チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

藤原歌劇団と二期会との対立(オペラ・ブーム、1953年)

2014-12-16 21:45:32 | 日本の音楽家

藤原歌劇団により日本人オペラが徐々に盛んになっていき、1950年代の初めの東京では自称「オペラインテリ」がたくさん劇場に集まり、ブームになったそうです。

そんな中、藤原歌劇団と二期会との間には確執が生じていたらしいです。

以下、『演劇グラフ』(アルス発行)昭和28年4月号より覆面記者の座談会です。

 

記者A 大分濫立しているそうだね。

これは間もなく一つか二つになってしまうよ。第一芸術的にだめなんだ。藤原のところでもグルリットが飛び出して、森を引っ張って来たが、グルリットとは比較になるまい。

グルリットあっての藤原オペラだったと思うがな。

今一番問題になるのはオペラの二期会でしょう。これがまた官学閥なんだ。上野出身者だけの集まりだけども、ここで野心を持っているのが柴田睦陸さ。上野の卒業生を二期会へ集めて上野閥で行こうじゃないかということだ。一応上野卒業者をみんな入れてしまうらしい。いいのは一応会員にしてしまうんだ。だから藤原のところでいいのを見つけたからといっても、私は二期会員だから二期会の許可を得なければお宅へは出られませんという結果になる。ちょっと二期会は官僚的存在だという気がするね。

反藤原ではないの?

もちろんそうですよ。また反グルリットでもある。ではどんな主張を持っているのかというと、われわれは上野を出たということだけなんだ。だからオペラというものは、長門美保でも同じことだが、あれで見ていると、芸術的にどんどん下がって行く。批評家が甘いからね。これがたたかれて、お客が離れてきたから、そのうち一つが二つになってしまうね。

オペラってどうしたって見て聞くもんですよ。ところがオペラの批評は、「見る」方にかけてはまるで音痴だ...

実際には外国のオペラを見て来ている人は少ない。堀内敬三とか、大田黒元雄ってことになるのかな...



。。。「覆面」なのでこのあとも悪口が続きますが、なんとなく当時の日本オペラ界の雰囲気はわかります。でもこの時代に頑張った人たちがいたからこその現在の日本のオペラだと思います~

↑ 同誌より、「セビリアの理髪師」。アルマヴィーヴァ伯爵の藤原義江とロジーナの戸田政子。1953年3月18日~20日、新橋演舞場の20周年記念公演

 

↑ 「魔笛」日本初演(1953年2月2日日比谷公会堂)。タミーノの木下保。当時は「初演物」だというと超満員になったそうです。その点は今と違う?