CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

今日は何の日 7月6日

2023年07月06日 16時29分21秒 | Weblog
神戸新聞の3面、「今日は何の日?」ひょうご版を毎日楽しみに読んでいます。
7月6日に紹介されていたのは「明治20年(1887)、官営の兵庫造船所が川崎重工業創始者の
川崎正蔵に正式に払い下げられることが決まった。価格は約19万」との内容でした。

本ブログでは神戸における造船業の創成期の歴史を取り上げます。
1968年の神戸港の開港直後から生田川尻や宇治川尻の海岸では小規模な造船業や鉄工業が
外国人の手によって始まっていた。比較的規模の大きいものとしては、明治2年(1869)に
アメリカ人のミュアヘッドがいち早く、東川崎町で小蒸気船の修理を行うバルカン鉄工所を開設した、
明治11年(1878)にはイギリス人のキルビーが小野浜にキルビー商会小野浜造船所を開設しています。
日本人の間でも、加賀藩士が石川県の七尾にあった造船工場の機械設備を東出町に移設して
明治3年(1870)に兵庫製鉄所を開設した。この兵庫鉄工所は「加州製鉄所」と呼ばれていた。
明治4年(1871)には造船業を振興するため、明治政府の工部省も東出町に官営兵庫製作所を
開設した。しかし、経営が思わしくなかった加州製鉄所、バルカン鉄工所は官営兵庫製作所に
買収され明治18年(1885)には名前も兵庫造船所に変わった。
この兵庫造船所の払い下げを受けたのが、川崎兵庫造船所を明治14年(1881)に開設していた
川崎正蔵である。(下の写真が川崎正蔵の肖像写真)

川崎正蔵はそれより前の明治11年(1878)、既に東京・築地の隅田川沿いに
川崎築地造船所を開設して西洋型帆船の建造を始めていたが、築地造船所に
拡張の余地がないため、神戸に造船所を集約させたいと考えた。
そこで目をつけたのが兵庫造船所で、明治19年(1886)4月に政府から貸し下げを受け、
ここに川崎兵庫造船所の設備を移して社名も川崎造船所と改称した。
これが後の川崎重工業神戸工場の始まりになります。
明治19年(1886)9月には東京の川崎築地造船所の設備を神戸に移し、上述のように
明治20年(1887)7月6日に官営兵庫造船所は正式に川崎正蔵に払い下げられた。
川崎造船所で最初に進水したのは官営兵庫造船所時代から建造していた大阪商船の貨客船
「吉野川丸(400総トン)である。川崎造船所は明治29年(1896)10月、個人経営から
株式会社に組織を改めたのを機に時の総理大臣松方正義の三男、松方幸次郎が
社長に就任した。

その後、明治38年(1905)三菱合資会社が和田岬に神戸三菱造船所を開設。
現在の三菱重工業神戸造船所に繋がっていきます。

上の写真は大正元年(1912)から解体された昭和37年(1962)まで神戸港のシンボル的
存在であった川崎造船(現川崎重工業)のガントリークレーン昭和36年(1961)頃の写真
出典:市民のグラフ こうべ No.171(1987.1)Page12
全長303m、幅45m、高さ50mという巨大クレーンは大正元年(1912)に完成、
大正2年(1913)に「榛名」が進水、以降戦艦「伊勢」や航空母艦「加賀」など軍用船から
大型商船まで数多くの船舶の建造に使用されてきました。


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洲本市五色町都志の散策記 on 2023-6-14&6-15 その2 ウェルネスパーク五色(高田屋嘉兵衛公園)

2023年07月06日 03時56分48秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年6月14日と6月15日に高田屋嘉兵衛の生まれ故郷&晩年を過ごした淡路島 洲本市五色町都志を
散策してきましたので写真紹介します。訪問先をシリーズで紹介していきます。
本日はその第2回で「ウェルネスパーク五色(高田屋嘉兵衛公園)」について書いていきます。

洲本市五色町都志の散策シリーズ過去の記事
 
ウェルネスパーク五色(高田屋嘉兵衛公園)の基本情報
住所:洲本市五色町都志1087 TEL:0799-33-1600(代)
運営:一般財団法人五色ふるさと振興公社


ウェルネスパーク五色(高田屋嘉兵衛公園)内には高田屋嘉兵衛関連の記念植樹やモニュメントも
沢山あります。

まずは公園内の概要をみるためにリーフレットの書かれている諸施設の名称を記しておきます。

A.ログハウス
B.オートキャンプ場
C.五色洋ランセンター
D.ゆ~ゆ~ファイブ(五色温泉)
E.浜千鳥(公共の宿・レストラン)
F.菜の花ホール・・・第1回で記述済
G.阿久悠「愛と希望の鐘」
H.夢工房
I.体験農園
J.GOGOドーム(テニス、フットサル、バドミントン他)
K.テニスコート
L.わんぱく広場

本ブログでは高田屋嘉兵衛の関連のモニュメントや植樹などを中心に記す。


上の2枚の写真は日露友好の像
右:高田屋嘉兵衛 左:ゴロ-ニン提督
1812年、高田屋嘉兵衛はクナシリ沖にてロシア船に拿捕され、カムチャッカに連行された。
しかし高田屋嘉兵衛は逆境を好機ととらえ、副艦長リコルドとの友情を深め、
言葉の壁を乗り越え両国和平を説き、1813年ゴローニン釈放を実現させ、
日露武力衝突の危機より日本を救った。 




上の2枚の写真は旧都志港で使用されて堤石の一部と現地説明板
また、歌碑が設置されています。


上の2枚の写真はしあわせのラッパイチョウのモニュメントと現地説明板
五色バスセンター横の高田屋嘉兵衛屋敷跡に全国的にも珍しいラッパイチョウ
があるとのこと。
上の写真はラッパイチョウのモニュメント付近から撮った高田屋嘉兵衛公園の遠景

上の写真は駐日ロシア連邦大使アレキサンドル・P・ロシュコフの来町記念植樹
平成18年(2006)2月8日に来町
上の写真は兵庫県・ロシアハバロフスク地方 友好提携30周年記念 植樹
平成11年(1999)11月6日


上の2枚の写真は高田屋嘉兵衛生誕230年記念植樹のコブシの木と現地説明板
平成11年(1999)10月24日
上の写真は高田屋嘉兵衛生誕250周年記念植樹の現地説明板
令和元年(2019)10月5日

上の写真はゴローニン事件解決後200周年記念植樹の現地説明板
平成25年(2013)10月26日
上の写真はヴァンワード市交流10周年記念のボード 五色町交流協会
2006年7月29日 

上の写真は嘉兵衛里めぐりの①高田屋顕彰館・歴史文化資料館の説明板
上の写真は嘉兵衛里めぐりの①の写真説明板
上の写真は「日本の誇り高田屋嘉兵衛翁此 の地に眠る」と書かれた石碑
平成6年(1994)4月30日 内閣総理大臣、羽田孜氏の謹書です

最後にトピックスとして菜の花畑の先に広がる大海原を疾走する姿を夢見た男高田屋嘉兵衛(竹中直人)
彼を題材としたNHK放送開始75周年記念作品 「菜の花の沖」原作:司馬遼太郎の再放送が
6月30日(金)より20時15分から75分、5回シリーズで毎週金曜日NHKBSプレミアムで放送されます。
今後の放送内容を含めて全5回の内容と以前の放送日を記載しておきます。

 6月30日(金)   (1)  「果てしなき夢」 NHKBS:2000年12月4日 
 7月7日(金)     (2)  「大海原へ」    NHKBS:2000年12月5日 
 7月14日(金) (3)「海の王者」     NHKBS:2000年12月6日  
 7月21日(金) (4)「はるかなるカムチャッカ」 NHKBS:2000年12月7日
 7月28日(金) (5)「さらば、異国の友よ」 NHKBS:2000年12月8日
 
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