チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

園田高弘氏が撮った三度目の来日直前のジャック・ティボー(1953年4月)

2016-02-16 22:47:16 | 来日した演奏家

月刊誌『婦人之友』の古いものを読むと、音楽雑誌でないにもかかわらずクラシック音楽ファンとしては見過ごすことのできない記事がしばしば見受けられてビビります。



1954年3月号には、ヨーロッパ遊学のため1952年に日本を発ちスイス、フランス、イタリアと各地をまわって翌年帰国されたという、高名なピアニスト・園田高弘氏(1928-2004)が自ら撮影された貴重な写真が掲載されていました。



↑ 三度目の訪日を楽しみにしながら来日途中(※追記を見てください)の飛行機事故(1953年9月1日)で亡くなったヴァイオリニスト、ジャック・ティボー。やさしさがにじみ出ていますなー。

日本人は悪くないとわかっていながら「すみませんでした」という気持ちにさせられます。1936年の2度目の来日が結果的に最後になってしまったティボー氏は、事故の数ヶ月前の1953年4月のパリで園田氏から来日演奏会のためのインタビューを受けていたそうで、これはそのときに園田氏が撮影した写真です。

そのときのインタビューでティボーは「日本の食べ物はおいしいものがたくさんある。チャップリン氏と私は寿司をにぎってもらって食べたのだが、彼は28個も食べてね」と愛嬌たっぷりに話していたということです。園田氏のこのインタビューの全貌が雑誌等に収録されていたら是非読んでみたい。


さて、園田氏撮影の写真としてもう一枚は、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのチケットを買うための行列。



パリの人たちは午前11時のチケット発売のため朝6時頃からオペラ座の前でこのような行列を作っていたらしいです。行列は日本人だけの風習ではないんですね!

 

(追記)

ジャック・ティボーはパリから日本へ行く途中ではなく、パリからサイゴンに向かう間に飛行機事故に遭ったということです。

最初の計画では日本を訪れた後、サイゴンでコンサートを開くことになっていたが、何かの都合でサイゴン→日本の順に変更。パリのオルリー空港から、ニース、ベイルートを経由しサイゴンに向け飛び立った飛行機がフランス・アルプスの支峰モン・スメの頂上付近に激突炎上、ティボー、彼の長男ロジェの未亡人、そしてピアノ伴奏者のルネ・エルバン(René Herbin, 1911-1953)を含む乗客33人、乗務員9人の計42人全員が帰らぬ人となったということです。

↑ その情報は殿木敏達著『ジャック・ティボーの世界』より。まさに「この本読まずしてティボーを語るなかれ」、という内容でまたもやビビりました。