kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

京都・半夏生の庭園としても知られる②「両足院」

2022年01月31日 | 京都
2022年のお正月を迎えたと思ったら、もう1月31日になりました。
新規陽性者数が、長い間0人で安心していたら30日は 301人でした。

両足院

通常は非公開で「京の冬の旅」ではありませんでしたが
 

両足院へ行ったのは、1月15日(土)だったので
新春特別公開期間:2022年1月1日(元日)~1月16日(日)でした。


このお部屋は・・・大書院。

達磨図

雲谷等顔筆 紙本墨画(縦105.0 横45.0)
桃山時代 17世紀

雲谷等顔は、周防の山口にあった雪舟の雲谷庵を継いだことにより、この画姓を持つ。独特な画風は、18世紀後半の曾我蕭白にも影響を及ぼしたといわれています。

虎図

李義養筆・・・でしょうか?


ガラス戸越しの書院前庭は
京都府の名勝庭園に指定されています。


北側に、2軒の茶室が見えます。


南にある方丈へ向かいます。


左に大書院、正面に茶室。


梅⾬の頃には、半夏⽣が⽣い茂り
初夏には⾊を変え、⽩い可憐な花が咲いた様に池辺を彩るそうです。


方丈の東側


このお庭を前にして
坐禅(座禅)体験が行われています。

通常非公開の高麗門(大門)・庭園へ続きます。
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京都・狛虎とムカデで知られる「両足院」

2022年01月28日 | 京都
「鳴虎図の報恩寺」→「西陣 興聖寺」→「水火天満宮」のつづきです。

「狛虎とムカデの 両足院」

京都最古の禅寺「建仁寺」さんの塔頭寺院「両足院」へ
人気の「虎みくじ」は売り切れですね。


今年の干支は「寅」で、両足院は狛虎で知られています。

毘沙門天堂

本堂前には、阿吽の狛虎が鎮座しています。

ご本尊は、鞍馬寺の毘沙門天像の胎内仏だった
毘沙門天像をお祀りしています。

阿の狛虎

毘沙門天さんが出現したのが
寅年、寅日、寅の刻とされることから

吽の狛虎

「虎」が毘沙門天のお使い(神使)ともされています。


本堂前の銅製大香炉にも「阿吽の狛虎」


黒田長政が、関が原の合戦で徳川家康の軍勢に参加した時に
兜の中に納めて出陣したと言い
毘沙門天さんは開運勝利の神様として祀られています。
 ※ 黒田長政は、黒田官兵衛の長男


また祇園の芸妓や、舞妓さんたちがお参りして
良縁を願っていたことから「祇園の縁結び」の仏様としても有名です。


毘沙門天さんお使いはムカデ(百足)だと言われ
大香炉の正面に「ムカデの図(紋)」が入れられています。
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日の本最初の「水火天満宮(すいかてんまんぐう)」

2022年01月27日 | 京都
「西陣 興聖寺」を出ると


堀川筋の向こう側に見えたのは「水火天満宮」の文字


ちょっと寄ってみようと思いますが
右の方に滑り台などが見えているので公園のようです。


水火天満宮です。


菅原道真公が描かれています。

登天石

菅原道真公が大宰府の地に於いて亡くなられて後、都では天変が相次ぎ、雷火の災いが重なったことから、菅公の怨霊の祟りと不安が高まりました。

時の帝、醍醐天皇は、延暦寺の法性坊尊意僧正に祈祷を依頼します。勅命を受けた尊意が、急ぎ山を下りて宮中へ向かう途中、鴨川が突如増水し町へと流れ込みました。

しかし尊意は騒がずに、手にした数珠をひともみして、天に向かい神剣をかざして祈りを捧げたところ、不思議な事にたちまち水位が下り、水面が真っ二つ分かれ、水流の間から一つの石が現れました。

その上に菅公の神霊が現れ、やがて昇天し雲の中へ消えて、雷雨も止んだ。ということです。
その石を持ち帰り供養して、登天石と名付けました。

金龍水

金龍水という銘がある都名水のの一つであり、鎮座以来、如何なる大旱の際も渇水したことが無く、濁る事もなく水質良好の清水であったとのことです。

また「眼疾を煩う人、この清水の奇篤によって平癒した人多くあり」と伝わる井戸水です。

出世石

登天石の右横にある神石
大願成就、世に出る石として信仰されています。
(京都・水火天満宮のホームページより抜粋しました。)

大阪天満宮、北野天満宮、高槻・上宮天満宮には行ってますが
「水火天満宮」が、日の本最初の天満宮だと知りました。(^^ゞ
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京都・西陣 興聖寺④ 茶室「織部の院号から名付けられた 雲了庵」

2022年01月26日 | 京都
まん延防止等重点措置を18道府県に追加されます。
期間は27日から2月20日まで。9日から適用されている沖縄、広島、山口3県も今月31日までの期限を2月20日まで延長されます。

茶席・雲了庵

「らせん状の石段がある 降り蹲踞(つくばい)」を見たあと
茶席・雲了庵へ向かいます。


廊下の左から見えたお庭です。


茶室「雲了庵」が見えます。


雲了庵は織部の院号から名付けられた茶室です。


広間の奥に、束帯姿の古田織部像が祀られていました。
(茶室内 写真禁止)


写真左に見えるのは「待合(まちあい)」でしょうか。


テレビで紹介される「興聖寺」さんを
見たいので録画します。(^^ゞ


それでは、次の場所へ行きますので


鐘楼の前を通り、来た道を戻っていきます。


40年ぶりに公開された「興聖寺」さんでした。
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京都・西陣 興聖寺③「らせん状の石段がある 降り蹲踞(つくばい)」

2022年01月25日 | 京都
母のお誕生日に行く予定だったお墓参りが雨だったので
今日は、お正月以来のお墓まいりをしてきました。

らせん状の石段がある「降り蹲踞(つくばい)」

この後は、写真左端に見える廊下へ・・・


この長い廊下の先に
「降り蹲踞」と茶室「雲了庵」があるようです。


右へも行けるようなので


覗いてみると中庭に・・・


地面を深く大きく掘られたところに


らせん状の石段が見えます。


ここが、らせん状の石段がある「降り蹲踞」でした。


茶室に入る前に、手を清めるための蹲踞です。
道祖神の石仏も埋め込まれているそうですが・・・


らせん状の石段を降りる蹲踞は初めて見ました。

追記
奥の石段から降りて、手前の石段(茶室に近い)を上がるので
蹲踞の石段は一方通行でした。


それでは順路に従って、茶室・雲了庵へ向かいます。
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京都・西陣 興聖寺②方丈に「青が印象的な海中写真の 青波の襖」

2022年01月24日 | 京都
京都・西陣 興聖寺①40年ぶりの公開「古田織部ゆかりの 織部寺」の
続きです。(写真を追加したので、再投稿します。)



江戸時代に建てられた本堂から
渡り廊下を渡って、入ってきたところに戻りました。


右へ行くと、奥行きのある手入れの届いたお庭がきれいです。
そのお庭に面して「方丈」が建っていました。


興聖寺は慶長八年(一六〇三年)に、虚応円耳(きいんえんに)という僧を開山として、古田織部により建てられました。


方丈を覗いて見ると・・・


三部屋につづく海中の青い襖が!


中に入ります。


この青い襖は
海中写真家の「杏橋 幹彦(きょうばし みきひこ)」氏の奉納でした。


天井には


四季を表現している


天井絵です。


方丈から江戸時代の本堂が見えます。(写真追加)


このお庭のお水は


ここのお寺さんが、お庭用に作られた・・・と
お話を聞いていたのですが、その途中で電話があったので
その後のお話は聞き逃しました。(-_-)

興聖寺の茶室「雲了庵」、手水鉢「降り蹲踞(つくばい)」へ続きます。
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京都・西陣 興聖寺①40年ぶりの公開「古田織部ゆかりの 織部寺」

2022年01月23日 | 京都
22日午前1時8分頃、日向灘を震源とするマグニチュード6.6の地震があり
大分県、宮崎県では最大震度が5強でした。

22日 13時21分頃、また大分県で最大震度3の地震があったので、北九州市にいる知り合いに電話すると「夜中の地震は揺れて怖かったよ。プールで歩いていたけど、コロナで止めてから右ひざが痛くて病院通いして少し良くなってきたところなの・・・」心配でしたが、お元気な声を聞けて良かったです。

私は「スイミングを止めてから、また太ってきましたよ!」と
報告しましたが、いつまでこんな生活が続くのかな・・・(*_*)

京の冬の旅「西陣 興聖寺」の公開が40年ぶりなので
宝鏡寺門跡を出たあと向かっています。


たけびしスタジアム京都(西京極陸上競技場)からスタートして
堀川通りを走るようです。

西陣 興聖寺

興聖寺は、宝鏡寺門跡から歩いてすぐの所にありました。


臨済宗興聖寺派の本山で、茶道織部流の祖でもある
武将・古田織部との関わりから「織部寺」とも呼ばれています。


拝観予約していませんでしたが・・・


大丈夫でした。(^^♪


入ると右側に鐘楼があり


正面に、織部寺とも呼ばれる江戸時代の本堂が見えます。


右手に見えるのは庫裡のようです。


本堂の近くにきましたが


入口は・・・この先です。


本堂へは、この渡り廊下を行くようです。


この入口は、左の本堂と右にある方丈を繋いでいるようです。


それでは、本堂に向かいます。


江戸時代に建てられた本堂(仏殿)には天井に「雲龍図」が描かれ
ご本尊である釈迦如来を中央に、武将・藤堂高虎の寄進と伝わる
左に藤堂高虎の寄進と伝わる達磨像、右に弥勒菩薩が祀られています。


もとは仏殿として建てられましたが、そのうち法堂(はっとう)を兼ねるようになり、仏法を説く場所として使われていました。


本堂内は写真禁止なので
本堂から見えるお庭を撮りました。(^^ゞ

興聖寺では、青が印象的な「青波の襖」(海中写真)が奉納された方丈、茶室「雲了庵」、地面を深く大きく掘り下げ螺旋状の石段を降りた先に手水鉢を据えた「降り蹲踞(つくばい)」を見ることができましたので、次へと続きます。
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京都・宝鏡寺門跡「百百(どどの)御所と呼ばれる 人形の寺 」

2022年01月22日 | 京都
大阪府・兵庫県・京都府の3府県は21日、「まん延防止等重点措置」の
適用を国に要請することを正式に決定しました。

そして21日、厚生労働省が5歳から11歳の子どもを対象に
新型コロナワクチンについて特例承認しましたが・・・
ワクチンが子供たちの将来にどんな影響があるか心配ですね。"(-""-)"

報恩寺さんを出て、西陣・興聖寺さんへ向かう前に
「宝鏡寺門跡」へ忘れずに行こうと思っています。


写真の左に見えているのが、いまから行く宝鏡寺さんですが
その手前にあるのは何でしょう~?


気になったので立ち止まると
「明治十三年・・・」の文字が見えます。


説明板があるので見ると「小川と百々橋の礎石」


この場所には、本法寺や報恩寺の東に小川が南北に流れていたようです。


百々橋(どどばし)は、当地を南北に流れていた小川に架かっていた橋(長さ約7.4m、幅約4m)で、橋名は、応仁の乱以前の風景を描いた『中昔京師地図』に「百々の辻」と記載されている 。


この礎石は、小川に架かっていた「百々橋の礎石」でした。
報恩寺さんの門前でみた石橋は、この小川が続いていたのです。


そして、「上杉本洛中洛外図屏風」から
宝鏡寺さんの横を小川が流れていたことが残っていました。

旧百々御所 宝鏡寺門跡

「宝鏡寺門跡」は、報恩寺さんへ向かう道で見た
『百々御所』と呼ばれているのが気になったお寺です。


宝鏡寺は「人形寺」とも呼ばれ、中世の京都に栄えた尼五山第一位の景愛寺の法灯を今に受け継ぐ尼門跡寺院でした。

開山は、景愛寺第六世の光嚴天皇(こうごんてんのう)皇女華林宮恵厳(かりんのみやえごん)禅尼で、後光厳天皇より宝鏡寺の号を賜りました。

その後も、多くの皇女が歴代となり
「百々御所(どどのごしょ)」という御所号も賜っていました。


入って右の方を見ると、塚が見えました。


塚には、京人形を象徴する
御所人形が彫り込まれています。


その台座には・・・

人形よ 誰がつくりしか
誰に愛されしか 知らねども
愛された事実こそ
汝が成仏の誠なれ
   武者小路実篤


孝明天皇の人形をはじめ由緒ある人形を数多く保存しています。
春・秋の「人形展」では、一般公開されるそうです。

10月の人形供養祭には、この日に持ち込まれたお人形を並べ、年に一度の総供養の日として、受付で名前を書いていただいた紙のひとがたの灰の一部が人形塚に納められ、寺内で盛大にお勤めが執り行われるそうです。

旧百々御所 宝鏡寺門跡
〒602-0072  京都市上京区寺之内通堀川東入ル百々町547
TEL:075-451-1550
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京都・報恩寺② 悲しい言い伝えがある「撞かずの鐘」伝説

2022年01月21日 | 京都
新型コロナウイルスの新変異株「オミクロン株」が感染急拡大しています。
そして、子供にも感染が拡大しているので心配です・・・(>_<)

「第56回 京の冬の旅・報恩寺は秀吉ゆかりの「鳴虎」のあるお寺」
のつづきです。

写真禁止の客殿で「鳴き虎図」などを見たとあとお庭へ・・・

人面魚がいるそうですが・・・
見つけられませんでした。(^^ゞ


お庭に出られるようなので出てみます。


昨日の京都は、雪景色になったそうですが


所々に、昨日の雪が残っています。


奥に見えるのが人面魚のいる池です。


池への水が、ここから流れています。


それでは、一度外に出て「撞かずの鐘」へ向かいます。


「梵鐘」重要文化財

鐘楼は山門を入って左側、稲荷大明神と地蔵堂の前にあります。


  報恩寺梵鐘  平安時代の鋳造の名鐘
この鐘には撞くなの鐘。 或いは撞かずの鐘という悲しい伝説がある。
昔からこの付近一帯の織屋では朝夕に鳴る報恩寺の鐘の音が一日の仕事の初めの合図であった。

或る織屋に仲の悪い丁稚と織女がいたが、報恩寺の夕(ゆうべ)の鐘が幾つなるかについてかけをした。丁稚は八つといい織女は九つと言い争った。悪賢い丁稚は寺男に頼みこんで今夕だけは八つで止めてほしい願いを約束させた。何も知らない人のよい寺男は、簡単に引受けてしまったのである。さて夕になり鐘は鳴りはじめた。丁稚と織女は一つ二つと数えはじめたがどうしたことか鐘は八つで終わってしまった。

百八煩悩を除滅することを願って撞くので百八が基準であり十二分の一の九つが正しいのである。十二分の一、六分の一、四分の一、二分の一等に分けて撞くこともある。

かけに負けた織女は惜しさ悲しさのあまり、鐘楼にて首をつり自殺するに及び、その怨霊のたゝりが鐘を撞くと不吉な事が生ずるので厚く供養して菩提を弔い、朝夕に鐘を撞くのを止め、除夜と寺の大法要にのみ撞くようになったというのである。除夜に参詣の皆様には一つゞつ鐘を撞いて頂いている近年である。


「梵鐘」は、室町時代の応仁の乱(1467-1477)で
東軍・畠山持国や秀吉が陣鐘に用いたといわれています。
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神戸メリケンパークオリエンタルホテル「公式灯台と昭和天皇の歌碑」

2022年01月19日 | 兵庫・神戸市ほか
全壊した「オリエンタルホテル」から受け継いだ鬼瓦2点
正面玄関横の「阿形(東側)」と「吽形(西側)」のつづきです。

神戸メリケンパークオリエンタルホテル14F

公開時間の15時には少し早いですが・・・


バルコニーに、たくさんの人が見えます。

ホテルに立つ公式灯台

数日前と違い良いお天気ですが
海からの風で・・・男の人も飛ばされそうです。


灯台の歴史は古く、昭和39年に神戸市中央区京町の『オリエンタルホテル』屋上に設置されましたが、震災で『オリエンタルホテル』が全壊し、同時に灯台も休止を余儀なくなりました。


一日も休むことなく神戸港を行き交う船の安全を見守り
赤と緑の光は航路を示す指針となっています。

光り方:毎10秒赤1閃光・緑1閃光
光りが届く距離:20海里(約73キロ)


「神戸メリケンパークオリエンタルホテル」の灯台は
日本では唯一、世界でも大変珍しいホテルに立つ公式灯台です。

公式灯台とは
海上保安庁から認可をを受けた「航路標識」で
海図にも記載されている正式な灯台のことです。


天候が良ければ紀淡海峡からも見えるそうです。


震災から半年後の、平成7年7月7日 午後7時7分に
復興を願う777発の花火があげられました。

そして神戸メリケンパークオリエンタルホテルの、オープニングレセプションの日にバトンタッチされた灯台が新たに点灯しました。


昭和天皇陛下の歌碑 (14Fバルコニー灯台横)

 「港まつり 光りかがやく夜の舟に
   こたへてわれも ともしびをふる」

昭和31年に昭和天皇がご来神の際、御宿舎『オリエンタルホテル』屋上から、神戸みなと祭・海上提灯行列の夜景をご覧になった印象を、翌32年、1月の宮中歌会始の儀で正式に詠まれました。

この碑は長らく『オリエンタルホテル』の屋上に設置されていましたが、震災による閉館のため、同年7月に開業が決まっていた「神戸メリケンパークオリエンタルホテル」現在の位置に移設されました。

バルコニーから

淡路島も見えていると思いますが・・・


あそこから、いつもこのホテルを見ていました。

中突堤旅客ターミナル

下からも灯台が見えるかも
と思い・・・向かっています。(^^ゞ


ホテルの西側の道を通ってきました。


下の道から、あの灯台が見えてます!


人の頭も少し見えてますね。


新型コロナウイルス感染拡大の状況で
公開の中止があったので、行くことができて良かったです。(^^♪


ハーバーランドに来た時は、いつもここからホテルを見てましたが
今日は、鬼瓦・灯台・昭和天皇の歌碑を見ることができました。
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