですよ。
China Modern Liang You 良友 (チャイナモダン リャンヨウ 良友)
店の入口に、陳舜臣の色紙が飾られており、店の名前「良友」に因んで、”有朋自遠方来 不亦楽乎”と、色紙に書かれていました。
確か、阿智胡地亭さんはビーフンが好きだと記憶しています。チャンスがあれば、行ってみてはいかがですか」
本当においしい焼きビーフンでした。台湾で食べた焼きビーフンの野性味はありませんが、具の材料もよく吟味され、おそらくビーフンは特製で
いい味が出ていました。お粥のトッピングにはシャンツアイもあって本場のお粥も楽しむことが出来ました。

また時々寄ることになりそうです。


ちょっと手をつけてからの撮影になりました。

☆神戸事件(こうべじけん)は、慶応4年1月11日(1868年2月4日)に神戸(現・神戸市)三宮神社前において備前藩(現・岡山県)兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させ、銃撃戦に発展し、居留地(現・旧居留地)予定地を検分中の欧米諸国公使らに水平射撃を加えた事件である。備前事件とも呼ばれる。明治政府初の外交問題となった。
この事件により、一時、外国軍が神戸中心部を占拠するに至るなどの動きにまで発展したが、その際に問題を起こした隊の責任者であった滝善三郎が切腹する事で一応の解決を見た。
相前後して堺事件が発生し、共に外国人に切腹を深く印象付けることとなった。
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神戸市灘区・ピッツアの店「イルヴェント」さんがテレビ番組「となりの国宝さん」に登場。

2016年11月29日 | 食べる飲む
開店間もなくから20年ほど家族で通っている「イル・ヴェント」さんがテレビに登場しました。
 いつもながらのオーナーと奥さんの良きコンビネーション?掛け合い?が披露されていました。




2016年11月10日(木) 9:50~11:15 関西テレビ となりの人間国宝さん (バラエティ/情報)
となりの人間国宝さんは兵庫・御影駅周辺をぶらり。ラガーマンからピザ屋に転身した男の野望。

イタリアに渡ったご主人が美味しいピザを作りたいという他にイタリアで抱いたある野望とは?無償で修行を2年したのがスゴイ。イタリアに弾丸で何度も修行に行った。行く度にジローラモに近づくように整形するとリンゴ。イタリアに住んでアメリカ大統領になると円。フィアット買って赤のジャケットを買ってふじこちゃーんと言いたいと兵動。答えは…親子でピザ屋をしたい。息子さんは21歳で大学4回生で就職も決まったと。何回か一緒に働いた事があってそれがすごく楽しかったと。

息子さんを呼んでいただく。将来的には何かしたいというのは奥底にはあると息子さん。自分の家のことを褒めるのは嫌だけどイタリア全般の味に近づいてきていると答えた。これからの夢・目標を父親にたずねる八光。続けることだと。この場所でこの規模で。自分の味をドンドン追及して続けていきたいと。となりの人間国宝に認定。イタリアのように親子で店に立ちたい。という夢は膨らむばかり。今まで挫折知らず?気がついてないだけだと奥さん。ありがたいお言葉…ピザは一流を目指します。
イル ヴェント。大きな看板と、世界一小さいと豪語する薪窯のピザ屋さん。一番人気はその窯で焼くマルゲリータ。店主は高校のころからラグビーを社会人まで続け、引退と同時に自分で何かをしたいと思いピザ屋を始めたという。ルパン三世が好きで、劇中で乗っているフィアットがきっかけでイタリアが好きになった。ピザという看板だけを出しているお店に影響を受け、2回目行った時に修行をさせて欲しいと頼んだ。給料は出せないと言われ、当時結婚して子供いた為2年間給料無しで、早朝から市場でアルバイトをしながら生活した。2年ほど修行した頃店主に「修行が長くても修行が上手くなるだけ、やってみろ」と言われ、店を出した。その後も本場の製法を学びに何度もイタリアへ。
息子さんも父親に対する憧れが見受けれた。親子でピザ屋をやっているイタリア人を見イタリア人になりたいのだと円。ライフスタイルがイタリアになりたいのだと矢野。奥さんは心配だと。せっかく就職が決まったのにと。奥さんは苦労されたのだろう。それを息子と息子の嫁に味あわせたくないのだろうとリンゴ。無償で2年間働いて終わって少し寝て市場でずっと働いてそのお金を家族に入れている。睡眠を削って働いていたと八光が擁護。それは当たり前だとリンゴ。1つの店をやるとなると家族の団結が見られて素敵な家族だと円。たまに息子が手伝ってくれるのが嬉しくて仕方がない父親。時給5~6000円出せばいいと円。一緒に働きたいというご主人が素敵とリンゴ。

「イル・ヴェント」の料理など。2011年作成のアルバム。現在のメニューとは異なります。
 

 
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神戸学校 11月 カカオマイスターの吉野慶一さん。 いいなぁこんな日本人がいるのは!!

2016年11月28日 | 神戸あちこち
神戸朝日ビルの「朝日文化ホール」で11月の神戸学校「吉野慶一さんの講演」を楽しみました。

モルガンスタンレイをある日すっぱりやめて、起業した栃木県人の話は抜群に面白かった。失敗しても成功するまでやるから
私には失敗はありません、とはいい根性をしている。



 朝日ビルとその周辺は秋の気配に包まれていました。







神戸学校は「フェリシモ」さんが主催しています。この学校は神戸大震災のあとから始まりました。
 ビルのピロティには「フェリシモ」さんの企画展示がありました。










★★★神戸学校 11月開催のお知らせ★★★
 食欲の秋、いかがお過ごしでしょうか。
みなさまは、「ビーントゥバー」という言葉をお聞きになったことはありますか?
カカオの買い付けから焙煎、製造までをショコラティエが一貫して行うというもので、
美味しいと話題になっています。
11月の神戸学校は、インドネシア・スラウェシ島で栽培されたカカオを100%使用し
た、香り高く美味なチョコレートを作るカカオマイスターで、ショコラティエでもある
吉野慶一さんがゲストです。

「Dari K(ダリケー)」という吉野さんのお店は、2015年世界的なチョコレー
トの祭典「サロン・デュ・ショコラ」で受賞を果たすほどの実力派のチョコレート店で
す。しかし、吉野さんは以前は金融アナリストとして1日に数百億の資金を運用するとい
う今とはまったく違うお仕事をされていました。30歳を目前に「自分で何かをしたい」
と退職、バックパックの旅をする中でこんなことを考えておられました。

「一部の富める人たちではなく、どれだけ多くの人たちを笑顔にできるか? 
多くの人々がしあわせな社会にするために、自分に何ができるのだろうか……。」

そんなとき、ふと立ち寄られた韓国のチョコレート店でインドネシアが世界屈指のカカオ
の生産地であることを示す1枚の地図を見られます。カカオといえば、ガーナなどのア
フリカ諸国だと思っておられた吉野さんは、なぜインドネシアのカカオが日本に輸入され
ていないのか不思議に感じます。そして、その背景にある貧しい国の農家のカカオ生産者
が知識不足のために品質の低いものしか生産できない現状、それらが先進国の企業によっ
て安く買い叩かれ、貧しいまま、チョコレートの味すら知らず生産を続けている悪循環に
気づかれたのです。

「資本主義のゆがみには資本主義で対抗するしかない!」

吉野さんは、早速、インドネシア政府に働きかけ、農家に飛び込み、品質のよいカカオづ
くりに農家の人々とともに取り組みます。そして、2011年、チョコレート店創業。
ていねいに焙煎されたインドネシア産カカオから作る吉野さんのお店のチョコレートは、
類まれなる美味なチョコレートとして、少しずつ話題となり、百貨店や、ホテルのシェフ
からも声がかけられるようになります。

今、自信を持ってカカオづくりに取り組む生産者たちと対等な取引が実現し、そのチョコ
レートを食べた日本の人たちもしあわせになっています。
神戸学校では「カカオを通じて世界を変える」そう決意した吉野さんに、ダリケーのチョ
コレート誕生のドラマ、吉野さんの志が向かう未来について語っていただきます。」

 楽屋ネタ。2014年12月1日  1歳2か月。いつも一緒だった老犬ムーと。
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今日の俳句 「木枯らしや」

2016年11月28日 | 俳句、川柳
木枯らしや 朝吠え止まぬ 犬にくし      辛好
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別子ラインの紅葉&マイントピア別子&住友別子銅山発祥の地を訪ねて         シリーズその3完

2016年11月27日 | 新居浜便り
伊予の国、新居浜市の住人I谷さんからの第3報です。
⇒「東平(とうなる)」は東洋のマチュピチュとしてマイントピアから定期バスがあり海外からの見学者も増えている







娯楽場があった基礎石垣。 東京から歌舞伎が来たり映画、演劇などで楽しんだと言う。



山の上の接待館の跡地。 都会からの顧客、エライさんの接待が行われた。



トロッコで坑内に向かう作業員の写真。 作業環境も厳しいため体力疲労も早いので交代しながらの作業。
無事に帰れるよう入坑の際には神社方向に一礼して無事の帰還を祈った。



大三島から分霊された大山積神社。 元旦には「大鉑」をかついで本殿に奉納祈願する。



右下に小さく案内板が見えるが「別子記念館」で、地上でなく地下に作った。 当時の採掘道具をはじめとてもビックリ
するような道具があり是非とも見学をおすすめしたい。

明治26年ドイツのクラウス社から購入した鉱山専用鉄道用蒸気機関車

昭和25年に鉱石輸送増強のため部品を日立製作から購入し自社で組立てた電気機関車

最後に禅宗の寺「瑞應寺」に行った。





見学者もほどほどにありますが相変わらず凛とした場所でもあり皆さん静かに雰囲気を楽しんでいる。

樹齢800年の大銀杏樹はまだ青く黄色の絨毯を敷き詰めた光景には早かったようです。





修行僧が軽く会釈されて足早に通り過ぎていきました。 やっぱり凛とした場所では日頃の雑念が洗われる感じがしますね。

宿坊が見えるお堀に少しだけ紅葉が見える。





☆I谷さん、ありがとう。多くの先人の職場、生活の場がこうして産業遺跡として保存維持されていることあらためて感謝です。
愚者はおのれの体験に学び、賢者は歴史に学ぶと言いますが、この場に立てば多くのことを学べそうですね。
 12月の麻雀例会に新神会会員として参加したいなぁ・・とおもふておりますが、はてさて・・・。


阿智胡地亭の瑞應寺訪問アルバム  その1  その2  その3。

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豪雨の後、決死の覚悟で「シャケ」たちが道路を横断する衝撃動画!

2016年11月27日 | びっくり画像・映像
豪雨の後にできた、川にも満たない道路の水たまり。
そこをシャケたちが、命をかけて駆け抜ける!
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最近の昼食もパンあり、麺あり、米飯あり。

2016年11月27日 | ある日のランチ
👆我が家のシャケ定食。👇舞茸とネギたっぷり入り焼うどん

ザワークラウト入りパストラミビーフ・サンドイッチ

ニラともやしたっぷり焼きビーフン

 楽屋ネタ。遅刻しちゃうよ!!リュックの中にはおにぎり二個の弁当が。


2016.11.20 〜 2016.11.26
閲覧記事数: 24561 PV、訪問者数:2265 IP、ランキング:1945 位  / 2634503ブログ
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別子ラインの紅葉&マイントピア別子&住友別子銅山発祥の地を訪ねて         シリーズその2

2016年11月26日 | 新居浜便り
愛媛県新居浜市の住人I谷さんからの第2報です。
⇒マイントピア別子4階はリニューアルされた各種温泉やサウナ、露天風呂があり市民の憩いの場
として利用されている。

岩盤浴、岩塩浴、つぼ湯、ねころび湯など温泉好きな人は1日中楽しんでいるようです。





4階の天空温泉のすぐ横には広いキッズコーナーがあり家族連れも安心して遊ばせると人気。







屋外にはバーベキューコーナーがあり最近ではジビエ肉が人気あるようです

懐かしいミゼットですが四阪島では小回りがきくので消防車として活躍したそうです

「大鉑=おおばこ」と呼ばれ約300㎏ある。 前年採掘された鉱石の中で最も高品質を選び縄で飾り付けしたもの。
新年の炉に入れて溶解する慣わしがあった。

元禄4年(1691年)銅山開業時に護り神として大三島「大山祇󠄀神社」の御分霊を賜り麓の大山積神社
に元旦に工夫達が江戸木やり節が起源とされる「大鉑の歌」を道中歌って奉納したと言われる。
閉山で一時途絶えたが1990年に開坑300年を機に復活して現在もその伝統を継承している。

 先月、TBSのTV「プレバト」の辛口毒舌でも人気のある俳人、エッセイストの「夏井いつき」さんの
句会ライブがマイントピアで開催され大好評でした。





初代、住友政友が起業して約400年後の現在、住友グループ全体の売上高は約60兆円に達し日本のGDPの約10%の規模となっている。
初代、住友は商人の心得を説いた家訓を多く残しているが中でも下記がグループの住友事業精神の基礎となっている。

【浮利に走らず=単なる金もうけに走ることなく人間を磨き立派な人格を心掛けよ】 
【確実、慎重、正直を旨とすること】
【国益を先にし、私利を後にする】

住友財閥では「君臨すれど統治せず」を家法とし創業家一族は経営の実権をにぎらず総理事に任せているところが
他の企業との違いと言われる。

今年正月にTBS系で放送された『別子銅山、百年の計、我にあり』では広瀬初代総理事や伊庭二代目総理事
が煙害問題、自然災害に苦しみながらも約5000人の社員や住民の幸せを考え、計り知れない苦悩とともについには
四阪島移転を決断し、住友精神を決して失わなかった内容でした。
しかも当時ガスで荒れた山は植林ですでにほぼ回復しているが今現在も続けられている。

参考)
①別子銅山は1691年、江戸幕府より正式許可を得て銅山採掘にも進出し住友の事業の根幹を支えてきました。

②【国益を先にして私利は後にする】ことを実践したエピソードとは1980年代に和歌山にあった製鉄所の公害解決の
  ため茨城/鹿島に移転を決断したことです。社員、家族あわせて1万人をこえる前代未聞の集団移転でした。

  90年代の鉄鋼不況のさなか世界中の鉄鋼メーカーが二の足をふむなか1000億を投資した。
 2000年代に中国の経済復興がはじまると新型溶鉱炉は威力を発揮し国益を先にした投資は住友金属に莫大な
 利をもたらしたのである。

 当時の社長は鈴木総理事の言葉を引用し
 「住友は国益を先にし利を後に考える。たとえ、住金が倒産してもこの日本に溶鉱炉が残ればいいじゃないか、と宣言した」
 ことを指す。
採掘く最前線の「東平=とうなる」は海抜1300mにあり約3500人が家族とともに居住していた。
保育所、小学、中学校、病院、郵便局、神社、寺、販売所(コープの前身)、娯楽所、接待館など完備し
従業員に不便をかけない配慮をした一つの大きな町でもあった。
当時の学校



職員室でくつろぐ先生

現在の生協(コープ)の前身としての販売所






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最近の酒肴は焼き鳥やシュウマイなども

2016年11月26日 | ある日の肴/夕食

豚の角煮サラダ

鹿児島県日置市の小正醸造の芋焼酎

揚げ出し豆腐とアジ

デカい焼鳥

唐揚げ

ケンタッキー・フライド・チキン

 いわゆる「中食(買ってきた惣菜類)」や冷凍品・冷蔵品、など食の最新環境をフルに活用している。
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神戸で一軒だけ知っているドジョウ鍋(柳川鍋)を出す店「吾作」

2016年11月25日 | 食べる飲む
Oさんから教えていただいた焼きビーフンのおいしい店「China Modern 良友」に行こうと思ったらこの日はあいにく定休日だった。
 急きょ目指す店を変えて「吾作」に入った。一時を過ぎていたせいか先客は一組のみ。迷わず柳川定食をオーダーした。
30年ほど前に一度入ったことがあるが、当然ながら当時の店の様子は全く覚えていない。入ってみると長いカウンターがあって落ち着いた感じの店だった。
期待した柳川はきちんとした調理でおいしかった。また夜にも訪ねようと思った。柳川定食1450円也。

下はネットから借用。



#27霞ケ浦から来た小父さん  2003.7.10 書き下ろし

ある日、勤め先の神田から流山市(千葉県)の社宅に帰ると、夕食に焼いたワカサギやゴリやハゼ、川エビの佃煮が出てきた。
好きな物なのですぐに食べてみたら、とてもおいしい。どこで買ったのと相方に聞くと今日自転車の荷台に箱を乗せた小父さんがやって来て、
アパートの一軒一軒を回ったと言う。味見をしてみたらおいしかったので買ってみた。ねえ、おいしいでしょうという。

「小父さんにどこから来たのと聞いたら、霞ケ浦から来た。これからも買ってくれるなら時々寄るよと言ったので寄って下さいって頼んでおいたわよ。
とても凄い茨城弁で言葉は半分くらいしかわからなかったけど、仲間が霞ケ浦で取った魚を自分で加工してそれを常磐線の駅毎に下りて行商していると
言っていたわ。」

小父さんはその後、ほぼ定期的に寄ってくれるようになり、スーパーで買うのとは違い収穫してすぐの加工だから新鮮で化学調味料も入ってなく、
おいしくて子供も喜んで食べた。

私の通勤最寄り駅の常磐線南柏駅から会社のアパートへ来るまでに、途中のお客さんに殆ど売れてしまい、残り物しかない日もあるので、
来客の手土産や、神戸に帰省するときの土産にする時は、小父さんの自宅の電話番号を聞いておき、あれを300g、これを200gとか
頼むようになった。

「顔を見て話すぶんにはなんとか理解出来るけど、電話で本物の茨城弁を聞き取るのはホント大変」と言っていた。 
茨城県の言葉が東北弁のエリアに入るのはそれまで知らなかった。

ある日、帰宅すると子供達がバケツを覗き込んで騒いでいた。「今日は小父さんが、生きたドジョウを持って来ていたのでアナタが柳川が好きだから
明日の休日の晩に柳川鍋をしようと思って買った」、と言う。

突然、何かで読んだか聞いた料理法を思い出した。鍋に汁と豆腐とドジョウを一緒に入れて火にかけると、まもなく熱くてたまらないドジョウがいっせいに
豆腐に頭を突っ込んでドジョウ豆腐が出来る。それがとてつもなくおいしいと。
翌日、相方はそんな料理法は聞いたことないと半信半疑だったが、強引なダンナに負けてトライしてくれた。

台所は修羅場になった。ガスをつけてしばらくするとガタガタという大きな音がして蓋を押しのけて必死のドジョウ達が鍋から飛び出した。
コンロの上の鍋から落ちたドジョウが台所の床を這い回る。
子供達はキャアキャア言って逃げ回る。そこら中水浸しで、鍋の中の豆腐はカタチがないほどグチャグチャだ。

無言で冷ややかにこちらを見る相方の目を外し、必死でドジョウを捕まえた。結局その晩はドジョウを捌いて、相方の当初レシピどうりの柳川鍋に落ち着いたが
食べおわったのは随分遅かった。水浸しの床掃除は当然、自分以外誰もやってくれなかった。

その騒ぎとは無関係に子供が飼ってみたいというので、ベランダで一匹だけ小さなバケツに別にしていたドジョウは、一週間後、幼稚園児の長女がつかんで
遊んでいた時、手からスルリと抜け出し、あっという間にアパートの四階から下へ落ちた。

「あーツ、お父さん、ドジョウが落ちたヨ」という娘の声で4階から下へ一気に階段を駆け降りた。
ドジョウは芝生の上で何ごともなかったように動いていた。ドジョウを掴んで上がって来ると心配顔の娘達は大喜びだった。
 その後、このドジョウは餌をもらい丸々と太り、長くベランダのバケツに住み着いた。

しかし相方は小父さんからドジョウを買うことは2度となかった。

 それから10年くらい経って神戸に住むようになり、元町商店街の外れに泥鰌料理専門の小さな店をみつけ、
二人で柳川鍋をつついた時、相方が「アナタは時々とんでもない事をおもいつくから」と当時を思い出して笑った。
そして、「今思い出したけど、ドジョウ豆腐はたしか落語のネタのどれかにあったんじゃない」と言った。
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結婚記念日に全員登場の絵をもらった。

2016年11月24日 | 身辺あれこれ
急に冷え込んで天気も崩れそうなので、結婚記念日のランチを外に食べに行くのをやめて出前の寿司で祝うことにした。
 同居の家族の分の折を届けたら、しばらくしてお返しにケーキと絵の祝い品が届けられた。

絵にはおなじ屋根の下で暮らすザリガニ、カタツムリ、メダカ、ミナミヌマエビ、淡水貝など全員が入っていた。
 4人前の折。初めて本山の「魚力」というケータリング専門の寿司店に頼んでみたが、やはりそれだけの価値がある旨さだった。

 我々の二人折。

取り分けた私の皿。日本酒は俳優・佐々木蔵之介の実家の京都の佐々木酒造の「聚楽菊」。

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