kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

京都御所内回廊の豪華絢爛な生け花 (^^♪

2010年11月30日 | 大阪・滋賀・奈良 他

承明門から、奥に見えているのが紫宸殿(ししんでん)です。



「2010年 秋の京都御所一般公開 」 回廊 (東側) の生け花をご覧下さい。


総本山仁和寺 御室流(おむろりゅう)


総本山 御寺泉涌寺 月輪未生流(つきのわみしょうりゅう)


大本山大覚寺 嵯峨御流(さがごりゅう)

御即位二十年記念 京都御所2009特別公開のお花 もクリックしてご覧下さい。


~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : シネラリア          花言葉 : いつも陽気
カナリア諸島の原産です。日本には明治初期に渡来しました。春を彩る花の一つで、色も赤
紅、紫、濃紫、赤紫、青紫、青、白、ピンクなど様々で、一色のものや蛇の目咲きのものなど
多種類あります。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

考古Gで 「阿武山古墳」 を探訪してきました。 (^^♪

2010年11月29日 | 高槻しろあと歴史館と市民大学

発見して数十年も経ってから、昭和58年8月に国の史跡に指定になった 「阿武山古墳」は
7世紀後半に築造されたもので、京都大学地震観測所のすぐ北側にありました。

昭和9年の春に京都大学の地震観測施設建設の工事で偶然に発見され、地震観測所長で
地球物理学者の 「志田 順 (しだ とし)」 博士によって墓室内部の調査が行われました。


古墳は墳丘をつくることもなく、高槻市と茨木市の境にある阿武山の中腹・標高約210mの
自然の山丘を利用して、幅2.5mの浅い溝を円形にめぐらせ、直径82mの周溝の中央に
花崗岩の切石と部厚い素焼きのタイルが組み上げられ、内側はしっくいで墓室がありました。
そして、南側には水抜き用の坑道がひかれていました。


墓室には木棺でも石棺でもなく、漆で麻布を何枚も貼り固めた 「夾紵棺 (きょうちょかん)」 が
安置され、棺内には大小500個の青と緑のガラス玉を、8mの銀線で結び目が一つの高度な
技術の 「玉枕 (たままくら)」 、60才ほどのきらびやかな錦をまとった身長164、59cmの
ミイラ化した男性が、あおむけにした状態で南枕に葬られていました。

発見後100日でほどで、遺骸は再び元通りに復元された石室に埋葬されたそうです。


当時に撮影されたX線写真などの分析から、男性は亡くなる数ヵ月前に事故(落馬)で骨折して
いたことや、金糸で刺繍した冠帽(かんぼう)が授けられたのが、「余豊璋」との二人だけであった
ことから、葬られた人物は 『多武峰略記』の安威山に埋葬したと伝える大織冠・中臣(藤原鎌足)
のお墓とする説が有力です。 (昭和62年11月3日の朝日新聞にも掲載されていました。)

昨年の11月に、茨木市開催の「鎌足ゆかりの地」の散策に参加した時から行きたいと思って
いたので、行く事ができて良かったです。 (その時の記事 阿為神社の蹴鞠 があります。)

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : マリーゴールド          花言葉 : 信頼
マリーゴールドは、「聖母マリアの黄金の花」という意味です。
メキシコ原産で、大輪のアフリカン系とフレンチ系があります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010年 秋の京都御所一般公開

2010年11月28日 | 大阪・滋賀・奈良 他
歴史ウォーク解散の後、平成22年の京都御所秋季一般公開に行ってきました。

<
><><
><><><><>

縮小画像にマウスを乗せて大きい画像でご覧下さい。

昨年は、御即位二十年記念 京都御所2009特別公開に行ってきました。
その時の、内侍(十二単姿の女官)、大臣(束帯姿)を掲載していますので
御即位二十年記念 ←をクリックしてご覧下さい。

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : クリ            花言葉 : 約束
ブナ科クリ属の落葉高木です。古事記にも記述があるほど、古くから実を
食用としてきた有用樹木です。開花は初夏ですが、花としては目立ちません。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪市立美術館 特別展 「1800年の歴史と美術 住吉さん」

2010年11月27日 | 美術館・博物館

今年は、住吉さんとご縁があったようです。 (^^♪ 

6月14日の
大阪・住吉大社の 「御田植神事 (おたうえしんじ)」

6月15日の
大阪・住吉さんと、名物の「太鼓橋」

8月23日の
住吉大社の 「山陰流庖丁式 (やまかげりゅう ほうちょうしき)」

10月14日の
NHK公開セミナー 「住吉さん (住吉大社) 1800年の歴史と美術」

と、住吉さんに行く事ができたり、住吉さんのお話しを聞かせて貰う機会がありました。今までは、住吉さんは立派な神社だと思っていただけで、何も分かっていなかったのですね。住吉さんの特別展にまで行く事が出来て、子供の頃を思い出し懐かしいような気がしました。


大阪市立美術館 特別展「これぞ、すみよしパワー!住吉さん」 は、明日までです。
詳細は、↑の画像をクリックするとご覧頂けます。

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : クロッサンドラ       花言葉 : 内面の美
インド、スリランカ原産の常緑小低木です。緑色のさや状の苞を連ねた花穂から
橙赤色の花が突き出すようにして咲き、光沢ある緑色の葉との対比が美しい植物です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幕末の京都を歩く歴史ウォーク  2-⑤ ゴールの 「蛤御門」

2010年11月26日 | 高槻しろあと歴史館と市民大学

蛤御門(はまぐりごもん)は、現在の京都御苑の西側に位置します。

常に閉じられていた新在家御門が 「禁門の変」 で開門されたことから
焼けて口を開ける蛤に例えられ 「蛤御門」 と称されるようになりました。


蛤御門の梁には、現在も弾痕の跡が残っていました。


御苑の中から見た「蛤御門」です。

蛤御門は、大宮駅からスタートして「幕末の京都を歩く」ゴールの場所です。
学芸員さん達の説明を聞かせて頂きながら、みなさんと幕末の京都を歩いてきました。
11月だと思えないほど暖かくて、今日は “歴史ウォーク日和” でした。


京都御苑の紅葉です。

16時解散の予定が、予定より30分早い15時30分の解散になったので
これから、一般公開されている「御所」に行ってきま~す。(^^♪

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : シーマンニア       花言葉 : 栄華
南アメリカ原産の植物です。 朱赤色やオレンジ色の筒状花は
先端がごく小さく5つに反り返り、正面から見るとかわいい星型に咲くのが特徴です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京の 「通り名」 わらべ唄 ♪

2010年11月25日 | 大阪・滋賀・奈良 他
幕末の京都を歩く歴史ウォークも、蛤御門のすぐ近くまできたのでチョッと一息・・・

京都人なら、誰でも知っているといわれてる「通り名」の唄があるのは知ってましたが
東西通りの唄と、南北通りの唄があるのですね~。

<

♪ 京 都 の 東 西 通 り 名 の 唄 ♪

丸竹夷二押御池
まる たけ えびすに おしおいけ

姉三六角蛸錦
あね さん ろっかく たこ にしき

四綾仏高松万五条
し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう

雪駄ちゃらちゃら魚の棚
せった ちゃらちゃら うおの たな

六条三哲とおりすぎ
ろくじょう さんてつ とおりすぎ

七条こえれば八九条
しちじょう こえれば はっくじょう

十条東寺でとどめさす
じゅうじょう とうじで とどめさす



♪ 京 都 の 南 北 通 り 名 の 唄 ♪

寺御幸麩屋町富柳堺
てら ごこ ふやちょう とみ やなぎ さかい

高間東車屋町
たか あい ひがし くるまやちょう

烏両替室衣
からす りょうがえ むろ ころも

新町釜座西小川
しんまち かまんざ にし おがわ

油醒ヶ井で堀川の水
あぶら さめがい で ほりかわ の みず 

葭屋猪黒大宮へ
よしや いの くろ おおみや へ

松日暮に智恵光院
まつ ひぐらし に ちえこういん 

浄福千本はては西陣
じょうふく せんぼん はては にしじん 

<


京都市内は、唐の都であった長安にならって、東西南北に碁盤の目になっているそうです。
その通り名が分かり易いサイトがありますので 古都めぐり ←をクリックしてご覧下さい。

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : コチョウラン       花言葉 : 永久の愛
アマビリスという原種の蝶が飛び回るような姿を見て、台湾で「胡蝶蘭」と
呼ばれたのがきっかけとなり、日本でもその名前で親しまれています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幕末の京都を歩く歴史ウォーク  2-⑤ 京都守護職跡~水戸藩邸跡

2010年11月24日 | 高槻しろあと歴史館と市民大学

京都守護職上屋敷跡 (現在は京都府庁)

幕府は、文久2年 (1862) 8月に、京都守護職を新設しました。 親藩の会津藩主
松平容保 (まつだいら かたもり) が指揮をとり、京都での幕府の威信を保とうとしました。
 

京都府庁内に石碑が残されていました。

守護職屋敷の面積は、現在の京都府庁・第二日赤病院・梅屋校におよぶ広大な屋敷でしたが
その中でも「上屋敷」は、度重なる増改築を経て慶応元年(1865)に完成しました。
正門は、全日空ホテルの裏側に移築されています。


紅葉がきれいな・・・京都府庁前の道路です。

この後、消防車がサイレンを鳴らして御所の方向に走っていきました。
幕末の京都を歩いている私達には、もしかして「禁門の変?」 (^^ゞ


御所の手前に 水戸藩跡 がありました。

水戸藩は、徳川家康の子・頼房を初代藩主とし、頼房の三男で二代藩主・徳川光圀(水戸黄門)が
『大日本史』の編纂に力を注いで幕末まで続いたが、幕末において尊皇攘夷の火付け役となる。

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : フユボタン       花言葉 : 高貴
二季咲き性のボタンの変種で、人工的に冬に咲かせます。
春につく蕾はつみ取り、夏の終わり頃に葉をつみ取って花期を遅らせ
藁の霜囲いをして暖かいところに保護すると冬に開花するのだそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幕末の京都を歩く歴史ウォーク  2-④ 「こぬか」の来也薬師如来

2010年11月23日 | 高槻しろあと歴史館と市民大学

来也薬師如来 (こぬか やくしにょらい) の名前の由来は・・・

鎌倉時代、疫病が流行したとき寺の住職の夢に本尊薬師如来さんが現れて
「私の前に来れば一切の病苦を取り除こう。 来也(こぬか)! 来也(こぬか)!」 と
お告げがあったことに由来するといわれています。


本尊の薬師如来は伝教大師が16歳の時に彫った7体のうちのひとつという。
当地は、幕末の「蛤御門の変」で焼失しました。

来也薬師如来さんの詳細は ここ をクリックしてご覧下さい。
〒604-0014   京都府京都市中京区釜座町二条上大黒694−1
075-211-1890

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : バラ(白)       花言葉 : よみがえる愛
古代ギリシャ、ローマ時代も人々はことのほかバラを愛しました。マリー・アントワネットも
バラ好きでしたし、ポンパドゥール夫人の衣装全体にもバラを散りばめられた肖像画も有名です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幕末の京都を歩く歴史ウォーク  2-③ 京都国際ホテルは三つの藩邸跡

2010年11月22日 | 高槻しろあと歴史館と市民大学

二条城の東大手門の前の道路を渡ると、京都国際ホテルがあります。
その場所には、橋本佐内寓居跡・堀河天皇里内裏址・橋本佐内寓居跡がありました。


橋本佐内寓居跡 (はしもと さない ぐうきょあと)
※ 寓居とは、一時的に身を寄せること。

佐内は牢舎に入れられ、1859年安政の大獄によって死刑に処せられた。時に年26才。


堀河天皇が、成長・受禅・崩御された、堀河天皇里内裏址 (ほりかわてんのうさとだいりあと)


福井藩は、慶長5年(1600)、徳川家康の二男結城秀康(ゆうきひでやす)が
治めた 福井藩邸跡 です。

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : ワビスケ       花言葉 : 簡素
古くから茶花として愛されている代表的な品種です。茶人利休もこのツバキを愛したといわれて
います。彼に仕え、この花を育てた「侘助」の名をとって名づけられたともいわれています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幕末の京都を歩く歴史ウォーク  2-② 若狭小浜藩邸跡~二条城

2010年11月21日 | 高槻しろあと歴史館と市民大学
武信稲荷神社を出て、二条城を目指して北に向かって歩いていくと・・・


ここは2万坪の広大な敷地を有していた、若狭小浜藩西井家の藩邸跡です。
(左に見えている道を通って、左折するとこの場所にでました。)

江戸時代を通じて二条城南西のこの地にあった小浜藩のこの屋敷は、15代将軍徳川慶喜が
文久3年(1863)12月から使用し、最後の将軍として慶応3年(1867)9月に二条城に
入るまでの3年10ヶ月を過ごし、大政奉還への道筋を構想した場所だといわれています。


若狭小浜藩西井家の藩邸跡から、北へ少し歩くと世界遺産の「二条城」が見えてきました。

二条城には寛永期に建てられた隅櫓が本来四隅にありましたが、天明8年の大火の際に
東北隅・西北隅の両櫓が焼失しています。今はこの西南隅櫓と東南隅櫓が残っているだけです。
江戸幕府の誕生と、大政奉還で終焉の舞台となった二条城は江戸時代のお城です。

慶長8年(1603年)徳川将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛の時の宿泊所として
作らせました。家康が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となった祝いを二条城で行い
江戸幕府が誕生したのです。

1867年10月14日に、この二条城・二の丸御殿の大広間で最後の将軍徳川慶喜が
大政奉還(たいせいほうかん)を発表して、朝廷に政権を返し260年続いた徳川の
江戸幕府が幕を閉じました。


埋門形式の(重要文化財)の西門です。
西門に木橋が堀を渡っていたころ、将軍徳川慶喜が通られたことがあると聞きましたが
現在は、堀を渡る木橋はなくなって開かずの門になっていました。


渡櫓門の北大手門 (重重要文化財) です。
この門から京都所司代(幕府の侍所の頭人)が近いので、よく使われていたようですが
現在、ここは一般人の通行は禁止で、緊急車両の出入口になっていました。


二条城の北東角から北大手門方向を見たところです。
この場所は立ち入り禁止のようですが、歩いてみたくなりませんか。(^^ゞ
左手は、東大手門のある二条城の東側の通りになります。


現在も、もとの形を残している重要文化財の東大手門です。
二条城の正門にふさわしい櫓門で堂々たる構えは、お城の創建時につくられたものです。

二条城の駐車場には、群馬・岡山・・・と遠くから来られた車がたくさんありました。
ゆっくりと行きたいと思っていた二条城ですが、横目にして蛤御門に向かいますね。(^^ゞ

~~~~~~~  今日の誕生花  日比谷花壇より  ~~~~~~~
花名 : ハマギク       花言葉 : 友愛
青森県から茨城県北部の太平洋沿岸に自生し、崖や砂丘に生える野生のキクです。
砂丘に育つキクであることから、ハマギクと名づけられたようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする