クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

不戦の誓いを

2010-08-15 06:23:35 | ネコ
今日は終戦記念日。第二次世界大戦で亡くなられた方々の魂の平安を祈ると共に、私達は改めて不戦の誓いを世界中に発信しようではないか。戦後65年、現憲法が時代にそぐわなくなって来ているのは僕も感じ、改憲議論を始めるのは賛成である。しかし、変えてはならぬ条文もある。第9条である。ここに書かれた不戦・平和の誓いだけは変えてはならぬ。
僕は戦後第一世代であり、この愚かな戦争を実体験として持っている訳ではない。これから話すのは、戦争の愚かさの1つである。
昭和30年後半でも、街並みは現在のように美しくはなかった。池袋西口にもバラック建ての飲食街があった。当時僕は立教チャペル(諸聖徒礼拝堂)に所属する信徒であり、司祭の隣で礼拝奉仕をする、祭壇奉仕者であった。ある朝、池袋駅から飲食店街を歩いていると、大型の野良犬が何頭も僕の後ろを付いて来た。多分、カバンの中の弁当が臭ったのだろう。彼らも飢えていた。犬好きでも僕の顔は引きつっていたに違いない。前を歩いていた大学生に助けを求めた。「振り向いて目を合わせてはダメだ」と言われ、早足で校門迄歩いた。その間、野良犬は僕の後ろを付いていた。礼拝堂に入っても、動悸は中々治まらなかったのである。
僕が物質的に豊かになったと実感出来たのは、昭和40年代に入ってからである。しかし、小学生の頃読んだ、通信図鑑に描いてあった、1家に1台のコンヒューター時代が訪れるとは思わなかった。残念事に、物が豊富に出回るにつれ、心が貧しくなっていった。
都会では上記のように、野良犬が人の後ろを付ける無くなった。犬や猫の目も穏やかになったと感ずる。彼らは平和の象徴である。愛猫ココは、パソコンを枕にして、モニターの前で寝ているが、その顔は危害を加えられる心配は、微塵もしていない安らかな顔である。
これからも戦争の無い平和な日本が末永く続くように祈るものである。