チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

ソニー入社前・大賀典雄氏のリサイタルへの批評(1954年)と一日指揮者(1990年)

2016-09-23 00:41:17 | 日本の音楽家

大賀典雄氏(1930-2011)の独唱会が1954年6月3日(木)東京都内で開かれています。Wikipediaによると大賀氏のソニー入社は1959年9月なのでその5年前のことになりますね。

以下、大木正興氏(1924-1983)による批評です。(『音楽之友』1954年9月号)
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三日、山葉ホールでの大賀典雄独唱会はシューベルトの「美しき水車小屋の娘」全曲である。去年の三月芸大を出た新進バリトンで歌劇などではもうおなじみの人である。

九月には渡独してヒュッシュ(Gerhard Hüsch, 1901-1984)の許で勉強する予定ということであるが、この人の歌は実にその将来の先生の歌に似ている。ヒュッシュの端正な歌がそのままここで再現されようとしているように感じられるのだったが、やはりヒュッシュにはヒュッシュなりの深さがあり、その間の距離はこう似て唄われると皮肉にもかえって泌々と考えさせられるのである。

恵まれた声を持つ人で将来を楽しまれる若手なのだが、やはりもっと型にはまらない自分の歌を作り上げてほしいというのがその時の気持であった。なおこの日の伴奏は松原緑(1957年に大賀氏と結婚することになります)が受持った。
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↑ 大賀氏と松原緑さん

。。。大木氏によるとリサイタルの内容はイマイチだったようですが、「型にはまらない自分の歌」はSONYでの功績のことかもしれません。

 

大賀さんは1990年に60歳の誕生日を迎え、その記念として一日だけ東京フィルハーモニー交響楽団を指揮しました。

1990年2月4日東京・渋谷オーチャードホール。

左から盛田昭夫ソニー会長、庄司薫氏(小説家、中村紘子さんの夫)、大賀社長、中村紘子さん、緑夫人。大賀さんは以前から「60歳になったら会社を辞めて指揮者になりたい」とおっしゃっていたそうです。

(週刊文春1990年2月15日号より)