kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

年末のご挨拶 (^_^;)))

2015年12月28日 | ひとりごと
「kikoがスタート」に訪問して頂いてありがとうございます。
今年はブログで新しい出会いがあり、嬉しい年になりました。

2016年もブログを続けたいと思っていますので・・・
来年もよろしくお願いいたします。(*^^*)

寒さも厳しくなってまいりましたので
みなさまもお体に気をつけて、良いお年をお迎えください。
コメントを頂いた方たちに「ありがとうございました。」
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第二十七章   クリスマス・カロル

2015年12月24日 | ひとりごと


<<MARQUEE direction="up" scrollamount="1" onmouseover="this.stop()" onmouseout="this.start()" width="390" height="330">
第二十七章   クリスマス・カロル

一.  きよし このよる ほしは ひかり
    すくいの み子は まぶねの なかに
  ねむり たもう  いと やすく

二.  きよし このよる みつげ うけし
     まきびと たちは み子の みまえに
     ぬかずきぬ      かしこみて

三.  きよし このよる みこの えみに
     めぐみの み代の あしたの ひかり
     かがやけり      ほがらかに
<</MARQUEE>


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国宝 姫路城「大天守を支える地階の 東大柱・西大柱・厠・流し台」

2015年12月23日 | 兵庫・神戸市ほか

大天守の入り口は、鉄の二重扉のある地階からです。
ここは穴蔵と呼ばれ、薄暗く籠城の為の兵器や食糧を貯蔵していました。


西大柱


東大柱

姫路城を支えているのがこの2本の大柱です。
東西にそれぞれ高さ24.6m、根元直径95cm、末口42cmと大きな柱は
それぞれ地階から6階の床下まで延びています。


3階の西大柱

しかし、3階の西の大柱が2本接ぎ合わされています。
これは昭和の大改修(姫路城を一度解体し、もう一度組み上げたという大改修)で、大柱が姫路城を支えられなってきていたため、新しい大柱を建てました。

しかし、これほど大きな木材が見つからず、木曽国有林の樹齢780年の檜と
地元神埼郡笠型神社の樹齢670年の檜を3階で継ぎ合わせて再現したそうです。
一方東の大柱は根本の補強だけで、現在も古い柱が使われています。


「厠」もあります。

厠は一度も使われた形跡がなく、一説にはトイレに擬して籠城の際の水の貯水場として使われたともいわれ、敵勢が城内に討ち入っても厠には近づかないことを前提にして作られた隠し場所だったようです。


畳2畳ほどの大きな檜の流し台

姫路駅は外濠があった場所で、姫路駅から 天守閣までは「城内」でした。
これから姫路城に行かれる時は、 こちら を参考にして下さい。完
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姫路城「をの門跡→井戸→三国濠→城内から見た菱門」

2015年12月22日 | 兵庫・神戸市ほか


「をの門跡」

「いの門」から「ぬの門」を経て大天守へ向かう道を下道といいます。
「をの門」は、その下道の最初の門になります。
「をの門」と「りの櫓」は、明治15年に(1882)2月の失火で消滅しました。


ここにも狭間があります。


この井戸は、 深さ8.8メートル、水深約2.7メートル です。

お城を築く時には、お水を確保するかが最も重要であり城外に水源を求めると、籠城戦となったときに、攻めて手に水路を断たれたり汚物や毒物を投入される危険があるので、安全な水源は城内の井戸になります。

姫路城では、内曲輪(うちくるわ)だけで33ヵ所の井戸がありました。
現在は11ヵ所が残っています。井戸の中には深さが約20から30メートルの
ものもあり、姫山の岩盤に届く深さになるそうです。


この四角の堀は「三国濠」と呼ばれ、広さは約2500平方メートルあります。

名前の由来は、池田輝政が「播磨、淡路、備前」の3カ国から
人夫を集めて築いたことから言われているそうです。


城内からみた菱門です。

写真の右側に「百間廊下や化粧櫓」のあった「西の丸」へ行く道があります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私のブログが英訳されてます! どうして・・・???

2015年12月21日 | ひとりごと
私のブログ「kikoがスタート」ですが・・・
アクセス元ページをクリックしてみると、えっ!???
こちら をクリックしてみてください。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姫路城「明治・昭和・平成のシャチホコ→ぬの門→扇の勾配」

2015年12月20日 | 兵庫・神戸市ほか
播州皿屋敷のお菊井戸の中を覗いてから
「ぬの門」に向かっていると、左側に「リの一渡槽」が見えました。


その中には、明治・昭和・平成のシャチホコが展示されています。

「明治の鯱」は5代目
昭和の大修理の際に大天守の東側に上がっていた。(ウロコの彫が一番深い)

「昭和の鯱」は6代目
昭和の大修理の際に貞亨4年(1687年)の銘のある鯱が見つかり復元された。

「平成の鯱」は7代目
今回の保存修理では取り替えられた大天守最上層のレプリカで、6代目を再現。


ぬの門

この左側が「リの一渡槽」で、「ぬの門」へは少し下りの階段になってます。
備前丸に入る大切な門は、脇戸付き二重の2層の櫓門です。


黒塗鉄板で頑固な構えになっています。
石落としも設置してあり、1層は鉄格子窓、2層は出格子窓。

上山里曲輪の入口に、ハ-ト石と人面石があるそうなんですが
この写真のもう少し左側にあるそうなのですが、気が付かない人が
多いそうで、私もその中の一人なので写真はありません。(^_^;)))


「ぬの門」前に、「扇の勾配」が見えます。

開いた扇の曲線に似ていることから「扇の勾配」と呼ばれる石垣で、上にいくほど反り返り、敵に石垣をよじ登らせないための工夫でもあったようです。


反りをつけることによって高い石垣を積む事が出来るそうです。

近隣の山々から切り出された凝灰岩を使っているため、加工しやすい反面、もろさもあります。そこで当時の石工たちは、打ち込みはぎに積まれた石と石の間に間詰(まづめ)石を寸分のすき間なく詰め、400年もの間大天守を支えているそうです。


角の部分は長辺を交互に積む「算木積」(さんぎつみ)という
積み方で、打ち込み切り込み接ぎの一種だそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夫婦別姓のお隣の国の女性・・・

2015年12月19日 | ひとりごと
先日、夫婦同姓については「合憲」と判断され、再婚禁止 規定については
100日を超える期間の部分を「違憲」とし、再婚禁止期間が100日になりました。
私はこの「別姓」の言葉を見たり聞いたりすると思い出すことがあります。

それは、私がワンバッグのゴルフをしたくてお隣の国に何度も行っていたとき
現地の女性ガイドと、プライベートの話をすることが多くなり。。。

現地の女性ガイド
『私は子供が二人居るけど、夫や子供たちと同じ姓ではないんですよ。』


『えっ! ご主人と子供たちと別の姓なの・・・?』

現地の女性ガイド
『結婚しても同じ姓になれないの、だから一緒の家にいても私だけ違うのよ。』

と、淋しそうに別姓のことを話していた女性がいたのですが、いま日本で別姓を
望む女性がいると知ったら、その女性からどんな言葉が返ってくるでしょう。

お隣の国では「女性蔑視の考え方から始まった別姓は女性の差別」のようですが
日本では、いま「同姓が女性への間接差別に当たる』と言ってます。

もし日本がお隣の国と同じように別姓だったら、夫や子供たちと同じ姓に
なりたくて『同姓にならないのは、違憲だ!』と言っているかも・・・(^_^;)))
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姫路城「帯郭櫓(腹切丸)」

2015年12月17日 | 兵庫・神戸市ほか

備前門とお菊井戸の間に、帯郭櫓(おびくるわやぐら)があります。


建物の下をくぐるトンネルのような下り階段がありましたが
入れないようになっていたので通りすぎると・・・


狭間(さま)から、説明板が見えたので覗いてみると


「腹切丸(はらきりまる)」と書かれています。

通称で「腹切丸」と呼ばれる場所があることは知ってましたが
何となくこの辺りの空気が違う、この場所のことだったのです。
腹切丸の詳しい説明がありますので、こちら でご覧ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姫路城「備前門→播州皿屋敷のお菊井戸」

2015年12月16日 | 兵庫・神戸市ほか

備前門(びぜんもん)


門の入口脇にきれいに加工された直方体の石が縦に積まれています。
これは古墳に埋葬されていた石棺の身で、築城の際に石垣に転用されました。


その他の石垣にも組合式石棺の側石や底石なども転用され
こうした古墳の石棺が積石として多く転用されているのが
姫路城の石垣の特徴です。

築城によって、姫路近辺にあった古墳がいくつも破壊されたそうです。

======== お菊井戸 ========


備前丸広場の南側石垣下に、播州皿屋敷の怪談でしられる「お菊井戸」

当時の城主、小寺則職の家老であった青山鉄山がお家乗っ取りを企てているのをお菊が察知し、家老の恨みをかう。家老の手下が家宝の皿の一枚を隠し、これをお菊の責任とし、お菊を責め殺し、この井戸に投げ込んだという。以来、夜になるとお菊の亡霊が現れ、一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚・・・九枚とお皿を数える声が聞こえたといわれています。

追 記
この話をご存じでない方は こちら をご覧ください。
これは有名な伝説でもあり姫路城に限らず方々にあって、浄瑠璃「播州皿屋敷」
岡本綺堂作「番町皿屋敷」、河竹黙阿弥の「新皿屋敷月雨暈」などがあります。


子供の頃に聞いた「播州皿屋敷の怪談話 お菊井戸」を信じてましたが (^_^;)))
ここに来て、この井戸は要塞の姫路城が籠城など非常時に備えたものであって
お水が大切な時代に、殺して井戸に投げ入れることはないと思いました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姫路城「天守閣からの眺望」

2015年12月15日 | 兵庫・神戸市ほか

西小天守地下への出入口がこの「水六門」です。

水六門の入り口は、水五門の入り口より狭くなっています。
狭くしているのは、多くの敵兵が入っ て来るのを防ぐため。


小天守から天守閣へ


廊下の両側に武具掛けがあります。
天守に武具掛けが多くあるのは、武器倉庫でもあるからです。


どこのお城でもそうですが、一段が高くて梯子のように急勾配です。


六葉釘隠し(ろくようくぎかくし)

長押などに出ている釘の頭部を隠すための装飾で
6枚の葉と葉の間に猪目と呼ばれるハート形の隙間ができています。


長壁(刑部神社)
姫山の地主神で、近代になってから天守内で祀られるようになりました。


大天守 六階からの眺望です。
正面少し左に、JR姫路駅が見えてます。


西側には、「菱門」→「西の丸」→「百間廊下」→「化粧櫓」

他に、「東大柱」や「隠れ見所」など・・・沢山ありました。


天守閣から出てきたところです。
ここから見上げる天守閣と西小天守は、美しい要塞そのものです。

=======================

2015年の今年の漢字は「安」だったのですね。

安倍政権の下、安全保障関連法が成立したことで
今後の国の平安を考え関心が高まったこと、テロ事件で不安なことや
建築偽装問題などで、暮らしの安全が揺らいだことが理由のようです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする