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「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県豊前市  ・  豊前岩屋神楽成恒保存会の 「 大蛇退治 」

2013-05-16 06:09:03 | 日記 ・ イベント



「 大蛇退治 」 と戦うスサノオノミコト







大蛇に巻かれた巫女







大蛇の首を斬るスサノオノミコト







斬り取られた大蛇の頭













豊前市の岩戸神楽は現在6つの神楽講 ( 保存会 ) により伝承されている。
演目は俗に豊前岩戸神楽三十三番といわれ、
「 式神楽 」 の花神楽・笹神楽・弓正護・地割などは神楽本来の優雅な舞です。
また、 「 出雲神話 」 に基づく駈先 ( 御先 ) 神楽、大蛇退治や神迎、岩戸開き、
さらには曲芸的な動きが人気の剣神楽、盆神楽なども楽しい演目がある。

2匹の大蛇と戦い、酒に酔った大蛇の首をはね、
さらには大蛇の腹を切り裂き、その中から宝刀を取り出す様は圧巻である。



沖縄県宮古島市   「 飛鳥御嶽 ( とびとりうたき ) 」

2013-05-16 06:06:57 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所




























飛鳥御嶽の西北方約400mの場所にある 「 とびとり会館 」






「 飛鳥御嶽 ( とびとりうたき ) 」 は、増原から海岸よりの森にある御嶽で、
西銘城の主、西銘按司の娘オモフ入り婿になった飛鳥爺 ( トゥビトゥリャ ) の居城跡である。
飛鳥爺は幼名を真徳金 ( マトクガニ ) と称していたが、
長じて 「 その勇は虎の如く、その速きことは飛鳥の如く 」 と言われて、その名を得たとされている。
白川浜で弓の試合を挑まれ姦計により両目を打ち抜かれて絶命、主を失った人々は離散し、
西銘城もさびれてしまったが、後に飛鳥爺の霊を祀り、ここを飛鳥御嶽と称するようになったそうである。
また、一説では西銘按司の最初の城が西銘御嶽であったが、
手狭になったため後に飛鳥御嶽の地に移ったとも言われている。
祭神は飛鳥主、脇神に西銘主・龍宮神を祀り、
宮原が主催して行う旧6月の 「 世乞い祭 」 は盛大で、雨乞いの願事もここで行われている。
昭和初期には内地の神社形式を取り入れ、鳥居と参道脇には灯篭が建立された。


所在地 : 宮古島市東仲宗根添


大分県院内の石橋 27 「 荒瀬橋 」

2013-05-16 06:04:56 | 大分の石橋



バランスの取れたアーチが好感を呼ぶ荒瀬橋






高さのある2連は壮大である






川中からの遠望






シッカリと組まれた輪石と細かに積み込まれた壁石







銀杏の葉のような形に見えるアーチの結合部分







優しいRになった橋脚の水切り







深い淵になった橋台部分






山側から出た橋脚と橋台






欄干の下部には通路の水はけの排水溝が開いている






「 あらせばし 」 と、ひらがなで刻まれた親柱






橋が架かる恵良川






国道387号線沿いにある 「 道の駅 ・ いんない 」






石橋をイメージしたモニュメントがある 「 道の駅 ・ いんない 」






所在地 /  大分県宇佐市院内町副 ・ 恵良川
架橋  /  大正2年
石工  /  松田新之助
長さ   /  47.4m   幅   /  5.9m
拱矢  /   7.0m   径間  / 15.1m~16.1m
環厚  /   55㎝   
2連アーチ


荒瀬橋は旧・院内町の中心部付近に架かる橋で、かつては国道387号線の旧道の橋であった。
この橋を架けた松田新之助は赤字を出した穴埋めに、橋の通行料を取ることを許されたという。
大正2年に竣工しているが上部は昭和10年代に築き直されている。
恵良川を跨ぐ長さは47.4mと長く大きく、見るからに堂々としている。


荒瀬橋へのアクセス
荒瀬橋へは、国道387号線を院内インターチェンジから玖珠方面に1.5キロほど向かって行くと
左側に 「 道の駅・いんない 」 がある。その道の駅を隔てた国道の反対側に架かっている。
駐車は、道の駅の駐車場を利用した。