中さん

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日記(12.16)

2022-12-16 15:50:33 | 日常
12月16日  (金曜日)  晴
 日中気温が上がってきた。そこでまだ沢山ある
★大根を30本程抜いてきて、洗い・皮むきして
 15㎏分を樽に積みいれて塩を振りながら漬け込み開始。
 重石は30㎏。3日間で水は上がる予定。
残りの大根はおすそ分けにした。
★年賀状、今回80枚準備したが、喪中のはがきも多くあって
 60枚に絞った。本日投函した。
 数年前は200枚書いていたが、年賀じまいの方も増えと年齢が上がっきて喪中も増え、
 それにSNSも発達した関係で随分減ってきた。1/3以下になった。
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新潟日報のコラム  日報抄 15日の記事
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 「日豪 慰霊と誓い」「心一つ、わだかまり消えた」
  戦後50年の1995年10月9日付本紙社会面に掲載された見出しである。
  前日、上越市川原町の直江津捕虜収容所跡地が平和記念公園に生まれ変わり、
  日豪の平和友好を願う飛天像の除幕式があった
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▼直江津の収容所では戦時中、オーストラリア兵の捕虜60人が厳しい労働や寒さ、
 飢えなどで死亡し、戦後は収容所の警備員8人がその責任を問われて刑死した。
 式典は元捕虜と警備員遺族が「歴史的な和解」の握手を交わす場でもあった

▼当時、式典を取材し「恩讐(おんしゅう)を乗り越え、恒久平和を誓い合った」と書いた。
 ところが後日、この平和運動の中心人物で上越日豪協会の初代会長を務めた故石塚正一さんに
「そんな簡単にわだかまりは消えないよ」と、
 たしなめられた。
★直江津にこういうことがあったことを始めて知った!
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▼直江津で捕虜の収容が始まって今月で80年。

 改めて元捕虜の家族を同僚記者が取材した。
 元捕虜は除幕式に出席し警備員遺族と握手を交わしたが、
 その夜は収容所での記憶がよみがえり一晩中泣いていたという


▼公園には死亡した捕虜と、刑死した警備員を追悼する慰霊碑が立つ。
 二つの碑は収容所跡地を示す石碑を正面にして左右に約5メートルずつ離れている。
 同じ距離だけ離すことで日豪の関係者が納得したと聞いた。
 二つの碑の間は近くて遠い

終戦から長い年月がたっても心の傷が完全に癒えることはない。
 ロシアのウクライナ侵攻など世界で戦火は続く。
 戦争で苦しむ人がいなくなる日がいつか来るのだろうか。
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★戦争の傷跡は3代経っても消えはしないと聞いたことがある。
 そうであることは韓国や北朝鮮の
 日本に対する恨みを忘れさせない教えが続いている。ことを
 思えば納得だ!
それにしても日本はそういった教育は全くしていないなあ~!
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コメント
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