阿智胡地亭のShot日乗

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年03月19日(月)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

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2012年03月19日(月)

原発は技術停滞設備

原発は技術停滞の固まりだったという目からうろこ

こちら から全文引用・・

新聞のコラムをみていて、思いがけない大事なことに気がついた。核エネルギー開発の技術は、最先端どころか、現代で最も停滞している分野だったのだ。40年間も動いている原発があるということは、自動車で考えたら1970年のサニーやカローラが現役で走っていることになる。 

原発も、建設した当初に見込んだ耐用年数は、10年から、長くても20年だったという。ところが技術革新がなく、逆に廃炉の大変さがわかってきて、延長に延長を重ねて今に至っている。当初に期待した大きな技術革新は、何一つ実を結ばなかったのだ。

およそ革新的な技術が導入されると、数十年のうちには初期には想像もしなかったような発展をとげるものだ。飛行機、蒸気機関、電気・電波の利用、コンピューターなどが、私たちの生活を大きく変えてきた。だから核エネルギーの利用も、同様に順調に発展したなら、今ごろは誰もエネルギーについては意識もしないで使えるような夢の世の中が実現してもおかしくはなかった。それこそキャンプに小型の携帯原発を持って行くような時代である。しかし、そうはならなかった。

未来の原子炉と期待された「ふげん」も「もんじゅ」も、いくら手を加えてもモノにはならなかった。原発は小型化とは反対に、従来技術の延長で、ますます集約化・巨大化するしか活路がなくなった。要するに核エネルギーは、それほど扱いにくい危険な対象だったということだ。唯一の成功例が、67年も前の爆弾としての使用であったのだが、その後に残った放射線障害の深刻さに、使ったアメリカも「あれは止むをえなかった」と弁明に追われている。

もうこの辺で目をさまして、人類は核エネルギーの開発・利用から撤退するべきではないのか。医療用などの微量の放射性物質を除いて、核物質の最終処分に向けた具体的な行動計画を立てるべき時期が来ているのだと思う。これまでに蓄積した核技術は、博物館的な安全な施設に保管して、将来の人類のために参考資料として残して置けばよい。

核兵器の唯一の被爆国だった日本が、福島原発で再び世界に問題を提起したのは、単なる運命のいたずらだろうか。起こってしまったことを今から変えられない以上、私たちにできることは、この運命を、核廃絶の伝道者としての役割に生かすことではないだろうか。

(太字は管理人)
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大阪府・市、全原発廃止を株主総会で提案。 

大阪府・市、全原発廃止提案へ 関電に、送電は別会社化
2012年3月18日 20時37分 東京新聞

 大阪市役所で開かれたエネルギー戦略会議=18日


大阪府と大阪市でつくる府市統合本部は18日、エネルギー戦略会議を市役所で開き、関西電力の全ての原発を可能な限り速やかに廃止することや発送電分離に向けた送電部門の別会社化などを柱とした株主提案の骨子を固めた。役員と従業員の削減も求める。

市は関電株式の約8・9%を持つ筆頭株主。6月に予定される同社の株主総会で、初めてとなる株主提案権の行使に踏み切り、可決を目指す。

だが株主提案で関電の事業などを定めた定款を変更する場合、議決権のある株式総数の3分の2以上の賛同を得ることが必要。他の株主の支持をどこまで広げられるかが焦点となる。(共同)

☆電力会社の株を持っている株主は、カースト制から言えば法人も個人も上位階層に所属している。彼らが考えるのはこれ以上株価が下がらないようにと言う事だけだ。

じっくり考えれば株価を上げるなら、この提案にのるのが最善だと思うが、上位階層と原子力ムラはほぼ同根であるのも現実だ。

結果はすぐには出ない。しかし、敗戦以来の日本の戦後史の中で、地方の行政機関が、現代日本の産業界カースト制の最上位貴族である電力会社にもの申すのは初めてのことだ。この株主提案のこれからを大切に見ていく。
◎ 関西電力の大株主。



関西電力の第4位の株主である神戸市は、脱原発について関西の行政機関では常に歯切れが悪い、というか大阪市の足を引っ張る発言が多い。

その理由は神戸市にある三菱重工㈱神戸造船所の存在だ。神戸造船所は明治以降長い歴史のある船の建造を今月で止めた。あとは艦艇と原子力機器の製造に特化すると大宮社長が明言している。

三菱重工㈱が神戸市の法人税と雇用を支える貢献度は高い。
そういう意味では神戸市も原子力ムラの中の成員だ。
矢田神戸市長も市長選で自分もお世話になっている同社に歯向かうことはない。戦後67年、代々の神戸市長は神戸市の職員のトップである助役がやってきている。神戸市がこの提案に乗るのは現状ではありえない。

2009年10月28日(水)のエントリー

神戸市長は3選の矢田立郎さんに決まり

10月25日に投票があった神戸市長選で前市長の矢田立郎(69)さんが当選しました。矢田さんは前回までの自公民相乗りから、今回は選挙直前に民主党の小沢一郎さんと話しをして、民主党の単独推薦候補になりました。

164,030 矢田 立郎 (69) 無 現 元市助役  (3)
156,178 樫野 孝人 (46) 無 新 会社顧問  (0)
61,765 松田 隆彦 (50) 共 新 党県書記長  (0)
矢田さんと次点者の票差は約8000票でした。

投票率:31.51%  矢田さんの得票率:42.94%
この得票率は神戸市長選の当選者としては過去最低の数字でした。

絶対得票率(当日の神戸市の有権者数に占める得票数の割合)は
13.32%です。

戦後60年間、市役所の助役が順送りで市長に就任しているのは、全国に18ある政令指定都市では唯一、神戸市だけです。

神戸市民にとって有り難いことに、神戸市の助役には原口忠次郎氏以来60年間、有能無比な方が任じられていることになります。

ということで、神戸市で市長になろうと思ったら、これまでの実績では民間人では無理です。市役所に就職して市の職員になることが最初の一歩のようです。

今回の対抗馬の新人候補、樫野孝人さんは神戸出身のウェブ制作会社の社長でした。


** ところで、震災後の神戸を神戸育ちの作家“野坂昭如”は「震災を語る」でこう話しています。

神戸新聞webnews「震災を語る」から引用。 

作家・野坂 昭如さん   

「薄っぺらい街に憂え
人間関係ばらばら、虚無感漂う」

神戸は、前に進むこと、景観を変えることが生きがいになってしまった街。「新しい」ということが最大のアイデンティティー。人工的で、薄っぺらい。年がら年中、祭りばかりやっている。震災後、ますます人間らしさがなくなったと感じる。マージャンパイみたいに、新しい家が延々と並んでいる。かつて十四年間、人生で一番いろいろなことが身につく年代をその街で過ごしたが、今、しのぶよすがは何もない。

市民は、現状でいいとは思っていないだろう。ただ、あれほどの災害と、人間関係をばらばらにされた経験の後では、虚無感が先に立つ。神戸の惨状を見た全国の人間にも、その「はかなさ」は、ボディーブローのように伝わっている。
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「火垂(ほた)るの墓」をはじめ、作品にはたびたび、少年期を過ごした神戸が登場する。五十年以上前、大空襲を経験したその街が、今度は震災で壊滅した。どんな思いで、惨状を目にしたのか。その後の復興をどう見ているのか。野坂さんの言葉には、失望と郷愁が交錯する。

震災直後、ヘリコプターで現地入りしてほしい、という取材依頼があった。でも、宝塚に住む娘に止められた。自分にも、乗り込んでいくのは不遜(そん)という思いがあった。しばらくして、近所の医者に出してもらった薬をリュックいっぱいに詰めて出かけた。安否の分からない知人がたくさんいた。でも正直なところは見物、だね。行ったって、自分には何もできないんだから。

最初に目指したのは、かつて暮らした場所にほど近い、神戸市東灘区の御影公会堂。電車の開通区間が延びるたび、西へ西へと歩いた。

大阪のホテルじゃルームサービスが来て、熱いお湯が出る。二十分電車に乗れば、そこにナイジェリアのような場所があるというのに。

武庫川を越えると何もかもが違った。神戸では、特に話を聞くわけではなく、缶ビールを買って、たき火にあたりながらだれかと一緒に飲むだけ。地震後すぐに、経験を整理して話せる人なんていない。相手が何か話してくれれば、それは聞くけれど。

一九四五年、野坂さんは神戸大空襲を経験した。空襲と震災。その違いをどう見たか。

空襲はある程度準備ができていたが、地震は突然。人生観が大きく変わると思う。戦争の時は、家を失った人を親類が引き取るのは当たり前の時代だった。どこでも、寝ることができればよかった。でも、神戸の避難所では、親類が何がしかの金を持ってきてポンと置いていった。つまり「うちには来るな」ということ。生活様式が変わり、簡単には人を受け入れられなくなった。

避難所の中では、支援を受けた家族とそうでない家族の間に溝が生まれていった。行政は、少額でいいから現金をすぐ被災者に手渡すべきだった。それで、何とか動ける人がいたはず。「ホームレスがもらいに来る」なんていう人がいるが、全体からすればごくわずかにすぎない。

野坂さんは、仮設住宅にもよく足を運んだ。

圧倒的に男の方が弱いね。女性たちは、集まってカラオケに興じたりしているのに、男はランニングシャツ一枚でぼーっと酒を飲んでいる。

仮設住宅で、ごみ袋を持ってみたことがある。とても軽い。生ごみが少ないんだ。行政はまず最初に、困っている人が「普通」に暮らせるようにすることを優先すべきではなかったか。都市計画をあれほど急ぐ前に。でも、神戸市は“土木屋さん”ばかりだから。

震災後もまちづくりの手法が変わらない、と。
昭和十三年の阪神大水害で山が崩れ、「どうせ崩れるんだから」と山を削って海へ持っていった。昭和三十一年の国体のころから、開発がどんどん進んだ。「神戸に住みたい」という思いが、そのあたりから急速に薄れた。今度の震災で、戦災で残った街並みも消え、本当の人工都市になってしまった。大阪で稼ぐための、仮住まいの街。住んでいない無責任な人間の言うことだけど、薄っぺらい街になった。

「ふるさと」という感覚はない?

以前は、表札を見て「ああ、この人まだ住んでるんだな」というのが分かった。子供のころ、そこをめがけて小便をした石が道端に残っていた。セミをとった木があった。知っている塀や石垣があった。そういうものがすべて、なくなった。「自分にとっての神戸」が残る風景はただひとつ。夕暮れに、夙川を渡って西へ向かう時、浮かび上がる山のシルエット。それだけだね。

震災から五年半。何らかの「教訓」は、全国に伝わっているだろうか。
避難所から仮設、仮設から復興住宅―と、移るたびに人間関係がばらばらにされた。高齢者優先はやむを得なかったと思うが、市民がひとつの力を生み出そうとする動きは移転のたびに分断され、虚無感が漂った。神戸のありさまを見た全国の人間にも、虚無感は伝わった。いくら準備をしても、死ぬときは死ぬのだと。年齢によっても違うと思うが、建設的な考えにはなっていないだろう。

三宅島の噴火などで、関東でも大地震への関心が高まっているようだが。

人間は、非常に大きなものには想像力が働かない。例えば、「食べ物に何か入っていた」と大騒ぎするわりに、遺伝子組み換え食品には無関心。家の冷房はつけっぱなしなのに、原発の問題は見ようとしない。東京で直下型地震が起きれば、大パニックですよ。遺体処理なんて、風葬でもしないと間に合わない。今の防災計画は、机上ですらない。

でも、想像力がないから、人間は生きていける。毎日、おびえずに暮らしていける。矛盾を感じつつ、その中で生きていく。人間って、そういうものじゃないかな。
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のさか・あきゆき 一九三〇年、神奈川県鎌倉市生まれ。生後すぐから、養子先の神戸で育つ。四五年の神戸大空襲で養父を失い、実家に戻る。早稲田大仏文科中退。

大学在学中からコント作家、CMソング作詞家として活躍。六三年、「おもちゃのチャチャチャ」の作詞で日本レコード大賞童謡賞受賞。六七年、「火垂るの墓」「アメリカひじき」で直木賞を受賞。八三年、参議院議員に当選した。

「焼け跡闇市派」と称され、震災を題材にしたコラムも多数。近著に「かくて日本人は飢死(うえじに)する」「少女M」など。
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失望と郷愁

震災後の家並みを「マッチ箱が並ぶ」と表現する人はいるが、マージャンパイと評したのは、この人が初めてだった。

神戸に育った作家が放つ、小気味よいほどの“神戸こき下ろし”。歴史がないから、映画やらゴルフ場やら「日本初」を強調する。人工的な街だから、文化的なものをほしがる―。精彩を失った「神戸ブランド」に頼り続ける街への、強烈なパンチと聞こえた。

かつて住んだ地の細部を、実によく覚えている。神戸市灘区中郷町。ご近所の名前や職業、近くを流れる石屋川の風景。とめどなく言葉があふれる。街の息づかいが伝わる。現状には失望しても、「十四年の間、ぼくに養分を与えてくれた場所」に変わりない。

震災後の街を歩くと、息苦しさを感じる時がある。野坂さんのいう「薄っぺらさ」を感じる。壁のコケとか道の石ころとか、ほかの街に必ずあるものがない。震災はこういうふうに街を変えるのだと、年月を経るほど身にしみてくる。

「ぼくはもう年だから」。インタビューの間、何度かそう言った。しかし、年をとるからこそ見えることがある。その毒舌で、語り続けてほしい。 (磯辺 康子)

 
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生活が保障されている大学教授は橋下市長に論破される

反「ハシズム」学者が橋下市長に勝てない理由―私の分析

一部引用・・

「橋下主義(ハシズム)を許すな」を書かれた四人の学者の致命的な弱点は、色々騒動を起す橋下市長の言動に引きずられ、相手方の手法を批判するだけで、日本に「何」が「何故」必要か! と言うテーマを示せない事と、テーマ設定に必要な理念と原点の二本柱に欠けている事です。

橋下市長が国民の注目を集めたのは、世論を二分する政策や、歯切れの良い弁論、相手を完膚無きまでに叩く激しさもさることながら、日本は「何」を「何故」「誰が」「何時」「何処で」「どの様に」すべきかを全体的な視点で捉え、その中から優先順位をつけて説明する能力に優れているからです。

橋下さんは、自分の理念と原点(オリジナルインテント)が確りしていますから、何処から攻められてもぶれません。又、間違ったと思えば直ぐ訂正し、知らない事は素直に知らないと認めるのも、いさぎよいのではなく、そうしないと原点が崩れるからです。

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教育の奇跡   by 内田 樹

一部引用・・

今日の「教育危機」なるものは、世上言われるように、教師に教科についての知識が不足しているからでも、教育技術が拙劣だからでも、専門職大学院を出ていないからでもない。そうではなくて、教師たちが教育を信じるのを止めてしまったからである。

教師が教育を信じることを止めて、いったい誰が教育を信じるのか。
教師たちが政治家やメディアや市場原理を信じる保護者たちの要請に屈して、「教育とは代価に見合う教育商品・教育サービスを提供するビジネスの一種である」という教育観を受け容れたときに、商取引のタームで教育が語られることを許したときに、教育の奇跡は息絶えるだろう。

「教卓の向こう側」には圧倒的な知的アドバンテージを有するものが存在する。生徒たちが差し出すどのような代価も、教師からの「贈り物」の価値を相殺することはできない。その信憑だけが私たちをドクサの檻から解放してくれる。

子供たちはまず「教卓」を介して「この世界には私の理解を超えた数理的秩序が存在する」という信憑を身体化する。そこから科学的探求心と宗教的覚醒が始まる。そこから人間は人間的なものに成長してゆく。

この理路をまったく理解していない人たちが教育について語る言葉が巷間にあふれているので、贅言と知りつつここに記すのである。

全文はこちら
 
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大手マスコミが逃げる部分。  暴力・権力・広告スポンサー

タブーの正体!

一部引用・・

つまり、私が暴力に屈したことが、『噂の真相』の休刊をダメ押ししてしまったのだ。

我ながらなんてお粗末で情けない話だろうと思う。だが、それでもこの体験だけは正直に語っておきたかった。なぜなら、現実には、多くのメディアが私たちの知らないところで右翼や民族団体からの抗議を受け、ひそかに転向をとげているからだ。

雅子妃に批判的な記事を頻繁に載せていた女性週刊誌がある時期から、雅子妃に同情的になった、あるお笑い芸人が、コラムなどで日中戦争を「侵略戦争」と断じ、靖国神社の存在を疑問視していたところ、ある時期からそういった台詞を一切口にしなくなった、試合前に「君が代」を歌わなかった日本代表のサッカー選手が突然、大きく口を開いて歌うようになった……。こうした転向には、たいてい右翼・民族派団体の抗議が関係している。

そして、私の見るところ、右翼から抗議を受けた人がとる態度は二種類しかない。一つは、「俺は右翼から抗議を受けたが屈しなかった」と武勇譚にする態度。

もう一つは、これが圧倒的に多いのだが、抗議を受けたこと自体を隠し、人知れず転向してしまう態度だ。

この二つの態度は、事実を隠蔽しているという意味では同じである。結局、タブーに直面した人間はほとんどの場合、その経験をタブーとして封印してしまう。

そして、そのことでタブーの実態はますます見えにくくなり、タブーは肥大化してしまう。

全文はこちら
 

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内容のない日本の公教育  ここが変わらなければ日本は変われない!

官僚制に冒された教育

一部引用・・

現状の学校は、官僚制に取り込まれた教育です。たいへん形式的になっている。

教育を受けることが、学校に出席することに置き換えられている。
先生が授業をすれば、教育が為されたことにされる。
教室の椅子に座っていれば、教育されたことになる。
習得したかどうかが、点数を取れるかどうかになっている。

理解なしの丸暗記でも小手先のテクニックでもかまわない。

現在の学校は、巨大な官僚機構の末端に位置しています。官僚制は、文書化と客観性を求めます。

したがって、教育は、文書化できる客観的な結果を出すことを目的とするようになります。

全文はこちら
 

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