超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">ロシア未来派のコロラトゥーラ</span>

2010-04-21 16:50:12 | 無題
先日は近くの町のタイ料理屋さんで予備校時代からの友人と会った。この友人はヴォーカリストとして活動している。この友人が前からラジオで録音したロシア未来派の歌曲は素晴らしいという話をするが、私は聞いたことがない。この友人のジャズのユニットでよくロシア未来派風のスキャットというのを演奏する。その演奏から察してロシア未来派の歌曲のイメージを思い描いていたのだが、先日このようなものではないかと思い当たる演奏をラジオで聞いた。
それが、グリエール作曲の「コロラトゥーラ・ソプラノと管弦楽のための協奏曲(作品82)」の歌の部分である。歌の部分が歌詞のない歌唱で微妙な旋律を際どく歌う。グリエールというとスクリャービンやラフマニノフの同時代人であり、革命時にはそれなりに実験を重ねていたが、革命後はかなり保守的な路線に収まった人物らしい。
この曲は第二次世界大戦中に書かれた曲でいささか革命的な実験精神の残滓が保たれていたのだろう。一度聴いたら忘れられないヴォカリーズ(母音だけで歌う歌唱)で、協奏曲の楽器のようにヴォカリーズが使われており、耳新しい旋律の数々が歌い込まれる。
グリエールが戦後、体制派の優等生と呼ばれたというのが何とも悲しいが、私の友人がいつも言うロシア未来派の歌曲とはこのコロラトゥーラに似た何かではなかったかと思わせる奇跡の名曲である。それにしてもロシア未来派の歌曲という幻の楽曲は、何と興味を誘う謎めいた作品群だろう。
「イランの子守唄」に挿入されたスキャットで、そのロシア未来派の歌曲の影をなぞる私の友人は一筋縄ではいかない音楽的背景を持っている。その点、「甦るフレーブニコフ」を愛読する私と話がよく合うのである。ほんとうに、グリエールの「コロラトゥーラ・ソプラノと管弦楽のための協奏曲(作品82)」が彼の言うロシア未来派の歌曲に似ているのか私には判らない。けれどもたまたまFMで聞いたその曲が私のなかのロシア未来派の歌曲のイメージを喚起したことは事実である。いつかロシア未来派の歌曲集のCDでもみつけて真相を知りたいものだ。


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