ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.7.11 台風一過、酷暑の日~今日が七回忌

2014-07-11 20:24:35 | 日記
 台風8号が関東地方を直撃した場合、勤務する大学で通常通り授業が開講出来るかどうかと心配したものの、夜中に雨風が酷かったわけでもなく、起きてみれば台風一過の青空。予報通り気温はぐんぐん上がり、酷暑の週末、金曜日となった。

 昨日の朝日新聞の天声人語が目にとまった。以下、転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

朝日新聞(2014年7月10日)天声人語
レントゲンで左肺に小さな影が映った。CTでも調べた。結果を待つ間、亡き妻を思った。「助けてよ」。一人娘を置いて死ねるわけがない。後刻、医師は告げた。「なーんも、ありまっせんね」。えー!あの影は?「なんやろね。乳首かな?」▼福岡市の新聞社勤務、安武信吾(やすたけしんご)さん(50)が昨年つづったブログから引いた。家に帰り、娘のはなちゃん(11)に一部始終を話すと、「めっちゃウケる~」と大笑いしたという。妻の千恵(ちえ)さんはがんと長く闘い、08年に33歳で死去した。父子2人の暮らしになって丸6年になる▼信吾さんが一昨年に出した『はなちゃんのみそ汁』は多くの人に読まれた。闘病記であり、子育ての記録でもある。掃除や風呂洗いや洗濯物干しを教え、5歳になったら朝ご飯のみそ汁づくりを任せた▼なぜそこまでしたのか。〈いつどこで自分がいなくなっても大丈夫なように〉〈ムスメが一人でも強くたくましく生きていけるように〉。すでに全身に転移していた千恵さんの残した文章が胸に刺さる▼はなちゃんの健気(けなげ)な姿も読む者の鼻の奥にツンとくる。葬儀後も立ち直れない父に5歳の娘はいった。「パパ、また悲しい顔しとるよ。大人のくせに、つまらんねえ」。いわれた父は「はなは時々、大人になった」と書く。思わず微笑を誘われる▼あすは七回忌だ。生前の仲間たちがあさって、音楽の先生だった千恵さんの追悼コンサートを福岡市で開く。題して「いのちのうた」。はなちゃんも舞台で歌う。

(転載終了)※  ※  ※

 「はなちゃんのみそ汁」の著者・安武さんのブログ「早寝早起き玄米生活」は、4月に旅立たれたたぁさんのブログにもリンクが張ってある。
 ふと、はなちゃんとたぁさんの末娘さんは同い年だったのだ、と気付かされて、胸を衝かれる。
 そうだ、昨年11月に旅立たれたアッピアさんの一人息子さんも同い年の11歳なのだ。はなちゃんは早生まれの小学校6年生、たぁさんの末娘さんとアッピアさんの一人息子さんは小学校5年生である。

 毎日元気に小学校に通っているだろうか。たぁさんとアッピアさんのお子様たちが亡きお母様の7回忌を迎える時には、16歳。思春期真っ盛りである。遺されたご主人たちのこれからの道のりを思うと、やはり頭を垂れ、どうか無理をしないで健康に留意して・・・と祈るしかない。無力さに苛まれる。

 そして、京都に住む息子を想う。
 9歳になったばかりで母(私)の発病、12歳直前での再発と、ずっとヘタレな私の闘病を見てきた彼も、11歳をとうに超え、18歳の大学生になった。
 夫がちょっと体調が悪いといえば、「お母さんががんで、お父さんまで具合が悪くなられちゃ僕は大変なんだから、勘弁してよ~」と口をとがらせて言っていた彼。
 学生会館とはいえ、一人暮らしを始めて3カ月半が経つ。5歳から味噌汁づくりを任せた千恵さんに及びもつかず、何ら家事の訓練をさせることも出来なかった私。全身転移しているという状況は同じなのに・・・なんとも情けないダメ母だ。
 食事の支度をすることがなくとも、風呂洗いや洗濯物干しは必要に迫られてやっているだろう。とりあえず私がいなくなっても大丈夫、の度合いは大きく増しただろう。

 方や、夫のこと。人生の大切な伴侶を亡くすというその喪失感の大きさたるや、想像するに計り知れないものだろう。私はすっかり、自分が先に逝かせて頂くと決めてかかっているけれど、万一でも夫に先立たれては、本当にちょっとやそっとでは立ち直れそうにない。治療も止めてしまいそうだ。遺される方が辛い、というのはいつかも書いた。
 大人のくせにつまらんねえ、というはなちゃんの台詞をなぞりながら、大人だって、いや、大人だからこそ、なかなか立ち直れないのだよ、と呟く。

 千恵さんの七回忌の今日。53歳になった私がいまだ経験をしたことのない、母の死という過酷な現実を僅か5歳から10歳という年齢で、既に経験せざるを得なかったお子様たちの無事の成長を、改めて心から祈りたいと思う。
コメント (2)
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