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鈴木商店 大番頭 金子直吉の「天下三分の宣言書」

2018年08月11日 04時29分29秒 | 神戸情報
2018年8月8日の神戸新聞夕刊に「天下三分の宣言書」が新たに発見されたとの
記事が掲載されました。そこで本日は「天下三分の宣言書(宣誓書)」について記します。
発見された書簡の詳細は神戸新聞NEXTでも見れます。(下記サイト)
 https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201808/0011523921.shtml


「天下三分の宣言書(宣誓書)」は鈴木商店の大番頭の金子直吉がロンドン支店長の
高畑誠一(後に日商(現在の双日)を創立)に宛てた巻物にした書簡で、高畑を補佐
させるため金子がロンドン行きを命じた小川実三郎が神戸出立の朝、挨拶のため須磨
一の谷の金子直吉邸を訪れた時に書かれたものである。小川実三郎はシベリア鉄道で
ロシアからスェーデン、ノルウェー経由でロンドンに入りこの書簡を高畑に手渡した。

鈴木商店の関係者の間で後年 、その内容から「天下三分の宣誓書」と呼ばれた手紙は、
金子直吉が鈴木商店全員に発した大号令であった。 「三井、三菱と天下を三分しよう」
という金子の溢れるばかりの気迫と自信に満ちた手紙を受け取った高畑誠一は、後に
日経新聞の「私の履歴書」経済人15(1981)の中で「当時の鈴木の社員は、この金子さんの
大号令に、まるで魔術でもかかったように勇気づけられて突撃した。」と述懐している。

この書簡は長らく高畑家が所蔵していたが太陽鉱工に寄贈され、現在は神戸市立博物館に
寄託されています。

昨年(2017)デザイン・クリエイティブセンター神戸KIITOにて開催の神戸開港150周年記念
神戸港と神戸文化の企画展 「神戸・みなと・時空」の鈴木商店に関する展示の中で上述の
「天下三分の宣誓書」が展示されていましたのでその写真を紹介します。




上の2枚の写真は「天下三分の宣誓書」の展示と説明パネル 撮影:2017-1-28







上の3枚の写真は鈴木商店のブース入口と展示の一部 撮影:2017-1-28

上述の神戸新聞の記事に記載されているように今から100年前、大正7年(1918)の
8月12日は鈴木商店が焼打ちに遭った日です。

神木哲男先生は記事の中で新たに見つかった書簡がこの時期に見つかったことに
何か因縁めいたものを感じると述べられています。

ここで大正4年(1915)11月1日に書かれた「天下三分の宣言書」の全文を添付しておきます。


『高畑君に対し、先日御懇書を以て戦争に依る英米財界の変遷を報導せられ是が確に吾人の
法螺(ほら)袋の一部と成りしを感謝す。
尚如斯(かくのごとき)一般的の報告と共に又専門的、仮令(たとえ)ば豆が戦争の為どうなるか
戦後樟脳の需要がどうなるとか斯うなるとか言ふ様な報告をも賜はらん事を望む。

即ち一般的報告も頗(すこぶ)る必要には相違なきも当店の取扱に係るもの乃至日本の
商売に関係ある砂糖・米・豆・石炭・船・樟脳・薄荷等の部分的商品に対する戦前戦後需要の
変遷等の報告がより以上必要なりと言ふに在り、蓋(けだ)し戦争が終局に進むに隨(したが)ひ
弥々(いよいよ)益々必要を感ずるものと御承知を乞ふ。
小川君の増員を行ふも又ロンドン出張所に如斯余裕を与えんと欲するに外ならず、
今小生が聞かんとする所を左に示録せば今日船舶の黄金時代が戦後まで継続するものとせば
凡そ何時迄継続すべき哉(や)、戦後運賃界は如何に成行(なりゆく)べき乎(か)。

砂糖の商況は戦後如何に成行べき乎、戦後に於ける需要供給の状態如何。
其の他米・豆・豆油・魚油・樟脳・薄荷・銅・錫・亜鉛・鉛等に就き現在の状況及び
戦後に於ける需用供給変遷の見込如何等。
又英米に於ける鉄の供給は戦局の如何に拘らず継続し得らるゝや、戦後に於ける需要供給の
見込如何。
労銀が戦争の前と今日と何程の差を生じたるや、又戦後労銀の見込如何。
造船費用は戦前と今日と又何程の差ありや戦後は如何に成行べき乎。
英国に於ける戦前と今日とを比較せる物価表を送られたし、但し指数に依るものにては駄目也。
即各種商品の高低表を見て今日迄未だ心付かざりし金儲けの材料を得んとするにあればなり。
英国如何に冨ありと雖も今日の如き大戦を永くやる時は結極不換紙幣を発行するに至らん
是吾人の最も恐るる所此点に深く注意せられんこをと切望す。
戦争の為め英国の商業は地方的に成りつつ在り仏米に人を派遣するの要なき乎。
今後は日本米と豆の輸出を盛大にやらんと欲す。昨年の例に依るときは米は満足すべき商売を
為したるも豆は甚だ不十分なりし、大いに協力せられん事を望む。豆及び豆油の商売は当地の
小寺頗る優勢なり。豆油の如き鈴木商店の輸出は多数の場合にて一回一、二万箱に過ぎざるも
小寺の場合は豆油の満船積商売を為す事珍らしからざるを以て甚だ羨望に堪えず、或は云ふ、
コンサイメントを為す故如斯多額の積出をやるもの也と、果して然る時、
何等浦山敷(うらやましき)事なしと雖(いえども)も、若し然らざる時は商人の大恥辱なるを
以て一片の御調査を乞ふ。
豆も又現在の取引先にては不充分にして当地大連にて意の如く活動出来ざるを覚ゆ。
是も又特別の注意を払われんことを依嘱す。
当方にて銅亜鉛等製煉事業を開始したるに甚だ好結果也。即ち銅は支那の古銭其の他古金類を
分解亜鉛と銅を得るに在り、亜鉛と鉛はロシヤ、濠州により鉱石を取寄せ是を製煉しつつ在り、
此の事業に対しても有益なる報告と知識を与えられんことを望む。
船舶、先の帝国丸は他に売却(明年七月六十五万円にて)せり、続いて報国丸の又売らんとす。
其の代りに一万噸の船二ツ、五千噸一ツと三千噸一ツ、今新造中也、一番早き分にて
来年八月に出来る。
小川君持参の砲弾はロシヤの注文にて数ヶ月後より製造する予定也。
貴地にても仏国其の他より注文を得べし、代価は一個十八円なり、
高ければカウターヲファーを望む。
其の他此程度の軍需品日本にて出来るものは注文取る事甚だ面白かるべし
是仏国に人を派する必要あらんかと考ふ所以也。
今当店の為し居る計画は凡て満点の成績にて進みつつ在り、御互に商人として此の大乱の真中に生れ、
而も世界的商業に関係せる仕事に従事し得るは無上の光栄とせざるを得ず即ち此戦乱の変遷を
利用し大儲けを為し三井三菱を圧倒する乎、然らざるも彼等と並んで天下を三分する乎、
是鈴木商店全員の理想とする所也。小生共是が為め生命を五年や十年早くするも縮小するも
更に厭う所にあらず。要は、成功如何に在りと考え日々奮戦罷(まかり)在(あ)り恐らくは
独乙皇帝カイゼルと雖も小生程働き居らざるべしと自任し居る所也。
ロンドンの諸君是に協力を切望す。小生が須磨自宅に於て出勤前此書を認むるは、
日本海々戦に於ける東郷大将が彼の「皇国の興廃此の一挙に在り」と信号したると同一の心持也。


十一月一日
須磨自宅にて 金子直吉
高畑君
小林君
小川君 』



この書簡は鈴木商店が手がける種々の商品に関して欧州市況の詳細や今後の見通しの
報告を求め、一方内地の商況や事業の進捗状態を伝える内容になっています。
最後の欄(下線を引いた部分)で「三井三菱を圧倒する乎、然らざるも彼等と並んで
天下を三分する乎、是鈴木商店全員の理想とする所也」と印象的に締めくくられています。

上記書簡には年号が記載されていないが平成28年1月30日(土)、兵庫県立芦屋高等学校教諭の
齋藤尚文氏(博士・学術)が神戸外国人居留地研究会の例会にて、研究発表を行い、
大正4年(1915)に書かれたものだと発表され、これが定説となっています。

詳細な内容は鈴木商店記念館の下記サイトに記載されています。
 http://www.suzukishoten-museum.com/blog/post-201.php


鈴木商店記念館のサイトTOPからホーム編集委員会ブログに進むと内容を確認できます。


大正6年(1917)の鈴木商店の売り上げは15億4,000万円で、三井物産の10億9,500万円
を大きく凌ぐ規模になっています。


前にも少し触れましたが高畑誠一は回想談で次のように述べられています。
「三井、三菱と天下を三分しよう」という金子の溢れるばかりの気迫と自信に満ちた
手紙を受け取った高畑誠一は、後に日経新聞の「私の履歴書」経済人15(1981)の中で
「当時の鈴木の社員は、この金子さんの大号令に、まるで魔術でもかかったように
勇気づけられて突撃した。」と述懐している。大正6年(1917)11月に私のもとに
金子さんから「強烈」な文面の一通の手紙が届いた。
この手紙で金子さんは「自分は、大正3年(1914)7月から始まった第一次世界大戦を
千載一隅の好機だと思って、この好機に生命を賭けている。・・・
(中略)・・・「三井、三菱を圧倒するか、しからざるも彼らと並んで“天下を三分”
するか」という表現を使っており、その後、この手紙は鈴木商店の関係者の間では
“天下三分の宣言書”という名前が付けられた。・・・(中略)・・・われわれ、
当時の鈴木の社員は、金子さんの大号令にまるで魔術でもかかったように勇気づけられて
突撃した。




鈴木商店について書いた小生のブログにリンクして筆を置きます。

 読売テレビ開局55年記念ドラマ「お家さん」

 鈴木よねの旧本宅跡 on 2013-6-24

 鈴木商店所縁の人達のお墓 in 追谷墓地 on 2013-6-24

 神戸と映画 in 神戸映画資料館 on 2013-6-8
  鈴木よねの息子(長男)2代目鈴木岩次郎が神戸新開地の映画館「聚楽館(しゅうらくかん)」
  建設のときに多額の寄付をした話題

 祥龍寺の鈴木よね社長の銅像と大番頭金子直吉、柳田富士松翁の頌徳碑

 神戸製鋼神戸製鉄所の高炉2017年度に休止。跡地で発電所を増設。
  鈴木商店から分かれた会社である神戸製鋼の話題です。

 神戸臨港線
  大正7年(1918)の地図に鈴木商店の名前が出てきます

 須磨寺 一の谷鯖大師 貞照寺前の十六羅漢石造 と釈迦如来石仏
  番頭の金子直吉が寄付をした十六羅漢像が須磨寺の境内に残っている話題です。

 インド高速鉄道計画、双日が契約 円借款で最大、着工へ(共同通信) - エキサイトニュース  鈴木商店から派生した双日に関する話題です。

  7月23日 きょうは何の日
  大正7年(1918)富山県魚津町の漁家の主婦たちが米の県外移出を阻止する集団行動を
  起こした所謂「米騒動」と同年(大正7年)8月12日に起きた鈴木商店焼き討ち
  に関する話題です。


 今日は何の日 8月12日

   大正7年(1918)鈴木商店焼打ち鈴木商店などが米の買占めを噂され、マスコミ
   でもその元凶が鈴木商店と報道され暴徒化した民衆により鈴木商店本店
   が焼打ちされた。城山三郎は、その代表作『鼠~鈴木商店焼討ち事件』
   において、鈴木商店が誤報・妬みなどによって狙い撃ちにされたことを
   数々の証拠を用いながら説明。鈴木商店の潔白を明らかにしている。

 鈴木商店跡地のモニュメントの現況 on 2017-6-25&2017-10-14

   鈴木商店が焼打ちに遭った場所に設置された石碑に関するものです。

 神戸駅貴賓室 on 2016-7-1

   鈴木商店の本店(旧ミカドホテル)の写真があります。

 鈴木商店に関する本 in 兵庫県立図書館

   表題のとおり兵庫県立図書館所蔵の鈴木商店に関する図書を紹介しています。



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