チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

ジョルジュ・オーリックの来日(1959)と日本の著作権問題

2014-06-01 00:05:10 | 来日した作曲家

オーリック(Georges Auric, 1899-1983)の初来日について書かれたものをずっと探していたのですが、とうとう見つかりました。朝日ジャーナル創刊号(昭和34年3月15日号)。


記事の中では「初来日」とは明記されていませんが、オーリック自身が他のインタビュー記事で「東京オリンピック(1964)のずっと前に初めて日本へ行った」と言っているので1959年がおそらく初来日なのでしょう。



以下、その記事です。

【オーリック旋風?】

 フランス六人組の一人であり「自由を我らに」「オルフェ」などの映画音楽の第一人者として知られているジョルジュ・オーリックが、来日した。訪日の目的は、彼が会長をつとめている音楽著作権協会(※)の事務上の用件だった

 日本は国際音楽著作権協会に加盟しながら、今まで対外的にさまざまな問題を起したのであるが、今度のオーリック氏来訪は新しい事態を生むことだろう。

 たとえば、映画の上映に当って、音楽の作者に著作権使用料を払わない、レコード放送(特に民間商業放送の場合)も同様というのは日本の特殊なしきたりであるが、著作権使用料がさらに飲食店などにおけるナマ演奏、レコード音楽にまでおよぶとすれば、てんやわんやの混乱がおこる可能性がある。

 オーリックの言い分は国際的な著作権の問題として、日本の経済状態に照らした方法でいいから、万国著作権条約に準じて著作権使用料を払ってほしいということである。占領下の非独立国ならいざ知らず、独立国になった現在、国際法に従って日本の国内法を改定する時機に来ているようである。それでないと、デザイン盗用などといってさわがれているオモチャなどと同様に、国際的ギャング呼ばわりされかねないのである。


。。。オーリックさん、そういう用事での初来日だったんですか!?

50年前当時の日本って、著作権に関しては今のどこかの国と大して変わらないような認識だったんですね。。?

 

※SESAM(セサム)。日本のJASRACに該当するフランスの組織。