CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

NHKスペシャル 史上最大の火星探査 ~地球外生命を探せ~を視聴して

2018年08月23日 03時57分01秒 | Weblog
2018年8月19日(日)、13時50分より70分のNHKの表題番組を視聴しました。
前半は2004年に放送された「史上最大の火星探査」の再放送で後半は
ゲストの国立天文台 副台長の渡部潤一氏と歌手・女優の中川翔子のトークで司会は
森田美由紀アナウンサーであった。

火星に関して全く無知の私であるが火星についてネットで調べた内容も加味して纏めてみた。




上の2枚の写真は2004年に放送された番組で語られる渡部潤一氏と森田美由紀アナ

2003年6月10日、NASAはボーイングDeltaⅡを使用し火星探査機1号機(Spirit)を打ち上げた
2003年7月7日、同様に火星探査機2号機(Opportunity)を打ち上げました。

火星探査機は一般にRoverと呼ばれています。

2004年1月4日、Spiritはグゼフ クレーター(Gusev Crater)南緯14.57度 東経175.47度
に無事着陸し観測を始めています。

上の写真は火星探査機1号機の着陸地点のグゼフ クレーター付近の火星の表面写真


Spiritは2009年に6本あるタイヤの内の1本が作動不良となり2011年5月25日に
ミッションは中断しています。

Spiritに関する詳細は下記サイトを参照してください。
 https://www.jpl.nasa.gov/missions/mars-exploration-rover-spirit-mer/

2004年1月25日、火星探査機2号機はEagle Crater on Meridiani Pluanum 
(メリディアニ平原)南緯1.95度、東経354.47度に着陸し観測を始めています。


Spiritの姉妹機であるOpportunityについての詳細は下記
 https://www.jpl.nasa.gov/missions/details.php?id=5909


上記の着陸地点は3年位前から約30箇所の候補地から選ばれました。
番組ではその過程についても解説されていました。
グセフクレーターでは「ダストデビル」という竜巻が通った跡がみられ、その
巻き上げる砂塵が太陽電池に与える影響について事前に実験により何度も確認された。

NASAの下記サイトで火星探査機 SpiritとOpportunityの詳細を調べられます
 https://mars.nasa.gov/mer/highlights/?page=0&per_page=3&order=publish_date+desc%2Ccreated_at+desc&search=&category=177&blank_scope=Latest


火星表面の地形

上の写真は火星の表面写真で左端に宇宙で最大の山であるオリンポス山(標高21,900m)
1971年に発見されていました。
Eikipediaの解説を添付しておきます。

周囲の地表から約27,000メートルまで山体が立ち上がっている。これはエベレストの3倍程度に
相当する。火星の標高基準面からの高度は25,000メートルあり、裾野の直径は550キロメートル
以上もある。
斜面の最大傾斜角度は数度しかないが外縁部では高さ5,000m以上の崖が切り立っている。
また、山頂のカルデラは長径80km、短径60km、深さ3.2kmもあり富士山がほぼ収まってしまう。
これほど巨大化したのは火星ではプレート移動が起こらないため、ホットスポット上に
火口が留まり続けたためではないかと考えられている。






上の2枚の写真は火星の渓谷とその代表格のマリネリス渓谷


上の写真はダスデビル(竜巻)跡


グゼフ クレーター

Wikipediaの解説を添付しておきます。

火星の赤道付近南緯14.5度 東経175.4度に位置するクレーターである。
直径は166kmで、約30億年~40億年前に形成されたと考えられている。
このクレーターの名前は、1976年にロシアの19世紀の天文学者マトヴェイ・グセフ
から名づけられた。Matvei Gusev (1826–1866)
グセフクレーターにはマーディム渓谷 Meridiani Planumと名づけられた谷が接続しており、
過去の火星において液体の水か、水と氷がこのクレーターに流れ込んでいたと考えられている
当時クレーターはクレーター湖となっており、3,000 ft (910 m)もの堆積物で満たされて
いたとみられる。いくつかの露出した地層により層状の構造があることが窺え、
何人かの研究者はマーディム渓谷との接続部付近は地球で見られるような三角州であると
主張している。このような三角州は地球では一万年から十万年といった時間をかけて形成
されるもので、三角州の存在は水の流れが長期に渡り続いていたことを示唆している。
軌道上からの映像でも、実際にマーディム渓谷から供給された水により、巨大な湖が
存在していたことが読み取れる。しかし、その流れがゆっくり持続したものであったか、
それとも爆発的で断続したものであったか、またはその組み合わせかまでは分かっていない。






上の2枚の写真はグゼフクレーター

35億年以上前、川の流れによってクレーターに湖ができ、湖が乾燥した後、水が粘土鉱物を
周辺地域からクレーターに運んだという証拠が発見されました。


上の写真はグゼフクレーターに川から水が流れ込み湖になったイメージ図






上の3枚の写真は水が存在していた証拠となる炭酸塩鉱物や粘土鉱物が確認された。

メリディアニ平原
ローバー2号機のOpportunityはメリディアニ平原に着陸しました。火星の表面には
川や洪水の跡とみられる地形が存在する。このように水の痕跡が見つかっている惑星は
地球以外では火星のみ。Opportunityに搭載されている赤外線観測装置での分析の結果
メリディアニ平原でヘマタイト(Hematite)が発見されました。

Hematiteは化学組成でFe2O3 酸化鉄成分である。

Opportunityが着陸地点の層状岩石とその近辺を重点的に調べた結果、ジャロサイト等の
硫酸塩鉱物も確認されています。
ジャロサイト(Jarosite)は化学式ではKFe3(SO4)2(OH)6で和名では鉄明礬(みょうばん)


上の写真はジャロサイトが露出した写真

このことからメリディアニ平原地帯が熱水の湧き出る温泉地帯だった可能性があると
推測されています。


火星の基本情報

英語圏では、その表面の色から、Red Planet(「赤い惑星」の意)という通称がある。

名前(Mars)の由来:戦争を表すローマの神様
太陽からの平均距離:227.94百万Km

公転周期:686.98日(1.8807地球年)
離心率(Orbit Eccentricity):0.0934
軌道傾斜角 (Orbit Inclination to Ecliptic): 1.8497 度
自転周期:24.62Hr=24時間39分
赤道面での直径:6,794.4 km
密度:3.934g/立方センチメートル(地球の0.714倍)
質量: 6.4191 ×10の23乗 kg  地球の0.10744倍
大気の組成:二酸化炭素95%、窒素3%、アルゴン1.6%他に酸素や水蒸気などの微量成分を含む
大気の厚さ:10Km(地球は6Km)
表面の重力:地球の0.38倍
平均気温:-55度C 赤道では20℃ -87~-5℃とする文献も有り
火星の月:2個(フォボス、ダイモス)


火星探査の歴史

1877年 Asaph Hallが火星の月を発見
1965年 NASAのマリナー(Mariner)4が火星の写真22枚を送ってくる。
1976年 Viking1と2が火星に着陸
1997年 マーズ・パスファインダー(Mars Pathfinder)が火星に着陸
    約1万6000枚の写真と、大量の大気や岩石のデータを送信後3か月で途絶
2002年 マーズ・オデッセイがミッションを開始グローバル・サーベイヤーは峡谷や
    土石流の写真を撮影し、帯水層と同様の液体の水が流れる水源が火星の地表
    または地表近くに存在する可能性を示唆

2004年 NASA はスピリット (Spirit)、オポチュニティ (Opportunityが) の2機の
    マーズ・エクスプロレーション・ローバーが火星への着陸に成功
    Spritの走行距離7.7Km 125,000枚の写真を送信
    Opportunityの走行距離43.5Km 20万枚以上の写真を送信してきています

2006年 マーズ・リコネッサンス・オービター(Mars Reconnaissance Orbiter、略称: MRO)
    が火星の周回軌道より高解像度の写真を送信

2008年 NASAのフェニックス(Phoenix)が北極の氷の豊富な地域に着陸。
    着陸後はロボット・アームで北極域の地表を掘り上げて過去の水に関する情報を探し、
    火星が微生物にとって適切な環境であるかどうかを調べた

2012年 NASAのキュリオシティー(Curiosity)が高解像度 (1600×1200)の写真を送信

2018年 5月 NASAインサイトを打ち上げ 11月に火星に到着予定
    15年ぶりに7月31日、火星が地球に大接近(火星と地球が5759万Km)

現在(2018)までに判明事項



上の2枚の写真は2018年に収録された場面で火星について判明している事項を
パネルで説明されました。

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pisola(ピソラ)垂水学園南町店でのランチ on 2018-8-21

2018年08月22日 14時57分00秒 | 神戸情報
2015年10月26日に開店のパスタ、ピザ、リゾットのチェーン店
pisola(ピソラ)垂水学園南町店でランチをいただきましたので写真紹介します。
ピソラは大阪を中心として9店舗を展開するチェーン店です。
訪問日:2018-8-21(火)

PISOLA(ピソラ)垂水学園南町店の基本情報

住所:神戸市垂水区多聞町868-790  TEL:078-647-8582
営業時間:11:00〜24:00
料理ジャンル:パスタ、ピザ、リゾット
定休日:なし

公式HP:http://pisola.jp/
公式FB:https://www.facebook.com/pisola2010

当日は平日のランチ(税別 1,190円)を注文



上の写真は私が注文したランチのメイン 熟成生ハムと水牛モッツァレラの冷製トマトソース
6月-8月の夏限定メニュー で+100円の1,290円(税別)
さっぱりした味で食べやすかった。


上の写真は奥様が選んだウニ海老、茸の和風リゾット
奥様のお気に入りメニューです。




まず、サラダ又はキッシュが出てきます(上の2枚の写真)


上の写真は夏のスペシャルメニュー
メインを+100円か+200円でこのメニューを選択できます。



上の写真はDolceメニュー


過去の訪問記:
pisola(ピソラ)垂水学園南町店でのランチ on 2018-6-5

pisola(ピソラ)垂水学園南町店でのランチ on 2018-2-21

pisola(ピソラ)垂水学園南町店でのランチ on  2017-7-19

pisola(ピソラ)垂水学園南町店でのランチ on  2017-4-19

pisola(ピソラ)垂水学園南町店でのランチ on  2017-1-16


pisola(ピソラ)垂水学園南町店でのランチ on 2016-11-28


pisola(ピソラ)垂水学園南町店でのランチ on 2016-7-25

pisola(ピソラ)垂水学園南町店でのランチ on 2016-6-13

リッチフィールド ブランチ神戸学園都市店のケーキ on 2016-3-28

pisola(ピソラ)垂水学園南町店でのランチ on 2016-3-14

pisola(ピソラ)垂水学園南町店でのランチ on 2016-2-22

pisola(ピソラ)垂水学園南町店でのランチ on 2015-12-13







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阪急 芦屋川駅周辺の風景 on 2017-10-25

2018年08月21日 05時17分40秒 | 神戸市以外の兵庫県
2017年10月25日、阪急芦屋川駅に下車して芦屋川沿いに南に歩き散策してきました。
その中から、阪急芦屋川駅の周辺で気になった写真を紹介します。




上の写真は芦屋川駅の北側にある星座広場と現地説明板。
昭和61年(1986)に整備されたそうです。
広場のリニューアルは平成24年(2012)に行われたようです。


上の写真は阪急芦屋川駅


上の写真は芦屋川



上の写真は芦屋川駅から六甲山ロックガーデンなどへのハイキングコースを示した
現地説明板




上の2枚の写真は重信医院の趣のある建物
1926年の築で谷崎潤一郎の細雪に登場の櫛田医院のモデルとなった。




上の2枚の写真は浄土宗 安楽寺


安楽寺の基本情報

住所:芦屋市西山町10-3  TEL:0797-34-1246
宗派:浄土宗  御本尊:阿弥陀如来



上の写真はマンホール


上の写真は芦屋川駅前商店街の芦屋軒

芦屋軒は大正末期創業 神戸牛・但馬牛専門店で名物の牛肉佃煮が有名


上の写真は芦屋川駅から芦屋川上流側に架かる「開森(かいもり)橋」
ライト坂を通り上へ進むとF.L.ライト設計のヨドコウ迎賓館(山邑邸)がありますが
残念ながら保存修理工事中で工事中の写真しか撮れませんでした。

そこで現地の説明板のみ添付しておきます。(下の9枚の写真)






















上の2枚の写真はライト坂の碑とライト坂


上の写真は細雪の石碑
芦屋には谷崎潤一郎記念館や富田砕花旧居、村上春樹、小川洋子など文学関連の場所があります。



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太子町 「えびや」でのランチ on 2018-4-18

2018年08月20日 05時28分42秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月18日(水)、兵庫県揖保郡太子町の斑鳩寺をメインに観るために
太子町に来ていました。その時、斑鳩寺に近い場所にある「えびや」でランチを頂きました
ので写真紹介します。

えびや」の基本情報

住所:兵庫県揖保郡太子町鵤710−19 TEL:079-277-0090
料理ジャンル:寿司
営業時間:11:00~22:00


Goo地図を添付しておきます。



上の写真は当日に頂いた寿司定食1,000円(税込)
ビールもいただきました。ビールは大瓶しかなくきつかった記憶がよみがえりました。

地元のお客様にも人気のようで日替わり定食 1,000円(税込)が人気のようでした。


上の写真はお店(えびや)の外観です。


上の写真はお店の前の掲示です。

これまでに書いた太子町の散策録:

 斑鳩寺訪問記 on 2018-4-18

 旧山陽道 西国街道 太子町 鵤本陣跡 on 2018-4-18

 太子町 稗田神社 on 2018-4-18

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神戸市立小磯美術館 浜口陽三と南桂子展 on 2018-8-15

2018年08月19日 05時19分32秒 | 神戸情報
2018年8月15日、神戸市立小磯美術館で開催中の浜口陽三と南桂子展で
銅版画を鑑賞してきました。

記憶の留めるためブログ記事を書くこととしました。

神戸市立小磯美術館の基本情報

住所:神戸市東灘区向洋町中5丁目7 TEL:078-857-5880
開館時間:10:00-17:00 休館日:月曜日
入館料:一般800(600)円、大学生400(200)円、( )内は団体料金
    障害者手帳持参で無料、すこやかカード持参で400円


公式サイト:http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/koisogallery/




上の2枚の写真は浜口陽三と南桂子展のリーフレット


上の写真は小磯良平のアトリエを再現した建物と中庭
中庭には夏の風物詩でもあるサルスベリの木が彩りを添えています。


上の写真は浜口陽三と南桂子展の看板
六甲ライナー アイランド北口から小磯記念美術館に行く途中の六甲アイランド公園内
に掲示されています。



上の写真は神戸市立小磯記念美術館内の記念撮影スポット


浜口陽三(1909-2000)はメゾチントに色彩を導入した独自のカラーメゾチントを
導入した銅版画の世界では有名な大家です。

南桂子(1911-2004)は浜口陽三氏の妻でエッチング技法で独自の表現をされている大家です。

今回、もう一つ収穫だったのは洋画家の小磯良平画伯が銅版画の作品を数多く制作
されておりその一端を見ることができた事です。


内容が無いのでメゾチントの目立ての方法について記載して終えます。
厳密に言えばベルソー(ロッカー)による目立てのみがメゾチントというそうです。

ベルソー(ロッカー)・・・最もオーソドックスな方法で
   先端の刃の部分には細い番線が何本も入っており、これを銅版の上に乗せて、
   ユラユラ揺らしていくと、銅版に無数の点が打てるようになっています。

ルーレット ・・・ 持ち手のついたちいさな円柱上にトゲがたくさんついている
   道具で、銅板上をコロコロと転がして使います。ベルソーほどの強い黒は出ません。
 銅版画の他の技法と組み合わせ、画面の一部のみメゾチントを施す時などにも使います。


上の写真は私が使用しているルーレット 新日本造形 SNルーレットA型 No.85

ハーフトーンコーム ・・・ T字型の、レーキのような形の工具です。
 T字の先端が小さなベルソーのようになっていて、定規をあて引っかいて溝を作ります。
   銅板上にインクの溜るささくれが残らないためルーレットよりさらに黒は薄く
   なりますが、規則的な線が独特のテクスチャーです。


上の写真は私が持っているホーフトーンコームで新日本造形 211161
SN・ハーフトーンコームです。

線引き ・・・ ニードルなどを使い、定規をあてて一本づつ線を引いて
   画面を埋めてゆく方法です。
   大変な作業に思われますが、ベルソーほどの手間ではありません。
   ささくれも残り、得られる黒も深いです。


アクアチント・・・得られる黒はベルソーほどではありませんが、
   松脂の粉を銅板にのせて熱で定着させたものを腐食する、
   アクアチントの技法を目立ての代わりにする方法もあります。
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東神戸公共フェリーふ頭(東神戸フェリーセンター)

2018年08月18日 05時24分06秒 | 昔こんなものがあった 昭和編
本日は昭和46年(1971)から平成11年(1999)まで存在していた東神戸公共フェリーふ頭
別名、東神戸フェリーセンターについて記事を書いていきます。

住所としては神戸市東灘区青木1丁目付近で現在はサンシャインワーフ神戸、ヤマダ電機、
スポーツDepo、オートバックススーパーなどのショッピング街となっています。




上の写真は昭和46年(1971)に撮影の東神戸公共フェリーふ頭(東神戸フェリーセンター)
出典:市民のグラフ こうべ 1971年10月 No.6 Page4-5

ここで、Wikipediaより建設経緯と縮小廃止の経緯について引用紹介します。

東神戸フェリーターミナルは神戸港のフェリー発着拠点の集約により、運航会社の負担
軽減と利用者の利便性向上を図るため、神戸市が建設したフェリー専用の公共埠頭である。
神戸市の埋立地である東部第三埋立工区および東部第四埋立工区の約7.7ヘクタールの敷地に、
運輸省から半額の補助を受け約23億円をかけて整備された。建設工事は1970年から開始され、
1970年夏に第四バースが完成、第三バース、第二バースも順次供用され、1971年7月の
第一バース完成により、計画されていた4バースが全面供用
となった。管理運営のため、
株式会社神戸フェリーセンターが設立され、旅客サービス、ターミナルの運営、
港湾業務などを一手に引き受けた。
1971年10月時点では、10社(1日合計32便)が就航、1974年4月までに合計17社の就航が
見込まれていたため、東部第四埋立工区の東側に第五バースを新設、東京、鹿児島など
長距離航路専用バースとする計画が、1972年春に着工、年度内に完成のスケジュールで
進められた。工費約10億円は、神戸フェリーセンターが負担した。
阪神・淡路大震災で被災した後、復旧して運用を再開したが、対岸の六甲アイランドで
1988年から運用が開始された六甲アイランドフェリーターミナルや中央区の
新港フェリーターミナル(新港第三突堤)に航路が移転することになった上、
明石海峡大橋の開通により、ここを発着とする航路自体も減少したために
1999年3月閉鎖となった。
跡地はショッピングセンター「サンシャインワーフ神戸」となっているが、かつてフェリーが
発着していたバースの可動橋や、東西2つ存在した旅客ターミナルのうち西側のものは、
現在も残っている。
阪神電気鉄道青木駅が最寄り駅であった




上の写真はGoogleの地図より東神戸公共フェリーふ頭跡の位置を示したものです。


上の写真の手前は西の旅客ターミナルに使用されていた建物で現在は株式会社
神戸フェリーセンターの出資会社であるポート産業株式会社の建物になっています。
写真はGoogleストリートビューによります。

Googleの地図では東神戸フェリーセンター、加藤汽船、神紀フェリー乗り場などの表示が
ありますが、現地未確認につき現状どのようになっているか不明です。


昭和46年(1971)の供用開始当時に東神戸公共フェリーふ頭を利用していた運航会社と
航路は次のとおりです。 出典:市民のグラフ こうべ 1971年10月 No.6 Page5

関西汽船・加藤汽船(神戸~高松間)
日本通運・四国フェリー(神戸~高松間)
四国中央(神戸~川之江間)
ダイヤモンドフェリー(神戸~松山~大分間)
セントラルフェリー(神戸~東京間)
宮崎カーフェリー(神戸~宮崎間)
阪神バイパスフェリー(神戸~泉大津間)
共同汽船(神戸~徳島間)※共同汽船・共生汽船・関西汽船の共同運行





上の2枚の写真は現況。写真はGoogleストリートビューによります。



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広東小菜と点心 黄老 さんちか店 でのランチ on 2018-8-10

2018年08月17日 04時26分09秒 | 神戸情報
広東小菜と点心 黄老 さんちか店 でのランチを写真紹介します。
訪問日:2018年8月10日(金)

広東小菜と点心 黄老 さんちか店の基本情報
住所:神戸市中央区三宮町1-10-1 さんちかレストランモール
TEL:078-391-1930
料理のジャンル:中華料理 広東料理
営業時間:11:00~21:30


当日注文したのは天祥セット 1,580円(税込) 


まず広東風チャーハンと黒酢の酢豚、クラゲのサラダ、海老チリの3品盛が出てきます


次に精進あんかけ焼きそば(上の写真)


本日のスープ(上の写真)



締めは飲茶点心3種せいろ蒸しと揚げゴマ団子(上の写真)



上の写真は店頭の展示です。全品が揃った写真になっています。
天祥セットは月曜~金曜日の平日メニューです。
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明治40年(1907)第一期修築工事起工以前の神戸港

2018年08月16日 05時45分01秒 | 神戸情報
明治40年(1907)3月 神戸港第1期修築工事予算(総工費1,509万2037円 明治39年~
明治46年度まで8か年で完成の予定)が帝国議会を通過し起工式が同年9月16日小野浜埋立地で
挙行されました。工事内容としては新港第1~4突堤の建設(大正11年(1922)に完成)と
第3防波堤の建設(昭和10年に完成)、臨港鉄道などで当時、我が国の貿易額の36%を扱って
いた神戸港では急増する貨物をさばく貿易設備の拡充が最重要課題であった。

その当時の港の施設としては、艀(はしけ)や小型船の物揚場や防波堤が主体であって、
当時3,000トン級の船が接岸できるようになったのは明治17年(1884)11月に神戸桟橋会社
が小野浜に造った鉄桟橋(長さ178m、幅13m)の1本のみであった。


本ブログでは開港当時からの港の設備を時系列に整理し関連写真も添付し纏めてみました。


開港時の神戸港
慶応3年(1867)12月7日(新暦換算1868年1月1日)頃~明治9年(1876)6月末の神戸港


上の写真は慶応4年(1868)4月(旧暦)に製作された兵庫県御免許 開港神戸之図
作者は若林秀岳です。


慶応4年(1868)2月 居留地京町筋の南東に東運上所と西運上所(国産波止場付近)開設
        4月 波止場規則が定められ東運上所前は第1波止場
           西運上所前を第2波止場と称せられるようになった。

        5月 波止場2箇所増設
           米国領事館前を第3波止場(後のメリケン波止場)、宇治川尻を
           第4波止場と称す

  明治への改元は9月8日なので慶応4年と表記しました。


明治4年(1871) 2月 兵庫県はイギリス人J.マーシャルを初代港長に任命
           マーシャルは港内の実測を行った
        3月 居留地の要請で生田川付け替え工事を着工
           (明治4年6月9日 新生田川竣工)
        4月 和田岬にイギリス人技師アール・ヘンリー・ブラントンの技術指導で
           洋式灯台を建設。明治5年(1872)8月29日に本点灯



上の写真は兵庫神戸実測三千分箇之縮図 明治5年(1872)で第1,2,3波止場の位置を入れた
明治4年(1871)2月に第2波止場(西運上所前)の改修工事が始まり同年10月に完成
改修後の姿で記載されています。


上の写真は上記の地図の解説。
 出典:田井玲子著 神戸開港150年によせて「外国人居留地と神戸」(2013)Page33


上の写真は第1~第4波止場の概略位置を示した略図です。明治5年(1872)頃の略図。
出典:市民のグラフ こうべ No.170 1986年12月 特集・みなとの120年(上)Page7




上の2枚の写真は1968年3月28日号のイラストレイテッド ロンドン ニュースが
開港後、間もない神戸のイラストを掲載したものです。
下の写真にロドニー号が写っています。
上のイラスト海側から観た外国人居留地の場所付近です。
建物では兵庫運上所(税関)くらいしか写っていない。
明治5年(1872)11月28日、兵庫運上所は神戸税関と改称されました。

出典:描かれた幕末明治 イラストレイテッド・ロンドン・ニュース1853-1902
    金井 圓 翻訳 昭和48(1973)Page168-169



上の写真は明治5-10年頃の宇治川尻の第4波止場
出典:市民のグラフ こうべ No.170 1986年12月 特集・みなとの120年(上)Page5


上の写真は明治6年に完成した西運上所前の木造桟橋 撮影年代は不明
出典:市民のグラフ こうべ No.170 1986年12月 特集・みなとの120年(上)Page5






上の3枚の写真は明治5年(1872)神戸港を描いた最も古い海図で描かれた神戸港(部分)と
説明書き 出典:2017-7-29海フェスタ神戸 海の総合展 第五管区海上保安部展示


上の写真は神戸港長のJ.マーシャルが提案した築港案(明治6年10月)

明治7年(1874)3月 J.マーシャル立案の「神戸港則」成る

鉄道桟橋の設置後の神戸港
明治9年(1876)7月1日に鉄道桟橋の開業~明治17年(1884)11月 神戸桟橋会社鉄桟橋建設


上の写真は明治14年(1881)の神戸駅付近の地図です。 松田元次氏蔵
第1波止場~第4波止場に加えて鉄道桟橋の位置を表記


上の写真は鉄道桟橋の建設に関する記述(写真付き)
出典:神戸駅130年史、JR西日本神戸支社



上の写真は明治10年(1877)頃の神戸港遠景写真 神戸市立博物館蔵
第2波止場、第4波止場、鉄道桟橋が写っています。
出典:博物館だより 神戸市立博物館 No.113(2018・春)の表紙


上の写真は明治12年(1879)頃の居留地京町筋と第1波止場付近
出典:市民のグラフ こうべ No.95 1980年8月 特集・神戸港を築いた人々 Page10 


上の写真は明治中期の雑居地海岸通 第2波止場付近
出典:市民のグラフ こうべ No.95 1980年8月 特集・神戸港を築いた人々 Page10 

神戸桟橋会社外国桟橋建設以降
明治17年(1884)11月~




上の2枚の写真は明治29年(1896)1月の海図と説明パネル
湊川の付け替え工事は明治30年(1897)着工 明治34年(1901)竣工なので
この頃は湊川が旧流路で通っていた時代の海図です。
出典:2017-7-29海フェスタ神戸 海の総合展 第五管区海上保安部展示

明治29年(1896)10月 メリケン波止場(第3波止場)が改修(明治34年(1901)竣工)


上の写真は神戸桟橋会社の外国桟橋
明治中期の唯一の外国航路用の外国桟橋
出典:市民のグラフ こうべ No.95 1980年8月 特集・神戸港を築いた人々 Page10 

神戸桟橋会社は明治15年(1882)五代友厚の主唱によって鴻池善右衛門、住友吉左衛門、
藤田伝三郎らが発起人となって発足2年後に小野浜地区に木造桟橋を築造した。
しかし2,000トン以上の船舶は1隻しか繋留できない小規模なものであった。


上の写真は明治35年(1902)頃の神戸港で東波止場、西波止場、メリケン波止場
などの名称が使用されています。
旧生田川の川尻の物揚げ場(明治32年ごろ築造)の護岸のため防波堤が2本建設
されていることも判ります。
出典:市民のグラフ こうべ No.170 1986年12月 特集・みなとの120年(上)Page13




上の2枚の写真は明治36年(1903)の神戸港の海図と説明パネル
出典:2017-7-29海フェスタ神戸 海の総合展 第五管区海上保安部展示


最後に
明治2年(1869)の神戸港の輸出入額は 265万円にすぎなかったが堅調に増加し、
明治13年(1880)には1,350万円となった。当時の横浜港(4,530万円)の30%のレベル。

1880年以降も増加し明治29年(1896)には1億2,286万円に達し、横浜港(1億3,449万円)
に迫る勢いであったことが神戸市会を動かし近代的な築港計画の実行に繋がっていきます。

はなはだ中途半端な記述であるがこの辺で筆を置きます。
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ときわそば パティオ店でのランチ on 2018-8-11

2018年08月14日 05時26分41秒 | 神戸情報
2018年8月11日(土)、ときわそば パティオ店でランチをいただきました。
写真紹介します。 ときわそばの本店は星陵台にあります。

定期的に訪問しているお店の一つです。

ときわそば パティオ店の基本情報

住所:神戸市須磨区中落合2丁目須磨パティオ1号館1階  TEL:078-792-0123
料理ジャンル:蕎麦
営業時間:平日AM11:00~PM10:00 定休日:第3水曜日(正月元日休)

公式HP:http://www.tokiwasoba.com/shop.html

最寄り駅は神戸市営地下鉄 名谷駅です。


上の写真は奥様がチョイスした餅天ぶっかけそば 820円(税込)


上の写真は私が選択した助八定食 950円(税込)私の定番です。


最後にメニュー表を添付して筆を置きます。








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舞子タワー

2018年08月13日 04時52分15秒 | 昔こんなものがあった 平成編
本日は平成4年(1992)から平成14年(2002)に神戸市垂水区に存在していた舞子タワー
を取り上げます。

Wikipediaによれば次のように解説されています。
舞子タワー(まいこタワー)は、兵庫県神戸市垂水区にかつて存在した回転昇降式の展望塔。
世界最大の吊り橋である明石海峡大橋の建設工事見学のため、神戸市都市整備公社
(現在の神戸すまいまちづくり公社)が建設した。
橋の完成後には撤去する方針のもと、周辺の埋立地を所有する本州四国連絡橋公団、付近一帯を
公園として整備する計画の兵庫県、神戸市の三者により建設が決定する。
橋の工事が進捗するにつれて徐々に客足が伸びてくると、神戸市は観光施設として存続させたい
という意向を示すようになり、タワーがあると公園整備に支障をきたすと考える兵庫県と
確執が生じた。

1992年 - 建設。
1997年12月 - 営業休止。
1998年4月 - 橋の開通にあわせてリニューアルオープン。
2002年 3月 - 閉鎖。
    6月 - 撤去。


神戸トピックスさんがブログで当時の様子を紹介されています。(下記サイト)
 https://kobeport.exblog.jp/26638325/

また同じく上述のブログで次のようなことを紹介されています。
 基本仕様:高さ114m、直径3.5M、重さ約500t
 2002.6.19 クレーン船で海路運ばれ六甲アイランドにて解体

 
まず、舞子タワーの写真を紹介します。
出典:神戸アーカイブ写真館パソコン画面より部分写真

明石海峡大橋が建設中の舞子タワー









上の5枚の写真は明石海峡大橋が建設中の時代の舞子タワー

ここで明石海峡大橋の建設関連の基本情報を書いておきます。

建設工事開始:昭和61年(1986)
風速80mの暴風、マグニチュード8.5クラスの地震にも耐えうる様に設計されている
明石海峡大橋は平成7年(1995)の1月17日阪神淡路大震災で地盤ごと移動する
こととなったが工事は続行され、平成10年(1998)4月5日に供用開始された。

明石海峡大橋完成後の舞子タワー






上の3枚の写真は明石海峡大橋完成後の舞子タワー

舞子タワー跡地の現況

現在(2018-8-13)、武藤山治邸と再生・根上がりの松の間に「舞子タワー跡地 1992-2002)」
と書かれた石碑が建てられています。 





上の3枚の写真は舞子タワー跡地の石碑  撮影:2018-8-12
石碑の上部には北(North)を表すNの文字が刻まれています。

「根上がり松再生」の小山の南側に南(South)を表すSの文字が刻まれた石もあります。
(下の写真)


私自身は見たこともなく、昇ったこともないので実際に乗られた方のサイトに
リンクさせていただきます。

 http://www7.plala.or.jp/tower/maikotower/maiko.html

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