不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

La pala di Brera

2010-10-05 20:21:52 | アート・文化

La Pala di Brera(ブレラの祭壇画)
もしくはPala Montefeltro(モンテフェルトロ祭壇画)
と呼ばれる作品は
聖母と幼子イエスと聖人の聖会話をテーマにした作品で
依頼主であるFederico Montefeltro
(フェデリコ・モンテフェルトロ)も画面右下に描かれています。
作品はPiero della Francesca
(ピエロ・デッラ・フランチェスカ)が
1472年頃に製作したものといわれ、
現在はミラノのブレラ美術館所蔵。

製作時期は確実な文献は残っていないようですが
さまざまな条件からほぼ確定可能。
1474年に受けたOrdine della Giarrettiera(ガーター勲爵士)の
勲章をフェデリコがつけていないことから、
それよりも前の時期であることは確かで、
子供が誕生し、
その後まもなく妻(Battista Sforza)を失ったことで
誓願の証としての作品依頼を行ったと考えられるので
1472年頃とするのが妥当。
聖母にはバッティスタ・スフォルツァの面影もあり、
幼子イエスは息子Guidobaldo(グイドバルド)に
よく似ているという点からも
世継ぎの誕生と妻の早すぎる死を記念したものといえそうです。
またバッティスタが葬られた
ウルビーノのConvento di San Bernardino
(サン・ベルナルディーノ修道院)の記録には
この作品について
1472年にFra Carnevale
(フラ・カルネヴァーレ)によって製作されたと
記録が残っていますが
1474年以降はピエロ・デッラ・フランチェスカ作と訂正されています。
ただし、サン・ベルナルディーノ修道院が
活動を開始しているのは1482年で
それ以前は作品は別のところに置かれていたことになります。
1482年以前の作品の所在は
モンテフェルトロ家の菩提寺である聖フランチェスコ教会や
フェデリコが一時的に葬られた聖ドナート教会と諸説ありますが、
フェデリコの死後まもなく
1482年からサン・ベルナルディーノ教会内に霊廟の建設が始まり
それから329年にわたり、かの地に保管。
1810年からのナポレオンの侵略の影響で
1811年に作品がブレラ美術館に移管され、
それ以来現在までブレラ美術館所蔵となっています。

Piero_della_francesca_046

作品に描かれている聖人は左から
「洗礼者ヨハネ(San Giovanni Battista)」
ウルビーノの守護聖人でもあり、
ウルビーノ公夫人(Battista Sforza)の守護聖人ということで登場。
「聖ベルナルディーノ(San Bernardino da Siena)」
シエナの聖ベルナルディーノと
ウルビーノ公フェデリコは知り合いであり
ウルビーノ公の懺悔を聞く役だったといわれています。
「聖ジローラモ(San Girolamo)」
文芸保護に厚かったウルビーノ公に敬意を表して
人文主義者の守護聖人である聖書翻訳者も登場。
「聖フランチェスコ(San Francesco d'Assisi)」
作品が当初置かれるはずだったかもしれない
菩提寺フランチェスコ教会との関係から登場。
残りの二人は
「聖ピエトロ(San Pietro martire)」と
「福音書記者ヨハネ(San Giovanni Evangelista)」。

聖母マリアの頭上にぶら下がる物体はダチョウの卵。
フィレンツェのルネッサンス建築によく見られる
貝殻のモチーフ装飾の
先端から突き出すようにぶら下がる卵は
そこだけ一層光に照らされて
画面に奥行きを持たせる役割も果たしています。

貝殻はヴィーナスや聖母マリアのシンボルであり、
永遠の美の象徴としても好んで使われる題材で、
卵は聖母マリア処女性原理をあらわす芸術表現の一つで
15世紀の人文主義者にはよく知られていました。
また一般的には卵は生命や創造のシンボルでもあり、
この作品の中では
ウルビーノ公の息子の生誕を暗示しているものともいえます。
モンテフェルトロ家の代々受け継がれた
家紋の一つにダチョウがあるので
このたまごもニワトリではなくダチョウの卵なのです。