安慶名グスクのシンボルとなる城門
加工された石を積んだ城門 ( 表側 )
自然石をくり貫いた二の郭の城門 (城内側 )
グスクの入り口に立つ路標
路標を過ぎて自然岩を並べた階段を登って行くと、城門へたどり着く
城門の下あたりにある 「 安慶名大川按司の墓 」
頂上部のフラットになった内郭広場 ( 主郭 )
頂上部にある主郭の石塁 ( 主郭の石塁 )
グスク内にある 「 安慶名宇志仁 」 の拝所
中央公園から見た安慶名グスク、中央やや左の尖った岩が石門あたりになる
安慶名グスクについては、ブログの開設当初に 「 沖縄の文化財 」 のカテゴリーで掲載したが、
安慶名大川按司の墓と動画の関連から再度グスクの掲載したものである。
安慶名グスクは14世紀頃、安慶名(大川)按司によって築かれたとされている。
別名、大川(ウーガー)グスクとも呼ばれ、
その名の由来である天瀬川は沖縄本島中部地方の東、
金武湾に注ぐ川を地元では大川と称していた。その川名が城名や按司名になったようである。
沖縄のグスクは、主として郭が縦または横になった連郭式のグスクがほとんどであるが、
安慶名グスクは唯一の輪郭式のグスクであり、独立した岩山頂上部の広場を内郭とし、
中腹部を外郭としており、岩山に築かれた階段を登って行くと、
自然岩を刳り貫いた石門が目に入って来る。思わず「うぉー」っと声が出てしまうような光景である。
この門を潜り抜けると、主郭の広場(二の郭)が広がっている。
安慶名大川按司は、伊波城主の初代伊覇按司の五男と伝えられる。
城は最初、兼箇段(かねかだん)に築く予定だったが、
安慶名の独立丘の方が条件に適している事から、この地になったという。
【 安慶名グスクの落城伝説 】
勢力を付け、周囲を威圧してきた安慶名按司の勢いは、首里城主の領域までも及び、
そのことを恐れた首里城主は、軍勢を送って安慶名グスクを攻めさせたが、
要塞堅固な安慶名グスクはそう簡単に陥落せず、そればかりか優れた安慶名軍の反撃に手を焼いていた。
ところが、安慶名グスクには水がなく、用水は大川より汲み運んでいた。
その事を知った首里軍は、水路を断つ作戦を敢行し、ついに難攻不落の城も落城したといわれる。