電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

16ビットの初期に夢見たことは

2016年07月30日 06時04分59秒 | コンピュータ
パーソナル・コンピュータの初期に、NEC製8ビットのPC-8001MKIIでプログラミングしていた頃は、表集計の自作プログラムで漢字が使えないものかと夢見ておりました。これが16ビットの時代になった時、曲がりなりにも漢字が使えるようになり、喜んだものでした。

この頃、個人的に夢見ていたソフトウェアがありました。それは、

ワープロのようにキーボードで手紙を入力・編集・保存・印刷でき、後から保存した件名や内容、日付や宛先などで検索し呼び出したり、返信の有無や内容についての記載など、受発信管理ができるソフトウェア

というものでした。当時はパソコン通信もまだ黎明期で普及しておらず、「コンピュータ・ネットワーク」や「電子メール」などは夢の話でした。したがって、個人的な連絡もまだ紙の手紙に頼っていたために、前回の連絡内容を参照するには、自分で意識して手紙のコピーを残しておく必要があり、これを電子的に管理できないか、という発想は自然なものでした。


(パソコン通信ソフトの定番、WTerm)

ところが、昭和末にパソコン通信が流行し始め、商用パソコン通信がスタートし、隆盛を誇るようになりました。私も、平成の初期にNIFTY-Serveに入会し、パソコン通信でメールを送るようになりました。この頃、私が使っていた通信ソフトは WTERM や FM秘書 などでした。特に FM秘書 は、Mind で記述された通信兼パーソナル情報管理ツールで、通信ログの全文検索やスケジュール管理もできるというもので、実はこうした機能をすでに備えた便利なソフトウェアでありました。

つまり、私が紙の手紙を想定し、その受発信記録を電子的に管理するソフトウェアを考えていたのでしたが、わずかな年月が過ぎただけで、電子メールを想定し、類似の機能を備えたソフトウェアがたくさん登場するようになったのでした。

パソコン通信の時代には、他社のアドレスに向けてメールを送ることはできなかったのですが、WIDEプロジェクト等の恩恵によって、他社と相互乗り入れができるようになりました。具体的には、例えば NIFTY-Serve と PC-VAN との間で相互にメールをやりとりできるようになり、実に大きなインパクトがありました。これにより、電子メールは実用的な存在となったと言えます。


(2003年頃の Mozilla on Vine Linux)

インターネットの時代には、E-mail はごくあたりまえの存在になり、メールソフト OutlookExpress の仕様がウィルスメールを拡散することになるなど、むしろ厄介なことがいろいろ起こってきました。さらに、迷惑メールが大量に送りつけられるようになり、これらを自動的に処理するベイジアン・フィルタを備えた Thunderbird のようなメールソフトが普及するようになりました。今や E-mail は、迷惑メールだけでなく、標的型ウィルスを添付したなりすましメールなど、実に厄介な問題を抱えるようになってきています。私の場合、主として Linux を使っていますので、ウィルスの危険性は相対的にぐっと低いのですが、爆弾のような数の有難迷惑メールには困ってしまいます。


(現在使用中の Sylpheed on Ubuntu Linux)

パーソナル・コンピュータの初期に夢見たことのいくつかは、ありがたいことに16ビットの時代に電子メール用のソフトウェアとして実現しました。それなのに、今や電子メールは困った存在に変わってきています。夢見たことは実現する。だが、それはがっかりするような面をともなってきたりする。物事は単純ではありません、困ったことです(^o^;)>poripori

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