ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.3.18 合唱コンクール

2010-03-18 19:00:58 | 日記
 今日は息子の学校の合唱コンクールがあったので、残り少ない休暇から午後半休をとって見に行ってきた。毎年最寄り駅から2つ先の駅にある大きなホールを貸切で行われる。この行事が終われば中2も幕引き。いよいよ中学最終学年3年生進級までカウントダウンだ。

 去年は副作用のため自宅で寝ていたので、夫に行ってビデオを撮ってきてもらった。その後DVDにもなって、繰り返し見ることができた。去年は、来年こそ体調がよければ、そして何より抽選で当たれば(父兄席が限られており希望者申し込み・抽選制なのである。)見に行きたい、と思っていた。
 今回は希望者は全員行けることになったようだ。息子に「今度は行くからね。」と言うと「別に来ても来なくてもどっちでもいいけれど、多分がっかりするよ。」という返事だった。
 今、まさに声変わりの真っ只中で声が実に不安定なので、さぞや歌いにくいだろうと思う。また、“中2病”が蔓延しているのか、なんだかいかにもやる気なさげ・・・で練習のいい加減な様子を漏れ聞いていて、なんだかなあ、という感じだった。
 合唱の出来栄えはさておき、各クラスによくちゃんと伴奏を弾ける子が揃っているなと感心した。息子も小1から小6のはじめまでピアノを習っていた。自宅の1つ下の階にピアノ教室を開いている先生がいらしたので、恵まれた5年間だった。男の子の生徒が多く、先生も男の子あしらいが上手で、発表会でもいろいろな曲を楽しませて頂いた。中学受験で中断せざるをえず、「終わったらまた戻ってきます。」と約束していたのに早2年。全く触らなくなってしまった。(たまに触るのは駅の発車ベルのメロディだけ、という体たらくである。)しごく残念なことである。
 また、女声合唱(息子の学校は男女別学で、普段は校舎も全く別で女の子とすれ違うこともないような男子校だが、こういう行事だけは一緒に開催する。)はさすがに精神年齢の違いを見せ、同じ学年とは思えないほど全く違う出来栄えだった。

 私自身は高校時代に合唱祭を3回経験した。
 もちろん私は混声合唱だったけれど、8クラスのうち男子クラスが3クラスあって、その3クラスの男声合唱の格好よさと迫力が羨ましくて羨ましくて仕方なかった。5月末の開催だったと記憶しているけれど、毎年のクラス替えの後、クラス団結にはそれこそうってつけのイベントだった。
 課題曲と自由曲があり、初めて参加する1年生は上級生たちの演奏と歌う姿に驚くとともに感動する。そこで「ああ、○高生になった。」と思いを新たにするのだと思う。
 母校は平成になって全面改築となり、今では懐かしく甘酸っぱい思い出がたくさんの校舎は写真の中だけになってしまったが、廊下や踊り場で練習したのも大切な思い出のひとつ。今でも目をつぶると鮮やかに蘇ってくる。

 息子たちのクラスの歌は予想通り実際にはまだまだ“合唱”というレベルには達していなかったし、ハモったところもあまりなかった。息子は男声合唱の素晴らしさを分かっているとはとても思えないけれど、“ただ大きな声で元気よく歌う”というお子ちゃまレベルから、まずは自分のパートをきちんと歌いつつ他のパートに耳を澄ませることから始めて、ハモったときの体にびりびりっとくる感じ、ハーモニーの中に身を委ねることの喜び、そんなことを少しでも体験してもらえれば、一緒に話す話題も厚みを増すのになあ、とちょっと寂しく思う。

 そして、そんな日がやって来ることを気長に楽しみに待ちたい、と思いながら帰宅した。

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