不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

San Lorenzo

2009-08-11 06:36:16 | アート・文化

鉄の焼き網の上でグリル焼きにされて
殉教したと伝えられる聖人。

スペイン北東部ピレネー山脈の麓の
Aragona(アラゴン)出身で
若くして人文学、神学を学ぶために
Saragozza(サラゴサ)へ赴き
そこで後の教皇シスト2世
(Sisto II)となる人物と知り合います。
サラゴサで師弟関係にあり、
お互いに信頼関係を強めた2人は
やがてスペインを後にしてローマへ移住します。

257年8月30日にシストがローマの司祭に選出されると
ロレンツォを司教座聖堂の助祭に任命します。
シスト2世が選出した7人のローマ助祭のうちの一人となり
教会の資産を貧民に分け与え、祝福を授けて奉仕しました。

258年の年初に
ローマ皇帝Valeriano(ヴァレリアーノ)が法令を発布し、
ローマのすべての司祭、助祭を含む聖職者の
全処刑が命じられます。
この法令はすぐに実行され、8月6日に
ローマのサン・カリストのカタコンベ
(Catacombe di San Callisto)で
聖体拝領の儀式を執り行っていたシスト2世は
同席していた4人の助祭とともにその場で殉教します。

その4日後、8月10日にロレンツォも33歳の若さで殉教。

この殉教のときに、
ローマ帝国の長官だったコルネリオ・セコラーレ
(Cornelio Secolare)がロレンツォに
それまで貧民に提供した教会の財産を
ローマ帝国に差し出せば
命を助けると言い渡していますが、
これに対してロレンツォは約1500人とも言われる
彼自身が祝福を授けた貧民や
未亡人の一部を引き連れて現れ
「ここにいる人々が教会の財産であり、
この宝は永遠のものであり
決してなくなることはなくむしろ増え続ける。」
と言い残したと伝えられています。

熱せられた鉄格子の上に乗せられ
拷問を受けた際にも
同席したといわれる
ローマ皇帝ヴァレリアーノに向かって
「こちら側はよく焼けたようだから、
ひっくり返して裏面もよく焼き、食べてしまえばいい」
と言い放ったとも伝えられています。

この殉教の場面に居合わせたローマ兵によると
焼け焦げていくロレンツォの体から
流れ出る血と脂を布に集め
ローマ郊外のAmaseno(アマセノ)に
持ち帰った人物がいたといわれています。
それが今でもかの地では聖ロレンツォの聖遺物となっており
毎年8月10日にはこの血液が溶け出すという
奇跡が起こるともいわれています。
最もこうした「奇跡」の類はイタリア各地にあり
科学的な証明はまったくされていないのですが。

宗教画の中に描かれる聖ロレンツォは
助祭服ダルマチカを身に纏い、
シンボルとして焼き網とともに描かれることが非常に多く
認識のしやすい聖人の一人。

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ブロンツィーノ「聖ロレンツォの殉教」
この作品のように
殉教の場面を描いているものも多く残っています。
画面右手上方にローマ皇帝ヴァレリアーノ
もちろん中央の焼き網の上の人物が聖ロレンツォ。

フィレンツェのサン・ロレンツォ教会では
毎年8月10日の夜に聖人を祭り
一般市民にラザニアとスイカが無料で配布されます。
これは聖ロレンツォの行いの継承とされています。
またこの時期には流星群が比較的観測されやすいことから
聖ロレンツォの日は
流星を見るという慣わしも各地に残っています。