不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

San Jacopo il Maggiore

2012-02-01 12:39:47 | アート・文化

大ヤコポと呼ばれたりもする
San Giacomo il Maggiore(San Jacopo)。
イエスキリストの12使徒の一人で、
弟は同じく12使徒の
San Giovanni(聖ジョヴァンニ)。
12使徒にはヤコポが二人いるので、
便宜上大ヤコポ、小ヤコポと区別されています。
ヤコポとジョヴァンニは
キリストによって「雷の息子たち」と呼ばれるほど
教えに熱心で、
また時に猛々しい面をもっていたと言われています。
キリストの受け入れを拒否したサマリア人ので
その拒否に憤慨して天からの火で焼き払うと騒いで
キリストに戒められたりもしています。
ヤコポは12人の中でも信仰が深かったといわれ、
タボル山上で使徒たちの前に姿を現したと言われる
キリストの変容を目撃した三使徒の一人でもあります。
Erode Agrippa I(エロデ・アグリッパ1世)の命で
打ち首の刑によって
12使徒の中で最初に殉教したのも彼です。

元々はイスラエルのティベリア湖で、
父とともに漁師として暮らしており、
弟のジョヴァンニに続いて早い時期に
キリストを慕うようになったと伝えられています。
キリストの12使徒の最初の二人は
ジョヴァンニとアンドレアで、
それぞれの兄弟である
ジャコモ(ヤコポ)とシモーネ(後のピエトロ)が続きます。

タボル山でのキリスト変容、
ジャイロ(Giairo)の娘の奇跡、
ゲッセマネ(Getsemani)でのキリストの苦悩
というの重要な3シーンに居合わせたことからも
キリストからの信頼の厚い使徒であったことが伺えます。

キリストの処刑のあと、スペインに渡り
彼の地での不況に努めますが
その後エルサレムに戻り、42年に殉教。
伝説では、彼の信者たちが奇跡的にその遺体を
ガリツィア(Galizia)の森まで運ぶことに成功し
彼の地に埋葬したと言われています。
830年にこれまた奇跡的にその墓が見つかり
その地はCampo della Stella
(カンポ・デッラ・ステッラ)と呼ばれるようになり
それが現在のキリスト教の主要巡礼地の一つでもある
Santiago de Compostela
(サンティアゴ・デ・コンポステラ)です。

スペインまでの布教の旅を行ったジャコモの
シンボルとしてよく知られるのは
巡礼杖とひょうたんの水筒。
この他に貝殻もよく一緒に描かれます。
いつの時代からか、サンティアゴまでの巡礼者は
近くの海(Finisterre:地の終わり)まで行き
大西洋で禊の入浴を行い、
巡礼中に身につけていた衣服を焼き、
巡礼を完遂したことを証明するために
浜辺に落ちている貝殻を拾って帰るようになったために
貝殻が聖ヤコポとも関連付けられるようになったのです。

San_giacomo_il_maggiore

ウフィツィ美術館に所蔵される
Pollaiolo(ポッライオーロ)の
Pala del Cardinale del Portogallo
(ポルトガル枢機卿の祭壇画)の
中央に描かれるのが聖ヤコポですが、
巡礼杖をもち、
足下に置かれた帽子には貝殻の装飾がついています。