kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

探訪 ノスタルジア 5回目 愛媛県 「別子銅山・端出場水力発電所」

2012年03月19日 | 探訪 ノスタルジア


毎日新聞 3月19日(月)夕刊に掲載「探訪 ノスタルジア 5回目」は
愛媛県・新居浜市「別子 (べっし) 銅山・端出場 (はでば) 水力発電所」
文・写真  和泉かよ子記者

別子銅山は
足尾銅山、日立銅山 (茨城県) と並び日本の三大銅山の一つで
1691(元禄4) 年に採掘が始まり1973 (昭和48) 年に休山
するまで、283年間に精錬した銅は約65万トンです。


登録有形文化財指定 端出場水力発電所 です。
1912(明治45年)年から70(昭和45年) 年まで、銅山に電力を供給。

しゃれたアーチ型の玄関と、白い格子窓が並ぶこのれんがの建物は
教会みたいだといわれるそうですが、なぜ、こんな凝ったデザインに
したのかは資料が残っていないので、残念ながら分からないそうです。

1902 (明治35年) 年に、鉱石を運び出す鉱山の大動脈
第三通洞が貫通し、電力需要が増大しました。

3000キロワットの発電力を持つ端出場発電所の登場で、地下からの鉱石
の巻上げや運搬など採掘作業の “オール電化” が進んだそうです。 


ドイツ・ジーメンス社製の発電機や、直流を交流に変える変換機がまだ残された発電所内部です。 (内部は耐震上の問題で一般公開していません。)

発電機は1機1500キロワット。
スタート時は2機だったが、瀬戸内海・四阪(しさか)島 (愛媛県今治市 の精錬所にも送電することになり、1923(大正12年)にもう1機導入し発電力は4800キロワットに。 (和泉かよ子記者の文より抜粋)

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見出しに書かれている
東洋一は、別子銅山を流れる銅山川から導水した水を水槽にためて落下
させる方式で落差が597メートルもあり、東洋一と評されたそうです。

世界一とは、四阪島へは長さ約20キロの海底ケーブルで送電しましたが
この海底ケーブルの長さは、当時 「世界一」 だったそうです。

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : レンゲソウ         花言葉 : 実り多き幸せ
和名はゲンゲですが、レンゲまたはレンゲソウと呼ばれています。
水田裏作の緑肥植物として栽培され、春には紫紅色の花が咲く田園風景が
各地で見られましたが、最近は少なくなっています。
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探訪 ノスタルジア 4回目 京都府・舞鶴市 「赤れんが倉庫郡」

2012年03月07日 | 探訪 ノスタルジア


毎日新聞 3月5日(月)の夕刊に掲載されていた
「探訪 ノスタルジア 4回目」 は

♪ 母は来まし~た 今日も来た~ この岸壁に今日も来た~ ♪ と
帰らない息子を待ち続けた母の気持ちを歌った “岸壁の母” の
歌でも知られている舞鶴港の 「赤れんが倉庫郡」 でした。
    文・写真    和泉かよ子記者

第二次世界大戦争の終戦で大量帰国が済んだ後も
舞鶴港にシベリア抑留者などの在外日本人が
引き揚げ船で13年にわたって帰国していたそうです。


舞鶴湾沿いに残る 「赤れんが倉庫郡」 です。
壁の黒いしみは、戦争中は迷彩色に塗られていた跡です。

舞鶴海軍軍需部本部があった海岸の北吸 (きたすいちく) 地区には
赤れんがの建物が並んでいて、れんがが好きで博士号を取られた専門家の
舞鶴市地域振興課の八谷明也課長のお話では 『 火薬や魚雷、被服などを
保管する海軍の倉庫でした。 全部で12棟残っています。』

れんがの発祥は紀元前6000年のメソポタミアにさかのぼり
木造文化の日本にれんがの建物が初めて登場したのは江戸時代末期です。

明治維新後、西洋をまねて各地にれんがの建物が次々に建てられました。
しかし、1923年 (大正12) の関東大震災で多くのれんが製建物が倒壊し耐震上の弱点から次第に姿を消したそうです。


赤れんがの街並みに、飾りで置かれているレトロな郵便ポストです。
時折、手紙が投函されることもあるそうです。 (^^ゞ

赤れんが倉庫跡は、市役所が書類の保管に使うなどしていたそうですが
昭和の終わりごろ 「ふるさと創生」 で、市民ホール「まいづる知恵蔵」に
生まれ変わり、市政記念館になった赤れんがの倉庫が喫茶コーナーになり
お年寄りの方たちが、コーヒーを飲みながら新聞を読まれていたそうです。
(以上は、和泉かよ子記者の文より抜粋させて頂きました。)

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今回の探訪ノスタルジア 4回目で、舞鶴港は “岸壁の母” だけでなく
「奇跡の50年 赤れんが倉庫郡」があり、軍用を知恵で転じて憩いの場
「まいづる知恵蔵」 が、市民の憩いの場にされているのを知りました。

日本でれんがの建物が盛んに造られたのは約50年間だけで、建築史上
例外的な時期だったそうです。 だからこそ保存が必要なんですね。
赤れんがの建物を見ることがありますが、赤れんがの建物は好きです。

赤れんがの倉庫郡が近くだったら、あの新聞を読んでいた人たちと一緒に
コーヒーを飲みたいと思いましたが、邪魔だといわれそうですね~。

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : アスター          花言葉 : 甘い夢
エゾギクという別名もありますが、北海道産ではなくて外国渡来の花です。
花占いの元祖ともいえる花です。
コメント (2)
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探訪 ノスタルジア 3回目 広島・大久野島 「毒ガスの爪痕」

2012年03月02日 | 探訪 ノスタルジア

大久野島は、約300匹の兎が生息する 「ウサギ島」 のかわいい名称で
知られ、瀬戸内海国立公園に指定されていますが、1929年から終戦まで
陸軍の毒ガス製造基地だったのです。  (文・写真 和泉かよ子記者)


毒ガス製造工場は終戦後、徐毒して壁を火災放射器で焼いて解体され
いま残っているのは貯蔵庫など汚染レベルの低かった建物だけです。

島の北西部の「長浦毒ガス貯蔵庫跡」 は
ぽっかりとドーム状に空いてかつての入口から、六つに仕切られた部屋が 「寒風に咳染む壁の切なき美」 に見えたそうです。


「大久野島」 の記事 (文・写真) を掲載された、和泉かよ子記者が
この発電場の建物のことを、下記のように書かれていました。

一週3キロの遊歩道が島の南東部にある桟橋跡に差し掛かった時、毒ガス
工場に電気を供給していた発電場の建物が現れた。 既に発電設備はなく
中は体育館のように がらんどう で枯れ葉がたまっている。 むき出しの
コンクリートの壁や壊れて外れた扉が、なぜか絵画のように美しかった。

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和泉かよ子記者の 『 むき出しのコンクリートの壁や壊れて外れた扉が
なぜか絵画のように美しかった。』 の言葉と写真に惹かれて、このブログに
『 広島・大久野島(おおくのじま)の 「絵画のように美しい建物」 』 でアップしましたが 「探訪ノスタルジア」 が連載されることを知りいつでも見れるようにと

今日は「長浦毒ガス貯蔵庫跡」 の写真を追加して
『 探訪 ノスタルジア 3回目 広島・大久野島「毒ガスの爪痕」』
のタイトル名で再アップしました。

追記  3月4日(日)
ご好意できれいな画像が使えましたので差し替えました。
発電場、こんなに明るい色だったんですね! ありがとうございます。

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : アリッサム          花言葉 : 仲直り
小さな花ですが集まって咲くので、春の花壇の縁取りなどに植えられます。
園芸店などでは「スイート・アリッサム」と呼ばれています。
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探訪 ノスタルジア 2回目 熊本県・江戸時代のアーチ 「霊台橋と通潤橋」

2012年02月26日 | 探訪 ノスタルジア

毎日新聞2月13日(月) の夕刊に掲載されていた記事は
「探訪 ノスタルジア 2回目」 熊本県の霊台橋と通潤橋でした。
文・写真  松井 宏員 記者 


長年、水害にもびくともしなかった 「霊台橋 (れいだいきょう)」 は
1847年に架けられた、高さ16m、長さ90mの国指定重要文化財です。

緑川に架かる霊台橋は、橋の根元を補強するために積まれた副石垣が2段
構えになっており、緑川流域には約80もの石橋が残っているそうです。

その理由は、細川藩の施策で農村が潤い、橋を架ける経済的なゆとりがあり
大昔の安蘇山の大噴火により加工しやすい熔結凝灰岩を利用し、石工の技術
があるこの辺りの石工さんが架けたという、堅牢な条件が揃っていたそうです。


下を流れる五老ヶ滝川にアーチが映る 「通潤橋 (つうじゅんきょう)」 で
この橋は通行のためでなく、水を通す橋で 「潤いを通す」 という名のように
1854年に、白糸台地へ水を送るために地元の有力者が架けました。

高さが約21mもあるのは、水の便が悪い台地の人々を救い、田んぼを
灌漑(かんがい) するために開けられるからでした。

橋の中央には放水口があり、昔は通水管に詰まった泥などを取り除くために
放水していたそうです。 橋の上部には3本の石管が通っています。

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霊台橋も通潤橋も、中国の古典の言葉から命名されたそうです。
江戸時代の石橋が緑川流域に約80も残っているのには驚きですね。

明日の月曜日に、毎日新聞の夕刊で 「探訪ノスタルジア 第4回目」 が
掲載されるので、次は何処を紹介されるのかとても楽しみです。

次回の掲載は27日ではなくて、3月5日(月)の間違いでした。 (^^ゞ

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : ミズバショウ        花言葉 : 決心
葉がバショウの葉に似ているので、この名前になりました。 白いのは
花ではなく仏炎苞で、本当の花は中心部の黄色いところについています。
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探訪 ノスタルジア 1回目 広島県・竹原市 「犬島精錬所跡」

2012年02月25日 | 探訪 ノスタルジア
「探訪ノスタルジア 3回目」 広島県竹原市の大久野島で毒ガス工場に電気
を供給していた、絵画のように美しい発電場の建物を見て思い出したのは
犬島精錬所跡の 「火力発電所跡」 の建物だったと書いたところですが


驚くことに6日の「探訪ノスタルジア 1回目」は
広島県・竹原市犬島の 「精錬所跡」でした。
文 和泉かよ子 記者   撮影 阿野太一 氏

犬島の 「精錬所跡」は、2011年7月に行ったことのある
瀬戸内アートめぐり・岡山「犬島・精錬所の遺構美術館」です。
  

船から見えるのは、犬島の 「精錬所跡」 です。


そして精錬所跡で最後に行った 「火力発電所跡」 の建物は、煉瓦の煙突と
外壁にツタが絡み付き、美しい野外ステージ跡のようにも見えました。
この建物の前で少しの間、足を止めて見惚れていたことが思い出されます。

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犬島の 「火力発電所跡」 で見た建物と、大久野島の「発電場の建物」とは
どちらの建物も 「絵画のように美しい」 と、いう共通点があったのです。

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : バイモ         花言葉 : 飾らない心
下垂して咲く鐘形の花は、茶花としてあるいは日本庭園の植栽に
古くから親しまれてきました。 バイモは漢名 「貝母」 の音読みです。
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広島・大久野島(おおくのじま)の 「絵画のように美しい建物」

2012年02月22日 | 探訪 ノスタルジア


上画像は、毎日新聞2月20日(月) の夕刊に掲載されていた記事
「探訪 ノスタルジア 3回目」 広島県竹原市の大久野島 (おおくのじま) の
写真の1枚で、毒ガス工場に電気を供給していた発電場の建物です。



「大久野島」 の記事 (文・写真) を掲載された、和泉かよ子さんが
この発電場の建物のことを、下記のように書かれていました。

一週3キロの遊歩道が島の南東部にある桟橋跡に差し掛かった時、毒ガス
工場に電気を供給していた発電場の建物が現れた。 既に発電設備はなく
中は体育館のように がらんどう で枯れ葉がたまっている。 むき出しの
コンクリートの壁や壊れて外れた扉が、なぜか絵画のように美しかった。



大久野島は、約300匹の兎が生息する 「ウサギ島」 のかわいい名称で
知られ、瀬戸内海国立公園に指定されていますが、1929年から終戦まで
陸軍の毒ガス製造基地だったのです。

毒ガス製造工場は終戦後、徐毒して壁を火災放射器で焼いて解体されました。
いま残っているのは貯蔵庫など汚染レベルの低かった建物で、島の北西部の
「長浦毒ガス貯蔵庫跡」 は、ぽっかりとドーム状に空いてかつての入口から
六つに仕切られた部屋が 「寒風に咳染む壁の切なき美」 に見えたそうです。

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大久野島の写真を見たときに思い出したのが、昨年の夏に瀬戸内海に
浮かぶ島々めぐりで行った 精錬所跡のある「犬島」 のことでした。

精錬所跡の美しい野外ステージ跡のような発電所跡も、絵画のようでした。
瀬戸内海には知られていない歴史を残す島が、たくさん残っているのですね。
和泉かよ子記者の 「探訪 ノスタルジア 4回目」が楽しみです。

最近、写真のように見える絵が取り上げられていましたが・・・
これは絵画のように見える美しい建物の写真でした。(^^ゞ 

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : ビオラ         花言葉 : 誠実
タフテッドパンジーと呼ばれている品種をベースに作られた交配種の中でも
原種に近いものがビオラです。
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