ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.4.24 選択的難聴と選択的健忘症は果たして・・・

2018-04-24 22:29:32 | 日記
 心穏やかに軽やかに生きていくために、色々聞きたくないこと、覚えていたくないことをあえて聴かないとか忘れる、というのは自分を守るために必要なことだ。
 ヨーガの智慧でも、考えてもどうにもならないことは延々と考えない、変えることの出来ない過去を悔やんでみても仕方ない、どうなるかわからない未来を憂えても仕方ない、だから今を一生懸命に、というのは自分に言い聞かせていることである。
 
 けれど、今般のセクハラ発言に絡んだ一連の「記憶にございません」発言は、どうもそういう類のものではない。
 そんなことを思っていたら、愛読している香山リカさんのコラムが目に飛び込んできた。

 以下、最新号を転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

香山リカのココロの万華鏡
その記憶消していいの? /東京(毎日新聞2018年4月24日 地方版)

 国会の証人喚問などで、証人が「記憶にない」と繰り返す。昔からよく見る光景だ。多くの人は「本当に忘れるわけはない。忘れたフリをしているんだ」と思うかもしれないが、もしかすると、その人は本当に忘れているのかもしれない。人間にはそういうことができるのだ。

 最近の心理学や脳科学の研究では、忘れたいことを忘れる「意図的忘却」がトレーニングによって可能だということがわかってきた。「これは絶対に忘れよう」と自分に言い聞かせ続けることで、本当にそのできごとや関連した固有名詞などを忘れることができるというのだ。

 もし、この「意図的忘却」の仕組みが正確にわかれば、私たちの人生はずいぶんラクになるかもしれない。失恋したことも親族が亡くなったときのショックも、「よし、もう忘れることにしよう」と思い、何らかの手順を踏んで記憶から消えれば、その後の苦しさや落ち込みを経験しなくてよいことになる。

 ただ、そうやってイヤなことをすべて忘れるだけでよいのか、と言われれば、それもまた違う気がする。これは多くの人が経験していることだと思うが、悲しみやつらさは人間を成長させてくれもする。たとえば、大好きな人と別れることになり、何日も泣いて暮らす中で、「次に恋人ができたら今度こそはやさしくしよう」と決意できる人もいるだろう。

 どうだろう。もし近い将来、「意図的忘却のためのマニュアル」ができて、「これを読めばすべての悲しみを忘れられますよ」と勧められたら、あなたは受け取るだろうか。私はきっと、「つらいできごとも大切な思い出です」と断ると思う。もちろん、親からの虐待や犯罪の被害など、少しでも忘れられるならそうしたほうがよい出来事もあるが、それ以外のことは自分なりに受けとめ、人生の大切な一ページとして記憶し続けたほうがよいとは言えないだろうか。

 「記憶にありません」と答える人たちは、自分で自分の記憶を消す達人なのかもしれない。しかし万が一、そうやって自分に都合の悪い記憶を本当に消去することができたとしても、それが真実を明らかにし、社会や自分を本当の意味で前に進める力になるとはとても思えない。簡単に「覚えていません」「記憶がはっきりしません」と言わずに、たとえ重くのしかかる責任につらい気持ちになったとしても、自分のやったこと、言ったことをしっかり思い出して語ってほしいと思う。(精神科医)

(転載終了)※  ※  ※

 自分に都合の悪いことは耳に入れず、忘れる、忘れる努力をする、忘れたふりをする、などなど、いわゆる選択的難聴と選択的健忘症はかなり鉄面皮でないと出来ないことだろう。何でもネガティブにウジウジ考えてしまっていたかつての私から見て、生き方上手だなあと思っていた今は亡き義母はその達人だったような気がする。
 そのくらい鈍感でないと勤まらないナイーヴな思い出は、長く生きていれば決して少なくない人が持っているのではないか。自分の心が壊れてしまわないように。

 とはいえ、今般のセクハラ発言で余りに多くの女性たちが悔しい気持ちに蓋をしてきたのか、と改めて思い知らされた。私も思い出したくないそうしたことはいくつもある。今また思い出すきっかけとなってしまったことで、なんだかなあ、と哀しくなる。
 言葉を発した側、行動を起こした側はもうそんなことすっかり忘却の彼方なのだろうけれど、こと言われた側、そうした行動を差し向けられた側はそう簡単には忘れられない。
 ただ、自分を守るために、円満に職場で過ごしていくためにどうしてもやり過ごさざるを得なかったことだったに違いない。

 このあたりの機微は男性にはなかなか通じないこともあるのだろうなと思う。
 我が家でも今回のことで夫と息子と話しをするにつけ、(2人ともわりとリベラルだし、ジェンダーについてはフラットな方だと思うけれど)やっぱり、ここは女性でないとわからないよな、と感じるもどかしさがあった。

 大の大人が相手の尊厳を否定し、傷つけるような言動を簡単に忘れてしまっていいわけがない。
 あまりに都合が悪くて、忘れたふりをしなければやっていけないような言動は厳に慎むべきだ。

 その後の「Me,Tooと言っている女性たちは自分にとってはセクハラの対象ではない」とか、「報道ルールを守らずハメたのは犯罪だ」などという驚くべき発言が続き、本当にげんなりしている。

 今回の件をこのままうやむやにしてはならない。少なくとも、自分の言動に責任を持てる人にこそ、人の上に立つ資格があるのではなかろうかと思う。

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