クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

この地で50年

2011-07-12 06:21:34 | Weblog
今日のブログは、ニャンブログではなく、僕の備忘録として書くのである。
今から50年前、東京都の外郭団体「東京都住宅公社」は、この地、つつじヶ丘に中堅サラリーマン向けの宅地として、100区画余の宅地を造成して分譲した。元々この地は、陸軍通信基地の跡地。宅地は2~3倍の倍率で抽選が行われた。分譲価格は市価の3分の2程度だったと両親から聞いている。
50年前の7月、僕が夏休みに入るのを待って、我が家は、僕が生まれた下北沢からこの地に新築された家に越して来た。この地は深大寺付近と同じく、緑地帯の指定を受けており、建物は宅地の2割しか建てられなかった。今は3割になったが。
この家を建てた棟梁は「俺に任せろ。百年経ってもビクともしない家を建ててやる」と両親だけでなく、僕にも話していたものである。柱は紀州の桧と杉。梁には一抱えもある物が貫いている。数年前、内装工事で入った大工が「この家には耐震検査は必要ない」と感心しながら話した程である。
この団地100軒で建てた時の物を残しているのは3割程度。多くのお宅が建替えたり、他所に移って行かれた。そして、今住んでいるのは、2代目3代目が中心になった。我が家も3代目の息子と4代目の孫も一緒に。彼らは古くからこの地に住む、土地っ子の仲間に入っている。
震度5の地震にもビクともしなかった我が家は、あと50年以上は多額の費用を掛けずとも住み続けられるであろう。