中さん

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日記(12.5)

2022-12-05 13:14:16 | 日常
12月5日 (月曜日)  曇り⇒雨

熊谷市は初霜になった。冬型の気候がようやく訪れた。
目覚めは早く乱雑に散らかった資料の整理をすこしづつ始めた。
どんよりの空は重く、なじめない青空が当たり前の場所。
これくらいな事では雪国の方に叱られる・・
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福島民友日報のコラムは
確かにそうだ!と思わせる。復興相の行動。
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一度良くなったものが、再び元の悪い状態に戻ることを表すことわざ
「元の木阿弥(もくあみ)」
 語源となる説はいくつかあるが、
 戦国時代の影武者にまつわる話が有名だ。
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 ▼大和郡山の城主筒井順慶が幼いころ、
  病を患っていた父順昭が

  顔や声のよく似た木阿弥という盲人を影武者にし、自らの死を隠した。
  順慶が成長した後に秘密が明かされ、役目を終えた木阿弥は市井の人に戻ったとされる。
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 ▼二葉亭四迷の「浮雲」では、こんな使い方をしている。
  主人公の文三は恋心を抱くお勢の気を何とか引きたい。
  しかし、叔母や恋敵との面倒な人間関係が絡んでくるから、
  あれもこれも嫌だとため息をつきながら2時間ほど考えあぐね、
  結局は元の木阿弥

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 ▼堂々巡りに陥る文三の一言「ハテどうしたものだろう」が、
  この人の頭の中に渦巻いているのではないか。
  「政治とカネ」にまつわる疑惑が浮上している秋葉賢也復興相だ。
   被災地視察を中止してつくった時間をたっぷり使い、
   国会審議に備えたにしては、野党の追及に正面から向き合うことも、
   かわすこともできていないようだ。
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 ▼ならば信頼回復が最善と考えたか、
  視察日程を早々と再調整してきた。
  18日に来るのは本人か影武者か、それとも...。
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★復興相に選出されたんだからまずは
 被災地視察してから国会であろうに!・・
  改めて来られても有難みは消える。
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蛇足
徳川家康の影武者の話もあったので記載
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「史籍雑纂」では、徳川家康に影武者がいたことが触れられている。
 実際の影武者については憶測の域を未だ出ないが、
 そのうちの一つをご紹介しよう。
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 徳川家康の影武者のなかでも有名なのは「世良田次郎三郎元信」
 驚くことに、こちらの影武者説では、
 家康がまだ「元康(もとやす)」と名乗っていた頃の話。
 永禄3(1560)年12月、なんと松平元康(のちの徳川家康)が、
 尾張守山で暗殺されたというのだ。
 つまり、家康と名乗る前から、既に別人に入れ替わっていたことになる。
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 というのも、暗殺された時点で、元康の嫡男である信康はわずか3歳。
 先ほどの「木阿弥」の例と同じく、あまりに幼かった。
 このような場合、幼子が家督を継いだと周囲に知らせるのは、
 攻めてくれというようなもの。特に、周りは織田氏や今川氏。
 そこで元康の家臣団は影武者を立てることを決めたという。
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 ただ、筒井順慶とは異なり、嫡男の信康はのちに切腹を命じられる。
 つまり、この影武者説では、結果的に江戸幕府を開いたのは家康本人ではなく、
 影武者の「世良田次郎三郎元信」ということになる。
 アンビリーバブルな展開だからこそ、
 歴史小説の題材として人気が高いのかもしれない。
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コメント
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