不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

La differenza dei punti di vista

2012-02-11 22:35:51 | 日記・エッセイ・コラム
先日、福島出身の友人に
久々に会って、話をした。
ほんの少しだけ。
私はもっと聞きたいことがいっぱいあったのだけど。
彼がふと
「自分が子供の頃に経験したたくさんの思い出を
父親になった自分は息子に見せてやることさえできない。
同じ経験をさせてやることもできない。」
と何気なく、本当に何気なく言っていた。
あまりにも何気なさ過ぎたから、
却って私の胸に刺さっている。
故郷を失うということは、そういうことなんだと
今更ながらに脳天に叩き込まれた気分。
わかっているつもりでわかっていなかった自分の
目を覚まさせてくれる一言でもあった。

ガイガーカウンターもって
故郷を歩くのは悪夢以外のナニモノでもないよ。


Puntidivista9502
その人の置かれる立場とか状況とか
様々な要因で
一つの事象はそれこそ何万通りもの解釈が生まれる。
きっと人の数だけ解釈がある。

この記事(イタリア語)にある通り、
天気予報だって
予想気温と実際の体感気温があって、
その体感気温だって、実は人によって異なる。

放射能汚染の範囲についての解釈が
人それぞれ違っていたって
それは不思議ではないのだけどね。

目にも見えず、匂いもなく、
知らないうちに自分を取り巻いている危険。
気づかぬ振りをしたいのも、
事故自体を過小評価したいのも個人の勝手だとは思う。

しかし、
想定外ののりしろは少ない方がいいに決まっている。
未来のために。
最悪の事態を想定していた方が、
受けるダメージは少ないでしょ。

見て見ない振りをして
それで避けられるものならいいけれど、
現実は動かない。
避けられないものなら、
最悪の状況を念頭に入れて判断するべきだと思う。

こういう話をすると
「だって、どの情報が正しいかわからないじゃない」という
反撃を受けたりするけれど、
どれか正しいのかわからないというなら
尚更、最悪の事態を想定したらいいじゃない
と私なんかは思うわけだ。

自分で正しい情報を得る努力が
まず一番大事だとは思うけれど、
今の日本で隠されている情報も多いだろうし
手に入れられない事実だって山ほどあるだろう。
だから手に入れられる限りの最悪の数字を信じても
それよりひどい状況に陥ることは少ないんじゃないのと。
それより軽度で済んだらラッキーだって思えばいいじゃん。

東京電力や政治家たちが思うような状況だったら
誰も海外から警告を発信したりしないから。

自分の故郷だからこそ、守りたい。
愛する日本だからこそ、守りたい。
未来がまた続くように。


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2012-02-11 18:08:11 | Tweet Log