中さん

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日記(12.17)

2022-12-17 20:02:11 | 日常
12月 17日  (土曜日) 曇り
朝から曇り日で気温も上がらない。午前中にブロッコリーや野菜など収穫。
サツマイモをふかして”干し芋つくり”をしておいたものが形は悪いが美味しく出来上がった。
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■録画してあった映画を見る。”どら平太” 何回も繰り返し見ているが
 凄い監督達や俳優陣、痛快なストーリー。

 解説:  黒澤明・木下恵介・市川崑・小林正樹によって結成された「四騎の会」
    第1回作品として共同執筆されながらもお蔵入りになっていた
    山本周五郎原作の時代劇を、騎士の一人である
    市川崑がメガフォンを取り、「市川監督の時代劇に出演したい」と熱望していた
    役所広司が念願かなって主演した、
    痛快新時代劇エンタテインメント。

 或る小藩の町奉行所に着任した望月小平太
 その豪快振りから“どら平太”という仇名まで付く型破りな役人。
 彼はこの藩の壕外と呼ばれる所で権力を握る三人の親分の不正を正すべく、
 思いも寄らない方法で彼らを取り込もうとするが……。
■どら=道楽者の”どら”の事だと映画の中でわかる。
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13時に熊谷スポーツ文化公園のラグビー場に家族4人で出かける。
本日からラグビーのリーグ、ワンが開催される。
この会場は 埼玉パナソニックVS 東芝だ。他の会場でも同時に開催されている。
ここ熊谷はとても寒いのに、観客は1万人を少し超えた。
東芝の選手が目の前でアップを始めている。


リーチ・マイケルも勇壮を見せる。
試合は全く互角で最後の最後でペナルティーで3点入って22対19でパナソニックが勝った。
出だしはまずまず!
リーチのトライも凄かった!布巻・坂手・松田の3トライも良かった。
山沢のキックも決まった。
★体が冷えた。 夕食を食べて帰宅。
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日記(12.16)

2022-12-16 15:50:33 | 日常
12月16日  (金曜日)  晴
 日中気温が上がってきた。そこでまだ沢山ある
★大根を30本程抜いてきて、洗い・皮むきして
 15㎏分を樽に積みいれて塩を振りながら漬け込み開始。
 重石は30㎏。3日間で水は上がる予定。
残りの大根はおすそ分けにした。
★年賀状、今回80枚準備したが、喪中のはがきも多くあって
 60枚に絞った。本日投函した。
 数年前は200枚書いていたが、年賀じまいの方も増えと年齢が上がっきて喪中も増え、
 それにSNSも発達した関係で随分減ってきた。1/3以下になった。
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新潟日報のコラム  日報抄 15日の記事
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 「日豪 慰霊と誓い」「心一つ、わだかまり消えた」
  戦後50年の1995年10月9日付本紙社会面に掲載された見出しである。
  前日、上越市川原町の直江津捕虜収容所跡地が平和記念公園に生まれ変わり、
  日豪の平和友好を願う飛天像の除幕式があった
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▼直江津の収容所では戦時中、オーストラリア兵の捕虜60人が厳しい労働や寒さ、
 飢えなどで死亡し、戦後は収容所の警備員8人がその責任を問われて刑死した。
 式典は元捕虜と警備員遺族が「歴史的な和解」の握手を交わす場でもあった

▼当時、式典を取材し「恩讐(おんしゅう)を乗り越え、恒久平和を誓い合った」と書いた。
 ところが後日、この平和運動の中心人物で上越日豪協会の初代会長を務めた故石塚正一さんに
「そんな簡単にわだかまりは消えないよ」と、
 たしなめられた。
★直江津にこういうことがあったことを始めて知った!
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▼直江津で捕虜の収容が始まって今月で80年。

 改めて元捕虜の家族を同僚記者が取材した。
 元捕虜は除幕式に出席し警備員遺族と握手を交わしたが、
 その夜は収容所での記憶がよみがえり一晩中泣いていたという


▼公園には死亡した捕虜と、刑死した警備員を追悼する慰霊碑が立つ。
 二つの碑は収容所跡地を示す石碑を正面にして左右に約5メートルずつ離れている。
 同じ距離だけ離すことで日豪の関係者が納得したと聞いた。
 二つの碑の間は近くて遠い

終戦から長い年月がたっても心の傷が完全に癒えることはない。
 ロシアのウクライナ侵攻など世界で戦火は続く。
 戦争で苦しむ人がいなくなる日がいつか来るのだろうか。
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★戦争の傷跡は3代経っても消えはしないと聞いたことがある。
 そうであることは韓国や北朝鮮の
 日本に対する恨みを忘れさせない教えが続いている。ことを
 思えば納得だ!
それにしても日本はそういった教育は全くしていないなあ~!
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日記(12・15)

2022-12-15 17:03:16 | 日常
12月15日  (木曜日)   ② 日中は暖かくなった。
14時ごろから、残り分の丹波の黒豆の鞘獲りを行った。
もうハゼて実が落ち始まっている。
あんまり期待できないが乾燥させて実を獲ってみよう。
ついでに、
★ほうれん草・水菜・大根・ブロッコリー・キャベツも収穫しておく。
 16時になった、冷えて来た。
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上毛新聞
2022/12/11【三山春秋】戦国武将の真田氏に仕えた忍びの足跡が…
タイトルにひかれて読んでみる。
~~~~~~~~~~~~~~~~^
 ▼戦国武将の真田氏に仕えた忍びの足跡が残る中之条町と東吾妻町。
  2024年度に国内外の忍者研究者らでつくる国際忍者学会の大会が開かれる見通しとなった。
  伊賀(三重県)や甲賀(滋賀県)に並ぶ「忍びの里」として、
  上州・吾妻の知名度が一気に上がるかもしれない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ▼研究発表や史跡の視察が行われる学術的な集いだが、地元の関心は高い。
  黒装束で闇夜に紛れ、手裏剣を投げたり、ひらりと屋根の上に飛び乗ったり―。
  歌舞伎や小説を通じて広まった忍者の姿に、多くの人が心を躍らせてきた。
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 ▼超人的なイメージは江戸時代以降に形成され、実像は異なるそうだ。
  研究者は史実に基づく存在を「忍び」
  文芸作品などに登場するのを「忍者」と呼んで使い分ける
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ▼実在した痕跡がある吾妻の忍びはどんな存在だったのか。
  学会員で中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」に在籍する
  研究家の郷原匠さん(25)は、情報収集よりも戦闘に特化した忍び
  だったのではないか
と指摘する。
  その証拠に戦国時代の終わりとともに活動がぱたりと途絶えた
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ▼一方、現代においては「忍びの末裔(まつえい)」が
  名乗り出てくる点も吾妻忍びの特徴という。
  ■伊賀や甲賀では子孫が表に出てくることはまれで、
   郷原さんは「自らのルーツに誇りを持つ人が多い」と評価する
 ▼忍者文化は外国人も魅了するコンテンツ。
  温泉や山と並ぶ地域資源に改めて目を向けたい。
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それにしても”国際忍者学会”というものがあったんだ!

何処の県も観光資源をアッピールして観光客の誘致
ハードとソフトの両面で頑張っている。
●当市も先日K市議の一般質問で
 もっと持てる資源を活用して行こうではないかと訴えていた。
 応援したい。
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日記(12.15)

2022-12-15 09:51:13 | 日常
2月15日  (木曜日)   気温が下がった朝だ!
 6時の時点で気温2度となっている。 カミさんは姉妹とゴルフ遊びに出かけた。
 ■白菜を収穫して刻んで軽く塩もみ、これがさっぱりしてうまい。
 ■先日の敬老会のスナップ写真を配って回る。
 ■今年の新米30㎏を始めて精米機でついた。
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■プロボクシングの井上選手が偉大な記録を達成した。
 また一人稀有な人材が現れた。当然のことのように報道されるが凄いことだ。

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 ★ボクシングは私の父親が好きで中学時代の頃。ボクシング中継のTVは占領された。
  飲めないのに酒1~2合を飲んで興奮して拳を握りしめていたのを思い出した。
  自分に出来ないことを投影して選手に見ているんであろうな?
  私も、やもえず、一緒に見ていたがパンチが顎にヒットすると崩れ落ちる選手の状況は
  よくわからなかった・・高校1年同期のS君がボクシングをやっていたのて試しに
  グラブをつけて軽いパンチをしてもらったら、一気に膝から下の力がスッと抜けて
  倒れ込んだ経験がある。これが強いパンチだったら腰から力が抜けて立てなくなるなあ~と
  体験から少し学んだ!”特にこめかみは注意だ”。
  外国映画の素手でパンチをくれるシーンがあって、何度も立ち上がってくるが
 本当であったらすごい顎を持っていることになる。映画だから映画だから・・であろうな!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「人間の闘争本能をもっとも露骨に出したスポーツ」
「現代の文明社会で失われたそう快な野性がむき出しになっている」

  ボクシングの「美しさ」に魅せられ、トレーニングも重ねた作家、
  三島由紀夫の言葉である。
▲ムハマド・アリが復活を果たした「キンシャサの奇跡」
 うたい文句は「ジャングルの死闘」だった。
 農耕民族にはあまり向かないスポーツかと考えていたが、
 大きな認識違いだったようだ。
▲戦後、白井義男(しらい・よしお)選手が
 フライ級で日本初の世界王者になってから70年。
 歴史を画す異次元のボクサーが現れた。
 アジア初の主要4団体統一王者になったバンタム級の井上尚弥(いのうえ・なおや)選手。
 世界でも9人目の偉業だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲欧米メディアは「ザ・モンスター」と呼ぶ。ただの怪物ではなく、唯一無二の存在だ。
 3階級を制覇し、全階級を通じた最強ランキングでも1位に輝いたことがある。
 米大リーグの度肝を抜いた大谷翔平選手にも匹敵するだろう
▲父をトレーナーにプロ入りする際、契約書に「強い選手としか試合をしない」
 いう一文を入れたエピソードも規格外だ。
 相手を追い込む、計算された試合ぶりには野性だけでなく、知性を感じる
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲三島は「守る側の人間は、どんなに強力な武器を用意しても、いつか倒される運命にある」と喝破し、王者にも「つねに新しい未知への挑戦」を求めていた。
 1階級上のスーパーバンタム級タイトルを次の目標に掲げ、
 「まだまだ通過点」と語る井上選手の言葉を聞けば、
  我が意を得たりとうなずいただろう。 ”写真はWEB上からお借りした。”
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福島民友のコラム
【12月14日付編集日記】男の子?女の子?
 
 マヤ、ミキ、カオル、リツ―。読み方だけみれば女性の名前と受け止めがちだが、
 いずれも名の通った男性陣。ご承知の通り日本中を沸かせたサムライブルーたち

 ▼主将として代表をまとめた吉田麻也選手は、
  学校で担任が代わった最初の点呼で、
  決まってちゃん付けで呼ばれ、そのたびに「男です」。
  海外でプレーするようになると、マヤは発音しやすいらしく
  一発で覚えてもらえた。親に感謝している―と述懐する
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ▼明治安田生命保険が、今年生まれた子どもの名前ランキングを発表した。
  ジェンダーレスな読み方の名前が広がっているそうだ。
  ただ彼らをみると、固定観念にとらわれない命名の流れは、
  今に始まったことではないのだろう
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ▼ハンガリーには公的機関による「ふさわしい命名リスト」があり、
  それ以外の名前を希望する場合は申し立てなければならない。
  女性名のアンドレアを男の子に付けようとして申請が却下された事例もある
  (国立国語研究所編「日本語の大疑問」幻冬舎新書)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ▼どんな名前にせよ、実り多い人生を歩んでほしいと願いを込めるのは万国共通のこと。
  世の中の勝手な都合や枠にとらわれず、
  伸び伸びと育つ子どもは社会を元気にする力にもなる。
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日記(12.14)

2022-12-14 18:41:15 | 日常
12月14日  (水曜日)    晴れ
 寒波が降りてくるニュースがどの局でも・・予報士が発表を始めた。
 風が出てきた。今日は11mの強風だ、寒いのも嫌だが!特に風は大嫌いだ。
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昨日午後はラグビー場の周囲を散歩に出た。
本当の目的は埼玉パナソニック・ワイルドナイツの練習風景を見に行った。

日本代表選手がそろっている。稲垣・ライリーなど
選手の練習をまじかに見られるのは幸せなことだ!
練習が行われるごとに輪になってベテランの堀江選手が指示を出していた。

選手撮影は禁止だ!今日は埼玉テレビが撮影にきている。
今週土曜日の17日はいよいよリーグワンが始まる。
このAグランドで東芝と対戦だ。寒い時期だがチケットは獲ってある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
周囲を歩く。ショップと軽食が出来る”さくらオーバルフォート建屋”の場所に
覇者と題する銅像が立っている。

この銅像は,パナソニックになる前の三洋電機時代に神戸製鋼と熱戦を繰り広げた当時の
記念に2像作られたそうだ。
私も当時は秩父の宮ラグビー場でこのシーンを実際見ていたのを思い出す。
ヘッドコーチは宮地さんでナンバー8のラツーがすごかった。
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■神戸新聞 コラム正平調にあった。
 人工衛星からウクライナ全土を写した2枚の写真を本紙外信面で見た。
 1枚はロシアが侵攻する直前の今年2月。
 もう1枚はつい最近だ。
 前者には光が満ち、後者は闇に包まれている

◆この暗がりの下はどれほどの寒さだろう。
 首都キーウ(キエフ)は北海道の北にある樺太中部と同じ緯度にある。
 11月から2月は氷点下で、最低気温はマイナス20度にもなるという。
 その国の8州500を超える地域が停電し、暖房が不足しているとは

◆「ロシアはウクライナの冬を大量破壊兵器に変えようとしている」と、
  ゼレンスキー大統領は非難した。エネルギー施設への攻撃が続く。
  世界保健機関(WHO)は「数百万の命が脅かされている」と指摘する

◆戦後、シベリア抑留を経験した男性に聞いたことがある。
 「内臓が痙攣(けいれん)するような寒さだった」
  高齢者や子どもは大丈夫か!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆2022年の世相を表す「今年の漢字」は「戦」に決まった。
 そりゃそうか、と納得してしまう時代が悲しい。
 わずかな票差で2位だったのは「安」。こちらは願いか
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◆光はぬくもりであることを、真っ暗な衛星写真が教えてくれる。
 使い捨てカイロを贈ろうと、丹波篠山市が募った寄付には目標の2倍以上が集まった。
 光は希望でもある。「戦」はもういい。12・14
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★本日は午後、地区の東公民館で出前講座”荻野吟子”の講演があった。
すでに何回も講演は聞いているが、前々から誘われていて、何人か誘って出かけた。
今回、社会背景も交えての詳細を吟子の館長さんが説明してくれた。
紙芝居も”あ・んの会”が行ってくれた。
漢詩を歌い上げる方が、玄人はだしのマジックも行ってくれた
参考になった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
荻野吟子

 荻野吟子は江戸時代末期の嘉永4年(1851年)、現熊谷市俵瀬に生まれました。
 18歳で結婚しましたが、不慮の病に罹り2年ほどで離婚しました。
 この時、婦人科の治療を受けたことから、女性医師の必要性を痛感し
 医師となることを決意しました。
  ~~~~~~~~~~
 しかし当時、女性には医術開業試験の受験が認められておらず、
 制度改正に奔走しました。
 その際、「令義解(りょうのぎげ)」という
 古文書に女医の記述があることを訴えたと言われています。
 この「令義解」を校訂し、
 後世に引き継いだのが埼玉の偉人「塙保己一(はなわほきいち)」でした。
 こうして吟子は様々な困難を克服し、
 明治18年(1885年)、医術開業試験に合格、
 日本で最初の公認女性医師となりました。
開業後は、診療活動に加え、婦人解放運動等の社会的活動も担い
女性の地位向上や衛生知識の普及にも大きく貢献しました。
大正2年(1913年)、62歳で永眠し、
栄光と波乱に満ちた生涯を閉じました。
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熊谷市立荻野吟子記念館

記念館は荻野吟子の生家の長屋門を模した、
瓦葺屋根・漆喰一部下見板の和風建築で、部屋は展示室と休憩室に分かれ、
展示室には荻野吟子の生涯を時代に合わせて説明した年表や資料を展示しています。
荻野吟子は、明治18年(1885年)医術開業試験に合格して、
日本の公許女性医師第1号となった埼玉県三偉人の一人です。
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