中さん

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日記(12.14)

2022-12-14 18:41:15 | 日常
12月14日  (水曜日)    晴れ
 寒波が降りてくるニュースがどの局でも・・予報士が発表を始めた。
 風が出てきた。今日は11mの強風だ、寒いのも嫌だが!特に風は大嫌いだ。
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昨日午後はラグビー場の周囲を散歩に出た。
本当の目的は埼玉パナソニック・ワイルドナイツの練習風景を見に行った。

日本代表選手がそろっている。稲垣・ライリーなど
選手の練習をまじかに見られるのは幸せなことだ!
練習が行われるごとに輪になってベテランの堀江選手が指示を出していた。

選手撮影は禁止だ!今日は埼玉テレビが撮影にきている。
今週土曜日の17日はいよいよリーグワンが始まる。
このAグランドで東芝と対戦だ。寒い時期だがチケットは獲ってある。
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周囲を歩く。ショップと軽食が出来る”さくらオーバルフォート建屋”の場所に
覇者と題する銅像が立っている。

この銅像は,パナソニックになる前の三洋電機時代に神戸製鋼と熱戦を繰り広げた当時の
記念に2像作られたそうだ。
私も当時は秩父の宮ラグビー場でこのシーンを実際見ていたのを思い出す。
ヘッドコーチは宮地さんでナンバー8のラツーがすごかった。
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■神戸新聞 コラム正平調にあった。
 人工衛星からウクライナ全土を写した2枚の写真を本紙外信面で見た。
 1枚はロシアが侵攻する直前の今年2月。
 もう1枚はつい最近だ。
 前者には光が満ち、後者は闇に包まれている

◆この暗がりの下はどれほどの寒さだろう。
 首都キーウ(キエフ)は北海道の北にある樺太中部と同じ緯度にある。
 11月から2月は氷点下で、最低気温はマイナス20度にもなるという。
 その国の8州500を超える地域が停電し、暖房が不足しているとは

◆「ロシアはウクライナの冬を大量破壊兵器に変えようとしている」と、
  ゼレンスキー大統領は非難した。エネルギー施設への攻撃が続く。
  世界保健機関(WHO)は「数百万の命が脅かされている」と指摘する

◆戦後、シベリア抑留を経験した男性に聞いたことがある。
 「内臓が痙攣(けいれん)するような寒さだった」
  高齢者や子どもは大丈夫か!
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◆2022年の世相を表す「今年の漢字」は「戦」に決まった。
 そりゃそうか、と納得してしまう時代が悲しい。
 わずかな票差で2位だったのは「安」。こちらは願いか
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◆光はぬくもりであることを、真っ暗な衛星写真が教えてくれる。
 使い捨てカイロを贈ろうと、丹波篠山市が募った寄付には目標の2倍以上が集まった。
 光は希望でもある。「戦」はもういい。12・14
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★本日は午後、地区の東公民館で出前講座”荻野吟子”の講演があった。
すでに何回も講演は聞いているが、前々から誘われていて、何人か誘って出かけた。
今回、社会背景も交えての詳細を吟子の館長さんが説明してくれた。
紙芝居も”あ・んの会”が行ってくれた。
漢詩を歌い上げる方が、玄人はだしのマジックも行ってくれた
参考になった。
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荻野吟子

 荻野吟子は江戸時代末期の嘉永4年(1851年)、現熊谷市俵瀬に生まれました。
 18歳で結婚しましたが、不慮の病に罹り2年ほどで離婚しました。
 この時、婦人科の治療を受けたことから、女性医師の必要性を痛感し
 医師となることを決意しました。
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 しかし当時、女性には医術開業試験の受験が認められておらず、
 制度改正に奔走しました。
 その際、「令義解(りょうのぎげ)」という
 古文書に女医の記述があることを訴えたと言われています。
 この「令義解」を校訂し、
 後世に引き継いだのが埼玉の偉人「塙保己一(はなわほきいち)」でした。
 こうして吟子は様々な困難を克服し、
 明治18年(1885年)、医術開業試験に合格、
 日本で最初の公認女性医師となりました。
開業後は、診療活動に加え、婦人解放運動等の社会的活動も担い
女性の地位向上や衛生知識の普及にも大きく貢献しました。
大正2年(1913年)、62歳で永眠し、
栄光と波乱に満ちた生涯を閉じました。
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熊谷市立荻野吟子記念館

記念館は荻野吟子の生家の長屋門を模した、
瓦葺屋根・漆喰一部下見板の和風建築で、部屋は展示室と休憩室に分かれ、
展示室には荻野吟子の生涯を時代に合わせて説明した年表や資料を展示しています。
荻野吟子は、明治18年(1885年)医術開業試験に合格して、
日本の公許女性医師第1号となった埼玉県三偉人の一人です。
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コメント
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